自己申告-カミングアウト-

 あの夜――惨めな敗北の日から、またある程度の日が経った。


 それは、火曜日の夕方過ぎ。

 帰宅してすぐに、スマホのホーム画面にあるグループチャットのアプリを起動する。

 星良から学校で、どうしてメッセージの既読がつかないのかとの追求を受けたのだ。その場はなあなあでごまかしていたので、結局帰宅してから確認する羽目になった。

 案の定、星良からの十数件のメッセージが未読のまま放置されていた。今更、確認したものかどうか……しばし悩んだ末、それとなく謝罪のメッセージを返しておいた。


 履歴には、もう一つ。大量の未読がついているグループがあった。

 通知を切っていたので、あまり目に触れなかったそれを、徐に開いてみた。最後に開いてから、かれこれ二週間以上経っていた。

 ものすごい件数のログが残っていた。もっとも、私が既読になっても尚後三名ほどがメッセージを見ていないようだった。

 殆どが、「4」と「7」の雑談だった。時折「5」の姿が見えるが、誤差のようなものだ。

 雑談の中身自体も、他愛のない話だった。各々のプライベートに触れない、ただの世間話。

 何か、有益な情報でも――戦斗少女に関連する情報が――ないかとしばらくスクロールしていたが、途中で飽きが来た。一気に最下部までスクロールさせる。断片的な文章だけを目に入れていくが、どれもこれも、記憶にとどめる程のものではない。

 そして、ついに最新のメッセージに至った。現在進行形で会話しているようだった。


4"あれ。既読が一人増えたね。おーい、誰か見てますかー"

7"流石に三人だけの会話だとつまらないもんねー"

5"ほとんど二人だけの会話だと思うけど……"


 バレた。

 だが、誰が見ているかまでは分からないはずだ。

 その後も、また雑談がしばらく続いていた。

 しばらく放置してから再びログを辿ってみると、少し興味深いメッセージを発見した。


4"いい機会だから、そろそろさ。皆で一回集まってみない?"

7"ふーん。思い切ったこと言うのね"

4"いいでしょ? 別に減るもんじゃないし。友達は多いほうがいいじゃない"


 どうやら、現実リアルの姿で顔合わせをしようという話らしい。

 ネットでの知り合いがいざ出会ってみると……という体験談を、そう言えばネットニュースで見た気がする。往々にして、悲惨な結末が待っていたが。


4"じゃあさ……明日の放課後二階の自習室前に集合でどう?"

7"げっ。上級生のところじゃん"

4"えーっ……じゃあ、四階の自習室でいいよ"

7"それならいいわよ。あんたも来る?"

5"私は遠慮しておこうかな"

4"それじゃ、今ここを見てるもう一人のひとー待ってるからねー"


 完全に見透かされている。だが、候補は残り四人。一人に絞れることもなければ、それが私であると特定もしていないはず。

 ……いや、どうだろうか。

 まず、「1」と「2」は一切の発言をしていない。「3」は初日にその名前を見たが、以降は姿を見せていない。

 初日にメッセージを呟いたアカウントは「3」「4」「5」「7」そして私の階級である「6」だ。

 既読の数は四人分。すると、久しぶりに現れた来訪者は「3」か「6」のどちらかに絞ってくるだろう。

 私の正体にまで予想が及んでいるとは考えにくい。だが、「6」が、翠の拳士であることに、感づいているかもはしれない。

 どれだけ思考を張り巡らせても、キリがない。

 それに、罠かもしれない。迂闊に飛び込むには、何らかのリスクがありそうだと、私でも考えつく。


 スマホの電源を落とし、部屋の明かりを切る。

 今晩は、影狩りに興じる気にはなれなかった。


 ◇ ◇ ◇


 翌日の放課後。

 しばらく図書室で時間を潰してから、四階に上がる。

 四階一年生の教室がある階だ。テスト前などは教室に生徒が残っていることもあるが、今の時期にはそういう殊勝な生徒は見られない。

 時々、文化部――主に吹奏楽部か合唱部――が練習に空き教室を使っていることもあるが、今日はそれもないようだ。

 指定された場所である自習室は、一番端の教室だ。自習室の中を扉の窓越しに覗いてみるが、まだ誰もいない。

 二年生の、帰宅部の生徒が、一年生の教室の周辺でうろついている様は、傍から見れば、怪しさ抜群だろう。


(何やってるんだろう……私)


 自分でも、馬鹿な真似をしているものだと思う。

 少し。少し寄るだけならば、バレないだろう、と。

 ほんの少しだけ、あのグループチャットの面々の姿が、ほんの少しだけだも見れれば、などと、変な好奇心を出してしまった結果がこれだ。

 ふう、とため息が漏れた。


「ねえねえ、そこのキミ」


 背後から声をかけられ、ドキリ、と。心臓が一際強く鳴った。

 ぎこちない動きでで振り返ると、一人の生徒が立っていた。

 リボンの色は赤色なので、三年生だ。身長は平均よりも高く、猫背がちの私は目線を少し上に上げる必要がある。

 明るい茶髪が肩のあたりまで伸ばされている。黒縁の眼鏡の奥の目は大きく、凛々しかった。

 だが、メガネキャラの割りには、垢抜けた印象を与える風貌だった。胸元のシャツのボタンは外されているし、制服も程よく、校則ギリギリ、あるいはスレスレのラインで着崩されている。

