赤雷-レッドスプライト-
大剣。片手剣。長槍。そして、今回は刀。
今日に至るまで、様々な武器種と対峙してきたが、いずれにおいても私の取る戦法は一貫している。
相手の攻撃を掻い潜って接近、手数の多さで圧倒し、必殺の一撃を叩き込む。これに尽きる。
否、それしか能がない。
そしてそのためには、兎にも角にも接近しないことには話にならない。よって、相手の得物の間合いを推し量ることが最重要になる。
戦闘の直前に視認した限り、刀身の長さは1m前後。"
何故ならば、武器の長さだけが間合いを決めるのではなく、その扱い方もまた重要な決定要因であるからだ。
戦斗少女として覚醒した今、一般的な戦術論はインプットされている。刀剣での戦闘、抜刀術の基本概念、それに対する徒手格闘のセオリー、
だが、それらはあくまで基礎知識に過ぎない。そして、戦斗少女の戦闘というものは、往々にしてそのセオリーを超越した次元で展開される。
(まずは、様子見からか……)
納刀した状態で静かに待つ"
それは明鏡止水の域に達した、気配を断つ武技によるものなのか。それとも
ならば、それを確かめる。
相手の初動を、攻撃動作の起こりを見逃さぬよう警戒しつつ、一気に間合いを詰める。
"憤怒"はその場から動かない。ただ静かに、薄い微笑みを湛えたままこちらを眺めている。
二秒と待たず、拳の届く位置にまで接近する。刃の如き真紅の双眸から目を逸らさぬまま、牽制のための拳打を放つ。
牽制とは言え、その一撃一撃が砲弾並みの速度と威力を持つ。当たれば、戦斗少女といえ無事では済まさない。唸る連撃が、暴風の吹き荒れる轟音を鳴り響かせる。
しかし"憤怒"は、こちらの連撃をまるで
それは、さながら死の舞踏。乱撃が奏でる荒々しい楽曲の中、血のように赤い身体が踊る。
「流石ですわね。速度には、自信がおありのようで」
余裕すら含んだ"憤怒"の言葉を受けて、私は更に一段階ギアを上げる。
この戦斗少女相手に、小細工は通用しない。ならば、この一撃にて決着するまで。
極限の動体視力を凝らし、"憤怒"の身体に脳内で一本の線を刻む。
人体の急所の並ぶ正中線。そして、眉間、顎、水月の都合三ヶ所に、狙いを定める。
軸足を固定し、呼吸を止める。刹那の間に放たれるは、両の拳による三ヶ所のほぼ同時攻撃。この攻撃を、体捌きだけで回避できるか―――!
「―――それでも、遅いですわ」
ゆらり、と。
まるで陽炎のように揺らめいて、"憤怒"の身体は消えた。
どれか一箇所でも当たれば決着、あるいは行動不能に陥らせるに足る威力の連撃は、その全てが空を切る。
敵を見失い、一瞬思考が停止する。
――その一瞬が、致命的なまでに長かった。次の瞬間、手薄になった
斬撃ではない。"憤怒"が曲芸めいた姿勢から放った蹴りが、私の身体に深く突き刺さっていた。
「が―――ぁっ」
衝撃が内蔵を絞り、肺腑に溜まった空気を全て吐き出させる。
胃袋の中身を全て撒き散らしてしまいそうだった。だが、すんでのところでそれらを飲み込み、痛みにたじろぐよりも先に後ろへ跳んだ。
激痛や酸欠の苦しさに戸惑う余裕などない。呑気に立ち止まっていたならば、すぐさま首を切り落とされる。
むしろ、先程の攻撃が蹴撃で助かったと思うべきか。あの攻撃が斬撃であったならば、即死とまではいかずとも致命傷は免れなかっただろう。
それとも、彼女なりの手心だとでもいうのか。
とりあえず、間合いを離さなければ。
全力で後退し、その勢いを殺さぬよう身体を反転させ、"憤怒"から離れるように疾駆する。
思考を整理し、態勢を整えるために、全力で逃走する。
「戦略的撤退。結構なことですが、私の脚は逃しはしませんわ」
