第5話

 打ちっぱなしのコンクリートの壁と天井。多数のゴツいケーブル類に囲まれた細長い空間を、僕らは歩き続けている。わずかに流れてくる空気が少しカビ臭い。蛍光灯の灯りが冷んやりとした感覚を増幅させる。

「先輩、東京の地下にこんな通路あるんですね。初めて見ました」

洞道とうどうって言うのよね。存在を知ってはいたけど、実際に入るのは私も初めて……。どこまで続くのかしら」

 僕ら3人は婆さんを先頭に、地下通路をもうかれこれ1時間近くも歩いている。

 最初婆さんから地下で移動と言われた時は、汚いマンホールの中に潜るのかとゲンナリしたが、婆さんは某ビルに入るとポーチから出した鍵を使って次々とドアを開けて地下に向かい、地下3階の防火扉も別の鍵で開けて、地下通路へと入っていった。


「私、もう何十年もいろんなビルの掃除してるヨ。けーびと掃除はどこでも入れる、社長室だって入れる。だからビルのマスターキー、コピーいっぱいしたナ」

 地下通路に入った直後、婆さんはズッシリと重い鍵束をリュックから出して見せびらかした。そのうちの10数本をどこの鍵か楽しげに説明してくれたが、政府機関や各種インフラ系の重要施設の名前が次々と出てきて、僕はめまいがしてきた。

「うちにはもっともっとある」

「ところでお婆さん」

 話題を変えようと先輩が婆さんに話しかける。先輩はもう「お婆さん」と呼ぶことにしたらしい。

「そんなにあちこちでお掃除の仕事して、お掃除好きなんですね」

 あ、探りを入れたのかなこれは。

「ワタシ掃除うまいだヨ。ワタシが本気出すと髪の毛一本残らないヨ。ルミノール反応も出ないナ」

 一点の曇りもない笑顔で婆さんは言った。間違いない、たしかにスイーパーだ。しかも特殊清掃の。どうやら婆さんには鑑識泣かせのノウハウがあるらしい。

 にこやかに恐ろしい事を言った婆さんの回答を聞いて、さすがの先輩もめまいを覚えたらしい。僕の右腕を力強く掴んできた。二の腕に当たる先輩の柔らかな胸の感触と、腕に食い込む爪の痛みが一度に襲ってきて、僕は声をあげないように耐えるのが精一杯だった。


 あれから1時間近く歩き続けた今、食い込んだ爪の痛みも胸の感触も、そして先輩の残り香も、僕の右腕から消え去りつつある。少し名残惜しい。


 しかし、今どのあたりを歩いているんだろう。都心から離れる方向に向かっているらしいが、行けども行けども似たような壁面が続き、目的地まであとどのくらいなのかがわからないまま歩くというのは精神的に疲労がたまる。

 ふと、先輩はどうなんだろうと気になった。口元をぎゅっと締めて、しっかり前方を睨んで歩き続けていた。弱音を吐くような人ではなかった。


 その時、前を歩いていた婆さんが振り向いて言った。

「疲れたないか? ちょっと休むいいナ」

言うなり婆さんはコンクリートの通路に座り込んだ。

 我々も異論は無かった。先輩も大きく息を吐いて通路に座り込む。タイトスカートの裾の向きを気にしてない表情をしながら僕も座り込んだ。

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