7.クレムリンの夜
クレムリンは今日もカメレオンの姿で、目を閉じている。彼が新種なのか、実は姿のとおりのカメレオンなのか、ぼくの興味はそこに集中している。クレムリンへの疑惑を白状すると、琉球は意地の悪そうな笑みをつくった。
「シナ、クレムリンは君に気を使っていると思うよ」
「クレムリンがぼくに」
「そう、だって君はグロいの、苦手だろう」
たしかに得意ではないけれど、クレムリンがぼくの苦手を心得ているというのか。
「じゃあ、クレムリンはカメレオン以外の姿をするの」
「するよ」
それが思った以上にグロいときがあって、さすがの琉球もちょっと、と思うらしい。
「僕も最初は偶然かと思っていたんだけどさ、違う姿になっていても、君が現れるとカメレオンに戻るんだ」
どうやら故意にそうしているのだと、琉球はいう。中々信じ難い話である。そもそもなぜカメレオンなのか。ぼくは特段カメレオンがすきな訳じゃない。それにも琉球は答えを用意していた。
「知らないんだよ」
それだけである。
「クレムリンは成体じゃないの」
「赤ん坊ではないだろうけどね」
琉球は明らかに推測で言っている。ぼくは考えた。グロくなくて、どちらかといえばぼくのすきな生物の姿をクレムリンに見せる。それが一番手っ取り早いように思えた。
「たとえば?」
「猫とか、亀とか」
「なんでもいいけど、枝にいられる姿にしてくれよ」
それは何でもよくないということだ。
「ねえ琉球、この植物ってバナナの葉に似てない?」
「似てるんじゃなくて、バナナだよ」
「じゃあ、あれがいいよ、ちょっと待ってて」
ぼくは部屋から図鑑を取ってきて琉球に見せた。
「シロヘラコウモリ」
「そう、葉が山なりになってるだろう、この内側で眠るんだ」
「へえ、君がコウモリに興味あったなんて、意外だな」
琉球はよく、ぼくの意外さを口にする。早速クレムリンに図鑑を見せようとしたけれど、目をつぶっている。
「クレムリンて、夜行性なの」
「さあ」
「さあって」
「僕らはあまり干渉しあわないんだ」
琉球のなかでクレムリンはペットではなく、同居人の位置づけなのだろう。
「昼間に目を開けることはあるの」
この質問にも彼は「さあ」と答える。それから「目を閉じているからって寝ているとも限らないしね」という。ならば、とぼくはクレムリンの前に図鑑を広げてみせた。しばらくそうしていたけれど、クレムリンに変化はない。腕が痛くなったので、あきらめて図鑑を閉じる。
琉球の部屋のなかで唯一安全なベッドの上に座って、水槽を眺める。水のなかに森がある。その森を泳ぐ魚は空中を泳ぐ空飛ぶ魚だ。ぐるりと部屋を見まわすと、窓の下では小さなウサギたちが揺れている。
「ムシトリスミレは?」
一緒に買ったはずのムシトリスミレの鉢は見あたらなかった。
「イツジにあげた」
イツジというのは四号室の住人だ。彼の部屋は植物で埋もれている。イツジさんの部屋に植物が多いというよりも、植物の部屋にイツジさんが間借りしているようなものだ。なぜそんなに植物を置くのかと訊いたら、頻繁に酸素欠乏を起こすからだという。より多くの酸素が俺には必要なんだ、とイツジさんは面倒くさそうに呟いた。
「クレムリンが酸素を食べているんなら、イツジさんと似ているね」
そういうと琉球は呆れた顔をする。
「真に受けてるのか」
「どっちを」
「イツジに決まってるだろ、あいつは固執妄想なんだ」
「固執妄想?」
「自分の妄想に固執するんだよ」
「酸素欠乏が妄想なの」
「なんでもさ、そのたびにアイテムが変わる」
つまり植物も彼の固執妄想のためのアイテムなのだと琉球はいう。
「植物の前は何だったの」
「ライト」
「明かり?」
「そう、暗闇で発疹ができるというんだ」
