第十手 四季、動く
給食をもったりと食べるのは、由紀の習慣だ。
この時間、男子たちはものすごい勢いで食べて、外にボールを持って出て行ってしまうが、その後の少し広く感じる教室が由紀には心地よかった。しかし、本日その細やかな憩いの時間は訪れなかった。
「おーーい、由紀ーー居るかーーー。」
教室にざわめきが起きた。それはそうだ。給食時の教室というのは云わば彼ら彼女らにとっての正に聖域。そこに上級生、しかも不良っぽい風格の者が侵入してきたとあったら、それはもはや、緊急事態なのである。
しかし、そんな教室の空気も何のその、つかつかと達川は由紀の席まであっさりと侵入してきたではないか。
「なによぉ?まぁだ食ってんのけ?遅いのぉ、地方大会から持ち時間は30分じゃけぇ、きびきび動かんと時間切れで負けるよ?」
流石に業を煮やした担任教師が注意をしに近づいてきた。
その危機を察して、達川は「図書室来いよ」とだけ言い残し、風のように教室を後にした。
周囲のクラスメイトが、いなげな視線を由紀に向ける中、由紀は俯き細々とパンを齧った。
図書室は、西館の二階だ。由紀の教室からは割と近いところにあるし、由紀自身、読書には縁が在り、ほぼ毎日休憩時間はそこで過ごしていたので、移動に問題はなかった。
しかし、由紀の足取りが若干重いのは、先ほどクラスメイトの視線を一挙に集めた事による影響であろう。
――どうしよう、毎回あんな感じに休憩時間こられたら、困るなぁ――
図書室に入ると、あっさりと二人は見つかった。
――あ、長谷川さんも居る――
入り口を常に見ていたのだろう。せっかちな達川が右手を挙げる。
気づかないふりも出来ないので、由紀は、二人の所へと赴いた。
「よう」「こんにちは、由紀ちゃん」二人が由紀の方を向き挨拶をする。
「お、おおおおは……こ、ここんに」「いいから、ここ座れ。」
挨拶もろくにできなかった自分に、不甲斐なさを感じながら、二人の向かいに由紀は腰かけた。
「とりあえず、大会まで学校のある日は、こうやってあんたに教えられることは教えようと思う。あと、3か月ちょっとしかないけど、化けるには十分だからな。」
達川がそう言うと、長谷川がクマのキャラクターが描かれた可愛らしいノートを由紀の前に差し出した。
「定石や、囲いや戦略を私なりにまとめてみたの。学校や将棋教室に来られない用事があったりしたら、これを使って。」
「こ……こんなものまで……」
「うんっ、私たち……チームだもんね……と、ところで由紀ちゃん。」
長谷川が、急激に小声になり由紀の耳元に顔を近づける。
「ほ……ほんっとーにチーム名は……『アレ』に決めちゃうの?」
「え?えへへへへ」苦笑いを浮かべながら、由紀は口元に立てていた長谷川の右手の手首に包帯が巻かれていた事に気付く。
「長谷川さん……手首……どうしたんですか?」
「へっ⁈」そう言うと、手を後ろに隠して「何でもないよ」と笑顔で言った。
「ふん、昨日一日中そのノートを作ってたからな。大方腱鞘炎にでもなったんだろう。」
「えっ⁈」ノートを捲ると確かに紙も、字も新しい。
――こんな量を一日で?――
「ま、有難く使いんさい。」すると、長谷川が「サッ」と達川の左手を掴み上に挙げた。
「痛ってーーー。」その手首には長谷川と同じように、包帯とネットが付けられていた。
呆気にとられる由紀に長谷川が説明する。
「半分以上は、愛ちゃんが書いてくれたんでしょ?」
由紀は、驚く。そこまで両親以外に、何かをしてもらった事なんてなかったからだ。
「あ、ありがとうございます。」
由紀の言葉に、二人は顔を見合わせる。
「ま、まぁ、なんだ?う。うちも無理やりあんたを入れたわけだし?まぁ……お礼は将棋で見せてくれたらいいっていうか?」
頭を掻きながら、達川は頬を紅く染める。
「お姉ちゃんらしいこと出来たねぇ、愛ちゃん。」そう言って長谷川は、その頬をぷにぷにと人差し指でさした。
「や、やめんかっ。」達川が手を払う。
「と、とりあえず!時間は限られとんじゃ!早速始めるぞ。」
「は、はいっ!」
それから、由紀の生活は大きく変わった。時間が余ればひたすら二人が作ってくれたノートと両親に買ってもらった将棋盤で、将棋の研究をした。
そうして、あっという間に満開だった桜は散り、蒼の深い葉を見せた。
雨の降り続ける時期を越え……季節は変わった。
●
「はい、じゃあ皆さん。明日から夏休みですが、学童として………」
灼熱の体育館の中で、校長先生のテンプレの様なお話が流れる。
由紀は、クラスの先頭に座って、その話を聞き流しながら明日からの事を考えていた。
それは、先週にさかのぼる
「夏休みに入ったら、大会の前日までうちん家で合宿すんぞ!」
相変わらずに、会話の前後の脈絡なくとんでもない事を言い出す達川に、由紀は慣れつつあった。
「そ、そんな急に……だ、大丈夫なんですか?ご迷惑じゃあ……」
「んー?あー?爺ちゃーーん、絵美菜と由紀うちに泊めていいーー?」
離れた場所で、将棋指導をしていた爺さんはこちらを振り向き。
「クマちゃん、由紀ちゃん。ちゃんとお母さんとお父さんに説明しとくんじゃぞ。」
とあっさりと了承した。
「へっへー、家広いから、あんたら二人なんて訳ないのさ。」自慢げそうに達川は笑う。
「愛ちゃん家ねー、神社なんだよ。」
「神社って、お家だったんですか?」由紀が目を見開いて尋ねる。
「あ、当たり前じゃろ?神社の神主さんだって寝るとこがいるじゃろが?」
呆れた顔で達川が答えるが。
「あ、いえ、そういう意味でなく……何かお店みたいに……なってるのかなって。」
長谷川が「ぷふー」と吹き出す。
「ご、ごめんなさい。神主さんが朝出勤してるとこを想像して……」
「まぁ、そういう事だから。二人とも親にちゃんと話しとけよ!」
「お友達の家に泊まる⁉」父親が驚いた声をあげる。
「まぁ、楽しそうね。ママも子どもの頃はよく行ってたわ。でも、そうなると先方さんにご挨拶のお電話をしないとね。」母親は打って変わって冷静だ。
「だ、大丈夫なのか由紀?そこのお家に若い男の人とかは居ないのか?ちゃんと女の子だけか?」
「パパ……何を考えてるんですか……女の子だけで生活が出来るわけないでしょう?」
母親があきれた表情で父親を見る。
「ゆ、由紀は可愛いから。その……イタズラとか……」
「いたずらって、いじわるの事?達川さん、最近優しいから大丈夫よ、パパ。」
父親はその言葉を聞いて、恥ずかしそうに俯いてしまった。
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