自己作品分析ノートその1
自己分析ノート。その1。私は基本的に書いた文章に手を入れることはない。入力間違いを除いてだが。もっとも精神分析派の言葉を借りれば、そのミスさえも作者の心理を表すものに他ならないのだが。集中力の揺らぎ、言い間違いと同時に書き間違いも起こりうる。だが、書き直しはしないが、ふりかえって考察する試みは行うべきだ。分析と総合。分析して、バラバラにしてふたたび統一性を持たせる。リフォームでの材料の再利用に似ている。今日分析する小説は?
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地獄の夢。私は幼い頃よく鬼たちが走り回る恐ろしい地獄の夢を見ていた。この恐怖は様々な脳の箇所に伝染して蝕んでいく。もし、私が私でなかったらと考えずにはいられない。もう何もかも忘れてしまった今、人から伝え聞くイメージが、巨大な群像となって湧き上がって来る。ダンスクラブの壇上で鬼たちが踊り狂い、優しい言葉を歌う。子供たちが、その階下では紫の飲み物を与えられている。カルシウムが不足していると通達されてから20年が過ぎたが、何も変わっていないのが、悲しい。ただ1人孤独に沈む私を鬼たちは励ましてくれた。空腹でぼんやりしていると、誰もかれもが心配して少ない食べ物を分けてくれた。肉が多かったが、野菜もふんだんにあり。さあ!!食卓へ。その時、私の耳に大きな音が聞こえてきた。いや、元から聞こえていたのだが、おそるべき認識技法によって隠されていたのだ。愚かなるかな!!私という人間を肯定するか?あるいは否定するか?その2つしか選択肢を持ちえない人間は弱い。ぼんやりとした不安が極地に達すると人間は?氏?死?いや、師?詩?なにもかも壊れていく。やあ!と、赤ん坊が成長して挨拶をしてくる。あの赤子が偉大なる鬼になったこと嬉しく思う。もう、世界は人間のものではなく、人間に似たものが持っている。ℹ︎ジェネレーション。高度なコンピュータ文化の極地としてのℹ︎世代。電脳スポット。尻の穴から伸びる線。赤青黄色のケーブルにつながれた人間を超えた人間である。一方、弱点のない生物は存在しない。情報処理が高すぎるあまりに、脳のオーバーヒート。分解された体を持つ新世代。新たな現実を創り上げる。よくあるよしなしごと。死人の言霊は!!どこに!!いくのか??ああ!!鬼たちよ!!ℹ︎世代の鬼たちよ。どこにいくのだ!!東京か?ニューヨークか?それとも?パリか?みよ!!パリは赤く燃えている。愛に国籍はない。そうだ!!パリ生まれのアルジェンヌとニューヨーク生まれのマイケルが愛し合うのは時間の問題だったんだ。静謐なる時間が流れ行き。社会のアリは、ボクサーになった。彼は強かったが、ついに多くの人間たちのように、、、果てた。真面目な厳しさを持つランガージュマン。アルデンヌ町。松カレー。松屋のカレー。だとしても、だとしても、ここは日本だろうに!!混在する経済圏。邪悪なる形式。すなわち論理。計算高い姫君だ!!あのひとよりも。あの人は時にこの人になり、消え去る。ヤシクポの実はどこにもないけれど、心には生き続けている。もしくは?私にとっての実が、すでに別の名称で語られていたこともあるのだ。幼い頃祖父から聞いた話。大きくなって祖父の与太話と思っていたら、事実を知る。美しいかけがえのない伝承。それが伝わっていく。だから人間は先にいきすぎない。
私は直接的な言い回しを好まない。いいかえるならば、私はコップの水を飲まずにその周囲の水滴を舌でゆっくりなめるのだ。ある描写。白い十字の体を暖かくする材料が、まちぼうけをくらっている。地球上のある生き物が求めていたとしても、その材料はつまるところ、真っ赤な色である。十字は隠された秘部だったが、外側は鎖のような風景だ。
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この作品の分析。一言でいうと、、素晴らしい。私が書いたのだから当たり前だ。だが、やはり美しい文体だ。ところどころ、意識の断裂がみられる。論理の飛躍。いや、論理の地球圏脱出だ!!スペースシャトルに乗って、さようなら!!ってなもんか。造語の技法も見られる。ヤシクポ、ランガージュマンなど。アルデンヌは実在する地名。いや、文の美しさを考えるまでもなく、分析を行わねば!!美しいなら、さらに美しく!!醜いならさらに醜く!!私たちが行うべきは、個性の先鋭化なのだ!飛躍に継ぐ、飛躍。普通、前文と後文の間には何やらかの相関がみられる。これは、作者がいわば、現実を写しとる写実主義なら顕著であるし、現実を書くということこそが、読者にとっての「わかりやすさ」をうむ。つまり、経験をはみ出た領域においては、人間はわけがわからないと、思考停止に陥ったり、理解不能として退けてしまう。一方これらの飛躍は、ある意味無関係に考えられていたもの(多くの人にとって、または常識的に、関係がないと信じられているもの)をつなげる興味深い現象をうむ。通常この繋がりをかなりの長文で説明したり、感じさせたりするのが、作家だと考えられてきた。だが、私は信じる。わかりにくさこそが、わかるということの価値を高めるのだ。わかりやすいものは、すぐに忘れる。わかりにくいものは大いなる謎として残る。では?ハルの作品に隠された意図はあるのか?私は何か教義を流布する教祖ではない。意図とは作者が伝えたいこと。だが?私に意図なるものは存在しているとも、存在していないともいえる。なんであれ、人間のつくった文の連なりに意味を見出すことは可能なのだ。つまり、いかなる破壊であれ、創造の原動力になる。破壊は創造の礎である。
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