6.植物園に生まれる

 夜間営業をはじめたという植物園に、ぼくと琉球ルークは向かっている。夜のひんやりとした空気に、肌が張りつめる。本当はもう少し早く出るつもりだったのに、琉球がクレムリンを連れていくと言いだしたので、遅くなった。クレムリンの同行にぼくが反対したためだ。

 いくら近いといっても、最適な植物から離すのは危険かもしれないこと、植物園には多種多様の植物があるのだから、クレムリンにとっては相性の悪い植物があるかもしれない、というぼくの意見を琉球は渋々聞き入れた。


 植物園は思ったよりもずっと大きかった。敷地が広いだけじゃなく、四階建てで、一階から四階までを階段がつなぐ。階段は建物の内側からは螺旋状に、外側の階段は各階とも複数の階段が、地上から伸びている。

 一晩じゃとても周りきれない広さだけれど、問題ない。琉球は食虫植物だけが目当てである。園内地図を確かめて、まっすぐに食虫植物のエリアに向かう。


 鬱蒼とした密林の道を通って、目的のエリアに辿り着く。食虫植物はうつくしい。ぼくが一等すきなのはウサギゴケだ。ウサギにそっくりな花が咲く。しかも土中の微生物を食べるため、観賞用としてピッタリだ。

 ほかにはモウセンゴケやドロセラ・グランデュリゲラ。ムシトリスミレもきれいだけど、これに関しては、受け皿のような葉に虫を捉えるのでちょっとばかしシュールだ。

 モウセンゴケの触毛の先から出す粘液は露のようにうつくしく、なかにはルビーかガーネットの粒が生っているかのようなものもある。


「へぇ、モウセンゴケって、随分種類があるんだな」


 アリキアモウセンゴケ、クルバマモウセンゴケ、ナガエモウセンゴケ、読みあげはじめてすぐに、琉球は水槽エリアに気を奪われる。

 aquascapingと題されたコーナーは、食虫植物とは関係なかったが、琉球は一瞬にして魅せられてしまう。水槽という狭い空間に作られる景観にぼくも息を飲む。水のなかの小さな世界は造り手の想像が飛躍したものから、現実を再現したものまで様々だ。盆栽や魚が泳ぐ水族館までがある。

 きっと琉球はしばらく夢中になるだろう。けれど今回はぼくもすっかり魅了されてしまった。帰ってから関連本を探そうと心に決める。


「見ろよ、プライスがつけてある」


 琉球のいうとおり、いくつかの水槽にはプライスカードがついている。


「まさか、買う気?」


 衝動買いするには値が張るので心配になる。彼の衝動買いをすでに何度か目撃しているぼくとしては、その度にハラハラする。クレムリンだって、決して安価ではなかった。しかし、止めたところで聞くはずもないことも解っている。琉球は間違いなく、趣味にお金をつぎこむタイプだ。

 ぼくは彼の部屋を思い浮かべて、新たな水槽を置くスペースがどこにあったろうかと考える。見あたらない。けれども、琉球もさすがにそこは考えたようだ。


「配達してもらえるんだって。しかも古い水槽を引き取ってくれるというから、こっちに魚を移せばいい」と目を輝かせる。

 食虫植物はどうなったのだろう、と思っていると、琉球はそれも既に決めていた。ムシトリスミレにしようかな、と彼はいう。


「ムシトリスミレが捕らえた虫をクレムリンが食べるかも」

「横取りさせるの」


 ぼくが呆れているのも意に介さない。というか、クレムリンが何かを食べている姿を見たことがない。夜行性なのだろうか。そもそもクレムリンが本当に新種なのかという疑いを、ぼくはまだ拭えないでいる。彼はいつ見てもカメレオンだった。

 ムシトリスミレを手に取って、琉球はもう一つに手を伸ばした。ウサギゴケである。


「それも買うの」

「ああ、中々メルヘンチックでかわいいし」

「それこそ、クレムリンが食べるんじゃない」

「彼は草食じゃないと思うけどな」


 言いながらミニチュアウサギを眺めていた琉球は、眉を寄せた。


「シナ、これなんだろう」


 琉球の視線が食いついている先には、一輪のミニチュアウサギがある。ぼくは顔を近づけてみた。ウサギゴケの花はウサギに似ているといっても、所詮は花びらである。そのはずが一輪だけ様子が違っていた。ほかの花よりも若干大きい上に、ウサギの胴体の部分が袋のようになっている。その袋のなかに何かがある。


「卵」

「シナにもそう見える?」


 琉球にもそれが卵に見えているのだ。ぼくたち二人の熱い視線を感じたのか、卵は震えた。その震えはきっと、孵化の震えだ、とぼくは直感する。


「虫じゃないかな」


 けれど、卵の殻は固い質感に見える。虫の卵は柔らかいイメージだけれど、残念ながらぼくは虫図鑑を持っていなかった。ぼくたちの見ている前で、小さな小さな卵にこれまた小さな割れ目が入る。


