6話「偏差値10の俺がい世界で知恵の勇者になれたワケ」
《遠くの村》から《魔王城》までの道のりは驚くほどスムーズに進んだ。《半月》が居たからだ。
魔王城までの道は彼女が完璧に記憶していたし、道中で遭遇する魔族たちは《半月》に対してすんなりと道を譲った。
《半月》を知るものはわざわざ最強の四天王に立ち向かおうとなど考えず、《半月》を知らぬものも面と向かえばその圧倒的な威圧感に萎縮し尻尾を巻いて逃げていったからだ。
そして、《魔王城》に入ってからも簡単に進むことが出来た。
もともと、《魔王城》には魔王と四天王、それと細々とした雑事を任せられる使用人たちしかいない。全ての四天王を越えた今、魔王城に居るのは《魔王》と幾ばくかの非力な使用人だけなのだ。
龍一とミシェルと《半月》はすんなりと魔王の居る《玉座の間》の前までたどり着いた。
「この先に《魔王》がいるのね……」
呟いたミシェルの声は震えていた。
今まで戦ってきたことで、《四天王》の恐ろしさは身にしみて分かっている。
両手で自在に武器を自在に操り不完全ながらも《拳銃》までも使っていた《無双》
驚くべき技術で目にも留まらぬ攻撃を駆使して襲い掛かってきた《最速》
これまでの四天王の敗北をも活用し恐るべき知略を持って立ちはだかった《策謀》
そして、名実ともに疑いようのない最強の四天王 《半月》
いずれも、四まで数えられるという噂に相違ない実力の持ち主だった。
だが……《玉座の間》に居る魔王は、その四人を従えていたのだ。一体いくつ数を数えられるというのであろう。
目の前にある《玉座の間》の扉は龍一どころか立ち上がった《半月》さえも頭のぶつけようも無いほど巨大で、前に立っているだけでその圧迫感に押しつぶされそうになる。
立ちすくむミシェルの顔を、暖かく湿ったものが撫でた。
「ひゃっ!」
《半月》がミシェルの顔を舐めたのだ。
「な、何するのよ、《半月》!」
「きっと《半月》はこういいたいのさ。《いまさら何を心配することがあるのか》ってな」
龍一が微笑み、ミシェルの肩に手をおいた。
「魔王がどんな奴かは知らないが、俺達なら大丈夫さ。今までだってそうだった。これからだって、そうだ」
ミシェルは龍一の顔を見返した。そして深呼吸をし、頷いた。
龍一が手をかけると、扉はかすかに軋む音を立てながら開いた。
《玉座の間》は広く、閑散としている。壁にはポツポツとあかりが付けられており、広間を頼りなく照らしている。
その奥へと進んでいくと、荘厳な玉座に一人の男が座っているのが見えた。
手元の紙に何かを書き込んでいた男は、龍一たちの存在に気づくと気だるげにそれを脇におき、顔を上げた。
「ああ、ついに来たのか」
「お前が《魔王》か?」
龍一が尋ねると、男は自嘲的な笑みを浮かべた。
「ああ、そうだ。僕が《魔王》」
龍一が答えるよりも先に、ミシェルの悲痛な叫びが広間に響いた。
「け、《賢王》様!?」
「……そんな風に名乗っていた時期もあったな。別に、どちらでも好きな方で呼ぶといい」
「どういうことだ?あいつが《魔王》だろ?」
「いいえ、あの人は《賢王》様よ!」
龍一がなんだかよく分からない顔をしていると、男がため息をついて補足した。
「《魔王》と《賢王》が同一人物だったってことだ。僕が《賢王》を辞めた後 《魔王》になったってことさ。わかったか?」
「ああ、なるほど。わかったぜ!」
ようやく状況を把握した龍一は頷いた。
だが、ミシェルはまだ信じられないように声をあげた。
「わかりません!なんで……なんで《賢王》様が……《魔王》に……」
「なぜ、なぜだと?ははははは!!」
《魔王》は狂ったように笑った。
その姿はミシェルの記憶にあった《賢王》とはまるで別人のようで、彼女は言葉を失った。
「そんな理由、一つしか無いじゃないか!
その言葉に龍一とミシェルは驚いたような顔をした。
「驚くなよ!自覚なかったのかよ!なんだ 《10まで数えられるとうたわれた》って!10まで数えられるなら!普通!20も30も数えられるだろ!
