第八手 結成 盤上のワルキューレ

 丁度、正午に近づいていたこともあって、三人は昼食ランチタイムとし、各々がテーブルに持ってきた食事を並べた。


 「しっかし、土生ちゃんも相変わらず奥さんとラブラブだねぇ、プロ棋士が将棋よりも奥さんの介護を優先するなんて。」


 「そう?優しくて、私は素敵だと思うけどな。」


 「ダメダメ、男は強くないと。」言いながら達川は、ガツガツとコンビニのカツサンドをほおばる。


 「しっかし『ゾーン』ねぇ、そんな必殺技があったなんて眉唾、信じられんけど、普段使えないんじゃ、意味なくね? 」


 達川の鋭い視線に小さく体を丸めた由紀が、『ビクッ』と体を揺らす。

 「ごめんねぇ、愛ちゃんたら、美少女ヒーローもののアニメが大好きだから、必殺技とかが、羨ましくて、つい意地悪言っちゃうの。」


 飲んでいたバナナ・オレを吹き出し、達川が怒鳴る。

 「ば……馬鹿野郎‼ 絵美菜‼ あんた一体、な、何をデマカシェを……」

 見る見るうちに達川の顔面が紅潮する。


 「まったまたぁ、いつもコンビニでパン買うついでに、セーラーマギカの玩具買ってたの、ばっちり見てるんだよぉ? 変わらないね、愛ちゃんは。」


 「うひぃ⁈ 」どんどんと達川の表情が幼く無垢になっていく。

 「うふふ、しかもねえ由紀ちゃん。愛ちゃんたらもう、私たちのチーム名まで考えてるんだよ。」

 「ふうげぇ⁈ 」

 達川の顔はもう茹蛸の様だ。精神的にもそろそろしんどい。


 「こないだ、対局研究もせずに何書いてるのかと、思えば……ぷぷぷ。」

 由紀は、その騒がしい光景に愉快な気持ちも得たが……長谷川の達川に対しての態度に驚きと若干の恐怖を感じた。後に由紀も知るが、女の友情とはこんなものだ。


 「由紀ちゃーーん……聞・き・た・い? 」

 由紀は力強く頷く。自分にも関係することだ。気になるのは必然。

 「盤上の戦乙女【ワルキューレ】」

 「わ? ワルキューレぇ??? 」

 由紀には聞き覚えのない言葉だった。


 「てめっ、絵美菜ぁぁ。」達川が長谷川に飛びつき、その恵まれた身駆の機能を活かし、あっという間に俵の様に担ぎ上げ、宮島太鼓よろしく、長谷川の尻を叩き始める。

 「やっ、キャハハハハ、止めってよーー、愛ちゃんのえっちーー。」


 「あ、あのー。」


 すさまじい荒ぶりを見せた二人のテンションに、挟まる形で由紀が口を開く。


 「ワルキューレって……何ですか? 」


 少しの沈黙の後、達川はへなへなとうな垂れ、長谷川の笑い声が響いた。


 「うふふ、私に将棋教えてくれた時とか、よく言ってたよねぇ? 」

 長谷川はゆっくりと立ち上がり、捲りあげられていたワンピースのスカートを直し、「カッ」と右拳を胸に当て、とても凛々しい表情を見せると、声を張り上げた。


 「将棋とは、云わば盤上の戦い‼ そして、駒は自軍の戦士たち‼それを指示し、動かす私たち将棋指しとは、つまり……盤上の戦乙女【ワルキューレ】なのよ! 」


 すさまじい迫力であった。


 達川は、両膝を床につけたまんま両手で顔を隠している。由紀は「ゴクリ」と生まれて初めて生唾を呑み、何故か羞恥心が心の奥から込み上げてきた。


 「ま、要するに戦乙女ってのは、女の人版のナイト様の事ね。多分、愛ちゃんの事だから騎士って漢字と将棋の棋士をかけてるうちに思いついたんでしょうね。」

 長谷川は終始笑顔だ。悪魔の微笑みだ。


