第5話 カルーサスという家:下

「刃引きの鉄剣では、ぬるぅ御座いますからな」


 ゴツい老人---ゴルダーンが差し出したのは、六角の鉄の棒だった。

 トリアンは無言、無表情に受け取った。


(おれのスキルは、細剣・・・だよな?)


 人形のように綺麗な顔は無表情のまま、内心で盛大に冷や汗をかいている。

 渡されたのは、長さは130cmほどか。重さは10kg近い、鉄の棒である。

 12歳の少年に、剣の訓練をするといって、こんな鉄の棒を渡すような馬鹿な話は聴いたことが無い。

 トリアンは、ちらとゴルダーンの握る棒を見た。

 あちらは、さらに長く、さらに太い。


「・・防具は着けないのか?」


 トリアンは聳え立つ老人に訊ねてみた。

 回答は分かっている。


「不要です。空気を肌で感じ、音を聞き、臭いで察知する。防具は五感を妨げます」


「ふん・・・そうか」


 トリアンは両手で鉄の棒を握った。


「なりません」


 ゴルダーンが目を怒らせた。


「む?」


 トリアンは訝しげに見返した。


「細剣術の訓練と申し上げたはずです。棒は片手でお持ち下さい」


「・・・そうか」


 トリアンは覚悟を決めた。

 これは殺される。

 相手は、ここでトリアンを仕留める気だ。


「トリアン様は、第2階梯になられておいでですな?」


「階梯?・・ああ、レベルなら、2だな」


「当家の歴史の中でも、そのお歳で第2階梯になられた方はおられませぬ」


「そうなのか?」


「希有な才をお持ちです」


 低い声音で語るゴルダーンの体のあちこちに、危険探知のマーカが点灯していく。

 実に危険な状況であった。


「まずは、お手並みを拝見し、今後の教導の指針を組み立てましょうぞ」


 言うや、ゴルダーンの巨体がトリアンの視界いっぱいに迫っていた。

 地響きのような音をたてて、太い鉄棒が庭を揺らした。

 飛び散った火花と焦げた臭いの中、トリアンは脇へ逃れ出て距離を取ろうと走っていた。その背を横殴りに鉄棒が襲った。

 当たる寸前、下から小さく渾身の力で振られたトリアンの棒が、ゴルダーンの棒をわずかに打ちあげて軌道を変える。その下を潜って、ゴルダーンの左へと走った。

 老人の口元が吊り上がった。


(こいつの顔、夢に出そうだな・・)


 トリアンの方は、生きた心地どころか、とっくに死を覚悟して逃げに徹している。

 だが、単純に避けることは許されない。ゴルダーンの打ち込みが、とんでもなく早くて正確なのだ。受け流すためには、渾身の力で一度鉄棒を打ち合わせる必要がある。本来なら、軽く剣を当てながら体の位置を入れ替えれば済むものが、ゴルダーンの地響きを鳴らす一撃は、そんな爽やかな回避をまったく許してくれなかった。


(くっ・・今、指を狙ったか、こいつ・・)


 必死に棒を打ち合わせ、圧しに圧されて中庭を右へ左へ後退しながら、トリアンは握っていた手を離して、左手に持ち替えて難を逃れていた。強引な一撃に見せかけて、途中で向きを変えた鉄棒が、棒を握るトリアンの指を狙って伸びたのだ。

 左手の棒を右手に持ち替える間を与えられず、無数に分裂したかのような鉄棒の先がトリアンの胸元、顔面、腹部を狙って複数回に渡って突き出された。

 咄嗟に、棒を地面に突き立てながら、左から右上へと宙に身を躍らせる。

 背すれすれを横殴りの鉄の棒が擦過してゆくのを感じ、トリアンは空中で姿勢を整えながら着地する。着地を狙われるのは分かっていた。

 しかし、


(蹴りか・・)


 襲ってきたのは棒では無く、蹴り足だった。

 地面を滑るように真横へ逃れる。


(・・あ)


 ゴルダーンの足がずしんと重く地面を踏み割った。蹴り足に見せて、踏み込んだ足だったらしい。


(ってことは・・)


 頭上から唸りを上げて太い鉄の棒が振り下ろされた。


(・・くっ、くそっ!)


