猫おじさん

鴉乃雪人

第1話

 いつからだったでしょうか。中学に入学したばかりの頃は、まだ見えなかったように思います。恐らくはその夏頃から、だったのでしょう。彼はいつでもそこにいました。


 今だから言えますが、私はいわゆる「お嬢様育ち」でした。小学校の頃は塾、ピアノ、お習字、茶道、英会話、スイミングスクールと、大して好きでもない習い事にいくつも通わされ、そのせいで中々友達とも遊べず、教室では一人でいる事が多いような子供でした。

 中学も私立を受験しました。小学六年生の時は毎日のように塾に通い、私はさらに孤立しました。近所の方々は「苗ちゃんはお勉強頑張ってて偉いねえ」と褒めてくれましたが、私の姿が見えなくなると「あんなに小さいのに可哀そう」などと噂している事を知っていました。中学校でもよろしくね――卒業式で話し合っているみんな。ほとんどが地元の中学校に通うのです。そういう訳で私は数少ない友人とも離れ離れになり、一人私立の中学校に通うことになりました。

 これらは全て母の方針。母は特段厳しかった訳ではありません。いえ、厳しくはあったのですが怒鳴るような事をしない人でした。茶道はあまり楽しくないのです、なんて小さな声で不満を漏らすと、母は決まって悲しそうな、憐れむような表情になり、

「苗ちゃん、子供の頃から色々な事を頑張っていれば、将来どんなに素敵な大人になれるか分かりませんよ」と言って私を抱きしめるのでした。そして私は何も言えなくなるのでした。

 物心ついたときから父はいませんでした。母に父の事を尋ねると「気にしてはいけませんよ、あんな人」と言い切り、――それよりこの間ピアノの青山先生があなたの事を褒めていましたよ――そんな風にはぐらかされました。お盆やお正月に祖父母の家へ出かけた時、祖母などに尋ねてみても、憐憫するように頭を撫でるだけで何も教えてくれませんでした。けれども私は早い時期に父の事を知りました。親戚中に尋ねて回る私の事を不憫に思って、中原のおじさんが教えてくれたのです。なるほど父はあまり褒められた人間ではないようでした。中原のおじさんは優しい表現で、所々ぼかしながら話しましたが、母が私を父から遠ざけようとするのは理解できました。簡潔に言えば、父は母を裏切ったのです。

 知ってしまうと、母の過剰な束縛も子供心になんだか可哀そうに思えてくるもので、本当は嫌だった習い事も、本当は作りたかった友達も、我慢しようと思ってしまったのでした。

 今思うと、それは不幸なことだったのでしょう。

 もし優しい父というものがいたら、幼い私はどんな景色を見ていたのでしょうか。

 母は、父でもありました。私にとっての「母親」はむしろ毎日家に来てくれる家政婦の田辺さんでした。


 そういうわけで、私は母に縛られ、ある意味――大事に育てられ、「外」というものを知らずに中学校に上がったのです。


 けれども幸いな事に、中学からは習い事が少なくなりました。母の教育方針が変わったからではなく、単純に勉強に支障をきたしかねないということでしたが、たくさんあった習い事はピアノとお習字だけになりました。もちろん、家で勉強は欠かせませんでしたが、私には初めて自由な時間というものが与えられたのです。

 最初の頃、私は何をしたらいいか見当もつきませんでした。少々大げさなようですがそれまでの私は母の飼い犬に等しい子供だったのです。ロボット、あるいは奴隷などと言う表現もあるやもしれませんが、兎に角私のやることなすこと全て母によって決められていました。散歩に連れられなくなった私は、好きな所を歩き回れるようにはなったのですが、飼い主に連れていかれた場所以外、何も知らなかったのです。

 そういうわけで、しかたなく部屋の中をぐるぐる歩き回ったり、いっそこの時間も勉強をと教科書を手に取ってみたりしていましたが、なんだか違うような気がしました。〝違う〟というのは、そんなふうにして費やすべき時間ではないということです。

 おかしな話ですが、私はこの自由時間の使い道を家政婦の田辺さんに相談してみました。田辺さんは良い人です。その頃は我が家に来るようになって五年目だぐらいでしたか。ほとんど毎日、彼女は料理洗濯お掃除、それから私の勉強の面倒を見てくれました。背が高く温厚な顔立ちの田辺さんは、やはりおっとりと柔らかな人でした。針金のような母は、その性格ゆえ田辺さんとぶつかりそうになることもありましたが、それらは通り雨のよう過ぎ去っていき、あとは晴れ晴れとした空のように、わだかまりは一切消えてしまうのでした。

 田辺さんは会話というものを熟知していたからです。不機嫌な相手を如何にして快くさせるか。喜んでいる時、疲れている時、あるいはやることがない時に、人はどんな言葉をかけてほしいのか。そういった会話対話の術に長けていました。

 私が相談事を田辺さんに持ち掛けるのは至極当然の流れだったのですが、この時ばかりは多少躊躇しました。「自由な時間とは、何をするべき時間なのですか?」優しい田辺さんだって、こんなことを尋ねては笑われたり呆れられたりするだろうと考えたのです。実際、勇気を出して田辺さんに声を掛けたとき、彼女はしばらくキョトンとしていたのですが、笑いも呆れもせずに、微笑みながら返してくれました。

「苗さんはやりたいこと、ないんですか?」

「よく分からないんです。今までは、家に帰るとすぐ習い事がありましたから、自分が何をやりたいのか、よく分からないんです」

 田辺さんは少し考えるそぶりを見せ、言いました。

「読書、なんてどうですか」

「読書、ですか」

 無心で復唱した私ですが、確かにそれは名案でした。母に与えられた様々な〝課題″のうち、読書は比較的苦のない(楽しい、ときっぱり言えないのは、やはり押し付けられていたからです)ものでした。

「どんな本を読めばいいんですか?」

「苗さん、読みたい本を読めばいいんですよ」

 田辺さんはにっこり笑いました。

 しかしながら私には読みたい本すら分からなかったので、田辺さんはお勧めだという本をいくつか私にプレゼントしてくれました。

「自分に合わないと思ったら、読むのをやめていいんですよ」

 そうは言われたものの、彼女が選んだ本はどれも私の心を強く引き付けました。ある時は田舎の少女になり、ある時は西洋のお姫様になったりして、穏やかで繊細な、あるいは波乱万丈な人生に溶け込みました。本は――というより物語は、私の心を鷲掴みにしました。

 

 私が猫おじさんに出会ったのは、それから少ししてからのことです。

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