2.三日月公園の紳士

 睡蓮荘に来て一週間が経ったころ、空には三日月が浮かんでいた。

 新月前の三日月。月齢28.1。今夜が最後の三日月の夜だ。それで琉球ルークは昨日は寝ずにいて、日中に眠る予定なのだという。

 そういえば、ぼくは三日月公園の話で疑問があった。どうして紳士なのだろう。


「シルクハットさ」


 琉球はさらりと口にする。


「それだけ」

「なんだよ、シナ。シルクハットをかぶった奴なんか、そうそう見られるもんじゃないだろ。どう見たってあれは紳士だ」

「ぼくはシルクハットを見たらまず、マジシャンを思い出すけど」

「マジシャン?」

「鳩とか、出すでしょ」


 琉球はこぶしにした手を口元に当てて、しばらく考えこんだ。


「そうか、あのハットのなかに何かあるのかもしれないな」


 目を輝かせて僕を見たかと思うと、彼は「今夜はハットに注意してみるよ」と決意を固めた。面白そうなので、ぼくも付き合うことにする。

 夜半になって琉球の部屋を訪ねると、彼はしっかり目覚めていた。起きてられる、と琉球が訊くので、昼寝したから大丈夫だと答えると、彼は吹きだした。


「君って、子供みたいだよな」


 ぼくは今年十三歳になったけれど、大人からしてみれば十分子供だろう。けれど、琉球のいう子供とはもっと幼い子供をさしている気がした。


「琉球は幾つなの」

「今度で十四だよ」

「今度って」

「来年。早生まれなんだ」

「じゃあ、ぼくと丸きり同じじゃないか」


 ぼくも早生まれで来年十四歳になる。


「見ろよ」


 距離があるにもかかわらず、琉球は声を潜める。通りはしんとして、猫の足音まで聞こえてきそうだった。三日月の夜っていうのは、天も地上も息を潜める。そういう夜だ。三日月公園の蓋の前に、男が立っていた。シルクハットを被る恐ろしく長身の男だ。


「あれが門番」


 ぼくも声を潜めた。

男は何をするでもなく直立不動のまま、いつまで経っても何かが起こりそうな気配はない。近づいてくる者の影も見えない。

 風のない夜だった。季節は秋の入り口。暑くも寒くもないけれど、空気は澄みはじめている。通りも建物も街灯ですら静止しているみたいに、静かだった。

 なんだか不気味な感じがして、正直ぼくは落ち着かなかった。琉球はというと、真剣な面持ちでテレスコープを覗いている。きっと、男のハットを注視しているに違いない。

 ぼくはテレスコープをシルクハットから男の靴先へと動かす。その途中で男の指先がピクリと反応した。一瞬、息が止まる。


「シナ、どうした」


 ぼくの様子に気づいた琉球はテレスコープから少しだけ目を離して、視線をこちらに向ける。そのあいだもぼくは男から目を離せずにいた。


「琉球、見て」


 男がゆっくりと天を仰いだ。ぼくの声に再びテレスコープを覗いた琉球の、息を飲む音が聞こえた。ぼくたちは同時にテレスコープから目を外して、天を見る。三日月はさらに細さを増したように見える。


「あっ」


 ぼくたちは同時に声をあげた。

 はじめ、三日月がぶれて見えた。重なっていた二枚の三日月がずれた、そんな感じだった。見ている間にそのズレは大きくなり、表側の三日月が滑り落ちた。滑り落ちた三日月は黒くなって、真っ直ぐに落ちてくる。そして三日月公園の土に、サクッと刺さった。

 ぼくと琉球は互いの顔を見合わせて、これが幻覚ではないことを確かめてから、三日月を見あげた。先程と同じように三日月はブレて、けれども今度はゆっくりと剥がれ落ちる。落ち方もスローで、ゆらゆらと船が揺れるように三日月公園を目指す。サクリとその土に刺さる。

 何度も同じことが繰り返され、三日月公園には沢山の黒い三日月が突き刺さっている。天では変わらず三日月が細い光を放っていた。


 ぼくたちの視線が釘づけになっているなど思いもしない門番は、ゆるりと動き地下シェルターの蓋を開ける。なかから門番とそっくりな男たちが数人出てきた。皆、シルクハットを被っている。


「まるで忍者だな」

「忍者?」

「分身の術だよ」

「やけにレトロな例えだね」

「そんなことないさ」


 レトロについては後回しだ、琉球はくいと三日月公園を示す。紳士たちは歩きながらシルクハットを脱ぐと、土に刺さった三日月を抜いてハットのなかに仕舞っていく。ハットよりずいぶん大きい三日月は、吸いこまれるように黒いハットのなかに消える。

 すべての三日月を収集し終えた紳士たちは、一列に並んで地下シェルターへと帰っていった。一人残った門番が蓋を閉める。ぼくにはその門番が最初からいた門番なのか、区別がつかない。きっちりと蓋が閉まったのを確認して、門番は去った。


「あれは魔法のハットだったのかな」


 琉球は顎に手をあてて考えこんでいたけれど、その目がキラリと光った。


「あの三日月は影だよ」


 彼はそういって、なるほど、だから三日月公園は三日月公園なのか、と納得している。


「シナ、いつかあの三日月を手に入れたいものだね」

「ぼくは遠慮しておく」

「ふがいない奴だな」

「謙虚といってくれる」


 ぼくが真面目な顔をすると、琉球はレトロについて話しだした。忍者は決してレトロではないと、彼は本当かどうか怪しい忍者話を語る。延々と語られる忍者話に、いつの間にか眠ってしまった。目が覚めると、はち切れそうな睡蓮の蕾が天井にある。自分の部屋へ戻る前に、ぼくは琉球の銃を彼の手に握らせておいた。

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