 咄嗟の判断で、ほぼ捨て身に前に踏み込んだ。

 真っ向から渾身の力でゴルダーンめがけて打ち下ろす。


「は?」


 ペチッという音をたてて、トリアンの棒が片手の手の平で掴み止められてしまった。


(ペ、ペチッ・・て・・)


 直後に、ゴルダーンの鉄棒がトリアンを殴り伏せていた。

 本能的な動きで曲げた左腕で頭を庇いながら、


「ごぼぉぅ・・」


 歪んだ口から妙な音を鳴らしながら、トリアンは白目を剥いて陥没した地面の底で、潰れた蛙よろしく倒れ伏した。

 およそ、侯爵家の子息とは思えない惨めな姿である。

 硬軟自在と耐性<衝撃>の自律魔法が発動していなければ即死だったろう。


(うるせぇ・・)


 トリアンは誰にともなく毒づきながら、身を起こそうと体に力を入れた。


(つぅっ・・)


 とんでもない苦痛の猛ラッシュである。

 音符にすれば、すごい狂想曲が鳴り響いた事だろう。

 ぎりぎりと歯を食いしばり、震える両手を地面について何とか上体を起こす、そこへゴツい蹴り足が襲ってきた。

 地面についていた両手を慌てて交差させて受け止める。


(おぉぅ・・)


 トリアンは蹴りで人が空を飛ぶことを知った。


(・・もう、笑うしか無いな)


 ラグビーボールのように宙を舞い、そのまま館の石壁に頭から激突して止まった。

 地面に崩れ落ちる寸前で、足を一歩前に出して踏みとどまる。ここまでやられて、棒を手放していない自分を褒めてやりたい。


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 Name:トリアン・カルーサス

 Race:人

 Sex :男

 Age :12

 Lv :2


身体情報(非公開)

 HP/MHP:118/920

 MP/MMP:265/685

 SP/MSP:312/880


(これって、もう危ないんじゃないのか?)


 トリアンは、自身の情報を確かめながら、ゆっくりと近づいて来るゴルダーンを見た。口元を笑いが歪めている。


(野郎・・)


 トリアンは、小刻みに呼吸を繰り返しながら息を整えてゆくと、無表情のまま背を伸ばして立ち上がった。右手の棒を一振りして、ゴルダーンに向かって歩き出す。

 ゴルダーンがわずかに目を細めた。

 トリアンは走った。

 右肩に担ぐように棒を握り、ただ速く走り、ただ速く振り下ろす。それだけをやる。

 他に何も考えない。

 それは、手練れのゴルダーンをもってしても立ち遅れるほどの速度だった。

 力任せに殴り伏せるか、受け流して反撃するか。わずかな迷いも邪魔になった。

 受けるにも受け流すにも不十分な動きで、ゴルダーンが太い鉄の棒を体の前に突き出した。

 文字通りに全身全霊、捨て身で体重を乗せた一撃がゴルダーンの指を襲った。

 そう、指を襲ったのである。

 あれだけ派手に突進しておきながら、トリアンが狙ったのは、棒を握っているゴルダーンの指だった。


(嘘だろっ・・!?)


 完全に捉えたと確信した瞬間、ゴルダーンがわずかに手を滑らせて下へ握りをずらしていた。

 激しい金属の衝突音が鳴り響いた。

 期せずして、真っ向から棒を打ち下ろした形になり、トリアンの棒はゴルダーンの棒によって、がっちりと受け止められてしまった。


(うっ・・くそっ!このっ!)