その声は、背後からではなく、正面から放たれた。
―――――馬鹿な。
逃げ込んだ先で待ち構える"憤怒"と目線が合い、驚愕に表情が凍る。
待ち構えていた、というよりは、先回りしたというべきか。あろうことか彼女は、私以上の速度を以って、背後から追い抜いてみせたのだ。
こと、
だが、その自負は眼前の刀使いの尋常ならざる速度によって打ち砕かれる。
(私より、
慌てて停止しようとしても、慣性を殺せない。
そして、不安定な体勢のままの身体に、再び"憤怒"の蹴撃が襲いかかる。
避けることも、迎え撃つこともできない。ならば、せめて耐え抜くのみ。
歯を食いしばり、意識を被弾部位に集中させる。局所的な筋肉密度を上昇させ、ダメージの軽減を試みる。
そして、攻撃の被弾と同時に思考を切り替え、空中での姿勢制御に全神経を集中させる。吹き飛ばされる中、なんとか態勢を整え、コンクリート製の地面を滑走する。
「はぁっ……はぁっ……はっ……」
蹴撃を二発受けていながら、さしたるダメージの蓄積はない。
不意を突かれたことは事実にせよ、その攻撃力自体は大したものではなかった。単純な肉弾戦の攻撃力・防御力で言えばこちらに利がある。
だが、肉体よりも先に心が折れそうになる。それは、以前片手剣の戦斗少女と戦った時に感じたものと同じものだ。
目の前の戦斗少女は、まだ全力を出していない―――二度の攻撃において、彼女は刀に手をかけてすらいないのだ。
この二発の攻撃は、この戦いを終わらせようと思えばいつでも終わらせることが出来るのだという、そういったメッセージなのかもしれない。
「ふふ。困惑して、拳が止まっていますわよ」
紅に彩られた唇が、妖艶な笑みを象る。
今の私には、その紅がまるで血の色のように見えた。
◇ ◇ ◇
戦局に変化はない。
肉体的な損耗という点に限れば
戦斗少女同士の戦闘とは、超人的に強化された肉体的技術の衝突であるが故に、その勝敗には精神力の優劣が強く影響する。
確かに、
張り詰めた空気の中、深呼吸をする余裕もない。一瞬の隙が、敗北に直結する。
右掌を前面に突き出し、左手は腰の辺りに構える。相手の初動を見逃さぬよう、指先を照準のように構え敵を見据える。
世界には、数多の格闘技術が存在する。日本の空手や、中国拳法。海外の軍隊格闘術や、異国の伝統的な武闘術。
それらは、長年の経験の蓄積によって最適化された、それらなりの理を持った体系だ。
戦斗少女として、それらの扱い――人類が会得してきた、種々の戦闘術は身体が覚えている。いや、インストールされている。そして、必要に応じて身体が勝手にそれらの動きを取り出してくれる。
結局のところ、私の思考は「進む」か「止まる」かの二つでしかない。そして、戦斗少女同士の衝突とは「殺す」か「殺される」かでしかなく、その手段や過程は意味を為さない。
どういう戦法、流派であれ、相手に必殺の一撃を叩き込めばそれまで。
なるべく自然な構えで、乱れた呼吸を整える。
なんとか、しないと。
気持ちばかりが逸るが、両足は楔を打ち込まれたかのように動かない。
現状を打開しようにも、前回用いた
悠長に構えようものならば即座に肩口から切り落とされるだろう。
「さて。ずっと待っているのも退屈ですから、こちらから行かせてもらいますわよ?」
悠揚と呟いて、"憤怒"が、抜刀した。
刀身は夜闇を切り裂く白銀。刃渡りは1m程で、戦闘前の目測とほぼ一致する。
構えは正眼。鋭い切っ先と真紅の双眸が、間合いの遥か外から私を射抜く。
「それでは――――いざ」
まるで、澄んだ鈴の音のように。刀が空を切る音が、無音の闇に響く。
次の瞬間――否。瞬きの間すら待つこと無く、"憤怒"の身体が眼前に飛び込んできた。
