惨敗-アラート-

 自宅から数分――普段なら自転車で二、三十分程度――のところにある大野川大橋は、深夜であっても僅かながらの車が行き交う場所だ。

 だが、戦斗少女に変身し、リヴァイアサンの言うところの別次元に来ている影響か。町並みの姿は変わらないが、車のやってくる気配はない。

 一般人だけが、綺麗に隔絶されているということか。それとも、何らかの斥力が働いているとでも言うのだろうか。

 もっとも、詳しい原理に興味はない。今私が為すべきことは、ここにいるはずのシェイドを発見し、それを撃破すること。


「やぁ」


 友人にかけるような、そんな挨拶。振り返った先で、声の主は橋の上弦からこちらを見下ろしていた。

 夜の闇でも輝く、オレンジの髪。そして、左目の眼帯。

 以前、大剣の少女と戦闘を行っていた長槍使いだった。だが、今彼女の手にその獲物は握られていない。


「交戦するつもりはないよ。ただ、警告しておこうと思ってね」

「警告……?」

「そう。私に言えるのは、それまでだけどね」


 一体、何を?

 そう問おうとも思ったが、背後で揺れ動く気配を感じ、意識をそちらに向ける。

 シェイドは、音もなくそこに佇んでいた。従来型と同じフォルム。立体感のわかりにくい漆黒の身体は、獣の姿を模しているようだった。もっとも、そんな姿をした獣に心当たりはなかったのだが。

 眼前の敵に、警戒すべき脅威は感じない。いつも通り、淡々と処理すれば終わるはずだ。

 既に、あの少女は姿を消していた。本当に、ただ警告のためだけに現れたというのか。


 ……だが、今は眼前の敵を殲滅することが先だ。ガントレットを装着し、戦闘の構えを取る。

 姿勢を低くし、疾風の如きの初速で駆け出す。一歩、二歩、三歩と、迎撃に備え、ジグザグに距離を詰め間合いに飛び込む。相手は緩慢すぎる動作でこちらに振り返るが、もう遅い。

