11.ザザさんの孫づくり

 今夜は連れ立ってウサギに来ている。琉球はもちろん、夏野さんと、驚くことにイツジさんも一緒だ。ぼくはイツジさんが部屋から出るのをはじめて見た。


「何だよ、じろじろ見て」とイツジさんは陰気な顔をさらに陰気にする。

「イツジさんも外に出るんだと思って」

「ザザが珍品を手に入れたと言うから」


 ザザというのはウサギの店主である。小さい体つきの、ふわふわした髪を結んで垂れた兎の耳のようにしている。その髪が白いせいか、霞草の花束のようだと見るたびに思う。初め、ぼくは彼女を店主の娘だと思ったけれど、ザザさんは新式だった。新式のなかでも体組織を組み替えるタイプの新式は、見た目では年齢が解らなくなる。

 そういえば、とぼくは思う。睡蓮荘の住人は古式の人ばかりだ。琉球に限っては新式なのではないかと時折ぼくは疑うけれど、本人は違うと主張する。同い年なのに自分の方が世間知らずだからそう思うんだろう、と琉球はぼくを冷やかす。


「珍品て、食べ物かな」

「違うだろう、あの人が俺を食べ物で釣る訳がない」

「イツジさんとザザさんて親しいの」


 腐れ縁だ、とイツジさんは嫌な顔をする。


「まったく、いつ見ても陰気な顔ね、イツジ」


 人数分のスープとパンを乗せたトレイを持って現れた店員の後ろから、にゅっと顔を出して、ザザさんが言った。座っているイツジさんとそう変わらない身長のザザさんは、それでも上から見下ろすような視線でイツジさんを見る。


「勿体ぶらずにさっさと出せよ」


 ふう、とわざとらしい溜息を漏らしてから、ザザさんはポケットから出したものをテーブルの真ん中に置いた。彼女の小さな手が離れて露になった姿に、一同は言葉を失う。


「これが、珍品」

「アーモンド?」

「シナ」


 琉球が呆れた目を向けるけれど、それはアーモンドにそっくりだった。雫型の茶色い物。よくみると、文字のような絵のような、よく解らない刻印が見て取れる。


「これは種だよ」


 触ってもいい、と琉球はザザさんに訊く。


「さすがね、ルウ」


 一瞬、琉球は眉を寄せる。カレールウみたいな呼び方は止めてほしいと、琉球は前々から彼女に言っているのに聞き入れてもらえない。


「まさか、現存していたなんて」


 どうやって手に入れたんだ、と呟く。決してそれをザザさんに問うことはない。彼女の持つルートは訊いてはならないルートなのだと、琉球が以前話していたのをぼくは思い出す。


