睡蓮を撃つ

@sho-ri

1.睡蓮荘

 睡蓮荘、という名前が気に入って、ぼくは空いていた二号室に入居することになった。あらかた荷物を運び終え、図鑑の入ったトランクを持ったところに声をかけられる。


「二号室だろう」


 ぼくと同じくらいの年恰好をした少年である。彼は一号室のルークと名乗った。琉球と書いてルークと読ませるのだという。


「ママが南国に憧れていてね」と琉球ルークは苦い顔をする。

「君は南国、すきじゃないの」

「僕は北がいい」


 ほかにすきなものは、冬と夜と日曜日の朝で、今もっとも興味のあるものは、三日月公園の地下シェルターだと彼はいう。三日月公園はこの睡蓮荘の通り向かいにある小さな公園だ。

「地下シェルターと周知しているけどね、怪しいんだ」


 彼がいうには、夜になると地下シェルターの蓋の前に紳士が立つ。あたかも門番のように一晩中そこに立っているけれど、何のためにそこに居るのかは定かじゃない。一度だけ、と彼は声を潜める。


「人が降りていくのを見たことがあるんだ」

「地下シェルターのなかに?」

「そう、黒いコートを着た、やけに背の高い男。門番ほどじゃないけどね。そのコートといったら、靴も見えないくらい長いんだ、妙だろう」


 黒いコートの男は門番に何かを手渡し、ギィィと音を立ててひらかれた蓋の下に降りて行った。


「きっと何かの商売が行われているんだよ、闇市のようなね」


 それで彼は精度の高いテレスコープを買ってきて、三日月公園を監視しているらしい。まさか毎夜そんなことをしているのかと訊くと、琉球は笑った。


「いくら僕だって、そう暇じゃないさ」


 門番が立つのは三日月のあいだだけで、それも新月前の三日月。そこが重要なんだと彼は鋭い目をする。

 トランクを部屋に置いたあと、注意事項へ案内すると琉球がいうので、ついていくと掲示板に辿り着いた。大家からの注意事項と書かれた紙が貼ってあるのを、琉球が読みあげる。


「一、睡蓮を撃つときは躊躇わず撃つこと。二、」

「ちょっと待って、睡蓮を撃つって、どういうこと」

「まさか、聞いてないのか」


 琉球は驚いた顔をする。ぼくがまだ大家に会っていないこと、代理を通してすべて行われたことを話すと、彼はまた驚いたようだった。


「一番大事なことなのに、あの代理はぬけてる」


 それなら、と琉球は少し考えてから「僕の部屋へ来いよ」見せてあげるという。

 一号室の間取りは僕の部屋と同じ間取りのようだったけれど、なんというか、琉球の部屋では何かが起こったらしかった。床の上に色々なものが散乱していた。

 竜巻でも発生したろうかと、ぼくは思う。水槽がいくつもあり、その周りにも雑多に物が転がっていた。もし水槽がひっくり返ったりしたら、被害を受けるのは魚だけじゃない。けれども、琉球は気にするふうもない。


「天井だよ」


 琉球は壁と同じに青く塗られた天井を示す。そこには水のなかでたゆたう水中花のごとく、花ひらく睡蓮。

 口を開けて睡蓮を見あげていると、琉球は唯一の安全圏であるベッドの上に膝をついた。壁にはベッドと同じ幅の棚が設えてあり、そこにずらりと本が並べられている。その本の上に銀色の小さなロケットが乗っていた。琉球はロケットを手に取る。手のひらにすっぽりと収まる大きさだ。


「これを使うんだ」


 銀製のロケットは銃だという。琉球は銃を天井の睡蓮に向ける。


「こうやって先を睡蓮に向けて、撃つ」


 撃つ、という声に合わせて彼は引き金を引いた。音もなく、ロケットの先から小さな光の球が放たれて、睡蓮に命中する。睡蓮は花を散らすように飛び散り、跡形もなく消えた。あっという間の出来事だった。


「ためらって撃つと飛び散った花びらが派生して、いくつも花がひらくことになる」


 睡蓮は大抵、住人が眠っているあいだに育って、目を覚ますと同時に花をひらかせる。琉球はこのところ眠る時間がまちまちなので、睡蓮も狂っているのだという。


「撃たないとどうなるの」

「そりゃもちろん、覆われる。部屋中のありとあらゆるものを飲みこんで、ね。人間だって例外じゃない」


 部屋に戻ってベッド横の棚を見ると、琉球のものとそっくりな銀のロケットが置いてあった。天井に睡蓮が生える。睡蓮荘の由来はそれだったのだ。


 部屋の片づけが終わったのは、もう夜半近くだった。空腹をこらえてベッドに入ろうとしたところに、扉がノックされる。開けると琉球が立っていた。彼は「ウサギにいこう」という。

 睡蓮荘を出て五分くらい歩くと、明かりが見えた。それは木造のこじんまりとした家の窓から漏れている。辺りは薄暗い。暗い森を歩いて辿り着く隠れ家のようだ。

 現代の建物は新式のつるりとした高層ビルディングにすげ変わり、古式の建物はほとんど残されていない。睡蓮荘くらいだと思っていたので、ぼくは驚いた。

 ウサギは看板もなく、お店かどうかは教えられなければ解らない。木の扉を引くと、なかにはぽつぽつと人の姿がある。どうやらお酒を飲める店のようだった。琉球は慣れた所作で一番奥のテーブル席に座る。


「ウサギってこの店の名前なの」

「いや、通称だよ」


 それを知っているものなら入れる、ここはそういう店だよ。と琉球はいう。メニューを見ていると、スープと焼きたてのパンが運ばれてきた。琉球は焼いたソーセージを頼む。スパイスの香ばしい匂いを放つソーセージを、パンに挟んで食べる。パンもソーセージもスープも、なんだか懐かしい味だった。


「念のため、鍵は掛けずに寝るのをおすすめするよ」


 部屋へ入ろうとしたところで、琉球がぼくの耳元で囁いた。

 翌朝、目が覚めると天井には睡蓮の蕾があった。撃つべきかどうか迷っていると、琉球の声が聞こえた。


「へぇ、きっと君はためらうと心配していたけど」


 蕾の睡蓮を見て、彼は意外そうに呟く。


「これはまた、のんきな睡蓮だな」


 撃つべきか尋ねると、必要ないという。ひらいてからでないと銃は効かないらしい。


「君のところの睡蓮は一晩で咲くの」

「咲くよ。でも気にすることない。睡蓮にだって気性があるからね」

「睡蓮に気性が」

「なるほど、君は思ったとおりの人みたいだ」

「どういうこと」

「僕は気が短いから、睡蓮も一晩かけずに咲くこともある」

「睡蓮の気性は住人の気性ってこと?」

「そういうこと」


 琉球はにやりと笑い、思いだしたようにぼくの方へ向き直った。


「名前」

「え」

「君の名前、まだ聞いてなかった」


 三日月公園の話で、ぼくはすっかり名乗ることを忘れていたのだ。


「シナ、ぼくの名前はシナだ。漢字はあてない」

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