第7話

「お婆さん……日本に来て……もう長いんですか?」

 先輩がなんとか話題変えようとしているのがわかる。

「ながいながい、だってワタシ文革の時から仕事してたヨ。ダーリンとは日本で知り合ったナ」

「あら、旦那様、日本人なんですか?」

「違うナ、国民党。ハンサムだたヨ」

 なんだそりゃ? 僕と先輩は顔を見合わせた。

「ねえお婆さん、あの、国民党ってことは……」

「ダーリン強かったナ、敵はみんな殺したけどダーリンだけは殺せなかた」

 ニコニコしながら婆さんが続けて語る内容に、僕たちは絶句するしかなかった。かつて戦後の日本で大陸と台湾の工作員同士の暗闘が多数行われていて、そのいくつかは表向き事故や迷宮入りの事件、そして政治家の失脚という形となったのだと。

 この婆さんと「ダーリン」と呼ばれる国民党の工作員は、共に本国のトップの交代直後に「切られた」らしい。それどころか2人とも本国から差し向けられたかつての仲間から追われる立場となったと、そして追われる者同士が組んだのだと。

「初めての夜は凄かったナ。次の日の朝までやったナ」

 そこは聞いてねえよ!

「ダーリン今でも凄いナ」

 僕はムリヤリ話題を変えた。

「その、あの、えと、あ、日本に何十年もいるのに、日本語がなんか最近来た人みたいですよね、その……」

「あー、これナ、日本語ヘタのままだとみんな安心するから仕事しやすいだヨ。知ってるカ? あの日本ユニセフの……」

 もう何も聞きたくなかった。

「ところで! 今、どのあたりなんでしょうねお婆さん?」

 先輩も話題を変えたかったらしい。

 万一の場合を考えて我々はスマホの電源を切っていたので、現在地が不明のまま歩いていた。もっとも、この地下道の中で電波が届くとは思えないが。

「あー、今まだ杉並、もうすぐ世田谷だナ。世田谷になったら外に出るナ」

 婆さんは折り畳まれた紙をリュックから出した。拡げるとかなり大きな地下道施設の図面だった。図面にはところどころハングルで書かれたメモと、何かでベッタリ黒ずんだ汚れがあり、婆さんがその図面を折り畳んでリュックに入れる時、その乾いた黒ずみがパラパラと落ちた。その汚れって……。

「あ、これか? 最近のだから大丈夫」

 何が大丈夫なんだか。

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