第十八手 忘れられた女
「お久しぶりね。」
「え? 」
場面は変わって、由紀の対局席。相手は自分より年上の女子だった。
そして、その相手に由紀は見覚えが無かったが向こうは、何やらこちらを知っている様な反応だ。
由紀は思わず席に着く前に、まじまじと彼女を見た。
――………………誰? ――
うなじ程の長さのセミショートで、冬だというのに、褐色に焼けた肌。背は達川よりは低そうだが、女子としては高く、スマートな体躯はどちらかというと、スポーティな印象を思わせる。
由紀には、そんな年の近い知り合いが思い浮かばなかった。
「……………! な……………! あ、あなた……!
まさか、私を忘れたというの⁉ 」
その様子に、目の前の女子は立ち上がり、肩を震わせた。
「夏の大会で、敗れた相手を忘れるなんて!
あなたにはプライドと言う物が無いの⁉ 」
夏の大会。その言葉で、由紀の脳内でシナプスが繋がった。
「あ‼ 」
彼女は思い出した。そう。夏の大会。チーム盤上の戦乙女【ワルキューレ】は二回戦で大将戦を敗北している。確か………相手の名は……
「
由紀が呟いた名前に、ようやっとその女子は席に着く。
「随分と、思い出すのに時間が掛かったものね。」
「す、すみません…………」あの時は、確か手も足も出ずに敗けてしまった筈だ。隣の達川と長谷川が早々に相手を倒した為、由紀自身も思わず気を抜いていたのも事実だが。
――強い人とばかり……当たっちゃうな……――
そう。
佐竹にしても、この佐々岡にしても。
由紀が将棋を始めた、あの夏の大会の時には、明らかに由紀の上をいく実力者だった。
だからこそ。
由紀は、今一度盤面にひりつく程の視線を浴びせる。
その外見通り、佐々岡は毎日陸上に情熱を注ぐ少女だ。
幼い頃から男子に混ざり、身体を動かす事が好きだった。
しかし、その陸上よりも長く学んでいるのが将棋だった。初めは両親が「勉学の一環に」程度の考えで与えた物であった。
その複雑かつ難解な将棋のルールは佐々岡を夢中にさせた。
いつしか、佐々岡は運動で男子に負けるよりも、将棋で誰かに敗れる方が悔しく思うようになった。
そんなある日、彼女は近所の知人と将棋大会に出る事になる。
そこに集まる多くの自分と年を近くした棋士に、彼女は心を躍らせる。
そして、彼女は大会を全勝で終える。しかし、彼女だけの勝利では及ばず、チームは二回戦で姿を消す事となった。
その時、彼女に在る感情が芽生えた。
それは、自信と。更なる将棋への向上心。
今回の大会は、自分の力がどこまで進めるのか。それを知るのに絶好の機会だと思った。
今、彼女は目の当たりにする。
つい、半年ほど前に、自分の後方に居たその者が。
自分と同じ時間を過ごしたその者が。
自分に追いつき。
そして、遥か遠くまで追い越していったその背中を。
――よ……読めない………
彼女が指す、その筋が……私には……止められない? ――
見る見るうち、佐々岡の陣形すらも。
まるで由紀に造られて行くように………
盤面の支配は……既に彼女に………
「ま………参りました。」
不思議な事に佐々岡の心中に、悔しさは無かった。
悔しさが沸きあがる間すらもなく……
悔しい。と思う伯仲の対局でもなく。
ただ………
そう出来なかった、自分への苛立ちだけが、静かに心で鳴く。
「ありがとうございましたっ! 」
感想戦も終わり、あんまりに屈託ない笑顔を浮かべる由紀に、佐々岡は思わず口元を緩めた。
――私の努力もまだまだって、事ね――
その時の心境は、思ったよりも清々しいものだった。
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