 トリアンは、二度、三度とゴルダーンの頭を狙って棒を振って身を寄せるなり、棒を振ると見せてゴルダーンの足を踏みつけた。そのまま、膝頭を狙って棒を打ち払う。


「べふっ・・」


 小さな声を残して、再びトリアンは宙を飛ばされた。

 どうやら素手で殴り飛ばされたらしい。

 耳鳴りがしている。

 殴打に耐性があってなお、このダメージだ。

 トリアンはごろごろと地面を転がってから、素早く立ち上がると棒を手にゴルダーンを睨み付けた。


「ふむ・・時間ですかな。今日の訓練はここまでにしましょう。明日も、また同じ時間に」


 あっさりと構えを解いたゴルダーンがそう言い残して館に向かって去って行った。


(・・・明日もやるのか?)


 トリアンは棒を杖のように地面に突いて、ぶはぁ・・と地面に向かって息を吐いた。

 

身体情報(非公開)

 HP/MHP:014/920

 MP/MMP:146/685

 SP/MSP:237/880


(これ・・どう考えても訓練じゃないよな?殺しに来てるだろ?)


 トリアンは自分の情報を眺めながら大きく息を吸い込み、ゆっくりと息を吐き出した。

 館から、ブルーグレーの女中服を着た女が急ぎ足で近づいて来た。

 ランである。

 トラウマになりそうな不気味に笑う老人の髭面を見続けていただけに、目が洗われるような爽やかな潤いを感じて、トリアンは自然に笑みを浮かべていた。


「トリアン様っ!大丈夫ですか!?」


「・・あの程度、何でも無い」


 やせ我慢は男の華である。大貴族の子息たるもの、痛いだ痒いだのと騒いではいけないのだ。


「そ、その・・濡れた布をお持ちしました。ご不快で無ければ、少しお顔を拭かせて下さいませ」


「ん・・やってくれ」


 トリアンは鷹揚に頷いた。

 内心では泣きたくなるくらい嬉しいし、優しく心配されて舞い上がっている。しかし、そこを表に出さないのが大貴族クオリティというものだ。下々の者達とは心構えが違う。


「さ・・お着替えを準備いたします。お部屋の方へ」


「ああ」


 ランに急かされるようにして館に入ると部屋に向かう。

 階段の手前に、侍女頭のマリナが立っていた。トリアンを見て丁寧にお辞儀をして見せる。

 内心、戸惑いながらも、


「母上は、お休みか?」


 トリアンは、マリナに声を掛けた。これだけの訓練をやっていると知れば、一番最初に騒ぎ出すだろうに・・。


「このところ、少しお疲れになると仰って、横になっておられます」


「そうか・・後で見舞う。良い頃合いを教えてくれ」


「畏まりました。ご指示通りに、お食事は3人分をお部屋に用意させて頂きました」


「移動の手間が無くて助かる。しかし、さすがに、同じ食卓というわけにはいかんぞ?」


「無論で御座います。別卓を運び込ませてあります」


「なら良い・・では、母上のことは頼んだ」


 言い置いて、トリアンはランを従えて階段を登った。


(マリナは、目付きは厳しいが、危険探知は反応しないな)


 まあ、実行者で無いからと言って味方とは言えないのだが、


(とりあえず、今一番の危機は、ゴルダーンで決まりだろ)


 未だに鉄棒の焦げた臭いが鼻腔から離れない。


(思ったより、体が動いた・・・技能・・スキルというやつかな?)


 後でよく検証しておいた方が良さそうだ。


「痛みますか?」


 トリアンの沈黙を何やら勘違いして、ランが声を掛けてきた。


「こんなもの、傷の内に入らん」


 トリアンはふんと軽く鼻を鳴らして足早に廊下を歩く。


 もちろん、内心は嬉しい。他人に、それも綺麗な女性に心配して貰えるのだから。


「それより、どうだ?」


「・・ご依頼の?」


「うん」


「何とか形になりそうです」


「間に合うか?」


「必ず間に合わせます」


 きっぱりとした返事を聴きながら、


「よし」


 トリアンは、自室の扉を開けようとしてドアノブに伸ばした手を止めた。


「・・トリアン様?」


「客がいるようだ」


 トリアンは静かにドアを開けた。そのまま押して広く開け放つ。

 部屋の中央に、50歳前後といった容貌の男と20代後半の若者が立っていた。どちらも、腰に長剣を吊るして軽装ながらも鎧を身につけている。

 トリアンは自分の寝台へ視線を向けた。

 ジーナが全裸で仰向けに転がされ、両手を寝台の支柱に繋がれていた。青い瞳が死んだように天井を見つめている。大きく拡げられた真っ白な太股を押さえつけるようにして、全裸の男がジーナの股間に顔を突っ込んでいた。


