休日-メランコリックホリデー-

「どうしよう……」


 休日の朝から、私はクローゼットの前で頭を抱えていた。


 ――さっきから云々と、どうしたんだい?


 机の上のスマートフォンが淡く光り、脳内にマスコットめいた音声が直接飛び込んでくる。

 時刻はそろそろ十時を迎えようとしていた。


「……服が」

 ――服が?

「……外に行く服がない」

 ――あるじゃないか。色々。

「そういう意味じゃなくて……」


 要するに、遊びに行くための服がないのだ、と言いたいが、リヴァイアサンにそれを悟れという方が無理だろう。

 女子高生としての責務を忘れ、衣装への投資を怠り、今日に至るまで漫然と過ごしてきた報いがやってきたのだ。

 並べられた衣服を手にとっては、姿見の前で自分の身体に合わせてみるが、どれもこれもしっくりこない。

 それも当然。これまで、そういう目立たない服ばかりを選んできたのだから。


 可愛らしい衣装への憧れは、当然のことだが、人並みにはある。

 だが、自分には似合わないのだと意識してからは、なるべく遠ざけるようにしていた。

 こういった衣装は、然るべき人が身につけるべきであって、自分はそういった人間ではない、と。

 それは諦めというよりも、一種の自棄だったのかもしれない。

 "私は平凡で、周りは特別だから" 

 そんな、諦めを正当化する魔法の言葉が私の寄る辺だった。


 今この状況を、一ヶ月前の私は予見できていただろうか? それは、確実にノーと言える。

 訳の分からないアカウントから、訳の分からないアプリをインストールされ、訳の分からない戦いに巻き込まれて……

 そしてそのまま、気付いたら上級生を交えて、休日に遊びの約束なんて取り付けられてる。

 事実は小説より奇なり。私が今まで見てきた物語の中でも、格段に不条理な展開だと思った。


「………」


 ああでもない、こうでもないと悩みながらも、時間は過ぎていく。

 元より、選択肢がない状況でどれだけ思案しても答えなど出るはずもなかった。

 ――クローゼットの中の服の種類が選択肢の限界。その中で出せる最適解など、所詮はどんぐりの背比べでしかないのに。


「まぁ……いいか」


 妥協。それもまた、自分にふさわしい言葉だと思う。

 ハズレのない、無難な服。シックな色合いのトップスと、同じく地味目のロングスカート。

 ……集団の中ではぐれたならば、確実に見失われるであろう、と。それくらいに、主張のない姿。


 ――憂鬱そうだね。

「……そうかも」

 ――だったら、行かなければいいと思うんだけど。


 リヴァイアサンが、図星を突く。

 言うとおりだ。

 幸い、相手方にはまだ自分の姿は明かしていない。ここで無断欠席したところで、何の問題もないはずだ。

 ……それでも、履きなれたブーツを無言で履いたのは、約束を破る後ろめたさがあったからではない。


 きっと もしかしたら


 そんな、自分に似つかわしくない期待が、まだ捨てきれなかったからかもしれない。

 腕時計を確認すると、約束の集合時刻までの猶予は、ほとんど無くなっていた。


 ◇ ◇ ◇


「………」


 街のスクランブル交差点。

 休日の昼ともなると、やはり人が多い。周囲を見渡すだけでも、様々な人間が行き交いしている。

 イヤホンをしながらゲームをしている若い男性、スーツ姿の中年男性、二人で仲良く歩いている女子高生、派手な衣装と化粧をした若い女性、ちょっと独創的な、都会的ファッションに身を包んだカップル……

