理由-リーズン-

 朝。

 目に入ってきた、ぼやけた天井に右手をかざす。

 ズキリ、と。

 右腕に僅かな痛みを感じた、ような気がした。昨日の戦闘で刻まれた衝撃が、今なお右腕に残響しているようだった。

 傷はない。この痛みも、気のせいなのかもしれない。痛むという、思い込みかもしれない。


「……他の、戦斗少女か」


 かざした掌を握りしめる。爪が掌に食い込む感触だけがリアルだった。


 ◇ ◇ ◇


 学校の授業が、軌道に乗り始めた。

 二年生ともなると、一年生のときのようなオリエンテーションはなく、教師の自己紹介や、学習方針の説明が粗方終わると、即座に授業に入る。去年の今頃は、もっとダラダラしていた、気が、する。

 黒板に書かれた数式をノートに書き写し、要所要所に色線を引っ張る。お決まりの作業だ。

 もっとも、真面目であることと成績が優秀であることはイコールではない。淡々と書き写してはいるが、少し突っ込んだ内容の話に入ると、脳が思考を放棄し始める。

 板書に漏れはないが、肝心の内容は既に脳みそから幾つかこぼれてしまっていた。


 ◇ ◇ ◇


 昼休みの時間。教師に頼まれて、回収したプリントを持っていくことになった。運悪く。

 プリントの束はそこまでかさばるものではないが、休み時間にわざわざ三階から二階の職員室にまで行くのは億劫だった。 

 なるべく足早に職員室に向かい、速やかに目的を達成し、そのまま自らの教室に戻る。

 その途中で、ある光景が目に入ってきた。


 生徒会長、財前凛。

 入学式で、全校生徒の前で挨拶を述べた生徒だ。黒の長髪は綺麗に切りそろえられ、厳格な印象を更に強めている。壇上で見たときと、同じ印象だった。

 もう一人の生徒――リボンの色は青なので、一年生だ――に、何やら説教をしているようだった。

 髪を可愛らしい髪飾りで片方に結い上げた姿は、活発そうな印象を与えるが、生徒会長の小言を受けながら縮こまっている様は、親に怒られている子供のようにも見えた。それほど、生徒会長が大人びて見え、怒られている生徒が子供に見えたのだろうか。