 まずは左の拳を叩き込み、間髪入れずに腰を捻り、右手で二撃目を放つ。シェイドの身体が宙に浮く。

 右足を杭のようにコンクリートに打ち込み、全身の関節を固定する。左手のガントレットから、歯車を嵌め込んだような音が鳴り響く。

 一閃。放たれた左ストレートはシェイドの中心部を捉え、追撃の衝撃波がその胴体を粉々に粉砕した。

 あっけない終わりだった。


「……気をつけたほうがいい、か」


 先程の忠告を反芻する。

 だが、これはいつも通り。取るに足らない戦闘だった。

 踵を返し、戦場を離れようとする。


 視線が、交差した。


 先程まで無人だったはずの橋に、何者かが立っていた。

 金色の長髪と、黄金の装束。見下すものを威圧する視線は金色。

 夜の闇の中において、彼女は他の何よりも光り輝いていたが、そこにあるのは美しさというよりも、ある種の脅威――目を灼き、闇を蒸発させる。そんな光だと感じた。

 右手には、主武装であろう片手剣が握られている。片刃の西洋剣は、何やら機械的な技巧が内包されているような形状をしていた。

 ただの剣ではない。今まで見てきた大剣と長槍と比べて、リーチこそその半分以下だが、その形状はそれらと比較しても異質だった。


 ――四人目の、戦斗少女。

 相手に交戦の意図があるのかは分からない。だが、本能が告げた。

 こいつは、真っ当な話し合いが通用する相手ではない、と。

 無言のまま、戦闘の構えをとる。こちらから仕掛けるつもりはないが、相手が踏み込んできたならば、即座に対応できるように神経を切り替える。


「お前、階級クラスは?」


 それは、問いかけではなく、命令。

 拒否を許さぬ、強い口調だった。


「……なんで初対面の相手に教えなきゃならないの」

「ふん。別に答えないのならばそれでいい。所詮、下位インフェリオル。知ったところで、貴様の末路に変わりはない」


 まるで、捕虜に指示を向けるような冷徹さで、片手剣の切っ先をこちらに向ける。

 その、まるで家畜でも見るかのような目線に、腹の奥底の炎が勢いを強めた。


 嗚呼。嫉妬とか、そんな高尚な感情ではない。


「――なんか、ムカツクね。その眼」

「吠えるな、弱者」


 もっと、原始的な衝動に身を任せて、私は駆け出した。


 ◇ ◇ ◇


 まずは一発。そのお高くとまった鼻っ面に一撃加えてやろうと思った。

 先程シェイドに対して行ったように、左右に身体を振りながら接近する。

 相手は動かない。あっという間に、私の両の手の届く範囲に肉薄する。

 加減はしない。右手を強く握りしめ、力を、殺意を圧縮し、拳に握り込む。そして、雷光の如き速度で一撃を放った。

 侮っていたわけではない。だが、相手もまた戦斗少女――人智を超えた、超越者だ。

 彼女にとっては、想定の範囲内だったのだろう。僅かに身体をずらし、紙一重の距離感で拳を回避した。

 そして、そのまま流れるような動作で右手の剣を振り上げる。

 ――咄嗟に全身を大きくねじり、左手のガントレットで振り下ろされた剣を受け止め、弾き返す。


 片手剣によって繰り出される斬撃は、疾く、そして美しかった。

 以前戦ったことのある大剣のそれよりも素早い連撃。そして、その連撃はもはや一種の芸術すら感じさせるほどの、流麗さがあった。全神経を研ぎ澄まさせ、一撃一撃を紙一重で回避していく。

 幸いなのは、大剣と比べて一撃の質量が軽いということだ。避けきれない一撃ならば、先のようにガントレットで弾き返すことも出来る。

 弾き返したことで生まれる僅かな隙。しかし、戦斗少女にとっては、コンマ一秒の時間があればそれは十分すぎる。

 斬撃を受け止めた右手のガントレットをそのままに、半歩踏み込む。腰のひねりを利用して、最小距離の移動で左の拳を放つ。

 その拳撃が、流れるような剣さばきでいなされる。手首の返し、身体の運び。全てにおいて、優雅で、一切の澱みのない動きだと思った。

 攻防は一進一退。互いに牽制の連撃を最小限の動きで回避し、避けられぬ攻撃は迎撃する。互いに致命打を与えられないまま、数十、数百近い打ち合いが続く。


 何か、きっかけがほしい。

 一瞬でいい。この戦局を打開するだけの、ほんの僅かなきっかけが。

 あと少しなのだ。あと少しで、私よりも上位に位置するであろう存在に手が届く。あわよくば、それをねじ伏せるつもりでさえいた。

 胸の奥に滾る炎はその勢いを強め、さながら蒸気機関のように私の連撃を加速させる。

 それでも、相手は依然氷のような表情を崩さない。私の纏う炎にも、一切の揺らぎを見せたりはしない。私が熱くなればなるほど、相手は冷めているようだった。


「――もういい。お前は、つまらない」


 それは、諦観に満ちた呟き。

 同時に、片手剣が大きく横に振るわれる。攻撃のためというよりも、牽制のための一撃。重心を後ろに傾けたまま攻撃を放ちつつ、相手はそのまま大きく後退した。

 追撃するか否か。一瞬の躊躇の間に距離が開いたため、私は足を止めたまま大きく息を吐いた。

 緊張の糸は緩めない。相手が再び動きを見せたなら、その瞬間は一気呵成に攻め立てるつもりでいた。


「下位風情が、この私に張り合えるとでも思ったのか? 阿呆め」


 侮蔑の言葉を吐き捨てると、相手は右手に構えていた剣を左手に持ち替えた。

 ――それだけの動作なのに。


 ぞくり、と。


 脊髄に氷水を満たしたかのような、痛烈な悪寒が走った。

 それは本能的な恐怖だったのか。それとも、戦斗少女として覚醒している状況認識能力が告げる、論理的な警告だったのか。

 ガントレットを眼前で交差させ、即座に防御の姿勢を取る。

 それが正解だったのかどうかはわからない。もしかしたら、受身の姿勢になった瞬間に趨勢は決したのかもしれない。

 両の手に伝わる激しい衝撃。歪な金属音が耳をつんざき、舞い散る火花が視界に踊る。一瞬で接近してきた相手が放った斬撃が、ガントレットによって防がれたことによるものだ。


(今までより……重い――!)


 先程までの斬撃よりも、遥かに力の乗った斬撃であった。


(まさか、本気じゃなかったっていうの……!)