 遊び慣れている、といえばそれらしいが、ようするにチャラそうな人だと思った。

 こういったタイプの人種は、どうにも苦手だ。根暗な私とは、とことん相性が悪い。


「キミは二年生? あのさ、ここの自習室なんだけど、ちょっと今から会議で使うんだ」

「会議……ですか」

「もしかして部活の練習とか、そういうので使うの?」

「あ、いえ、別にそんなんじゃ……」

「そっか。じゃ、ちょっとごめんなんだけど……ウチらに貸してもらえないかな?」


 パン、と音を立てて、目の前で両手を合わせる。はにかんだ笑顔のまま軽く頭を下げて、彼女はお願いをしてきた。


「べ、別にいいですよ……か、貸すも何も……た、ただここに来ただけなので……」

「そうなの? まあ、いいや! ありがとね!」


 太陽のような笑顔のまま、右手を差し出される。

 どう、対応したものかわからず、思考が一時停止する。


「えっと……」

「私、副生徒会長の高峰梨華たかみねりか。今期一杯、よろしくお願いね」


 そう言って彼女――高崎梨華は、いたずらそうにウィンクをしてみせた。

 副生徒会長……そう言えば、どこかで見たことあると思ったが、そういう立場の人間だったのか。


「は……はぁ……」


 差し出された手は、握手を求めてのものだったのか。

 ……こういった強引な手合は、本当に苦手だ。恐る恐る、右手を触れさせる。

 ギュッと。強烈な親しみを込めて手を握られる。


「――梨華。その生徒は?」

「あ、リンリン」


 また、別人の声。

 そこにやってきたのは、生徒会長――財前凛だった。思わず身体が硬直する。

 相変わらず、如何にも生徒会長といったお硬い雰囲気を身に纏っている。制服の着こなしにも一切の乱れはなく、その名の通り、凛とした印象を与える。

 その後ろに隠れるようにして、もう一人生徒がいた。リボンの色は青で、一年生だ。

 柔和な表情の女生徒だった。純朴そうと言ってもいい。栗色の髪は柔らかく流れ、伏目がちな顔には緊張が見え隠れしている。

 身長は私よりも小さい。むしろ、小柄な部類で、如何にも「可愛らしい」という言葉の似合う生徒だった。

 もっとも、小さいと言っても貧相ではなく、むしろ、豊かというか。たわわというか。

 精一杯言葉を濁すなら、ふんわりとした印象を与える生徒だった。


(どこかで見たような……)


 記憶の中の映像を手繰り寄せる。

 ああ。以前、生徒会長に怒られていた生徒の愚痴に付き合わされていた生徒だ。

 あの賑やかそうな生徒――雨宮、と星良は言っていたか――に対して、こちらは随分大人しい子だと思った。だからこそ、なのかもしれないが。


「……他の生徒がいる手前で、その呼び方はやめなさい」

「はいはーい、かしこまりましたよー。ところで、そっちの子は?」

「図書委員として今回、会議に参加することになったので案内していたの」

「はい。ひいらぎ しずくと申します。よろしくお願いします」

「うんうん、よろしくね!」


 副生徒会長は、満面の笑みを浮かべながら、柊の手を取って握手をしていた。

 スキンシップの鬼だな、と思った。


「ごめんね、時間とらせちゃって」


 副生徒会長が、申し訳無さそうに笑う。


「あ……いえ、大丈夫です」


 両手を前に出して、首を左右に何度も振る。

 一刻も早く、ここを離れたかった。

 明らかに、私一人がこの空間の中で浮いていた。


「それじゃ、またねー」


 元気な声を背中に浴びながら、出来る限りの早足でその場を離れた。


 ◇ ◇ ◇


 帰宅してから、グループチャットを開く。既に、何件かのメッセージが投稿されていた。

 話題の中心は、もちろん


7"ちょっと! 約束の場所行ったらなんか会議中だったんだけど!"

4"ごめんごめん。流石にあれは想定外だった"

7"まったく……なんで生徒会長がいるのよ。危うく見つかるところだったじゃない"

4"後ろめたいことでもあったの?"

7"善良で穢れなき生徒でも、望んで会いたい人物じゃないわよ”

4"それもそうだよねえ……ま、今回は残念だったね。また今度機会があったらよろしくね"

7"今度っていつよ……"

4"そうだねえ"


 その次に投稿されたメッセージ。

 視界が、思わず凍りついた。 





――――"今日の27時。屋上で待ってる"

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