それは正に雷霆の如き斬撃。鋼と鋼の打ち合う甲高い音が鳴り響き、両腕に鋭い衝撃が走る。
「防がれましたか」
雷速の居合を奇跡的に防御すると、"憤怒"の声が遥か後方より響く。
すれ違いざまに斬撃を繰り出し、その勢いのまま一気に斬り抜けていったのだ。
振り返る暇などない。背後から襲い来る二撃目を脳裏に描き、そのまま高く跳躍した。
先程まで自分が立っていた箇所を閃光が穿つ。再び超高速で"憤怒"が斬り払ったのだ。斬撃は空を切り、その勢いのまま猛烈に地面を滑る。
その突進の速度故、減速から停止。そして次の攻撃に移るまではある程度のタイムラグが生じる。舞い上がる砂埃の中に、"憤怒"の姿を見る。
片足が接地するや否や。大地を蹴り出し、攻撃後の硬直状態にある"憤怒"に飛びかかる。
煙たい視界の中に、一筋の光が映える。迎撃のために振るわれた一撃を左のガントレットで流し、更に一歩距離を詰める。
返す刃が迫る。だが、私の攻撃が先んじる。
最速で、最短で、最適な攻撃を。腰を捻りを利用した右のショートパンチ、狙うは防御の手薄な脇腹。
しかし、驚嘆すべきは戦斗少女の反射神経。回避不可能とも思われた零距離打撃を、刀の柄尻で弾き返す。
即座に左の拳を打ち込むと、今度は鍔で受け止められる。
だがその睨み合いも一瞬。"憤怒"が一歩下がると同時に膠着状態は解除される。
決して逃すまいと、アクセルを只管に踏み込む。猛然と連撃を放ち、"憤怒"は最小限の動きで攻撃を回避し、刀身で弾き、いなす。
鋼と鋼同士の打ち鳴らす音と、舞い散る火花。互いに瞬きも呼吸も忘れ、訪れる一瞬を伺う。
互いに足を止めて、猛然と打ち合う。既に百近い打撃と斬撃、回避と迎撃の応酬。
こと、速度に関して言えば戦斗少女の中でも最上位級の二人の戦闘は、もはや残像同士の打ち合いにしか捉えられないだろう。
しかしやがて、終わりの
往復する斬撃を身を屈めて躱し、起き上がる勢いのままに打撃を放つ。
相手の刃は届かない。代わりに、柄尻での直接打撃が襲い来る。これを再び拳で振り払えば、この無限に等しい打ち合いは更に続くだろう。
だが、ここが限界だ。私は一つの覚悟を決め、その打撃を振り払うための右手を押さえ込む。この一瞬の判断の結果、私の被弾は確定的となった。
攻撃の軌道は見えている。狙いは額。私は、そのまま噛み砕かんとばかりに奥歯を食いしばった。
脳を揺らす打撃とは言え、全身を剛直させれば一撃は耐えられるはず。ましてや、必殺の斬撃でも刺突でもないこの打撃ならば―――
全身の筋肉を極限まで緊張させ、打撃に備える。直後、予想通りの箇所に痛烈な衝撃が走る。
首から上が吹き飛ばされそうになるが、必死に首の筋肉に力を込め、脳震盪を起こさぬように耐え抜く。
強い集中力がもたらした肉体硬化は、もはや拡張機能の域に近い。頭蓋を粉砕するはずの一撃は、硬化した頭部に弾き返された。
ここに、勝機を見出す。あとは、姿勢を崩した"憤怒"に必殺の打撃を打ち込むのみ。
――そのはずだった。
「――――秋霜三尺、紫電清霜」
静止した時間の中で、"憤怒"の声だけが聞こえる。
姿勢を崩したはずの"憤怒"と視線が交差する。紅蓮の瞳だけがこの世界の中で唯一色を持ったモノであるかのように煌めき、私を射抜く。
そして彼女は、いつの間にか鞘に収められた刀の柄に手を添えていた。
それは、正に神業と呼ぶ他ないだろう。
"憤怒"は、先程の打撃を弾き返される前提で放ったのだ。そして、頭蓋に柄尻を衝突させた反発力の勢いそのままに納刀してのけたのである。
なんという芸当。それは、全力で放った刺突で納刀するのと何が違おう。1mmのズレすらも許容されない刀捌きを、目にも留まらぬ超速でやってみせたのだ。
