Chapter 1: Scarborough Fair

I.

「ウル、調子はどうだ」


 たまにかかってくる父からの電話は、大抵こんな言葉から始まる。

「ええ父さん、大事ありません」


 僕も僕で、これといって実のある返答はできない。お互い、最初の一言にいつも困ってしまうのだ。

 携帯をテーブルに置いて、無線接続のヘッドセットを耳につける。そしてベッドの脇の出窓を開け放ち、湿った風を静かに味わう。

 父は心配性な方で、暇ではないくせにあれこれと僕に話を振ってくる。それを紛れもない愛情だと分かっているから、僕も最もリラックスできる体勢でそれに望むのだ。



 出窓のところに腰掛け、ベッドの上に脚を下ろす。アパートから見る夜の街は、基本的に光で出来ている。今夜は雨だ。

 向かいのバーの入り口は、藍色と黄色を放っている。扉から屋内の光も漏れている。店先の水たまりにそれらが差し込み、絵の具を溶かすように、じんわりとぼやけた輪郭を地面に刻む。

 そこへ電気自動車が音もなく通り過ぎ、水たまりを叩いていく。

 一昔前なら、そこに排気ガスの灰色が混ざりもしたのだろうが、電気が発するのは熱だけだ。無色ですらない。面白味がない。



 もう冬になるかという季節なのだから、どうせなら雪になれば良かったのに。


「ん? そちらは雨か」


 出窓の上にある小さな屋根に、ぱたぱたと雨粒が滴っている。小さなヘッドセットだが、意外といろんな音を拾ってしまうのだ。


「ええ、今夜いっぱいは。この調子じゃあ、霧が出るかもしれません」


「そうか、表情豊かな街なのだな」


 表情豊か、という詩的な表現に少し驚いた。父は温和だが堅い性格なので、そんな気取った言い方なんて似合わないと思っていたからだ。

 街頭が落とす橙色の光。バーをはじめとする数多くのネオン。この街は、古き良きアメリカを思わせるような、クラシックな景観を保持している。

 僕の住むアパートだって、見てくれは小洒落た煉瓦造りの「アパルトメント」のようだ。実際は、すぐ近くにコンビニがあるし、最寄り駅には何本もの線路がぶつかり合う。



 映画のワンシーンに自分が入り込んだような、レトロな空間。そこで僕は、バイトをしたり、散歩をしたり、ひたすら寝たり、と気楽な生活をしている。ああそうだ、こうして「家族」への連絡することも、重要な役目だ。


「ウル、それで……『贄』は見つかったか」


「いえ、申し訳ありません」


「そうか。もう一年ほど経ったが……いや、私が焦ってもしょうがないな」


「必ず、そちらへ帰ります」


「勿論だとも。信じている」


 父さんとの通話は、きっかり一時間半で切れた。僕はこれを長電話だと思っているけれど、他の人たちからするとどうなのだろう。

 実は案外、この程度は当たり前なのかもしれない。でもそうなると、二時間、三時間話しっぱなしという人もいるのだろうか。疲れないのか。



 僕は基本的に疲れたりしない、頑丈な身体をしている。だがそれは、あくまで肉体的な部分に限る。精神面では、常人以上の耐久性があるとはいえ、いつかは疲弊する。



 もし、何時間も延々と電話するような事があれば、僕は多分くたくたになるだろう。あまり通話は好きじゃない。

 もっとも、会話するような友人もいないけれど。



 この街で、僕は一人ぼっちだ。本当の意味で。誰にも打ち解けられない、それこそ絵の具を溶かしたような景色にも交わることの出来ない、色にならない存在だ。

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