【エッセイ】ハチドリの一滴となりますように

琴里和水

第1話

 私の弟の雨山は、子供の頃いじめられっ子だった。だから、自分のようにいじめられてつらい思いをしている子供達に寄り添い、出来るだけ助けになってやりたい、という想いを胸に、中学校の美術教師になった。雨山は、保健室登校をしている子供達の担当になり、子供達と良好な関係を築いていた。


 雨山は、授業をするのがとても好きだったし、保健室登校の子供達の面倒を親身になってみていた。

「仲良くなった子がさ、俺にイラストとか見せてくれるんだよ」

と、うれしそうに琴里に語ってくれていたのを思い出す。

 だが。

 雨山は、ほどなくして退職した。

 何故か?

 それは、雨山に向かってこんな事を言う同僚がいたからだ。


「君さぁ、そんな落ちこぼれの面倒なんか見て時間を無駄にしないでよ。もっと、きちんとできる子の方に時間を使ってよ。そんな連中に手間暇かけたって時間の無駄だから」


 雨山はとてもショックだった。何故なら、雨山は保健室登校をしている子供達に昔のいじめられっ子だった自分を重ねて見ていたから。

さらに言うなら、雨山に向かってそういった教員が、職員室では『出来る人』として評価が高かったのもショックに追い打ちをかけた。


「結局さ『出来る人』には『出来ない人』の気持ちっていうのは絶対にわからないんだよね」


 力ない顔でそうつぶやいていた雨山の事を思い出すと、今でも胸が痛む。


 結局、それからほどなくして雨山は退職し、今はプロのエロ漫画家としてとても楽しくやっている。


 教員時代、雨山はしょっちゅう体調を崩して寝込んでいたし、いつもとてもつらそうな顔をしていた。漫画家に転職してからは、体調を崩す事も無くなったし、毎日とても楽しそうに、のびのび、生き生きと生きている。姉として、それがとてもうれしい。


 実は、琴里の父親は中学校の国語教師で、定年までずっとその仕事を続けていた。

 だから雨山は、自分が退職すると決めた時、両親を、特に父親を失望させてしまうのではないか、と、それがとても怖かったそうだ。

 だが、雨山から話を聞いた父は、一言こう言った。


「おまえの言う事はもっともだ。俺だってなあ、養わなきゃいけない家族が居なけりゃ三年でやめてた。おまえの好きにしろ」


 そして、父も母も、雨山がプロのエロ漫画家になった、つまり、自分が望んだ生きかたが出来ているという事をとても喜んでいる。


 雨山が初めて出した商業誌の単行本を両親に見せに行った時の会話。


琴里母「あら、まあ。『個性派変態作家!』ですって」

雨山「まあ、編集部としても、他に煽り文句の書きようがなかったんだろうなあ」


 琴里はこんな家族が大好きだし、とても誇りに思っている。







 なんだか、とても取り留めのない話になってしまったが、教育についての、特に、教師についての話題が(ツイッターの)TLに流れてくると、どうしてもこういう事を思い出してしまうのだ。


 父親が教師だから、教師がどれほど大変な仕事か傍で見ていて痛感している。

 雨山が退職に追い込まれた過程を見ていて、教師だって人間だし、恐らくは、ある意味他の業種の人間よりも残酷でどうしようもないところがある傾向が強いのではないか、という事も、なんとなく察している。


 雨山は、真剣な目で琴里にこう語ってくれた。


「結局さ、教師になるような人間っていうのは、子供の頃から『出来る』側に入っていたような奴等ばっかりなんだよ。だから『出来ない』人間の事がどうしてもわからない。それは、ある程度は仕方のない事なんだけどね。だけど、それって恐ろしい事だよ。


 滅私奉公するような人間、自分を異常なまでの努力に駆り立てる人間、っていうのは、他人に対してゾッとするほど冷たいし、他人を恐ろしいほどひどく、とても粗末に扱うよ。だって、そういう連中は、まず真っ先に自分を一番いじめてるんだから。


 一番大切な存在であるはずの自分自身を、自分が真っ先に一番いじめてるんだから、そんなやつらが他人を大切にするはずがない。『私はこれほど頑張っているのに、どうしておまえらは同じ事が出来ないんだ!?』って、出来ない人達をボコボコにしまくる。


 悲しい事だけど、教師にはそういう人間が多いんだよ。だって、ある程度『出来る』人じゃないと、そもそも教師にはなれないんだから。そしてね、悲しい事に、そうやって自分にも他人にも惨くあたる人ほど『出来る人』って評価されたりするんだよ。


 雨山の言葉と、退職に追い込まれた経緯を想うたびに胸が痛む。


 雨山は今では、近所の中学校に、時々ボランティアで自習の監督をするために出かけて行ったりしている。ボランティアと言ってもそれなりに時給をいただいてやっている。


「見てよ姉さん。俺、また子供にイラストもらっちゃったよ」


 などと、うれしそうに琴里に、中学校の生徒さんからいただいたイラストを見せてくれたりもする。そんなところを見ていると、ああ、これでよかったのだな、としみじみ思う。


 それでもやっぱりおかしいと思う。姉の私が言うのだから、身内びいきが多分に入った意見であるのは重々承知だが、雨山のような人間が退職に追い込まれてしまうというのは、やはり、どう考えてもおかしいと思う。


 そんな現状を少しでも変えたいから、こうしてつぶやいている。このつぶやきが『ハチドリの一滴』になることを祈りつつ。


 どうか、誰もが無理をせず、他の人に無理をさせる事も無く、自分自身として幸せに生きることが出来る世界がやってきますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【エッセイ】ハチドリの一滴となりますように 琴里和水 @kotosatokazumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