「この種が何なんだ」

「太古の種だよ」

「芽が出るの」

「ああ、必要なものさえあればね」

「必要なものって、なに」

「さあ」

「さあって、琉球にも解らないの」


 ぼくは素直に驚いたのだけれど、冷やかしへの応酬だと思ったのか、琉球は不機嫌な顔をした。


「太古と言っても発祥は終焉前の太古だからな、詳しい文献は残されていないんだ」

「でもこれがその種だということは解るわけ」

「極短いけれど記述は残されているからね」


 終焉前の太古について書かれた文献は数少なく、目にする機会はほとんどなかった。琉球はそれをどこで読んだのだろう。


「種なんだから、水でいいんじゃないのか」


 イツジさんが口を挟む。彼は興味がないようで、つまらなそうに珈琲を飲んでいる。


「植物だから植物に分類されるとは限らないよ、イツジ」


 それが終焉前の太古なのだと琉球はいう。ならばこの種はどうすれば芽を出すのだろう。それが解らない以上、種は化石になるしかない。


「これはね」


 ぼくたちのやり取りを楽しそうに見ていたザザさんは、種を手に取る。


「ナッちゃんへのプレゼントよ」と言って夏野さんの手をそっとひらかせると、種を乗せた。

「私?」


 夏野さんはきょとんとして種とザザさんを交互に見た。琉球は何か考えこんで、イツジさんは眉間にしわを寄せた。イツジさんの陰気な顔が凶悪になる。


「そうか、この種は」


 琉球が呟くと、ザザさんはその容姿には不似合いな艶めかしい笑みを浮かべる。


「ね。ルウなら解ると思ったわ」

「でも、私これ、どうしたらいいんでしょう」

「あなたの部屋に置いてくれればいいのよ、そうねえ、枕元にでも」


 はあ、と夏野さんは首を傾げる。イツジさんが突然立ちあがって、ザザさんを睨みつけた。いや、ずっと睨みつけていたのだけれど、さらに強く睨んだのだ。


「ザザ、ちょっと」


 二人は店の端のほうでヒソヒソと言い合いをしていたけれど、イツジさんはそのまま店を出て行ってしまう。夏野さんとぼくは首を傾げ、琉球はにやついている。


「琉球、なにか知ってるの」

「イツジさんと店主さんは仲が良くないんでしょうか」

「親子なんてあんなものさ」


 夏野さんとぼくは目を合わせてから、琉球を見た。


「親子」

「ザザはイツジの母親さ」

「じゃあ、珍品なんて言って呼び寄せたのも、顔が見たかったから」


 いくら太古の珍しい種とはいっても、イツジさんが興味を示さないことは知っていたはずだ。ぼくですらそのくらい分かる。


「まあ、それもあるだろうけどね」

「ほかに何があるの」

「さあ」


 琉球は肩をすくめて惚ける。でも、と夏野さんは手のなかの種を見つめた。


「本当に置いておくだけでいいんでしょうか」

「大丈夫だよ、ナツノ」


 確信をもって琉球は太鼓判を押す。種が育つのに必要なのは夏野さんである、ということになるけれど、どういうことだろう。


「ねえ琉球、あれ、どういうことなの」


 睡蓮荘に戻ってから、ぼくは琉球の部屋でクレムリンが眠っているであろう虹色の卵を観察している。


「ザザはナツノを気に入っているんだよ、母親としてね」

「どういう意味」

「だから、ナツノならと思っているのさ」


 解らない。問いすら浮かばずにいると、はぁ、と琉球は溜息を吐く。


「解ってはいるけど、シナより鈍い奴なんて、ベビィだけだろうな」


 ベビィは言い過ぎだと思うけれど、反論しにくい。


「イツジとナツノのベビィが欲しんだよ、ザザは」


 あきらめて琉球は率直に言った。つまり、ザザさんは孫が欲しいのだ。


「それは難しいんじゃない」

「そこであの種さ」


 あの種がどんな役割を果たすというのだろう。花粉が媚薬とか。すると琉球は「ザザはそんなに気が長くないよ」という。


「あの種は胎樹たいじゅの種だよ」


 琉球はノートを出して「胎樹」と書いた。つづけて絵を描く。雫型のマークのなかに眠る胎児。


「種のなかに胎児?」

「シナは魔樹まじゅを知ってるだろう」


 終焉前の太古の樹だといったのは琉球だ。なのに、彼は確信をもって訊く。けれど確かにぼくはそれを知っていた。魔樹と呼ばれる樹は種子のなかに植物以外のものを育み、自身も成長を遂げる。その成長の早さは凄まじく、一晩にして樹になったとも言われる。その代わり何も宿せなければ、種のまま芽吹くことはない。けれど種は枯れることなく永遠に自らを保存しつづける。


神鳴かみなり、あれも魔樹の種子からできた鉱石だよ、シナ。雷樹らいじゅの種から」

「雷樹?」


 幻の鉱石「神鳴り」。雷の轟と共に生まれ、種子のなかに育つと言われていた。このあいだ、イツジさんの固執妄想によって実体化した鉱石のうちの一つだった。それが魔樹の種子から生まれたものだという。つまり「神鳴り」は終焉前の太古のものなのだ。それがなぜ、図鑑に載っていたのか。それを琉球に問うと、「人に干渉しないからだろう」という。


