第十手 そして、再び戦いは始まる

 「なぁ、由紀ぃ。明日の大会は、お父さんも観に行っていいかい? 」

 大好物の母親特製ハンバーグを口に運ぼうとした時に、父親が由紀に微笑み掛けて言う。


 「あら、あなた、お仕事お休みなの? 」

 母親が、自分の分のハンバーグの皿を持って、席に着く。


 「うん。全国大会の時、観に行けなかったろ? あれ、すごい後悔してるんだよ。ほら。将棋の雑誌。あれにも、見開き2ページで由紀達の特集が組まれてたろ? いやぁ、自分の娘の強いところを見たいってのは、父親として当たり前だろ? ママもどう? 」

 母親は、ハンバーグにナイフを入れると「ごめん、仕事だわ。」と、首を横に振った。

 「え~パパ、来るのぉ? 恥ずかしいから、大声で応援しないでね? 」言いながらも、由紀は喜びによる、胸の高揚を隠せない。




 夜、部屋の石油ファンヒーターのスイッチを入れると、点火するまでの時間、由紀はその小さな身体を両手で擦りながら棋譜を読み、あの将棋盤にそれを再現する。

 「チチチチチチ、ボッ」とファンヒーターから石油の香りと、少し焦げた臭いがあがる頃には、その将棋盤に、それは表れていた。


 顎に、手をあて、その棋譜を眺めていると、由紀は、ふと夏の事を思い出していた。

 突然、達川に無理矢理大会面子にされて、でもお蔭で将棋をそれまで以上に深く知れた。何より、大会を通じて、多くの同年代の人に出逢えた。


 ――桃子ちゃん。元気かな――

 再現された棋譜は、あの時のものだ。

 棋譜を関係者からもらった時は、本当に自分が指していたのかと言う程、信じられない凄まじい攻防を見せた対局。この棋譜を再現する度、由紀の中で、はっきりと小さな核が出来る。自信と言う核。


 音桃子という最強の棋士と勝負し、勝利したというその事実が。




――――――



 そこらに、学校の教室で使っている様な古い、石油ストーブが幾つも並べられているただっ広い会場。

 それに詰め込む様に、幾つも長い長方形の机と、丸椅子が向かいに並び、机には将棋盤と対局時計が置かれている。


 ――こういうの見ると、思い出すな――

 由紀の胸に夏の大会の思いでが蘇る。

 違いがあるとすれば、この気温差ぐらいか。


 「あっ。」由紀の視界に、彼女達が見えた。

 「パパ。じゃあ、行ってくるね。」

 「うん、気をつけて。頑張れ‼ 由紀。」

 父親が、両手を握りしめるのを見る間もなく、由紀は嬉しそうにフードを揺らして、二人に駆け寄った。


 「愛子ちゃん。クマちゃん。」

 その言葉に、二人も気付いた。

 「よう。由紀。」

 「由紀ちゃん。おはよう。」長谷川が嬉しそうに由紀を抱きしめてくる。

 「むぐぅ。」夏の時よりも、大きくなった長谷川の胸で、由紀が苦しむ。




 「ご機嫌麗しゅう。あまみず将棋教室の皆さん‼ 」

 「おらおらぁ、紅お嬢様が挨拶しとんじゃ。返事せんかい。」

 そんな時に、入り口から最短距離で、ふりっふりのピンクドレスに身を包んだ漆畑と高月が三人に近付いて来た。

 「何を、お前はいきがっとん? 」自分より遥かに背の高い達川に睨まれると「ひぃ」と大きな腹を揺らす。

 「止めろ。高月。無暗に騒ぎを起こすな。」ゆっくりと、メガポジを中指で整えながら、その達川より少し背の高い男子。佐竹がやってくる。


 「こんにちは。」身構える達川を通り過ぎると、佐竹は。


 「え⁈ 」

 由紀に向けて、右手を差し出していた。

 「夏の大会。とても素晴らしかったよ。

 音桃子さんとの対局は、僕の中でも有数の名勝負、その一つだと思っている。」

 「え、えええ? 」にっこりと微笑む佐竹の顔は、それはそれはいい男のものであった。


 「ごめんね。佐竹君。由紀ちゃん。照れてるみたい。」

 固まる由紀に助け舟を出したのは長谷川だ。


 「そうか。突然、ごめんね。」そして、右手を引くと「もし、お手合わせする事になったら、本気でよろしくね。」と、言った。


 「う‼ 」それに思わず、由紀は、声を漏らした。

 その時の佐竹の目は、先の優しさに満ちていた物とは違う。あまりに鋭い光を放っていたからだ。



 「おほほほほほ、御チビ‼ いいえ、苫米地由紀‼ いいえ‼ 御チビ‼ 」何だか、よく解らなくなってくる。

 「夏の借りは、倍返しでお返ししますわ‼ 頭皮をしっかり洗って待っておきなさい‼ 」

 「お嬢様‼ それでは、ただのヘッドスパです‼ 洗うのは、首です‼ 」

 二人も、騒がしく佐竹の後について行った。


 「くそ、うちは眼中無しか。佐竹め。」達川は歯ぎしりを鳴らすが、今日はそんなに怒りを覚えない。達川は、ゆっくりとその後姿から、由紀の小さな顔に視線を合わせた。



 ――うちだって、今日はあんたなんて眼中にないけど……――

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