 ただ、持ち手を変えただけでこの戦力の向上。

 そう。彼女は"左利き"だったのだ。すると今までの戦闘は、利き手の反対で行われていたことになる。

 私にとっては対等な攻防のつもりだったものが、実はこの剣士にとっては児戯に過ぎなかったのだ。

 先程までの連撃を雨と例えるならば、今の連撃はまさに雹の如し。速度、重さ、巧さ。いずれにおいても、一切の隙がない。

 重ねられる連撃は、私の防御を少しずつ切り裂いていく。脚や腕の皮膚が斬られ、血が滲み出る。痛みはない。痛みを感じないようになっているからだ。

 だが、肉体的なダメージ以上に、精神が削り取られていく。一時は優勢とすら思っていた状況が一瞬で逆転したことによる衝撃は、戦斗少女であってもその拳を曇らせる。


(しまっ――!)


 下段からの逆袈裟を、受け止めようとする。だが、怒涛の連撃により態勢を崩された不完全な防御は、あっけなく吹き飛ばされる。

 両手が大きく弾かれ、無防備な胴体を晒す。

 思考は超速で奔るが、身体は動かない。神経伝達を司る電流でさえも、今の私にはスローに感じられる。


「終わったな」


 スローモーションの世界に、トドメの一言が響く。

 片手剣が翻り、私の胴体を斬り伏せんと迸る。

 死への恐怖は感じない。ただ、ゲーム感覚の延長――失敗ミスをした、という後悔の念だけがあった。それは、ベアトリーチェが私の思考に働きかけているからなのだろうか。

 形ある殺意は、暴風となって頬を薙ぐ。今まさに放たれるであろう斬撃は、全てを引き裂く鋼の風となって、吹き荒ぶ。

 一瞬、視界に映った影は死神の姿か。


 ――ガギン、と。

 鋼同士の打ち合う、重厚な不協和音が鳴り響いた。


「ほう……邪魔立てするのか」


 私を終わらせるはずだった斬撃は、いつまでたってもこちらには届いてこなかった。

 代わりに、冷たくも、しかし穏やかな風が頬を撫でる。

 ――片手剣による斬撃の軌道上に、かつて見た巨大な剣が立ちはだかっていた。


(大剣の、戦斗少女……!)

「存在は聞いていたが、まさかこんな状況で現れるとはな」


 黄金の瞳が見開かれ、口元に凶悪な笑みが浮かぶ。

 紫の長髪を夜闇に靡かせ、大剣の少女は眼前の敵を睨みつける。後ろからその表情を窺い知ることが出来ないが、大体想像がつく。

 片手剣と大剣同士が競り合い、火花を散らす。


「他の戦斗少女に攻撃を仕掛けていると聞いたが、今回は弱者を庇い立てとは。獲物を奪われたくない、といったところか?」


 大剣の少女は答えない。敵対する相手に、何も語るものはないと、その小さくも、強い意志を秘めた力が語っている。

 その美貌に苦々しげな表情を浮かべて、片手剣の少女はその剣を払い抜けると、橋の上弦に向かって大きく跳躍した。


「興が削がれた。今日のところは見逃してやる」


 外套をはためかせ、金色の光は闇夜に淡く消えていった。


 ◇ ◇ ◇


 私は、少女のその背中を眺めていた。


「えっと……あ、ありがとう」


 返事はない。大剣は相変わらずその手に握られたままであるし、こちらを振り向くことさえしない。

 ただ、殺意は感じない。戦闘態勢を解除しないのは、彼女のその覚悟ゆえのものなのか。

 私はガントレットを解除し、素手に戻る。今、斬撃を仕掛けられたならば一撃で屠られることは間違いない。

 だが、彼女は仕掛けてこない。相変わらず険しい表情で、誰もいない橋の上を見つめていた。


「あなた……何者なの?」


 答えを期待していたわけではない。

 一声。この無口な剣士の声を聞いてみたかった、そんな気持ちから来る問いかけだった。


「――気をつけて」

「え……?」


 儚く消え入りそうなソプラノ。

 返ってきた言葉は、私の問いに対する答えではなかった。しかし、他のどんな言葉よりも意味が込められているようだった。


「ちょっと……ま、待って!」


 ゴウ、と。

 一際強い風を感じると、少女は姿を消してしまっていた。


「……一体、何に気をつけろって言うのよ」


 今度こそ、私の周りには誰も居なかった。

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