 人混みは苦手だ。自分という存在が更に希薄になりそうで、対照的に、自分という凡庸な存在が奇異の目線に晒されている錯覚に陥る。


 懐のスマホが震え、メッセージの着信を知らせる。

 "暴食"もとい、高峰梨華からのものだった。どうやら、集合場所に着いたようだ。

 辺りを見渡すと、その姿はすぐに目に飛び込んできた。

 まだ自分とそこまで年齢は離れていないはずなのだが、私服姿の彼女は随分大人びて見えた。大学生と言っても、違和感がないだろう。

 大人の魅力とでも言うのだろうか。高校生離れした彼女の姿を見ると、名乗り出るのが急に怖くなった。


 ……このまま、何事もなかったように家に帰ろうか。

 そんな考えが、脳裏をよぎった。

 街に背を向け、軽くため息を付いた。


「あれ? もしかして……この前の子?」


 それが、自分に向けられた声だと気づくのには一瞬の間を要した。

 恐る恐る振り返ると、高峰梨華は明らかに、こちらに向かって一直線に向かってきていた。


「ああ、やっぱり。いつぞやの生徒さんだね? そういえばあの時名前を聞きそびれてたけど……」

「えっと……あ、あの……」


 こちらの都合などお構いなし。

 突然の声かけに慌て狼狽える私を尻目に、この人は自身のペースで話を展開してくる。


「今日は遊びに来た感じ? ま、私もそうなんだけどね。副生徒会長にもたまの息抜きってのが必要でさ」

「あ、あの……」


 ……こちらの返事など、端から期待していないのではないか。

 こちらが返答するよりも先に、次から次へと話題を展開してくる。


「……もしかして、待ち合わせ?」

「――!」


 心臓が、跳ねた。

 そのレンズの奥の瞳に、心を見透かされるような錯覚。


「ははぁん……図星みたいだね。さては――――彼氏か!」

「違います」


 即答だった。


「外したかぁ……残念。せっかく、うちの学校の面白い色恋沙汰が見れるかと思ったのに……」

「何期待してるんですか……」

「お、少しはリラックスできたみたいだね?」


 ニカリ、と。太陽のような笑顔を見せる。

 ……確かに。質の悪い冗談のお陰で、幾分か緊張が紛れた気がした。


「さて、と。彼氏じゃなければ、待ち合わせの相手は友達かな? それとも、私?」

「え――」


 くくく、と彼女は嗤う。


「素直で正直なのは美徳だよ。ほんっと、分かりやすいね。第六位シックスさん?」

「!」


 先程のご指摘の通り、動揺を隠せず、困惑した表情を浮かべる私を見て、彼女は――第四位フォースは、更に声を上げて笑った。


「そんなビビらなくても大丈夫だよ。取って喰おうってわけでもないし、あくまで私は穏健派。仲良く楽しい影狩り活動を営みたい派閥だよ」

「は、はぁ……」

「にしても、まさかあの時の子だったとはね。ってことは、ちゃんとメッセージは読んでてくれたわけだね?」


 これもまた図星。

 少し覗き見るだけの好奇心を出して、あのザマだったが……今になって恥ずかしさが再燃してくる。

 嗚呼。今すぐ帰りたい。変身して、そのまま全速力で家まで駆け抜けたい。


「でも、ちょっと意外だったかな。おとなしい顔して、なかなか強烈なパンチを打つものだから……」


 あいたたた、と、わざとらしく脇腹を抑えるふりをする。

 以前の戦闘で、私が拳を打ち込んだ箇所だった。


「えっと……そ、その節はすみませんでした……」

「冗談だってば、じょーだん。なんていうか、ほんっと真面目だね。まあ、そういう子も好きだよ」


 この人は、本当によく笑う人だ。

 星良もよく笑うタイプだが、少しタイプが違う。この人の笑顔は、大人の余裕と子供の悪戯心が同居しているようだ。


「改めて自己紹介しておこうか。私は高峰梨華。副生徒会長で、第四位の"暴食" で、そっちは?」

「……浜渦悠里、です」

「悠里ちゃん、か。可愛い名前じゃん」


 悠里、ちゃん。

 星良以外に、そんな風に名前を呼ばれたのなど、何時ぶりだろう。

 人付き合いを極力避けてきたのは、いつからだったか。いつから、私は"こんな風"になったのだろうか。


「とりあえず、行こっか」

「えっと……ど、どこへ?」

「決まってるじゃない。金のない高校生の会議場なんて、ファーストフード店か、カラオケボックスくらいのもんだよ」


 そして私は、歩み出す彼女に置いていかれないようおっかなびっくり、人混みの多い街中を駆けていくのであった。

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