あと 《王都から出て右の村》ってなんだよ! 相対的な位置表現で! 場所を! 示すな! しかも住民の半分ぐらい左右の区別ついてねえじゃねえかよ! ただでさえ意味が無いのに! もうそんな名前つけるんじゃねえよ!
なんで! 棒と箱があるのに! 背のびで高いところの物を取ろうとする! チンパンジーだってもう少し知性があるわ!」
魔王は息を荒げながら叫んだ。あまりにも悲痛な叫びだった。
「だから人間を見捨てて 《魔王》になったのか?」
「ああ、そうさ!魔族の方が若干頭が良かったからね!4まで数えられるからね!……だが、そっちも期待はずれだったよ。
なんで! 棒と箱があるのに! ジャンプして高いところのものを取ろうとするんだ!
なんで! 拳銃を! 投げる!
なんで! 「あっ!」で! 騙せると思うんだよ! いや、この世界の住人ほとんど騙せてたけどさ!
なんで! 熊が! 一番頭がいいんだよ!」
「グゥ~」
《半月》が照れたように唸った。
「褒めたんじゃねえよ! この世界の奴らの知性を嘆いたんだよ!……ああ、もう限界だ!異世界転移したってのにバカしかいねえんじゃ、内政チートも出来ねえじゃねえかよ……」
「異世界転移……ってことは、お前もこことは違う場所から来たのか?」
耳慣れぬ言葉を龍一が聞き返すと、《魔王》は今まで最大の失望を込めた視線を龍一へと向けた。
「ああ、そうだよ。俺もお前と同じこの世界とは違う世界からやってきたんだ。だからこそ、《策謀》に報告されたとき少し期待してたんだ。やっとまともな奴が増える、って……なのに……なのに……なんで!お前も!拳銃を!投げるんだよ!」
魔王は肩で息をしながら龍一を睨んだ。
その瞳は、強い悲しみと怒りを浮かべていた。
「もういい……僕はもう、疲れた。うんざりだ。魔族も人間も知ったことじゃない。この城でナンプレでも解きながら余生を過ごすよ。わざわざ来たのに悪いけど、放っておいてくれ」
「えっと……それはもう《魔族》を王国に攻め込ませたりしない、ってことか?」
「ああ、そうさ……少なくとも、僕は指揮を取らない。奴らは勝手にやるかもしれないけど、バカだからどうせ散発的なことしか出来ないだろ。それぐらい勝手になんとかしろよ」
龍一とミシェルは顔を見合わせた。《四天王》を倒し、《魔王》がもう関わらないと宣言し、魔族が力を合わせて攻め込んでくることがなくなった。それはつまり、目的は達成された、ということだ。
だが、龍一もミシェルも喜んでいいのかわからなかった。
「えっと、《賢王》様……それでは、王都に……」
「嫌だ。絶対に戻らない。王様なんか、そこのバカで我慢しとけよ」
ミシェルはまだ何かを言おうとした。だが、それ以上何を言っていいのかわからなかった。
自分たちがリュウや《賢王》とくらべて知力に劣っていることは、ミシェルも重々承知している。それが《賢王》の重荷となっていたのなら、これ以上、何を求めることができようか。
「あーあー、せっかくの異世界転移だって思ってたのにさ!知恵もない!成長もしない!言ってもわからない!こんなバカばっかの世界に来るぐらいなら、元の世界の方がまだマシだったよ!」
ミシェルは下唇を噛み、うつむいた。もう彼女が紡ぐことのできる言葉はなかった。
ミシェル隣にいた龍一が動いた。一歩、一歩、《魔王》に近づいていく。
「おい、お前。今なんて言った?」
「はっ!どうした、怒ってんのか? バカにバカって言って何が悪い!」
《魔王》は龍一をあざ笑った。
龍一は玉座の前に立ち、《魔王》の胸ぐらを掴んだ。
「……えよ!」
「あ、なんだ?反論してみろよ」
「そこじゃねえよ!」
龍一が叫んだ。《魔王》の顔から嘲笑が消え、微かに困惑が浮かんだ。
「そこじゃない……?」
「確かに俺はバカだ。自分の名前を全部漢字で書けねえ、九九は五の段までしかできねえ、テストはいつも0点だ。バカって言われてもしかたねえ」
それは、ミシェルの聞いたことがない龍一の声だった。
いつも明るく、前向きで、彼女を導いてくれた龍一が今、絞り出すように言葉を吐き出していた。
「でもな!俺だって、明日は名字は書けるようになろう、六の段を一個覚えよう……少しずつでも、できることを増やそうって思ってんだよ!
