4.宇宙屋上のもぎり

 睡蓮荘の屋上を、琉球ルークは宇宙屋上と呼ぶ。

 新式の建物が多いなかで、古式の睡蓮荘は上空から見れば、くぼみに見えることだろう。通りに面していることと、通りの向こうが三日月公園であるおかげで、光は良く入る。

 そのような古式の睡蓮荘の屋上を宇宙屋上なんて呼ぶのが、ぼくは可笑しかった。すると琉球は「行ってみれば、解る」といって含みのある笑みを見せた。


 夜になってから、ぼくたちは連れ立って屋上にのぼった。屋上の真ん中には塔が立っていた。細い塔である。細いとはいえ、見あげると天辺が見えないほど高い塔に、睡蓮荘がどうやって持ちこたえているのか、疑問だ。


「この塔、いつからあるの」


 あまりの高さに、塔を見あげるぼくの口は開きっぱなしだ。ぼくの問いに、琉球は「さあ」と素っ気ない返事をして、ボタンを押した。

 シュッと扉がひらく。それはエレベータの扉だった。琉球に促されて乗りこむ。ずいぶん昇ったあと、扉がひらいた。


「ここからは階段だ」と琉球がいう。

 螺旋階段になっている。内側から見あげても細い。貝殻のなかにいるような変な錯覚に陥る。階段も貝殻の白さだ。光を帯びる螺鈿の輝きを放つ。上から風が吹いてくる。ずいぶん冷たい風だ。

 階段を登りきると、展望台になっていた。屋根は透き通っていて、星空のなかにいるようだ。空気はピンと冷えていて、その分だけ星の量が多かった。


「町を俯瞰できるくらい高いなんて」


 本当にここは睡蓮荘の屋上なのだろうか。あのエレベータはテレポートカプセルだったのではと疑った。けれども、もちろん違う。そんな体感はなかった。


「どうしてこんなものが睡蓮荘の屋上に」

「大家の趣味さ」

「大家って、どんな人なの」

「子供みたいな人だよ」

「心が」

「まあね。でも、最近じゃ見た目で判断するのが難しくなってるからな。あの大家もどうだか解ったものじゃない」


 現代では建物だけではなく、人も古式と新式とに分かれる。古式は年齢と見た目が一致するのに対して、新式は一致しないことが多かった。

 展望台からは細い渡り廊下が伸びている。目で追っていくと、どうやらほかにも同じような塔があって、そこと繋がっているようだ。こっちの塔よりも太く、天辺は閉じられた球体(ドーム)になっている。


「ねえ琉球、あっちには何があるの」

「行ってみようか。今日はちょうど水曜だし」


 水曜日がちょうどなのかは解らないけれど、ぼくのなかで好奇心はむくむくと大きくなっていた。

 渡り廊下は屋根もあるし、頑丈そうだったけれど、ぼくの脚は少し震えていた。こんな高空の回廊では無理もないと思う。琉球はというと、慣れた足取りで軽やかに進む。


 辿り着いた先には扉があって、その真ん中に青年が立っている。琉球はポケットから紙切れを取りだして、青年に渡した。一部切り取って残りを琉球に返す。どうやら青年はもぎりのようだ。


 なかに入ると座席が並び、半分くらい埋まっていた。座席は背もたれが倒れ、ほとんど寝転ぶ格好になる。皆ゴーグルをつけているけれど、なかにはゴーグルではなく、耳にコンセントを差しこんでいる人が見受けられた。新式の人たちだ。どうやら、ここは幻燈をみせる施設であるらしい。


 ぼくと琉球もゴーグルをつける。次の瞬間、ぼくは海のなかにいた。不意に、視界に影が入って、魚の姿を捉えたぼくは、思わず目をつぶった。深海魚が顔を掠める。映像だけで体感はないのに、ひやりと冷たい尾を感じたように錯覚する。

 暗い洞窟のような目、波打つ透き通るヒレ。色とりどりの魚の遊泳。現代ではもう海に入ることのできない人類にとって、深海は宇宙よりも遠い場所になっている。同じ星に内包されながらも未知である深海。今、目の前にある美しさが、確かにこの星にあるのだと想像する。