「おいっ!」


 鋭く呼びかけた、トリアンが拳を握って走った。


「あぁん?」


 見るからに短気そうな彫りの深い顔立ちをした男がジーナの股間から顔を上げた。

 その顔面にトリアンの拳が撃ち込まれた。助走付きで完全に腰の入った一撃である。


「若っ!?」


「若君っ!」


 顔面を陥没させて仰け反る寝台の男を見て、二人の騎士風の男達が声をあげた。

 トリアンは2人の騎士に向かって走った。


「貴様っ!」


 若い方の騎士が激高して剣に手を掛けた。


「下郎っ!」


 トリアンは怒声を放った。

 指を揃えた手刀が若い騎士の喉を貫き徹した。頸骨を握るようにして石床へ叩きつける。直後に、無言のまま50がらみの騎士めがけて滑るように身を低く踏み込んだ。咄嗟に剣を構えようとした騎士だったが、その剣が折れて床へ跳び、顎を下から上へ打ち抜かれて仰け反った。その喉を若い騎士と同様、トリアンの指に貫かれて喉首を握り潰されると、後頭部から石床めがけて叩きつけられた。


「・・屑どもが」


 トリアンは感情の抜けた声で吐き捨てた。

 若い騎士の長剣を拾うと、寝台脇に転がっている裸の男に近づいて首を叩き斬った。戸口へと転がって行く首を横目に、逆手に持ち直した長剣を裸の男の心臓へと貫き徹した。

 トリアンは、斃した騎士達の息を確かめた。頭が破裂するように圧壊しているのだ。当然だが、どちらも死んでいた。


(・・敵が3人ほど減ったということだ)


 トリアンは肩越しに、ランを振り返った。


「ジーナの縄を解いてやれ」


「は・・はいっ」


 青ざめて震えていたランが寝台に駆け寄って、両手を縛る縄を解き始めた。

 励ますように声を掛けながら何とか縄を解こうとするのだが、よほどきつく縛られているのか思うように解けないようだった。


「ジーナ!」


 両手が自由になった娘をランが抱きしめた。壊れた人形のように揺すられていた少女が母親の呼び声に気がついて呆然とした顔を向ける。

 ややって、母と娘が声を上げて泣き、抱き締め合っていた。

 トリアンは母娘の泣き声を遠くに聴きながら、窓辺に立ったまま、ぼんやりとした視線を中庭に向けていた。

 ジーナを助けるためには先制して一気に押し切った事は正しかったと思える。ぐずぐず押し問答していれば、ジーナの陵辱はもっと進んでいただろう。

 だが、実際にはほとんど何も考えられず頭に血が昇って激情のまま殺戮を行っていた。正しいか正しく無いかなど考える暇が無かった。


(さて・・どうするか)


 廊下から無数の足音が小走りに駆けてくる。

 ゴルダーンが相手になると瞬殺されてしまうが、他の奴ならどうだろうか。

 体の動きは未熟らしいが、自律魔法のおかげで丈夫なのは分かった。


(お・・っと?こいつか・・)


