第11話 決闘

(右腕・・どうやって?)


 ちぎれたはずの右腕を眼前に翳しながらトリアンは小さく息をついた。

 分からないことだらけだった。

 死んだはずの自分が生きていた。

 失ったはずの右手が肩から生えていた。

 脱臼して動かなかった左肩も痛みがひいて問題無く動かせた。


(異世界だからって・・そんな訳があるのか?)


 トリアンは岩肌に座って考え込んでいた。

 いつの間にか、光の無い闇の中が見渡せるようになっていた。

 聳え立つような縦穴の岩壁がはっきりと見える。

 座っている岩肌の細かな凹凸、亀裂のように走る傷も見て取れた。


(おれの手・・だよな?)


 トリアンは念入りに自分の右手を観察した。

 四つ目の巨人に引きちぎられたはずの右手である。

 しかし、どこにも違和感は無い。

 自在に思うがままに動くし、しっかり力を込められる。

 あれほど痛んでいた身体がすっかり回復して打ち身や擦り傷が無い。


(・・まあ良い事だよな)


 無事な身体が痛んだ訳じゃ無い。ボロボロだった身体が治っているのだ。


(それより・・)


 トリアンは巨大な縦穴の上方を見上げた。

 明らかに誰かが造った物だろう、黒い箱らしき物が宙に浮かんでいた。

 下から見る限り、黒曜石のような質感に見える。つるりと艶のある硬そうな表面をしていた。


(5メートルくらいか・・)


 縦穴の岩壁を登れば辿り着けそうな位置に浮かんでいる。

 トリアンは岩壁に取り付いた。岩肌に握力だけで指を食い込ませる。ゴルダーンと剣を打ち合える力があるのだ。岩壁に豆腐を割くように指が入る。

 トリアンは、するすると登って行くと壁を蹴って宙を跳んでいた。

 緩やかな弧を描いて、漆黒の立方体の上に落ちる。

 油を踏んだかのように表面が滑ったが、トリアンは両手の指をハーケンのように打ち込んだ。


(・・思ったより硬い)


 第一関節までした食い込まなかった。

 トリアンは、全身の力を込めて黒い立法体を引き裂こうと両腕を左右へ拡げ始めた。

 その時、


 ---- 所有条件を満たしました。開封を開始します。 ----


 どこからともなく声が聞こえて、漆黒の立方体が手の平ほどの小さな立方体に分裂し始めた。

 足場を失い、トリアンは真っ逆さまに落下した。

 くるりと身を捻り、四つ足で勢いを吸収するようにして着地をした。


 リンリンリンリン


 鈴のような音が鳴って、一冊の分厚い本が落ちてきた。

 黄金色の金属で縁取りされた黒い表紙を、金色の唐草のような模様が彩っている美しい装丁をしていた。

 トリアンは、魅せられたように本を拾い上げて汚れを払った。


 ---- 狩猟図録:Lv1 ----


 ずしりと重たく、地面に立てると腰くらいの高さになる大きな本だった。表紙も厚く硬い。

 開いてみると、最初の頁に、先ほどまで宙に浮いていた立法体の絵が描かれていた。


(闇の結晶体・・?)


 絵の下には名称が記されていた。破壊すると大量の経験値を喪失する呪われた結晶の塊と説明書きがある。余白は多いが、他には何も記載が無い。


(滑る事とか書いておこうか)


 トリアンは筆と墨壺を取り出すと、宙に浮かんでいること、表面が滑ることや、硬いが指で貫けることなど書き込んだ。


(・・へぇ?)


 書き込んだ文字が綺麗に整えられて、元から記載されていたかのような飾り文字となっていた。

 筆によるものか、この図録の仕組みなのかは分からない。


(これ面白いな)


 トリアンは喜んでいた。

 ちょっとした事だが覚え書きが出来るのは嬉しい。今のところ、闇の結晶体しか記載されていないが、これから"狩猟"をすれば増えて行くのだろう。ふと思いついて、裏表紙の内側に"トリアン"と名前を書いておくことにした。

 しかし、こんなに大きくては持って歩く事も出来ない。


(何かに入れないと・・)


 などと考えていると、本がみるみる小さく薄くなって消えて行った。


(・・え?)