 羞恥のあまり、達川は立ち上がれない。そんな彼女を見て、由紀は勇気を振り絞った。


 「い……いい。す……すごくかっこいい名前だと思います。」



 「へぇえ? 」流石に長谷川も呆気にとられた。しかし構わず由紀は続ける。

 「ちょ、丁度、じょ、じょじょじょ女子ばっかりだし‼ 」

 長谷川のこめかみに「たらり」と一筋汗が垂れる。

 「う……嘘でしょ? 由紀ちゃん……そんな恥ずかしい名前になったら、対局の度に、連呼されちゃうんだよ? 『戦乙女の長谷川、先手です』とか‼『あー、戦乙女の長谷川勝ちましたぁ』とか‼ 」

 もう一度由紀は生唾を飲み込む。


 「か……カッコいいと……思いまふ……」思わず噛むほどだ。


 ぷるぷるしていた達川が、涙ぐんだ瞳を見上げ「ホント? 」と由紀に囁いた。

 「ほ、本当です。あたしじゃあ思いつきもしません‼ 」


 長谷川は、白目を向きガタガタと歯を鳴らしている。

 「由紀……」達川は立ち上がりゆっくりと由紀の手を握る。

 「だ、誰にも言うなよ……それと………あ、ありがと……よ。」


 友をつくるときに必要なのは言葉だけではない。行動である。


―――――――


 食事が済んだあと、再び土生が教室へ訪れ、老人に混じって長谷川が、4面指しの指導を受けていた。


 由紀は、達川とマンツーマンで将棋の基礎を学んでいた。

 「んー、本当にまるで別人だな。定跡じょうせきがなっちゃねぇ。」

 「あのぉ、じょーせきって言うのは……? 」

 「………因みに聞くけど、一昨日のうちとの対局内容は、あんた覚えとる?」


 由紀は、達川に申し訳なさそうな目を向けると、ふるふると首を横に振る。


 「だろうなぁ……」そう言うと、達川は「パチパチ」と駒を動かしていく。

 由紀にとっては記憶にない盤面が出来上がった。しかし、これはまさしく一昨日の対局の譜面。


 「ここじゃ……△9五飛。この端攻めこそが6枚落ちの相手に対しての『定跡』だ。つまり……もっとも自分に有利になる手のことじゃな。因みに反対を『悪手あくしゅ』と呼ぶ。先刻の絵美菜との対局のあんたの手、ほぼ全部がこれじゃ。」

 言うと、ササッと盤面を戻し、大幅に駒を落とした。そしてまた盤面の端の方に数枚の駒を並べた。


 「定跡を学ぶのに最適なのが、この詰将棋という遊び……いや訓練といえばいいかな……これでうちの玉を詰ませてみな。ただし、あんたの先手でしかも三手以内だ。」


 盤面は△1二飛、▲1四馬、▲2一玉、△2四桂、▲3一香、▲4四角と並んでいる。

 「んで、あんたの手持ちに、金一枚だ………おっと、そうだ。詰将棋にはルールがあってな。まずうちは、手持ちが無限だ。防ぐのにどんな駒を置いてもいいんだ。そして、お前は常に王手を掛けなければいけない」


 「え? すごくずるい。そんなの絶対勝てませんよ。」

 由紀の言葉を聞き「ふふん」と達川は鼻で笑う。


 「それがな? 見切ると。詰むんだこれが。

 これは必ず何通りかは覚えるといいぞ。」


 「何通りかって……どのくらいですか? 」

 達川は、少し考えて頭を掻きながら答えた。

 「うちは……500通りくらいは覚えてる。というか、定跡や詰めろが見える様になると、ぶっつけ本番でもある程度は正解を指せるよ。」


 「はあぁっ」と、由紀は感嘆の溜息を漏らした。

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