 予想に反して、一番最初に姿を現したのは、グラウスという、当主の執務室にいた男だった。金色をした金属製のステッキを手に握っている。

 後ろに武装した男達を引き連れて部屋に入ってきた。


「トリアン様・・・何の騒ぎですかな?」


 グラウスが騎士の死骸、裸の男の死体を眺めながら訊いてくる。人の死体を見ながら、わずかにも表情が変わらなかった。


「おれの私物に手を出した馬鹿を始末した」


 トリアンは壁に立てかけてあった長剣を手に取って柄の拵えに視線を落とした。

 その動作に、グラウスの背後で男達が慌てて腰の剣へ手を添える。


「そこの裸の者は、デリアド様のようですが・・」


「ふん・・そこの女達は、カルーサス家の当主によって認められたおれの私物だ。おれに許可無く手を出すことは当主に背く事だろう?処刑に値すると思わないか?」


 トリアンは薄く笑って見せた。


「そもそも、こいつはおれのベッドで、裸になって何をやっていたのだ?あの猿が、我がカルーサス家の継承者に相応しいとでも言うつもりか?」


 トリアンは床に転がったデリアドの首を蹴り転がした。

 グラウスが脇へ避けつつ、目顔で合図して後ろの兵に生首を拾わせた。


「無様なものだな」


 両手を体の横へ自然に垂らしたまま、トリアンはグラウスを見つめていた。

 グラウスも、表情を変えぬまま、トリアンの双眸を覗き込むようにして見つめていた。手にしているステッキの辺りに、危険探知のマーカが灯っている。

 そんな中、廊下から、


「おやおや、何の騒ぎだい?」


 間延びした明るい声音がして、慌てたように兵士達が脇へ退いた。

 グラウスの表情が苦々しく歪む。


「やあ、グラウスじゃないか?兵隊なんか連れて何やってんの?」


 姿を現したのは、女の子のように華奢な体付きの青年だった。黄金色の髪を背に届くほど伸ばし、襟飾りの華やかな白いシャツに、眼にも鮮やかな青い水玉柄の七分丈のズボン、素足に白い編み上げサンダルといった格好である。両手の手首に、じゃらじゃらと細い金属の輪っかを幾重にも巻いていた。


(・・男だよな?)


 トリアンが訝しく思うくらい、青年は女性的な美貌をしていた。大きくはだけたシャツの胸元を確認しないと信じられないくらい、美しい顔立ちをした若者である。


「これは、キャルミア様」


 表情を鎮めたグラウスが戸口の青年を振り返って低頭した。


「このような所へ、何用でしょうか?」


 問いかけるグラウスの前を歩いて過ぎると、青年は寝台に近寄って、震えて抱き合うメイドの母娘をしげしげと観察した。


「父上がトリアンに与えたというお人形を見物に来たんだけど・・なんだかパッとしないねぇ」


 青年がくるりとトリアンを振り返った。


「まあ、君には相応しいのかな?」


「そうだな」


 トリアンは不機嫌顔で頷いた。


「へぇぇ・・」


 妙に感心したように驚きながら、青年がトリアンに近づいて来た。

 柑橘類のきつい香水が薫った。


「どうしちゃったんだい?短気で、乱暴で、口を開くと殺す殺すと賑やかなお子様だったのに・・何かあったのかい?」


 背の低いトリアンの顔を覗き込むようにして青年が訊ねてくる。


「ふん・・家を出されるからな」


 トリアンは、あえてズレた答えを返した。


「あちゃぁ・・獣の国へ婿入りかい?とうとう決まっちゃったんだねぇ、あの可哀相な話」


 青年がグラウスを振り返った。


「・・トリアン様には、北辺諸侯領との尊い架け橋になって頂く。それが、御当主が下された決定で御座います」


「尊い架け橋ねぇ・・子孫を残せない弟君が架け橋なんて作れるのかい?」


「キャルミア様!」


「なんだい、グラウス?」


「・・・宜しいのですか?」


「もちろん、宜しいよ?何か、不味いのかい?」


 青年が微笑んだ。

 グラウスの表情が歪む。その様を楽しそうに眺めながら、くるりと勢いをつけて青年がトリアンに向き直った。


「たぶん、知ってるよね?知っちゃってるでしょ?この子・・グラウスが思ってるほど馬鹿じゃないみたいだよ?」


 にこにことした笑顔が気持ち悪い。

 トリアンは軽く眉間に皺を寄せた。


「そうだねぇ・・まあ、貴族・・それも王家に近しい貴族にはちょっとした制約事があるんだよ。なに、難しい事じゃぁ無い。継承権の無い者には子孫を与えないって事さ。トリアンは、10歳になった時に、3日ほど熱を出して寝込んだことがあるでしょ?あの時、魔導の薬と制約魔法によって君は子種が作れない体になったんだよ?もう永遠にね」