 何処に行ったのかと視線を巡らせると、光の粒子が集まるようにして宙空に先ほどの大きな本が出現した。


(なるほど・・)


 仕掛けは分からないが、そういう魔法の本らしい。

 強引に自分を納得させて、トリアンは改めて周囲を見回した。

 見える範囲には何も無い。

 巨大な縦穴の底だろうと思う。ただ、とてもじゃないが全容を見渡すことは不可能だ。

 あまりに広すぎる。


(壁を登るのは、いつでも出来る)


 まずは、この縦穴の底を探索しておこう。

 トリアンは壁に近づくと指先で傷を入れた。

 左手に壁を見ながら、ゆっくりと歩く。

 時折、頭上の闇にも眼を向ける。

 闇の結晶体は見当たらなかった。

 歩数を数えながら歩くが、いつになっても見える風景に変化が無い。

 無論、足下の凹凸や壁のひび割れなど、細かな違いはあるのだが・・。


(・・飽きるな)


 どこまで行っても変化が無さそうな気がしてきた。

 トリアンは、千歩目を踏んで、また岩壁に傷をつけた。

 千歩毎に傷を付けている。

 もう4度傷を刻んだ。


(登ろうかな)


 トリアンは嘆息して、上を見上げた。

 その時、


 ・・ゴ~ン・・・ゴ~ン・・・ゴ~ン・・・


 重々しい鐘の音が鳴り響いた。


 思わず背を縮めて身を固くしたトリアンは、身を隠せる場所を求めて視線を左右した。

 しかし、そんな場所は無い。

 次の瞬間、いきなり足下が光に包まれた。

 いや、トリアンの周りだけでは無い。歩いてきた壁に沿って、赤黒い光の帯が走り抜けて、過ぎた後には足下に奇怪な紋様が刻まれていた。


(これは・・まずいか)


 トリアンは危険を感じて大急ぎで岩壁をよじ登り始めた。

 その間にも、赤黒い光の帯は岩肌を走り抜けて紋様を刻む。

 するすると25メートルほど登った所で、


(・・えっ?)


 トリアンはぎょっと目を見開いて登攀を止めた。

 上に伸ばした手が硬い壁のような物に弾かれたのだ。何もないはずの空中だ。

 目を凝らすが何も見えない。

 闇がよどんでいるだけだ。

 だが、そっと手を伸ばしてみると、確かに硬い壁が塞いでいるようだった。

 手の平を滑らせるようにして確かめると、どうやら目には見えない壁があって、天井のように頭上を塞いでいるらしい。

 

 ---- 侵入者排除プログラムが開始されました ----


 ---- 守護者による排除行動が選択されます ----


 ---- 対象は1名と確認されました ----


 ---- 守護者による決闘申請が行われました ----


 ---- 強制執行されます ----


 岩壁でせみのようになって動けないトリアンの目の前に、次々に文字が浮かび上がっては消えて行く。


(なんだ?)


 慌てるトリアンの体から光の鎖のようなものが伸び出て行った。遙かな眼下からも似たような光る鎖が伸びてきて、空中でぶつかるようにして繋がった。

 途端、"DUEL"という光文字が鎖の上で点滅してから消えて行った。


 "HP/MP/SP boost +150"

 

 見知らぬ文字が目の前に文字が明滅した。わずかに体が暖かいものに包まれた気がした。

 トリアンは身を固くしたまま息を詰めていた。

 何も分からない。

 何が起こっているのか。

 光の鎖は見えなくなっているが、下に居る何かと繋がっている感覚はあった。

 トリアンはゆっくりと岩壁を降りた。

 上に行けない以上、降りるしか無い。

 下が危険なのは分かりきっていたが、


(・・決闘申請とか言ってた?)