「いつか、ぼくは本当の深海を見てみたいよ」


 琉球は答えない。眠っているのか、夢中になりすぎているのか。

 ゴーグルを外すと、天井に映像が映されていた。天井が丸いため、映像も丸く歪んでいる。これじゃあ、魚眼レンズだ。そこには海辺が映っている。


「砂浜だ」


 映像でしか見たことのない砂浜が広がっていた。青い空を移す青い海が遠くつづいている。波が引いては打ち寄せ、また引いていく。その運動には終わりがなかった。

 そのうち映像がぼやける。丸い天井のせいかと思ったけれど、そうではなかった。ぼくの目が潤んだせいだ。見たことがないはずの風景に、涙が出るのはなぜだろう。


「遺伝子のせいさ」


 琉球が耳元で囁いた。彼もいつのまにかゴーグルを外している。


「遺伝子」

「そう、いくら操作できるようになっても、郷愁を取り払うことはできないんだ。遺伝子はけしてそれらを奪わせはしない」

「遺伝子の意思だね」


 学問というよりは思想として捉えられていた遺伝子の意思についての研究は、いつしか真実であると信じられるようになった。


「遺伝子の記憶は受け継がれているんだ」


 琉球も懐かしい目をして映像を見つめている。気がつけば客はぼくたちが最後だった。渡り廊下の前で、もぎりの青年に声をかけられる。


「君たち、睡蓮荘に住んでいるのかい」


 蒼白い顔の青年はやわらかな視線をぼくたちに向けている。


「あなたはいつからここのもぎりを?」


 はじめて見る顔だ、と琉球は言った。


「ああ、バイトなんだ。伯父の用向きが終わるまでのね」

「へえ、伯父さん」

「母の弟だよ」

「ずいぶん若い伯父さんだね」

「そう、昔からああだけど」


 どうやら常勤のもぎりは年月と共に変わるタイプではないらしい。


「それで、睡蓮荘がどうかした」

「いや、実は睡蓮をひとつ、貰いたいんだ」

「どうやって」

「やり方なら問題ない、伯父に聞いているから」

「ふぅん、じゃあ、来るといい」


 それなら、早速あとで伺うと青年は見送る。ぼくはどうやってあの天井の睡蓮を採るのか気になるので、琉球の部屋に泊まることにした。


「脚立とハサミでも持ってくるのかな」

「そんなつまらないやり方じゃ、がっかりだ」


 琉球は彼らしい発言をする。新しい体験にぼくは疲れていたのか、すぐに睡魔に襲われた。琉球もいつの間にやら寝息を立てている。意識が遠のきかけたとき、人の気配を感じてハッとする。月明かりに薄っすらと浮かぶのは、もぎりの青年の顔だ。


「琉球」


 彼は人差し指を自分の唇にあててぼくに示す。そして、ぼくの横で眠る琉球の額の上に手を差しのべた。触れてはいない。一拍置いて、彼の手を目指すかのように、琉球の額から睡蓮が生えた。

 青年はペン型ナイフを取りだして、光る刃を睡蓮の茎にそっとあてる。茎は溶けるように消えて、青年の手のひらには睡蓮の花が残された。手から溢れそうなくらい大きな睡蓮に、彼は満足そうだ。


「思ったとおり、立派な睡蓮だ」

「それをどうするんです」

「知りたいなら、一緒に来るといい」


 誘惑に勝てるはずもなく、揺すっても起きない琉球を置いて、ぼくは青年についていった。宇宙屋上からエレベータに乗り、螺旋階段をあがる。渡り廊下を通って、先ほどのドームに入る。なかは月の光が入らないため暗かったが、青年の手にある睡蓮が光を放ち、ライトがわりになった。


「知らなかった、睡蓮が光るなんて」

「この光は彼の光だよ」

「琉球の」

「もちろん、君の睡蓮は君の光を持つ」


 ドームの奥に機械室があって、コンピュータだらけだ。そのなかの一つに青年は近づく。メインコンピュータだろうか。そこから多くの配線が繋がっている先には、水槽があった。彼は手のうえの睡蓮を水槽のなかにゆっくりと浮かべた。水槽の水が発光する。


「これでよし、と」


 睡蓮はどうしても、枯れてしまうからね。と言って、青年はコンピュータをチェックしている。


「この睡蓮はずいぶん持ちそうだ、彼にお礼を言っておいてくれるかな」


 青年の白い肌が睡蓮の光に青白く発光している。黒かった髪までが今や白く光を発していた。


「ここのもぎりは家業なんだ」


 そう話す彼は、一番の仕事は睡蓮を採ることだという。今はまだ修行中で、ゆくゆくは伯父の跡を継ぐつもりだ。よろしく。と笑った。

 翌朝、ものすごい勢いで扉を開けて入ってきた琉球に無理やり起こされる。最初の夜以来、ぼくは部屋の鍵をかけない癖がついてしまった。


「シナ、起きろよ」


 あいつ、来たんだろう、と眠っていたはずの琉球は青年の訪問を確信している。


「どうして」

「今朝は睡蓮が生えていなかったんだ」


 ここに住みはじめてから睡蓮が生えなかったことは一度もないのだという。


「君は見たんだろう」

「どうしてそう思うの」

「だから自分の部屋で寝ているんだろう」


 お見通しである。昨夜の出来事を話すと、案の定、琉球は不貞腐れる。「なんで起こさなかったんだ」とぼくを責める。起こしても起きなかったのだというと、まさか、という顔をする。


「僕はすぐに目覚めるほうなんだ、中々起きないのは君だろう」

「睡蓮のせいかもね」

「僕の睡蓮」


 呟いて、琉球はしばらく俯いていたと思ったら、今度は勢いよく顔をあげた。ぼくに手を差しだす。


「預かった物があるんだろう」


 彼のいうとおりだった。ぼくが机の上を示すと、それを見て琉球はにやりとした。


「へえ、太っ腹だな」


 年間フリーパス〈更新不要〉と書かれたパスを、琉球は興味深げに見つめる。


「シナ、君のは」

「〈更新要〉だよ」

「当然だ」


 昨夜の経験を僕だけがしてしまったのだから、仕方のないことだけれど、琉球のいうとおり青年は太っ腹だなと思う。もっと太っ腹なところを見せてくれてもよかったと、ぼくはちらりと思った。

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