第十二手 機能せぬ教科書
「苫米地さん。今、少し時間いいかしら? 荷物を運ぶのを手伝ってほしいの。」
今、まさに下校しようとしていた由紀は、少し驚いたが
「す、少しだけなら………で、でも晩ご飯の支度があるので………長くは……」
了承の返事に、紀藤は微笑み
「大丈夫。そう、時間は掛からないわ。」
と、普段通りの声質でそれに応えた。
放課後、由紀と紀藤は、段ボールを一つずつ、図書室に運んでいた。
どうやら、新しい本が届いた様だ。ちらり。と覗いた中身のタイトルが綴られた紙に由紀の胸が高鳴った。
最後に、ゆっくりと読書に更けたのはいつだったろう? 中間試験の時に、現文の教科書で、昔の名作を何度も読み返したあの日だったか?
「ドス」っと、何回目かの往復で、遂に二人は全ての段ボールを運び終えた。
「お疲れ様。ありがとう、苫米地さん。助かったわ。」
そう言う紀藤に、笑顔で返しながらも、由紀は少し違和感を感じていた。
今回、この手伝いは、明らかな力仕事だ。
自分がクラブ活動をしていないといっても、効率よく作業するなら明らかに、自分よりも男子生徒に手伝ってもらった方が良いだろう。
いや………しかし、由紀はそれに対し、不満などを覚えたわけではない。
何か『理由』があって………
自分は、紀藤に呼ばれたんだと。彼女の胸に巣くうのはそんな直感だ。
「では、これで失礼します。」
何となく、その直感に従い由紀はその場から離れようとした。その時だった。
「先生。」
入り口から聞こえたその声。
驚いて振り向いた由紀がその声の主を捉えた。
申し訳程度だが、茶色に染まったセミロングの髪に、大人っぽい化粧で染めた顔。そして既定の制服を今風の服の様に着こなしている少女がそこに立っている。
「クマちゃん………? 」
由紀の呼びかけに、一瞬目線を動かしたが、長谷川はすぐに周囲を確認し、図書室に居る生徒を確認して、二人に近付いた。
よく見ると、何かを両手で胸に抱いている。
突然、由紀にとっては面識があるが、繋ぐ線が考えられない二人がまるで知人の様に何かを目で語っている。
いや。
由紀は聡明な子だ。
すぐに、二人にとって共通の点を見つけ出した。
何の事は無い。
それは、自分。
『苫米地由紀』ではないか。
「これ………見つけました………」
そう言って、長谷川が、胸に抱いていたそれを二人の前に差し出した。
途端、由紀の表情が大きく歪み、蒼白な
「何……よ………これ………」
紀藤が、搾り出す様にその言葉を吐くと、長谷川から急ぎ、それを奪う。
その物とは。
学校では、珍しい物ではない。
寧ろ、目につかない事は無いだろう。
だが、明らかにそれは、見慣れていない化粧を施されていた。いや、化粧とは人を美しく見た目を変化させる行為だ、そう表現するのは矛盾する。
その教科書に彩られたそれは。
余りにも醜く。余りにも悲痛なものだったから。
震える手で、紀藤は長谷川が持ってきた由紀の『教科書』のページを捲る。
その中は、捲れど捲れど、まともに教科書が機能する様なページは一つもない。まるで無地のノートなのかと錯覚する程、誹謗中傷を意味する言葉が、油性ペンの様な物で満たされている。
「ひどい………」
今度は、声も震えた。悲しみを隠さぬ、その声に、由紀の心臓は冷たく、しかし大きく鳴る。そして、泳ぐその大きな瞳が、着地点を探る様に行き着いた先。
そこには、涙ぐみ、奥歯を噛みしめているのか、唇をへの字にした。長谷川の表情があった。
「……………ちが……うん……です………」
完全に狼狽した由紀が、まるで必死で出した言葉が、それだ。
「違う? 」紀藤は教科書を閉じ、優しさだけではない眼差しで由紀の言葉の本意を見極めようとしている。
「そ、そうです…………それ………
な、何か………の………間違い……で………」
「違うじゃん………」
ぷるぷると震える由紀の定まらない視線が、その言葉の主、長谷川の方へと再度動く。
「
美術も………
数学も…………
保健体育も…………
生物も………
英語も………
全部の教科書に、ひどい落書きされてたじゃん‼
こ…………こんな…………
こんな‼ ヒドイ………言葉…………‼ 」
そこで、我慢できず、全ての言葉を言わず、長谷川は顔を両手で覆った。
由紀は、がくがくと、膝を揺らしながら怯えた様に、紀藤に視線を戻す。
彼女は、変わらず真直ぐすぎる程の眼差しで、由紀を見つめ続けている。
「全部………話してくれる? 苫米地さん………? 」
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