 確か、守護者と決闘するような事を言っていた気がする。

 元の岩床に降りたったトリアンは腰の短刀を抜いた。


(これは、厄介だな・・)


 相手が何なのか知らないが、目に見えない繋がりが相手の居る方向を教えてくれる。

 それは、逆に相手の方もトリアンの居所が分かるということだ。

 潜んだり、隠れたりすることを封じられたまま戦わなければならない。

 不利な材料しか思い浮かばない状況で、トリアンは相手を確かめるために近づくことにした。逃げられないなら戦うしか無いだろう。

 問題は戦い方だが・・。


(相手が分からないと、それも考えられないからな)


 できれば、視界ぎりぎりに相手を捉えて、準備のために距離を取り直したいところだ。

 危険探知マーカは遠くに一つきりだ。

 トリアンはそろそろと歩を進めながら物音に耳を澄ませ鼻で臭いを探った。

 こんな場所だというのに、空気に流れがある。

 多少は黴臭いが新鮮と言って良い。

 地下によくある毒素溜まりがあれば、こんな空気にはならない。

 ごく僅かな振動を足の裏に感じて、トリアンは静かに姿勢を低くして地面に片膝を着いた。

 遠間、視界ぎりぎりに大きな人影が見えてきた。

 伝わる地響きは、巨体の重さが地面を揺する振動音らしい。


(10メートル・・くらいか)


 そびえ立つような背丈をした巨大な人影が一歩一歩岩床を踏みしめながら歩いてくる。

 まだ遠目だが、横幅のある大きな甲冑人形のように見えた。

 脚が太く短い。

 腕の方が脚の倍くらいの長さがあった。


(・・巨人が鎧を着ているのか?)


 見るからに分厚く重そうな甲冑だが、肩の付け根が細すぎた。その肩から伸びた二の腕は幾重もの輪を連ねたような形状で、腕から先は巨大な水甕みずがめのような形の物が着いていた。指は見当たらない。

 人で言えば顔がある辺りには何も無い。

 胸甲の辺りに、円形の板があり、三つの透明な石が填まっていた。


(これを着ている奴って、いったい・・)


 トリアンは冷たい汗を背中に感じながら乱れそうになる呼吸を鎮めることに集中した。

 近づいて来ると、その巨体は真上を見上げるほどになった。

 石のようにも見えていた鎧の材質は、間近で見ると金属であることが判った。ただ、痛んでいるのか、動く度に粉状の物が表面から削れ落ちているようだった。


(・・いや)


 よく見ると、削れ落ちた粉状の金属粒は吸い寄せられるようにして甲冑へと戻っていくようだった。

 仕掛けは分からないが、どんなに時間を稼いでも甲冑が脆くなることは無さそうだ。


(どうする・・?)


 まずは相手に攻撃をさせて見るしかない。

 トリアンはゆっくりと立ち上がった。

 手にした短刀が何とも頼りなく感じる。


 ヒュォォォォォォォ・・・・


 巨大な甲冑が全身から湯気のような熱した空気を噴出した。まだ距離のあるトリアンの位置でも肌がひりひりしてくるほどの熱だった。


(近寄っていて、あれを浴びたら全身火傷待った無しだな)


 トリアンはじわりと腰を落とした。

 赤らんだ鎧が高熱を立ち上らせて空気が揺らいで見える。

 巨甲冑が一気に踏み込んできた。


(えっ・・?)


 一瞬で、眼前に巨体が聳え立っていた。

 重たい巨体が、有り得ないほどの速度で距離を詰めて来たのだ。

 もう巨甲冑の腕が届く距離だ。

 トリアンは前に出た。


(ゴルダーンより速いっ!)