一瞬の判断力、集中力、そして惑いなき胆力と技術力。いずれが欠けても為し得ぬ絶技。
その圧倒的な技巧に感嘆するしかなく、振り上げた拳を進めることも戻すことも叶わぬまま、"憤怒"の右腕が閃いた。
最後に見た光景は、眼前に煌めく一筋の白銀。
驚く間もなく、悔やむ間もなく。私の意識は、その一閃のもとに断絶された。
◇ ◇ ◇
「勝負あり、ですわね」
"憤怒"が納刀する。
私は、夜の公園で腰を抜かしたまま、地べたにへたり込んでいた。
「……負けた」
完膚なきまでに、敗北した。
刹那の居合一閃が、私を一撃のもとに絶命せしめたのだろう。
私の変身は解除され、家を出る前に着ていた部屋着姿に戻っている。
本来は、変身解除と同時に空間転送されるそうだが、これ以上追撃の危険性がないと判断したのか。私は、生身のままこの異空間に留まっていた。
このあたりの判断は、きっとリヴァイアサンが管理しているのだろう。つくづく、気の回るというか……いや、むしろ回らないAIだと思う。
「大丈夫ですか? 痛みなどはありませんか?」
「ええ、大丈夫です」
その答えに嘘はない。なぜならば、きっと痛みを感じる間もなく殺されたから。
斬撃が閃いた瞬間を見たことだけは覚えているが、それが自身の体を斬り裂いたという実感は無かった。
迸ったと同時に、私は意識ごと断ち斬られていた。恐らく、首を飛ばすどころか脳天まで真っ二つに斬られたのではなかろうか。自身でその映像を確かめる術は無いのだが。
「……流石ですね」
「いえいえ。勝負は時の運。そして、運の女神は気まぐれなものです」
その謙遜に、嘘はないのだろう。
だが、この如何ともし難い実力差は、私の心をへし折るには十分すぎた。
負けたことで奪われるポイントの話などは、気にならなかった。ただ、根拠のない自尊心が崩れた喪失感だけが、酷く不快だった。
「さて。それでは、今後共よろしくお願いしますわね」
「はぇ?」
にこやかに告げられた"憤怒"のその一言に、"暴食"が素っ頓狂な声を挙げる。
「だって、私が勝ったのですから、お仲間に入れてくださいな。もちろん、高峰さんも一緒なのですわよね?」
「え、そ、それってまさか……」
「まぁ。しらばっくれてもダメですわ。こんな深夜に二人で一緒に行動してるなんて、貴女のことですから、きっと何か楽しいことをしているのでしょう?」
華のような笑顔を浮かべる"憤怒"に対して、"暴食"は、その開いた口が塞がらないようだ。
凛とした美人の相が、なんとも残念な色に染まり上がっている。
「じぇ……"
「ええっ!?」
「お前が負けたから、このとんでもない輩が我が深夜特務活動部に入部するなんてことになったんだぞー!」
あろうことか。この悪辣なる部長は全ての責任をこの私におっ被せてきたのだ―――!
「そんなの知りませんよ! だったら"暴食"さんが戦ったらいいじゃないですか、なんで私のせいになるんですか!」
「断る! こんな輩と戦闘なんてしてられるか!」
「あらあら、賑やかそうで本当―――楽しい部活になりそうですね」
「「楽しくない!」」
先程のしんみりした空気は何処へやら。人気のない深夜に、特大の絶叫が響き渡る。
深夜特務活動部。
新入部員。蛇喰花蓮、三年生。
階級第三位、"憤怒"の戦斗少女。
……波乱の予感に、私は特大のため息を禁じ得なかった。
そして、"暴食"もまた私に勝るとも劣らないため息を吐き出したのであった。
七罪の少女-戦斗少女変身アプリ- あるかん @arukan7
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