ミシェルだってそうだ! 足し算をすぐ覚えられた! 引き算だって自分で思いつけた! 俺がちょっと教えただけで、俺なんかよりもずっと早く成長できる凄い奴なんだ!
それを『成長しない』とか『言ってもわからない』とか言うんじゃねえよ!バカにバカって言ったっていい、けどバカだからって頑張ってねえわけじゃねえんだよ!人の頑張りを否定するんじゃねえよ!」
龍一の剣幕に、ただただ《魔王》は気圧された。
「そうか……わかったわかった、訂正するよ。お前らだって頑張ってるんだな。じゃあ後は俺の知らないところでやってくれ、俺はもう、お前らに愛想が尽きたんだ」
魔王の胸ぐらから手を離すと、龍一は肩を怒らせて引き返していった。
「行こう、ミシェル。《半月》」
「……待って、リュウ」
ミシェルは顔をあげ、《魔王》を見た。その目には、僅かな希望が浮かんでいた。
「《賢王》様。最後に一つ教えてください」
「なんだよ」
「《賢王》様は、人間に愛想を尽かした、とおっしゃっていましたよね?」
「そうだ。それがどうした」
ミシェルは深く息を吸い込み、言った。
「だったら何故 《聖剣》を封印したのですか」
「あれは貴様らの支えだろう。あの時は魔族に与して貴様らを滅ぼそうと思っていたからな。支えを奪うのは効率的な国の崩し方だ。だから《封印》した……当たり前のことだろう、何故、そんなことを聞く?」
ミシェルは注意深く、言葉を選びながら、ゆっくりと語り続ける。
「その……もしも、《賢王》様がそう考えていたのなら、《聖剣》を《封印》する必要なんてなかったと思います」
「……なんだと?」
「だったら、《賢王》様が《聖剣》を持ち去るなり、わからないところに捨てるなり……その、失わせる手段ならいくらでもあったと、思います。なのに何故、《封印》したのですか?」
《魔王》は、思案するように口に手を当てた。ミシェルの言葉に対する反論は出てこなかった。
「その……もしかして、《賢王》様は、あれを私たちに解かせたかったのではないですか?私達が……その……まだ、救いようのある程度のバカだって、確かめたくて、それで……」
自信がなくなってきたのか、ミシェルの声はだんだんと小さくなっていく。
そこでやっと、《魔王》は口を開いた。
「その考えは、そこのバカに吹き込まれたものか?」
《魔王》は龍一に視線をやった。
龍一は真面目な話だから静かに聞いていなければいけないと思うけど、難しくて良く分からない、という表情をしていた。
「……違う、か。ならば、お前が考えたものか?」
「はい……その、私たちは《聖剣》の《封印》を解けませんでしたけど……でも、それは考えれば解くことができるものなんだ。って、リュウに教えてもらいました……《賢王》様。だから、その……」
《魔王》はミシェルの言葉を手で制した。そして何かを堪えられなかったかのようにくつくつと笑った。
「そうか……そうか、確かにお前の言うとおりなのかもな!だったら……ああ、今のお前は及第点だ!なにせ僕が気づいていなかったことに気づいたんだからな!全く、一生の不覚だ!」
「《賢王》様……!」
「わかったよ、今日で《魔王》は廃業だ。あいつの言うとおり、お前たちに頑張る気があるなら、もう少しだけ《賢王》として付き合ってやるよ」
《魔王》……《賢王》は玉座から立ち上がり、ミシェルへと歩み寄った。
《賢王》はミシェルに右手を差し出した。ミシェルはおずおずとその右手を握った。
そこで、今まで眠そうな顔をしていた龍一が口を挟んできた。
「え?《魔王》やめんの?なんで?」
「お前聞いてなかったのか!だから俺はこいつらがやる気があるってんならな……」
龍一は違う違う、と手を振った。
「《賢王》をまたやるのはいいけど、《魔王》やめる必要はないんじゃねえの?」
「はぁ!?」
《賢王》とミシェルはあっけにとられた顔をした。
「え?だってお前が《賢王》で《魔王》だったら、魔族と人間両方の王様だろ?一緒にやれないの?」
「いやお前……そんな……種族の違いとか色々あるだろ……」
「《四天王》も普通に話が通じたし、やればできないことはないと思うぜ」
《賢王》は反論しようといくらか頭の中で考えを巡らせた。問題はいくつも思い浮かんだ。
だが、そのどれもが『やればできる』ことだった。