イツジさんは一日中、部屋のなかを煌々と照らしていたらしい。暗闇で発疹ができるなんて、ずいぶん飛んでいる。陽に当たってというならまだしも。
「それで、発疹はできたの」
「シナ、できる訳ないだろう、妄想なんだから」
琉球は呆れ顔に輪をかけて呆れるけれど、妄想も信じれば体に変化が起きることがある。すると琉球は「じゃあ、イツジの妄想は足りないんだな」と笑った。
「治せないのかな」
「さぁね、当人に治す気がないだろうから」
「どうして」
「楽しんでるのさ」
「そうなの」
「生き甲斐と言ってもいいかもしれないな」
何が生き甲斐かなんて人それぞれなんだから放っとけばいい、それに、と琉球はいう。
「イツジが固執妄想症なら、シナの心配性だって症と言える」
「性分だから」
「だからさ、自分に関係ないことまで心配する、でも僕はそれに必要性があると思うよ」
要するに、イツジさんの固執妄想にも彼にとって必要性がある、ということだろう。琉球は淡白なようでいて実はその反対なのだということを、ぼくはもう十分解っているのに時々驚かされる。同時に自分が平凡すぎることにも嫌気がさす。
琉球の提案で彼の部屋に泊まることにした。夜のクレムリンを見ようというのだ。これで夜行性かどうかも解ると僕は思ったけれど、夜にもクレムリンは目を閉じたままだった。
「クレムリンが目をひらいたところ、見たことあるの」
琉球は一言、ないと答える。もしかしたらクレムリンは視覚を必要としないのだろうか。視覚が目にあるとも限らない。けれども、どうやら本当に眠っている感じだった。昼間はピクリと身体を動かすことがあるのに、それすらない。
琉球がしぃという仕草をする。ぼくはできるだけ小さく息をして、夜のクレムリンを見守った。夜半を過ぎて、つい、うとうとしてしまう。目を開けているつもりが、クレムリンの姿がぼやける。なんとかクリアな視界に戻すけれど、またぼやける、というのを繰り返していると、不意に視界がほのかに明るくなった。思わず口が開く。そのまま琉球を見ると、彼はにやりと笑う。
クレムリンは光っていた。しかも七色がクレムリンの体をぐるぐると回る。回り灯篭みたいだ。光は弱くなったり強くなったり、明滅を繰り返す。瞬きしているようにみえた。
「琉球、これって」
「たぶん、これが彼の眠りなんだよ」
ベッドに戻って七色に瞬くクレムリンを眺めながら、琉球は言った。
「いつも七色って訳じゃないんだ、一色だったり色がなかったりもする。毎夜確かめたわけじゃないから、光らない夜があるのかは解らないけど」
「夢をみてるのかな」
「なるほど、みている夢が光として表れているのか」
これが眠っているのなら、昼間も目を閉じているクレムリンは、実は起きているのだろうか。それとも一日中寝ているのか。どちらにせよ、夜のクレムリンはきれいだ。見惚れているぼくの目の前で、彼の姿が収縮した。
「ウサギだ」
それはウサギゴケのウサギの形だった。
「クレムリンの視覚は目ではないのかも」
ぼくの推測に琉球は驚いた様子を見せない。見当をつけていたのかと訊くと、琉球は何を言ってるんだと言わんばかり。
「だって新種だぜ、今までにない種、という意味なんだからさ」
翌日になって、いよいよクレムリンの視覚についての推測は間違いないらしいと解る。クレムリンの姿がなく、もしやと葉の裏をみると、シロヘラコウモリがぶら下がっていた。
「まさか、ずっとコウモリでいる訳じゃないよね」
「なんだよ、見たかったんだろう」
ぼくが眉を寄せていると、琉球はからかう。確かにそうだけれど、姿の変わったクレムリンを見て気づいたのだ。
「ぼくはカメオレンがすきみたいだ」
なら、じき戻るさ、と琉球は根拠たっぷりな顔で笑った。
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