「ありゃ……可哀想に。なにやっちゃったんだろうね」

「セーラの知り合い?」


 ふと、近くにやってきていた星良が語りかけてきた。一箇所に留まっていないのは、いつものことだ。


雨宮可奈子あまみやかなこちゃん。知り合いっていうか、部活見学会で一緒になった子なんだけどね。新聞部だったかな。入部したかどうかはしらないけど」

「……怒られてるみたいだけど」

「まあ、なかなかインパクトのあるというか、元気な子だったから、若さ故の過ちしちゃったのかな?」


 ひとしきり説教が終わると釈放されたのか。軽くお辞儀をしてから、二人は離れていった。

 一年の生徒――雨宮という生徒の下に、物陰で見ていたもう一人の生徒がやってきて、何やら話していた。

 温厚そうな生徒に対して、雨宮は大げさなジェスチャーを交えながら愚痴を叫んでいるようだった。先程の生徒会長への愚痴だろう。聞かれていなければいいのだが。


「いやぁ、若さっていいねえ。そう思わないかい?」

「……セーラもまだ若いでしょ」

「だよねーっ! っていうか、ユーリも若いんだから、もうちょっとその若さを押し出してね……って、ちょっとまってよー!」


 あの馬鹿さ加減を若さというのならば。私は、もう少し老けていても構わないと思った。


 ◇ ◇ ◇ 


 部活動をしていない私は放課後、一直線に帰宅した。

 自室で着替え、スマホを手に取る。

 ホーム画面に光る、ベアトリーチェの起動アイコンを眺める。


 ――私に与えられた罪の名は「嫉妬」

 それが、私にとっての固有のモノオリジナルなのか、というと、決してそうではない。

 嫉妬心とは、誰もが抱きうる感情だ。私だけの特別な感情というわけではない。

 ならば、私を象徴するほどの感情かというと、それには自信がない。

 確かに、自らの非力さ、凡庸さを呪うことはあるし、周囲の人間に嫉妬することは多々ある。コンプレックスの塊だ、と言われたなら、そうかもしれない、と応えるだろう。

 だが、その感情の強さも結局は人並みだ。その嫉妬心から何かを成し遂げようという気概もなければ、犯罪を起こすほどの度胸もない。

 嫉妬心という感情は。否。それに限らず、他の六つも、激しすぎる感情はありとあらゆるものを滅ぼしうる。

 「怒り」も「驕り」も「飢え」も。それこそ、例えば”人を殺す”には十分すぎる理由になるだろう。無論「妬み」も。

 しかし、一介の女子高生にそれほどの激情が宿っているだろうか? そう問われたなら、答えは否だろう。

 そんな感情を求めるならば、戦争の絶えない国に。飢餓の満たされない国に求めるべきだ。この国に、そんな激情の在り処はない。


 結局、それっぽい人間ならば誰でも良かったのだろうか。

 あくまで、平均値より少し外れてさえいれば、それで十分だったのだろうか。

 何故、どうして、私が。私なんかが。そんな考えが頭をめぐる。

 私以外に、他に適正な人間はいなかったのだろうか。

 例えば、昼に見たあの生徒会長。

 彼女なりの仕事を果たしているだけなのだろう。だが、その姿を"傲慢"と思うか。

 そして、あの一年生。解放された後に、生徒会長に毒づいていたあの姿を"憤怒"と思うか。

 考えても、答えは出ない。誰もが、戦斗少女の素質を持っているのではないか、などと考えてしまう。


 だが、私の頭にある疑問は、もっとシンプルなものだ。


 昨日の、あの少女は、誰だったのか?


 ◇ ◇ ◇


 ――今日は、狩りにはいかないのかい?


 深夜三時。今日も、私は目を覚ました。

 だが、布団からは身を出さない。寒いというわけでもないし、二度寝するつもりでもない。

 ましてや、他の戦斗少女との戦闘が怖いとか、そういう理由でもない。


「ねえ、リヴァイアサン」

 ――おや、なんだい。

「……私達七人は、どうやって選ばれたの?」


 きっかけは、あの日のグループチャットだ。

 1から7までの数字を与えられた七つのアカウント。実際に発言していたのはその一部だが、あの場の七人こそが、七つの大罪の名を冠する、戦斗少女。ベアトリーチェとの契約者。


 ――なるほど。いい質問だね。

「……で、答えは?」

 ――君の思っているというか、望む答えに近いものだよ。

「つまり……?」

 ――選考基準は、そこまで極端ではないということさ。

 ――対象エリア内の高等学校を一つ選定し、そこに通う女子生徒を七人選ぶ。その七人の心の奥底に、少しでも「炎」が滾っていれば、それだけで選ばれうる資格者になる。

「炎?」

 ――嫉妬の炎。それが、ボクが君を選んだ理由。

「……その炎は、他の誰よりも強かったの?」

 ――どうだろう。別に、それの強弱や、質の善し悪しで決めたわけじゃないんだよ。

「どういうこと?」

 ――全ては気まぐれ。ボクが、キミに似合ってるんじゃないかって思っただけのこと。

「説明になってない」

 ――そう。ベアトリーチェを運用する者に求められるスペックなんてものは、大したものじゃない。"ボク達"に、好かれたかどうかだけさ。


 そういうことか。

 なるほど。気まぐれに人身を弄ぶ悪魔らしい理由だ。非の打ち所のない、完璧で、真っ当で、馬鹿馬鹿しい理由だ。


「……あなたみたいなAIが、他にもあって、それらも結局気まぐれでそれっぽい人を選んだってこと?」

 ――その通り。ベアトリーチェの与える力は絶大だ。確かに、個々人の素質を一定反映するとは言え、最終的にベアトリーチェの力となるのは意志の力であり、そして、意志の力は万人に差別がない。


 運動能力。思考能力。身体差。容姿の差。身分の差。

 これらは全て不平等だ。全てを兼ね備えるものもいれば、全てが欠落したものもいる。

 だが、ベアトリーチェはこれらのハンディキャップを全て無かったものにしてくれる。意志の力を、現実の力に変えてくれる。


「そういうことなの……?」

 ――そうだよ。その意味において、ある一定の意志の力を持ったものが、選ばれると言ってもいいかもね。


 それも、後付の理由なのだろう。


 ――さて。自分が選ばれたことについて、納得はできたかい?

「そうね……諦めがついた」

 ――そうかい? せっかくなのだから、特別であることを、喜べばいいんじゃないかな?

「いい。だって――」


 この力ベアトリーチェを振るうために、私は凡庸であるのだから。

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