第4話 カルーサスという家:中

 トリアンの私物として当主が認めたメイドの少女とその母親は、ジーナとランという名前だった。14歳と28歳である。侍女頭のマリナによって行き届いた治療をされ、ブルーグレイの丈の長い女中服を身につけている。

 メイドは、すべて没落しかかった貧乏な貴族の子女らしい。行儀見習いということで侯爵家に奉公にあがっているという話だった。ランの家は下級貴族だったが、没落を通り越して困窮極まり家紋を商人に売却しようとしたところで当主が捕まり家が断絶してしまった。行くあてが無くなったところを、先に奉公にあがっていた旧知のつてで、カルーサス家に拾われたということだった。

 ここまでなら、そういうものなのかぁ・・と、世間話を聞く感じで流せたのだが、


「えっ、ランは13歳で当家に来たのか?」


 当時の年齢を聞いたあたりから雲行きが怪しくなった。

 ランは今28歳。14歳の娘がいるのだ。


(父親は・・?)


 トリアンは、ごくりと喉を鳴らした。嫌な予感しかしない。


「・・・デリアド様で御座います」


 よほどの秘事だったらしく、ランが蚊の鳴くようなか細い声で告げた。


(む・・ぅ)


 トリアンは内心で頭を抱えて悶絶した。

 デリアドというのは、トリアンの実兄である。当家の継承権2位のちょっとやんちゃが過ぎる若者だ。粗暴な振る舞い、言動が多く、引き起こした事件の後始末には、当主も手を焼いているらしい。

 閻魔帳によれば、今は27歳ということになる。


(つまり、12歳の時に、13歳のランを犯して・・ええと、それでジーナが産まれて)


 トリアンは無感動を装った。

 多少、眼が泳いだのは許して欲しい。


「すると、ランは兄上の妾なのか?」


 冷たいくらいに平静な声が出せた。


「いいえ・・気まぐれに・・たまたま眼に留まった目新しい女中を慰む・・ご寵愛くださったに過ぎませぬ。たった一度限りの事で御座いました」


「・・一度で、それか」


 トリアンは横に並んで俯いている少女を見た。ランの赤髪ではなく、父親の薄茶色の髪をもらった少女。青い瞳は母親譲りだろう。

 じっとジーナの容姿を見るトリアンの視線に何を感じたのか。


「と・・トリアン様!」


 ランが勇気を振り絞るようにして前に出た。


「なんだ?」


「我が身であれば、いかようにも・・どのような事でも致します!ですからっ、どうか・・どうかっ、この子には・・ジーナだけはお許し願えないでしょうか?」


 縋り付くように言って床に膝を着いた。


「決まった相手でも居るのか?」


 トリアンはあえてランを見ずに、ジーナを見ながら訊いた。


「・・おりません」


 ジーナが伏目がちに首を振った。

 トリアンは舌打ちしながら窓へ視線を向けた。

 誤解はされていないと思うが、トリアンは二人を助けるために保護したのだ。性奴の真似事をさせる為では断じて無い。

 断じて無いのだが、


(でも、そうか・・・おれの立場なら、命じればこの女達を自由にできるんだな)


 権力とも呼べない小さなものだが、命令一つで相手を自由に出来るというのは、なかなかに甘美な感覚だった。征服欲を好きなだけ発露しても良い状況で、ちょっと自分でも怖くなるくらいに惹かれる部分がある。