「そうか、必要なものって」


 雷樹の種にとっては雷であるように、魔樹の種子はそれぞれ何かを必要とする。ならば胎樹の種が胎児を「宿す」ために必要とするものとは。


「太古の人類は触れ合いによってしか胎児を宿すことができなかった。それはシナも知ってるよね」

「うん、体内から産まれるしか方法がなかったんだよね」


 今でも体内で胎児を育てることに狂信的な人もいるけれど、それは極わずかだ。


「つまり、触れ合いによって胎児を宿せない人たちは、子孫を残すことはできなかった。そこで胎樹の種を用いたんだ」


 隣り合わせで眠る男女のあいだに種を置く。それを幾夜かつづけると、種は徐々に大きくなって行き、胎児ほどの大きさまで達すると、発芽する。同時に胎児は種から「産まれる」のだという。


「シナ、考えて見ろよ、ナツノのベッドの位置とイツジのベッドの位置。彼らは壁を挟んで隣り合って眠ってる」

「でも、種は二人のあいだに置かれなくちゃならないんだろう」


 そんなにうまく夏野さんが壁際に種を置くとは限らない。すると琉球は夏野さんの性格を指摘する。


「枕元に、とザザが吹きこんでいるし、ナツノなら、眠っているあいだにベッドから落ちたらと、そう心配するに違いないよ。だから、置くとしたら」

「ベッド横の棚の上」

「そう、壁際だ」


 それに夏野さんならきっと、ベッドに横になって見える位置に種を置くだろう。


「本人たちの意志に関係なく、そんなことができるの」

「それが希少中の希少で詳しい内容が残されていない理由だよ」

「でも、それは本当に二人の胎児と言えるの」

「シナはザザを甘く見てるな」


 胎樹の種を手に入れるのは、いくらザザでも大変だったはずだと琉球はいう。それでも手に入れたのは、種から産まれる胎児はまごうことなき自分の孫であると、ザザさんが確信を持てるからだ。


「イツジさんはまだしも夏野さんの同意を得ずに、どうする気なんだろう」

「どうって」

「だって、夏野さんのベビィに違いないわけでしょう、そんなの彼女が知ったら」

「馬鹿だな、ザザは二人に内緒で回収するに決まってる」


 人道というものがザザさんにも琉球にもないのかと、ぼくは唖然とする。


「そこまでして孫が欲しいなんて」

「あれでもイツジをかわいがっているんだよ」

「イツジさんは母親を慕っているようには、見えなかったけど」

「未だに戸惑っているのかもな、相談もなくザザは新式になったから」


 琉球の知るところによると、それはイツジさんが僕たちと同じくらいの歳の出来事であったらしい。旅行に行ったザザさんは新式になって戻ってきた。自分よりも幼く見える少女が確かに母親であると確信が持てるまで、イツジさんはどのくらいの月日を要したものか。


「ザザさんはどうして新式を選んだのかな」

「さあ、思い立ったら吉日みたいな人だからな」


 それにしても、胎樹の種はほんとうに二人の胎児を宿すのだろうか。産まれてくる子供はイツジさんと夏野さんに似ているのだろうか。


「双子ということもあるのかな」


 シナはなぁ、と力が抜けたような声を漏らして、琉球は虹色卵を撫でている。数日後、睡蓮荘にやってきたザザさんは、少し大きくなった種を回収し、恋する少女の面持ちで帰っていった。るんるんと軽やかな足取りで去っていく母親の後姿を、イツジさんは複雑な顔で見送っていた。その顔はいつもどおり陰気ではあったけれど、凶悪さはなりを潜めていた。ぼくはこの日以降、夏野さんを見るイツジさんの目に、それまでとは違う色が混じっているような気がしている。

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