12.巨人の青い涙
イツジさんの妄想が実体化して、現れた人や動物が通りを歩いて散り散りに去ってから、ラジオのニュースからはちょっとした騒ぎが連日放送され、すっかり事態が落ち着きを見せた頃。イツジさんは物図鑑から実体化した古いラジオのチューニングを合わせながら、陰気な顔に笑みをつくる。「ノイズの入るのがいいんだ」と以外にも子供のような面を見せた。
ザザさんが持ち帰った種のことを、どうやらイツジさんは知ったらしい。ウサギの店員によると、イツジさんがウサギに姿を見せたとき、血を見るかもしれないと思ったという。ところがザザさんを問いつめたあと、イツジさんは陰気さも凶悪さもその顔から失い、只々困惑の表情を見せた。陰気も凶悪もなければ、イツジさんは美青年である。ウサギの店員は初めてそのことに気づき、彼女もまた唖然としたのだという。
イツジさんが種のこと、つまりは胎児のことを夏野さんに打ち明ける気配はない。夏野さんは何も気づいていないのか、実体化した物を見にイツジさんの部屋を訪れる。ラジオから流れるノイズ混じりの音楽を二人で聴いている姿は、なんだかいい感じだった。
「ねぇ琉球、あの二人は似ているよね」
もちろん、イツジさんと夏野さんのことだ。
「似ているというか、共通点が多いんだろう」
「うまく行くかもしれないね」
「シナ、うまく行くとか行かないとか、そういう問題じゃないんだよ、あの二人の場合」
「どういう意味」
「まあ、今のままってことさ」
よく解らない。ぼくは首を傾げて見せるけれど、琉球は説明してくれなかった。説明してもぼくには解らない類のことなのだろう。
「一番のお気に入りは、それ?」
琉球はぼくが枕元に置いている鉱石を手に取る。透明な石のなかに金色のイカズチがある「神鳴り」だ。夜になるとイカズチは稲光を発する。石を覗きこんで稲光を見るとき、ぼくには思い浮かぶ光景がある。それは時々見る夢のなかの光景と似ていた。その夢を見て目覚める朝は意味もなく涙が流れる。
「シナ、どうかした」
ぼくの顔を覗きこむ琉球の瞳には金色のイカズチが映りこんで、チカチカと光が瞬く。
「このところ、眠る時間が長くなってるだろう、シナ、気づいてる」
「冬だから」
ぼくの答えに琉球は納得しないような、微妙な顔をする。けれども、すぐにわざとらしい意地悪な顔になって、「クレムリンと一緒だな」とからかう。冬だから、というのは嘘ではない。毎年ぼくは冬のあいだ多く眠るようになる。起きていても体が気怠くて横になってしまう。その分、琉球と過ごす時間も減っていた。
「シナの遺伝子には冬眠の記憶があるのかもな」
「遺伝子の記憶」
「ヒトの遺伝子だけじゃなくて、冬眠動物の遺伝子が入っているのかもってことだよ」
結局、琉球は嫌味で締めくくった。
「琉球、これは太古の遺物だよね」
「遺物ね。まあ、そういうことになるよね、雷樹は太古の木で、今はもう存在しないから」
「太古ってどんな風景だったのかな」
ぼくは夢の光景と「神鳴り」が見せる光景を思い浮かべていた。
「なんでそんなことを訊くんだ」
「だって琉球は太古に詳しいでしょう」
「べつに、詳しくはないさ。文献を読んだことがあるだけだよ」
「終焉前の太古の文献も見たと言っていたよね」
「それが?」
「琉球はどこでそれを見たの」
「さあ」
ちょっとした興味で訊いたのだけど、琉球はどんどん不機嫌になっていく。太古について話すのを嫌がっているように見える。これまでそんな素振りはなかったので、ほかに彼の機嫌が損なわれるような何かがあったろうかと、ぼくは考えてみるけれど、思い当たることはなかった。ただ、最近の琉球は少し不安定だ。
「ほかにどんな石があるの」
琉球が話題を切り替えたので、ぼくは机の上を示した。作りかけの標本箱に入っている石のうちから一つを手に取る。
「青い涙」
「うん、これが一番気になっているんだ」
青い涙は雫型の青い石だ。これは空想から生まれた石で、青い巨人の涙だとされている。琉球は青い涙を明かりに透かして見ながら、「青い巨人はどうして涙を流したんだと思う」と訊いた。
「どうしてって、青い涙は空想上の石なんだから、青い巨人も空想だろう」
「だから、シナだったらどんな物語だと思うかと訊いてるんだよ」
「そうだな」
青い巨人の流した青い涙。
きっと悲しい物語だよね、ぼくがそういうと、琉球は笑って「なるほどね」と呟く。その顔はどこか寂しげだった。
「シナは巨人の体が青かったとでも思っているんだろう」
「違うの」
「ドームで見た海辺を覚えているだろう、青空を映して海も青かった」
青い海と砂浜の光景を思い出す。ぼくが涙を流したのは遺伝子の記憶だと、琉球はそんなような話をしていた。
「巨人のなかにはあの青い海があって、だから彼らの流す涙は青いのさ。しょっぱいから舐めてみたら」
ぼくはまた琉球にからかわれているのではと思ったけれど、確かに青い涙はドームで見た海と同じ色をしている。戸惑いながら舐めてみる。途端に琉球が弾かれたように笑いだした。
「でも琉球、巨人のなかに海があったから涙が青いとしても、巨人が涙を流した理由は説明されてないじゃないか」
ぼくは琉球が作った即興の不備を突いた。けれど、彼が返した反応はぼくが想定したものとは違っていた。
「されているさ」
「どこに」
「彼らは、彼らの見ている海が失われることを知っていたんだ」
琉球は遠い記憶を見つめるように、目を細めた。
「それが記憶として残されることもね」
「巨人の遺伝子に」
「違うよ、シナ」
まっすぐにぼくの目を見つめる琉球の瞳は、いつしか不可思議な色に揺れはじめている。琉球の瞳が時折見せるその色に、彼には何か秘密があるような、自分が何かを忘れているような、おかしな感覚に捕らわれて、ぼくは少し、頭がぼんやりとする。
「この星の記憶を保つ、ただひとつの遺伝子にだよ」
「それはまだ残されているの」
「もちろんだ」
神妙な顔で答えたあと、琉球は笑いだした。彼には即興で物語を作る才があるらしい。その瞳はいつもの琉球の瞳に戻っているけれど、どうして彼の瞳は時々あんなふうになるのだろう。その回数がこのところ増えている。最近の不安定さと関係があるのだろうかと、気になっているのに、そのうち眠気に襲われて、ぼくは眠ってしまう。
その夜、太古の海にたゆたう夢を見た。肌に吸いつくような水に身を任せながら、ぼくは確かに海を感じていた。浜辺では巨人たちが青い涙を流している。引いては返す波が彼らの足先を濡らす。空は青く澄み渡っていて、静かだった。巨人たちは声もなく、泣いていた。
睡蓮を撃つ @sho-ri
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。睡蓮を撃つの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます