沈思黙考-コンテンプレーション-
休日が明けてからも、学校はいつも通りの日常を刻んでいる。
日々変わっていくのは、教科書の開くページと、板書の中身に教師の話。
積み重なっていくのは、律儀にまとめられたノートと、配られる資料のプリント。
それらを、変化と呼べるのだろうか。
それらはまるでハムスターを走らせる、回し車のよう。回しても回しても、見える風景は常に同じだ。
過去だけが堆積し、それを振り返って「私たちは未来へ進んでいる」だなんて錯覚しているに過ぎない。
日常は、こんなにも平穏で、平凡で、無為で、退屈だ。
それは、これまでも、これからもきっと変わらない。
いや――変えられない。
なぜなら、私には何もないから。
だから私は夜を選んだ。
夜の世界は楽しく、刺激的で、心地よく、失い難かった。
だからこそ、あの言葉がいつまでも心に残響する。
"このアプリは、もう起動しないほうがいい"
あの夜に出会った、大剣の少女の言葉。
冷たいフレーズが脳内で繰り返される度に、私の心は締め付けられる。
あの少女は、何を知っているのだろう。あの少女は、何を思っているのだろう。
脳裏に焼け付く瞳の色を思い出す度、揺らぐ心は氷水に浸されたようになる。
そんなことを考えている間にも、教師は私がまだ写し終わっていない板書を、淡々と黒板消しで消していく。
もやもやした考えはすぐさま掻き消え、まだ残されている箇所を必死になってノートに書き殴った。
◇ ◇ ◇
「そういえばユーリ。最近、何かあったの?」
「えっ……」
「何ていうか、物思いに耽ってる時間が増えたというか」
教室移動の最中、隣を歩く星良が話しかけてきた。突然の質問に思わず吃ってしまう。
「もしかして……好きな人でもできた!?」
「それは、違う」
「うわ、即答」
脇目も振らずに即答してやると、星良の表情がさもつまらなさそうに萎れていった。
それにしても副会長といい星良といい、リア充という存在は、どうしてこうも、何もかも色恋沙汰に繋げたがるのか。
私のような日陰者が哀れ滑稽に踊るさまを、そんなにも見たいのか。
そんな私の思考が透けたのか。星良は少し遠慮がちに笑った。
「そんな睨まなくても……いやー、親友がこう、憂いを抱えているってのは、中々辛いものだよ?」
「だとしたら、他に思い浮かべるべきところがあると思うけど」
「それもそっか」
あはは、とあっけらかんに笑い飛ばす。
そろそろ教室に着く頃。正面から来る生徒と、目線があった。
「あ、小暮先輩」
「おぉ、雨宮ちゃんじゃない」
駆け寄ってきた青いリボンを付けた後輩に、笑顔で挨拶する星良。
星良とは確か、部活の新入生歓迎会か見学会かで知り合ったと言っていた気がする。
だが、私にとっての彼女は、深夜特務活動部の部員――"
気まずくなって、思わず目を背ける。
ベアトリーチェのことは、関係者以外には秘密だ。ましてや、深夜特務活動部、だなんて単語が漏れようものなら、もはや目も当てられない。
だが、それについては雨宮も同じこと。私の意図を汲んでくれたのか。雨宮は私には声をかけてこなかった。
気遣いなのかどうかはわからないが、その判断が今はとてもありがたい。
雨宮可奈子の隣には、もう一人。一年生の生徒が並ぶように立っていた。
整った顔立ちに、華奢な体型。儚げな表情も相まって、まるで人形のようだ、と思った。
特にその白い肌は、むしろ血色が悪いと言うべきほどで、小柄で細身な体系も相まって、病弱そうな印象を受ける。
いや。実際に病弱なのだろう。現に先程から、何度も咳を繰り返している。
「大丈夫? さっきからずっとコンコン言ってるけど」
星良が思わず声をかけた。
「すみません……」
「あー。なんでも、昔っから喘息があるみたいなの」
少女は、申し訳なさそうに答えるが、繰り返す咳のせいか、その声はか細いものだった。
喘息、という言葉自体は聞いたことがあるが、実際のその患者を目の当たりにしたのは初めてだ。
なんでも、気管の慢性的な炎症によって、気流が制限される病気。要するに、空気の通り道が炎症により塞がって呼吸が苦しくなるのだそうだ。