「お前……なんか……すげえな……」
「おいおい、なんだよお前。頭いいくせに知らねえのか」
呆れたように笑う《賢王》に、龍一は胸を張って告げた。
「みんなで仲良くするのが、一番いいんだぜ」
――――――――
70年後、王都。
自室でうつらうつらとしていたミシェルは、けたたましく鳴る電子音に叩き起こされた。
スマートフォンの画面を確認すると、そこには『15:00 除幕式』と書かれている。
たしかこれは自分が設定したリマインドだ。時計を確認すると14:30。少々急がねばならないだろう。
準備をしながら、世の中便利になったものだ、とミシェルは思う。
70年前の《人魔融和》から、世界は目まぐるしく変わっていった。
《賢王》の指導のもと人々は学び、新たにやってくる異世界人の知識も吸収しながら文明を発展させていった。
王立大学の設立から50年、王国最初の発電所から45年……「まさかこんなんなるとは思ってなかった」とは、10年前に亡くなった《賢王》は笑いながら最後にそう言ったという。
ミシェルは父ラシェルの跡を継いで王立大学理学部数学科の教授となった。
数学の祖と呼ばれた父は、自分がついていけないほどに発展した学術論文を読んではいつも嬉しそうに笑っていた。
スマートフォンのグループチャットに新着メッセージがあった。《策謀》からだ。四天王全員で一緒に除幕式へ向かう、という旨が記されていた。
《魔王》が《賢王》であることが発表された後、驚くほどスムーズに《人魔融和》が進んだのは《四天王》が《魔王》の意を汲み融和に積極的だったからだ。
それぞれの場所で活躍した彼らも、すでに第一線からは引退している。
そして、龍一は―――――
―――――
除幕式は滞りなく進み、ミシェルは孫達と除幕された像を眺めていた。
それは若き日の龍一をかたどった像だ。
聖剣を構え、前を向いている龍一。台座には『王立大学設立50周年記念 「七の段に挑む勇者像』と書かれている。
「ねーねー、おばあちゃん」
孫のコーイチがミシェルの手を引いた。
「なんで、『七の段に挑む勇者像』なの?七の段なんて、誰にでも解けるじゃん」
コーイチの言葉に、孫達はうんうんと頷いた。
「ねー、私にもできるよー」
「僕にもできるー」
「ねーおばあちゃん、なんでなんでー?」
ミシェルは少し笑いながら、コーイチの頭を撫でた。
「そうだね。七の段なんて、誰でも解けるかもしれないね」
王都の文明は、異世界からの来訪者達の技術を組み込みながら目まぐるしく発展した。
人々は知恵を得た。そして、誰もが知った。
龍一は、バカだ。
それは、否定しようのない事実だった。
けれど。
「でもね、『七の段は解ける』って教えてくれたのは、この人なのよ」
ふーん、と、孫達は返事をした。無理もないだろう。彼らが龍一の事を理解するには、まだ少し時間が掛かるかもしれない。
ミシェルのスマートフォンが新たなメッセージの受信を告げた。四天王達からだ。
なんでも《半月》が大学の警備員に止められているので迎えに来て欲しい、とのことだった。
「みんな、《半月》ちゃんを迎えに行こうかね」
孫達ははーい、と返事をして駆け出した。
だが、一人。一番年下のリュウコだけ、浮かない顔をしてとぼとぼと歩いていた。
「どうしたの、リュウコ?」
「あのね、おばあちゃん……あした、しょうがっこうのさんすうで複素平面があるんだけどね……むずかしくてね……」
ミシェルは、リュウコの正面に立ち、両手を肩に置いた。
「リュウコ、すぐに出来なくてもいいんだよ。分かるようになるまでのはやさはみんな違う。みんなと一緒にできるようにならなくちゃいけないことなんて、ないの。ただね……」
――龍一は、バカだ。国中誰もが、それを知っている。だけど
「あきらめなければ、いつか絶対できるようになる。だから、リュウコだけは、絶対にリュウコのことを見捨てないであげて。おばあちゃんとの約束だよ」
「……うん!」
バカでも、挑み続けることはできる。龍一はみんなに、それを教えてくれた。
だから、この国の人々は、彼をこう呼ぶのだ――
『偏差値10の俺がい世界で知恵の勇者になれたワケ』 完
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