p4 コハル

 モラエスの領事としての仕事ぶりなかなかしっかりしたものであったらしい。地位も安定し、おヨネを得てモラエスの生活は落ち着いたものとなる。神戸で一緒に暮らし始めたのはモラエス46才、ヨネ25才であった。写真ではおヨネはうりざね顔の楚々とした美人である。モラエスの代表作といえば『おヨネとコハル』であるが、その中でおヨネ像について具体的に書かれているのは、亡くなったおヨネの「夢を見て」の箇所である。

「使い古しの絹のハギレ、古くなって約にたたなくなった小箱、・・受け取った郵便葉書、手紙・・・」など、こまごましたつまらない品々を念入りに丁寧にかたずけ、小箱におさめ、ひもやリボンでくくって箪笥の引き出しにしまう、「整理好きな、善良な、無邪気な愛くるしい」女性と書かれている。

 

 本の題は『おヨネとコハル』であるが、ほとんどを徳島で、結核で亡くなっていくコハルについて書かれている。コハルはヨネの姪にあたり、ヨネ亡き後モラエスと一緒に暮らし、世話をした女性で、徳島に隠遁したモラエスが唯一たよりにする人物であった。美人ではないが元気で若かった。コハルが病を得て骨だけになっていく、それをモラエスが誠実に、けなげに看病をしていく様子がほとんどである。おヨネよりコハルか?

 

 同じ病で亡くなったおヨネもコハルと同じ最期であったろう。おヨネのことは書くに忍びなかったのであろう。同じ病で亡くなっていく二人をわざわざ書くこともなかろう。コハルにしてモラエスはかくも悲しんだ。おヨネに対してはいかばかりか、書かれなかったことによって、却ってそのモラエスのおヨネに対する愛情の深さを私は思うのである。

 この二人のことが書かれている箇所に「蛍狩り」の箇所がある。日本の風習としての蛍狩りを書いた後で、モラエスが徳島における借家の南京錠を暗闇で開けようとすると、一匹の蛍が飛んで来て、モラエスの手元を飛んだ。「おヨネだろうか・・、コハルだろうか・・」でこの作品は終わっている。おヨネについて書かれているのはこの「夢を見て」と「蛍狩り」の2箇所だけである。モラエスはおヨネを女神のように崇め、熱愛したそうである。

 

 コハルについては

「コハルは、健康を売っているかと思われるような、背の高い、小麦色の、陽気な、生き生きとしたむすめであった。美人とはいえなかった。それとはほど遠くすらあった。だが、ほっそりとした横顔、おてんばらしいきびきびした動作・・彼女は主として戸外で育ったのだ・・、素直な柔和な目ざし、まっ白な二列の歯並びを見せて口元に絶えず浮かべる微笑、かっこうのよい手足に魅力があった。それに、彼女のような貧しい階級の大部分の女にくらべれば聡明であった。自然の事物を前にして好奇心の強い、研究心のある、感じやすい、芸術的な気質に恵まれていた。また、夢見るような詩情がその火のように熱い脳みその中にかもし出されていた・・・」と書いている。

 コハルとおヨネは縁戚といえ、容姿もそうであるが、コハルは戸外で育ったとすれば、おヨネはお座敷で育ったといえる、二人はまさに対照的である。


 その健康を売っているかと思われるようなコハルは、「腕のやさしい丸み、胸の美しいふくらみ、臀部の美しいふくらみ、つまりは女性に肉体において美しいすべてのものが消滅してしまい、ひとかけらの骨が残っているに過ぎない」身体になって、23才の若さで亡くなるのである。

 日曜から月曜にかけての夜、父親がそばにいるとき、コハルは父親に、指にはめている金の指輪を渡し、母親に持っていってくれという。この指輪は20年前に大阪の貴金属店でモラエスが買い、おヨネに与えたものであった。4年前におヨネの冷たくなった指から抜いてコハルに贈ったものであった。「悲劇的な指輪物語」とモラエスは書く。


 コハルには愛人があり、子供を生んだ。男は遊人であった。このことについては、臨終間際に母親と妹のマルエが1歳ばかりの子供を伴って来た場面で、

「その子はコハルの子に違いないと私は思った。コハルには子供がいるからだ・・・父なし子、というよりはむしろならず者の父親、コハルを誘惑し捨てた富田地区のごろつきか何かの子供・・・。」とだけ記している。男としての無念が短い文の中に読めるのが・・・私だけであろうか。




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