「琉球、このままじゃ出られないんじゃない」


 這いでるためには踏ん張る力を受け止める場所が必要だけれど、花のなかにはない。卵のひびが大きくなるにつれ、ミニチュアウサギが小刻みに揺れる。

 琉球はウサギを手折り、袋を破いて手のひらに乗せた。徐々に割れ目が大きくなっていき、そこから卵の小ささに対しては大きい目が見えた。どのくらい時間が経ったのか、少しずつ這いだして、それは像を明らかにする。


「カメレオン?」


 小さすぎるくらいに小さいけれど、カメレオンだった。


「どうして花のなかにカメレオンの卵が」

「カメレオンとは限らないぜ、シナ」

「じゃあ、琉球は何だと思うの」


 琉球は肩をすくめて見せる。彼のいうこともまんざらではなかった。カメレオンではないクレムリンがカメレオンの姿をしていることを思えば。とりあえず、はい、と琉球はカメレオンを僕の手にのせると、ムシクイスミレとウサギゴケを持ってレジに向かう。


 爪の先程のカメレオンは見ていると気が遠のきそうなほど、ゆっくりと足を動かして指先に向かっていた。エサを探しているのだろうか。しかし、この寒空では虫も飛んでいない。

 不安になったころ、琉球は二つの鉢を入れた籠を下げて戻った。カメレオンにしてもカメレオンじゃないにしても、エサが必要だ。ぼくたちは虫を探して、一帯を歩き回った。

 湿原エリアに発見する。試しに適当な枝に移すと、カメレオンはじっと虫を見つめた。けれども、いつまで待っても口をひらく気配がない。琉球は不意にムシトリスミレの鉢を取りだして、虫のいる近くに置いた。


「まだ自分では食べれないのかもしれないから、捕獲して帰ろう」


 カメレオンをウサギゴケの鉢に乗せると、しばらく時間を潰そう、と歩きだす。レジ近くのショップに近づくと、甘い香りが漂ってきた。フルーツカップだ。カットしたフルーツをカップに入れて売っている。

 琉球の後ろを歩いていたぼくは、ウサギゴケの細い茎に見事なバランスでじっとしているカメレオンを見ていた。ピクリとも動かなかったカメレオンが、ゆるりと反応したのに気づいた。


「琉球、こいつ反応してないか」

「ほんとだ」


 琉球はカットされたフルーツを小さくちぎって、指先に乗せた。カメレオンに近づける。小さなカメレオンはじぃっとフルーツを見つめている。しばらく時が止まったように見つめていたけれど、僅かに口がひらいた。お、と思ったら閉じられ、またしばらく見つめる。というのを二回繰り返したあと、その舌が突然発射された。一瞬でフルーツをからめとり、口を動かして取りこんでいく。


「虫じゃなく、フルーツが主食らしいな」


 ムシトリスミレの葉には何匹かの虫が捕獲されていた。琉球はそのまま鉢を籠のなかに戻す。クレムリンに試す気なのだろう。

 翌日、水槽が配達されてきた。琉球は満足気に新たな水槽を眺めている。そのうち自ら造りはじめるのだろう。カメレオンはクレムリンの背中の上でぼうっとしていた。ハナウミと琉球は名づけた。


「ハナウミ?」


 ウサギの花から生まれたから、というのが琉球の答えだ。クレムリンは虫を食べたのかと訊くと、食べなかったそうである。ではクレムリンは一体、どうやって生きているのだろう。


「まさか空気を食べてるわけじゃないだろう」


 ぼくがふざけると、琉球は思いだしたように言った。


「これ、たぶん何か解ったよ」


 これ、というのは観葉植物に挿してあった温度計のような物のことだ。運んでいる最中に気づいたのだ。温度計にしては目盛も数字もなく、けれども明らかに何かが測られていた。


「なに」

「水分バロメータ」

「水分」


 琉球がいうには観葉植物の水分を量っているらしい。水を与えるとグンと伸びる。そこから彼は更に推測したという。


「何を」

「クレムリンさ、彼は植物から水分を摂っているんだ」


 推測の根拠は水分の減りが異様に早いこと。琉球は「君は知らないだろうけど、僕はしょっちゅう水をやっているんだ」と自分はぼくが思っているよりもズボラではないのだと主張する。


「まあ、空気というのも、あながち外れてはいないかもしれないけど」

「どうして」

「植物は酸素を輩出するだろう、彼はより多くの酸素を必要とするのかもと思ってさ」


 一理あるとぼくは思う。兎にも角にも、クレムリンがハナウミを食べなくて良かったと内心ほっとしていた。


「でも琉球、花から生まれたんだから、ハナウミというよりハナウマレが正しくない?」


 すると琉球は、情緒がないな、と溜息を吐いて、引き出しからノートを取りだす。まさか彼に情緒を問われるとは思わなかった。首を傾げていると、琉球はノートの上に「花海」と書いてみせた。

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