 トリアンは床に跪いて見上げているランを見下ろした。


「まあ・・おまえ達の事情は分かった。せいぜい理性的であるよう努力しようか」


 そう言ってから、小さく笑った。この貴族の御子息様は、こうした笑い方が様になるのだ。


「夜は奥の部屋に籠もって、なるべく出てこないようにすることだな」


 トリアンは続き部屋の扉を指さした。

 "私物"ということで、衣服など私物を入れてある納戸が、この母娘の寝所になっていた。

 冷徹な物言いに、どう返事をして良いか分からずに母と娘が狼狽えている。


「母親の方・・ランは台所女中をしていたのだ。料理はやれるな?」


「は・・はい」


「縫い物はどうだ?」


「針仕事も一通りは・・」


「優秀だな。それだけでも貰い受けた価値がある」


 トリアンは頷いた。


「娘の方はどうだ?」


「ジーナ・・」


 母親が床に跪いたまま、娘を振り返って目顔で返答を促した。


「し、刺繍が・・あとレース編みが出来ます」


 ジーナがか細い声で答えた。


「ふむ・・」


 トリアンは二人の飾り気の無い女中服を眺めた。その視線を、窓辺に揺れる生成りのカーテンへ向ける。


「そう言えば、この部屋にレースは見当たらないな」


「・・西方のカンゼス地方の名産です。中央平原にはまだ出回っていないと・・マリナ様が仰っておられました」


 しっかりとした声音でジーナが答えた。


「ふうん・・」


 トリアンは改めて、二人の女中服を見た。


「ラン」


「・・はい」


「立ち上がって、服の裾をたくし上げてくれ」


「え・・は、はい」


 ランが言われるまま立ち上がって、女中服の裾を掴んで目をつむりながら勢いよく持ち上げた。


「あ・・ああ、いや」


 膝くらいまでで良かったのだが、どう伝わったのか、大きく腰が見えそうなくらいに持ち上げられてしまった。


「膝丈くらいで良かったんだが・・」


 言い訳めいた呟きを漏らしながら、トリアンは頭を掻いた。


「えっ!?・・あ、あああ、申し訳御座いません!お見苦しいことを・・」


 ランが真っ赤になりながら謝罪をする。


「いや、まあ・・」


 眼福だったという言葉は飲み込み、トリアンは机に行くと紙にペンをはしらせた。乗馬スカートとでも言うのだろうか。丈の長いキュロットスカートのデザイン画である。まっすぐに立っているとスカートのように見える。


「これを作れるか?」


 まだ顔の赤い母親と娘を呼んでデザイン画を見せた。


「・・これは?」


「乗馬の出来るスカート・・だな。町には売っていると思うが、この家では見かけなかった」


 トリアンは手を伸ばしてランの腰骨の位置を確認しながら、デザイン画を少し修正する。


「・・お気に召す物になるかどうか分かりませんが・・それらしい物なら」


 ランが真剣にデザイン画を見つめながら言った。


「お母様、ジーナもお手伝いします」


 ジーナが母親の袖を掴んで言った。


「おまえ達の部屋に生地があったろう?すべて、おれの私物だ。好きなだけ使って良い」


「・・トリアン様」


「ただし、期限がある。7日以内だ。7日以内に仕上げてみせろ」


 そう命じて、トリアンは二人の顔を見た。


「やってみます」


「はい」


 母と娘がデザイン画を手に頷いた。先ほどより、よほどマシな表情になっている。


「分かったら、さっさと行け。おれは別の用がある」


 二人を手で追い払い、トリアンは机に向かって座り直した。


(デリアド・・兄の・・これって、兄嫁ってやつか?いや・・つまみ食いで放置だから嫁じゃないのか。できた子はどうなるんだ?ジーナは、おれの・・姪?)


 相関図には、どう記載されるのだろう。

 トリアンは、片手で額を押さえるようにして机に項垂れた。


(もし・・もし、おれがランに子供を産ませたら、どうなるんだ?姪と娘が・・姉妹?)


「トリアン様」


 廊下側の扉がノックされた。部屋の奥の扉が開かれて、ジーナが大急ぎで飛び出してゆき、扉を開いた。

 あのゴツい老人である。相変わらず、危険感知のマーカーが両手に点灯していた。あの拳で殴りたくて仕方が無いらしい。


「何だ?」


 トリアンは椅子に座ったまま体を向けた。


「旦那様より、細剣術の手ほどきをするよう命じられて参りました」


「・・・気が乗らんな」


 死刑宣告か。そう思えるくらいの悪い報せである。平然とした表情で頷きながら、トリアンは椅子を立った。


「今すぐか?」


「はい。場所は中庭がよろしいかと」


「分かった。おいっ、着替えだ」


 トリアンはジーナに声を掛けた。


「は、はいっ!」


 ジーナが大急ぎで奥の部屋へと戻ってゆく。


「中庭でお待ちしております」


「ああ、すぐに行く」


 トリアンは着ていた白い上着とズボンを脱いで寝台へ放ると、メイドの母娘が探してきた訓練用の綿を詰めた胴衣や厚地のズボンを履いて、肩当てや肘当てのついた革の上着を着た。


「だ、大丈夫でしょうか?」


 母親--ランが震え声で訊ねてくる。


「何がだ?」


「その・・ゴルダーン様は以前に食客の剣士様をその・・」


「はっきり言え」


「その・・訓練の時に、打ち殺してしまわれて」


 ランが消え入りそうな声で言った。

 はっきり言えとか言っておきながら、


(・・初めて聴いたぞ)


 トリアンのテンションだだ下がりである。


「ふん・・くだらん」


 精一杯の強がりを見せ、トリアンは二人に見送られながら部屋を出た。

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