 青年が満面の笑顔で語る。その顔を、トリアンは無表情に見ていた。


「ほらぁ、やっぱり、バレてたよ、グラウス?知っちゃってるよ?」


 嬉しそうにはしゃいだ声をあげる。


(初耳だが・・身体情報で見たからな)


 トリアンの胸中ではなんとも言えない喪失感が渦巻いていた。無論、自分が不妊となっている事は知っていたが、その魔法をカルーサス家公認で行われたという事実が重たい。


「いやぁ、詐欺だよねぇ?カルーサス家と血のつながりを・・とか言って高値で売りつけておいて、実は子供が作れません・・・だもんねぇ」


「キャルミア様・・」


「なんだい?」


「デリアド様がお亡くなりになったのですぞ?その・・トリアン様の手によって」


 グラウスが言いつのる。


「ああ、そう?良いんじゃない?僕が居るんだから、デリアドは要らないでしょ?第一継承者のキャルミアの名において、トリアン君の罪を全部許しちゃいまぁ~す」


 青年が笑顔で手を広げて宣言した。


「・・感謝します」


 すかさず、トリアンは低頭した。


「う~ん、ほんと別人みたいだねぇ、トリアンってば・・・グラウス?」


「・・はっ」


「トリアンはいつ出て行くの?」


 青年がトリアンを見つめたまま訊く。


「7日の後には・・」


「遅いなぁ。3日で屋敷を出さないと、僕が殺しちゃうかもしれないよ?こんな良い子だと、継承権を奪われそうで心配になるものね」


「お戯れを・・ご存じでしょう?魔紋は10日の内に消さない限り戻りませぬ。実子を得られぬトリアン様が当家を継ぐことは、もはや・・」


 グラウスが宥めるように言った。


「はいはい、よぉくご存じですよぉ?でもさぁ、不安になっちゃうんだよねぇ?この子、ちょっと見ない内に、伸びちゃってるんだよ・・放っておくと、化けそうじゃない?」


 青年---キャルミアの美貌から不意に笑顔が抜け落ちた。

 能面のように空虚な双眸がトリアンの双眸を覗き込んで動かなくなった。


「君さぁ・・色々と見えないんだよねぇ。でも、確かに不妊の魔法紋は固着したみたいだ。これなら、ちょっと安心かなぁ?」


 キャルミアの美貌に笑顔が戻った。


(敵の多い家だな・・ここは)


 トリアンは無表情のまま内心で舌打ちしていた。


「うん、もういいや。ちゃちゃっと床の生ゴミを始末してあげて。僕は父上に会ってくるよ」


 キャルミアが手を振って兵士を左右へどけさせると戸口へ向かった。


「・・同行をお許し頂けますか?」


 グラウスが後を追う。


「好きにすればぁ?」


 適当な返事をしながらキャルミアが廊下へと立ち去って行った。兵士の半数が後ろに続き、5人の兵士が部屋に残った。

 刺すような視線がトリアンに注がれる。


「不敬罪で死にたいのか?貴様らの一族ことごとくが極刑になるぞ?」


 トリアンは口元に笑みを浮かべた。

 それだけで、兵士達が視線を伏せた。


「キャルミアの命令だろ?さっさと掃除をしろ。ちゃんと貴様らの名前は覚えて置いてやる」


 トリアンは悔しそうに拳を握る兵士達に声を掛けて、寝台で震えるメイド母娘に歩き寄った。


「奥で休め、出立が早まりそうだ」


「は・・はい」


 ランが娘を抱くようにして奥の部屋へと入っていった。

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