 一蹴りで大きく目に跳ぶなり、身を沈めながら巨甲冑の股間を潜るようにして抜ける。

 背後で凄まじい打撃音が岩床を振動させた。

 右へ。

 トリアンは勘に従って身をひるがえした。

 その巨体で信じがたい動きを見せ、巨大な腕がトリアンの居た辺りを打ち抜いて岩床を砕いた。


(・・なんだと?)


 逃れながら肩越しに見ていたトリアンが目を見開いた。

 巨甲冑は、腰から上をぐるりと回転させたのだ。いや、腰だけでは無い。腕、肘の関節まで逆向きに動いた。前に向けて振り抜いた腕が、予備動作も無く、真後ろにも放たれる。

 岩床を砕いた腕を上半身を回転させつつ、地を払うように横殴りに振ってきた。

 下策だが上に跳ぶしか逃れる場所がない。

 迫る巨腕の高さぎりぎりに跳び、両足で巨甲冑の腕に乗るようにしてタイミングを合わせる。触れただけで砕かれそうな、とてつもない衝撃を両足で吸収しながら体が回転させられるまま斜め後方へと打ち跳ばされた。

 トリアンの目は巨甲冑の次の動きを見ていた。

 身を捻って着地をするトリアンをそのままにせず、また最前と同じような速度で距離を詰めると、豪腕を打ち下ろしてきた。

 右へ。

 続いて、左へ。

 トリアンは音も立てずに走った。

 まだ呼吸は乱れていない。

 巨甲冑の速さは想定の外だったが、対応できないほどでは無い。

 直線的には恐ろしく速い。

 ただ曲線に逃げるユートを追尾できるほどの小回りはきかない。

 自在間接の動きにも慣れてきた。


(・・・っと)


 トリアンは全力で走って距離をとった。

 背後で、


 ヒュォォォォォォォ・・・・


 巨甲冑が高熱を噴き上げていた。

 ちゃんと予兆がある。両脚を揃える動きと、胸にある透明な石の一つが赤く輝くのだ。

 そして、熱を放ってから半拍は動きが止まる。

 トリアンは一気に接近すると巨甲冑の胸にある透明な石を狙って短刀を突き出した。


(なんだ・・?)


 トリアンの目は、短刀の切っ先が甲冑の熱で溶けてゆく様子を見ていた。

 溶解して付着したのなら分かる。しかし、短刀は刀身の半分を溶解されつつ鎧に当たって乾いた音を鳴らしたのだ。


(熱の膜・・その内側は溶解しない?)


 どういう仕組みなのか、巨甲冑は噴き上げた高熱を纏っているようで、鎧の表面には高熱では無いらしい。

 巨甲冑の豪腕が連続して襲ってくる。

 轟音をあげて擦過し、砕けた岩床が飛び散って風鳴りを奔らせる中、ふわりふわりと風に圧される羽毛のように回避していた。

 飛び散る石片すらトリアンには当たらない。

 トリアンは、凄まじい集中力で自分に迫る総ての物を回避していた。

 速さこそゴルダーンを上回るが、動きは読みやすく単調とは言わないが分かりやすい攻撃手段ばかりだった。


 ヒュォォォォォォォ・・・・


 巨甲冑が高熱を噴き上げた。

 今度はトリアンの方から間合いへと戻る。

 トリアンの方も避けることは出来るのだが、攻撃の手段が無い。


(剣を失くしたのが痛い)


 飛行船が墜落した時、ゴルダーンから贈られた細剣を失ってしまったのだ。


(素手で殴る気は起きないし・・・)


 ある程度の近距離に滞在していれば逃げ回ることができる。

 遠くなれば直線で追われて仕留められる。

 近すぎれば熱でやられる。

 今の距離が、トリアンにとって唯一の安全域だった。

 しかし、それをいつまでも許してくれる相手では無かった。

 殴りつけてくると見せかけて、唐突に視界が閃光に包まれた。

 胸甲の透明な石の一つが光ったのだ。

 目を眩まされ、完全に視界を失ったトリアンめがけて巨甲冑の豪腕が振り下ろされた。

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