第12話

 このまますぐにビルを出たかったが、婆さんに止められる。

「絶対いる」のだそうだ。

 最初に待ち伏せしていた来た連中がどこから入ったかを考えるべきだった。迂闊うかつだった。

 階段の先を警戒しながら上る婆さんは、声のボリュームを落として言う。

「ここ、前、人いっぱい。今、機械だけ。警備もいない。よくないネ」

 はい、ホントよくない。絶対よくない。でも巻き添えになる人いなくてよかった。

 カートを捨ててリュックとポーチだけになった婆さんは、音も立てずに階段を上る。

 僕は先輩を背負い、婆さんの後ろから階段を上る。できる限り音を立てたくなかったが、血で濡れた足元がどうしても音を立てる。


 しかし、次の敵はどこから来るのか。地下道もマシンルームの地下3階も、電波は届きそうも無かった。それでも外部とつながる無線を敵が使っていたのであれば、連絡が途絶えた段階で追撃を開始するはずだ。どれくらいの人数がどこに待機しているのか。死体から奪った銃と残弾にも限りはある。考えるだけで胃は痛み足取りは重くなり、全てが徒労に終わる絶望感に膝をつきそうになる。

 ただ、背中に密着している熱を帯びた豪華な重み、これだけが僕の精神をかろうじて、狂気の底への転落から防いでくれていた。

 いや、防ぐどころではなかった。既に別の意味での狂気が、裡側うちがわからふつふつと沸き上がっていた。

 生きて帰るという考えを、僕は捨てつつあった。背中越しに感じているこの温もり、この鼓動を絶対に止めてはならない。任務とかはどうでもいい。先輩を絶対に逃す。敵が多数なら僕が盾となり1人でも多く殺し1発でも多く撃つ。弾が無くなっても可能な限り暴れ回り時間を稼ぐ。その隙に婆さんなら先輩を必ず助け出してくれるはずだ。

 そう覚悟した瞬間、自分の精神から夾雑物きょうざつぶつが消えたような、いや世界の方が結晶化したような、奇妙な感覚に包まれた。ああ、僕は死ぬんだな、そう他人事のように感じた。まんざら悪くない気分だった。


 階段の数段上にいた婆さんがこちらを振り返って、少し驚いた表情で僕を見た。そして真剣な、満足そうな顔になり、口元に少し笑みを浮かべて小声で言った。

「覚悟、あるカ?」

 僕は静かに頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る