昨今では治療法が進み、通常の学生生活を行う上では支障のない程度にはコントロールが可能とされている。中には運動部に所属して良好な成績を収める患者もいるそうだ。
もっとも、その治療のためには長期的な投薬による管理が必要とされる。そして恐らく、この少女もそうなのだろう。
咳の間隔が短くなってきた。少女は懐から何やら小袋を取り出し、そこから見慣れない器具を取り出した。
「すみません、ちょっと失礼します」
青色の、手に収まるサイズのL字をした器具。それを何度か上下に振る。
そして、ホイッスルのようにそれを咥えて、カチリと押し込むように操作をする。
器具を加えたまま深呼吸を繰り返す。少し呼吸が落ち着いてくると、口を離し、小袋に器具をしまい込んだ。
「発作止めってやつ? 大変だね……」
「いいえ。慣れてますから」
少女がにこやかに微笑む。咳がまだ続いているのは、効果が現れるのに若干のタイムラグがあるのだろう。
こうやって、病状をコントロールしながら学校生活を送っているのか。
大変な人もいるのだな、とは思ったが、何か声をかけるのは憚られた。
デリケートな問題だろうし、面識のない私が何か話しかける必要もないだろうと思ったのだ。
「それじゃ、失礼します」
「うん。またね」
雨宮が軽く一礼して、もう一人の生徒と一緒に教室に戻っていく。
「にしても、病弱だって話は本当だったんだねぇ」
「セーラ。あの子、知ってるの?」
私の問いに、星良はキョトンとした表情で
「知ってるも何も。
「え」
一瞬、思考が止まる。
あの、生徒会長の、妹?
「まあ、意外だよね。姉があれだけ堅物っていうか強面って感じなのに、妹さんが可愛い系って。
本当に血が繋がってるのかな、って疑ってもおかしくはないというか」
確かに。
厳格さを絵に描いたような姉とは対照的に、儚さを体現したかのような妹。
姉妹だと理解した上で二人を並べたなら、多少の納得は得られるかもしれないが、脳内で思い描く分には二人に血縁関係があるとは到底思えなかった。
それとも、ああ見えて姉も病気を抱えているのか。あるいは、妹が意外と頑固なのか。
……どちらの絵面も、想像できなかった。
「さて、そろそろ休み時間終わっちゃうから」
移動先で、次の授業に向けて机の上にノートや筆記用具を並べる。
「そういえばさぁ。あの子とは、なんか話した?」
「あの子って?」
「明野鈴音ちゃん。あれから何回かアタックしても、てんでダメでさ」
「まだやってたんだ……」
進学初日から、クラスメイト全員の連絡先交換を達成するという星良の偉業を、あと一歩のところで阻んだ生徒。
その当の本人は静かに席に座って、教科書に目を通していた。
相変わらず、この教室の空気に馴染まない。彼女一人だけが、どことなく浮いている。
孤独ではなく、孤高。
たかが一介の女子高生を評価するにはあまりにも重々しい単語なのだが、それが一番しっくり来ると思う。
「そんな、話すことなんてないもの」
「謎に包まれたクラスメイト、っていうとかっこいい響きなんだけどね。
部活にも入ってないし、浮いたウワサもない。授業中以外に、喋った姿も見たこと無いし」
明野鈴音という生徒は、無言で、無口で、無愛想な生徒ではあるが、問題児というわけではない。
音読などもそつなくこなし、グループ活動も淡々と行う。暗い生徒、とは思われるかもしれないが、嫌な奴、とまではいかない。
迫るもの何もかもを徹底的に拒絶した結果、悪目立ちするということもない。
学校生活を円滑に過ごす上で、必要最低限の協調性を備え、その上で、他人との距離を置いている。
そういう意味では、対人関係を悪化させない術に長けているとも言える。少なくとも、私よりも人と人との距離のとり方は上手いのかもしれない。
親近感は感じない。似た者同士と思われるかもしれないが、私達二人の在り方は異なっている。
始業を告げる鐘が鳴る。
気持ちを切り替えて、昨日まで開いていた教科書のページを広げる。
……日常は、変わらない。
今日もまた、消化されていくだけの時間が過ぎていく。
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