第8話

「さ、そろそろ行くナ」

 婆さんは立ち上がりながらそう告げた。リュックを背負い、買い物した品物が入ったカートを引きずりながら足早に歩き出す。僕らも慌てて立ち上がり婆さんに続いた。

 婆さんの小さな背中を見ながら僕と先輩が続いて歩く。今耳に届くのは、わずかに響く空調の音と、コンクリートの上を歩く3人の足音、そして婆さんのカートのガラガラ音だけになった。もう無駄な会話はやめよう。緊張感が解けて忘れてしまいそうになるが、僕らは狙われているのだから。


「日本人、なんでも下請けに頼むの良くないナ」

 婆さんは会話をやめる気は無いらしい。

「ワタシ仕事ラク、でもやっぱり良くないヨ。警報アプリを北朝鮮が作る、地下鉄の点検通路に過激派入る、良くないヨ」

 自分の立場を否定するような事言い始めたな婆さん。

「そうですよね。私も先輩から聞いたんですけど、市ヶ谷の新しい庁舎の工事も、チェックしたら怪しい人いっぱいいて大変だったみたいです」

「そか、大変だたナ。アメいるか?」

 婆さんはポーチを開けて先輩にまた飴玉を手渡す。あ、ボクにもくれるの? こりゃどうも。

「お婆さん甘いものお好きなんですね。あら、羊羹! さすがですね! 保存は効くし糖分補給はできるし、羊羹はいいですよね!」

 婆さんのポーチの中には、なぜか100円ショップのキッチンタイマーと一緒に小型の羊羹が数本入っていた。有名店の小型羊羹だ。ただ、なんだ、このニオイ、餡子というより……?

 気がつくと婆さんがボクをじっと見ていた。

「アンタ、鼻いいナ。鼻いいはいい。アンタ生き残るヨ」

 先輩が僕を睨んで半歩下がる。ヤバイ、あの顔はボクがクッションの匂い嗅いだの思い出して怒ってる顔だ。

「アンタたちケンカダメ。よくないヨ。ワタシ、子供ないネ。だから、アンタたちみたい若い人、自分の子供みたい思うヨ」

 先輩が笑おうとして引き攣った顔をしている。「子供じゃなくて孫でしょ!」って思ってるなあれは。


 この後、そもそも今回の任務も所沢の航空管制のネットインフラを下請けに任せていたのが原因という話になった。テストデータを見たボクがルータのOSのバージョンのわずかなバイト数の違いに気づいた事で内密に調査が開始され、ルータが下請けを経由した時にすり替わっていた事が判明。ルータはハードもOSもシリアルナンバーまでもが完全なコピー品で、シリアルナンバーのシールのフォントの違いに気づかなかったら絶対にわからなかった。通信データは巧妙に隠されたEPROMによりコピーが某国へ送信される設定となっていて、その仕組みは端末からログインしただけではわからないようになっていた。現物を確認するために潜入した企業が、実は丸ごと擬装企業だったわけで、そりゃ警備員も擬装で銃器持ってるわけだよなあ、と、僕が一生懸命に話しているうちに先輩と婆さんは先に行ってた。僕は慌てて追いかける。

 壁に沿っていくつものパイプがまっすぐ伸びている地下通路を走る。通路自体の天井が低いため、潜水艦の中を走っているような感じになる。

ようやく追いついた時は、金属製の上り階段の手前だった。地下鉄や水道管などを避けるため、これまでもいくつか登り降りする地点があった。これもその1つだろう。

 前方で階段見上げながら婆さんは先輩に、もう少し先に行くとビルとつながる場所があって、そこから外に出ると説明していた。そうか、ようやく地上に戻れるか。

 少し息を切らしていた僕は、先輩の背中を見ながら軽く深呼吸した。湿気を含んだコンクリートの匂いと、少し汗ばんできた先輩の甘いが……あれ?


「タバコのに……」


 言い終わらないうちに先輩と婆さんが振り向きざまに僕に力一杯タックルをしかけ、僕は後方に突き飛ばされた。突然の事で咄嗟に後頭部庇うように顎を引くのが精一杯だったが、回転する視界の隅に火線が複数走ったのが確認できた。


 待ち伏せだ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る