初陣-チュートリアル-

 目が覚めてしまった。

 覚めた、ということは、いつのまにか眠れてはいたようだ。

 カーテン越しから月明かりが差し込んでいる。手を伸ばし、机の上のスマホを手に取る。

 時刻は、深夜の三時過ぎだった。

 眠気は全く感じていなかった。まるで、この時間に起きることが当然であるかのように、頭は冴えていた。


 ――おはよう。

「……今、何時だと思ってるの」


 リヴァイアサンの声だった。


 ――二七時十一分。皆が寝静まった今が、シェイドの活動時刻だよ。

「……そういえば、そんなことも言ってたわね」

 ――それじゃ、行こうか。

「何処へ?」

 ――もちろん。影狩りにだよ。


 それはまるで、遊びにでも誘うかのような気楽さで。


「かげ、かり」

 ――そのアプリは、シェイドの探知機、レーダーの役割も兼ねている。近くに、いい感じの練習台がいるみたいだよ。

「練習台って……」

 ――ベアトリーチェの力試しだ。ゲームで言うチュートリアル、習うより慣れろ、だよ。


 ◇ ◇ ◇


 深夜の住宅街に人気はなく、暦の上では春なのだが、寒さは未だ衰えていなかった。

 適当な服に着替えて、その上から薄手のコートを羽織ってみたものの、両手をポケットから出せそうにはない。

 こんな時間に徘徊する女子高生……警察に発見されたならば、即座に補導されるだろうが、幸い警察の気配すら感じられない。

 春休みの頃、日付が変わるギリギリくらいのタイミングにコンビニ出かけたことはあるが、こんな時間に外を出歩くのは初めての体験だ。

 とはいえ、それで気分が高揚するなどといったことはない。町並みは変わらず、ただ、暗いだけだ。


「……で、どこに行くの?」

 ――そこまで遠くはないよ。


 家から徒歩五分のところに、小さな公園がある。

 遊具はブランコと砂場だけの、こじんまりとした公園だ。私も子供の頃、何度か来たことがあることを覚えている。

 ここにも人気はない。街灯に、小さい羽虫が群がっているだけだ。

 だが、人気はなくとも――それ以外の、なにもないのだが、なにかがある。なにかがいる雰囲気が、肌を刺すのを感じる。


「……何か、いる?」

 ――そう。それがシェイドだ。


 目を凝らして周囲を見回すが、あたりには何も見当たらない。

 シェイド――だが、この暗闇に満ちた世界に影も陰もあったものではない。世界全てが、襲い掛かってくる暗闇なのだから。

 五感全てを研ぎすませても、何も感じられない。

 唯一。第六感だけが、何かを告げていた。


 ――アプリを起動して、変身を。

「へ、変身?」

 ――ベアトリーチェは、君を影狩りの戦士に変えるためのアプリ。そうすれば、見えないものが見えてくるから。


 いよいよもって、特撮番組じみてきたと思った。だが、リヴァイアサンの口調に秘められた魔力に突き動かされるように、私は無言でスマホを取り出した。

 息をすることを長く忘れていたようで、口内に溜まった唾液を嚥下する。

 戦斗少女変身アプリ、ベアトリーチェ。

 ……今この瞬間は、夢か現か。このアプリを起動すれば、それの答えが得られるのか。

 アイコンをタップし、アプリを起動する。

 画面いっぱいに光が満ちる。起動は一瞬で、画面上には、スライドを促すアイコンが表示されている。


「これが……ベアトリーチェ」

 ――そう。それをスライドして、まずはアーマーを召喚するんだ。


 リヴァイアサンの声に従うまま、私はスマホの画面上に指を滑らせた。

 すると、画面から光が溢れ出し、その光は私を取り囲むように回転し、なにかの形を為していく。

 それは、まるで衣装のようだった。

 自分の周囲を衣服やアクセサリーの形をした光がくるくると、衛星のように回っている。

 そのフォルムは戦乙女の武装というよりは、アイドルの衣装のようだとも思った。鎧や甲冑などといった無骨さはなく、むしろ観客の熱狂を煽るための衣装だと。

 スマホの画面に目を落とすと、そこには見知らぬ顔が映っていた。


 あなたは、誰?

 第一印象は、それだった。

 整った輪郭。月光と街灯に照らされ艶めく緑の髪は、煌々と灯る炎のよう。そして、見つめ合うエメラルドグリーンの瞳には、強い意思が宿されていた。

 自分の知らない顔。だが、浮かべている表情は今まさに自分が形作っているそれと同じだ。

 つまり、このスマホに表示されている画面は、内カメラ――自分の顔を撮影するための機能が起動している状態であった。


「これ……私の、顔?」

 ――そう。このアプリは、ただの少女を、影を狩る戦士に変える。


 カメラが写す、自分のものじゃない、自分の顔。

 これが、このアプリの力だとでも言うのか。

 変身。化粧や整形などではない、別人への変貌だった。


「………」

 ――さあ。撮影ボタンを、タップして。


 画面に映る顔に魅入られるように、画面に映るボタンをタップする。

 カシャリ、と。

 自分の顔を写す音と、眩いフラッシュが身体を包み込む。

 その光は実体となり、私の身体を包み込んだ。衣服が光に溶け、自分の身体は光のシルエットに変わる。

 すると、先程から周囲を漂っていた衣装が私に装着――着替え、などという表現ではなく――される。

 そして、この美しい衣装とは対照的な装備。暗く沈んだ色の鋼鉄製の手甲が、小気味いい金属音とともに装着される。


「これが……影狩り」


 美しく響くアルト。それは、普段の私とは異なる声。淡々と紡がれたはずの単語が、まるで語られる詩のようで。

 誇張表現だとは思うが、自らの声に聞き惚れそうになっている自分がいた。


 ――そう。それが、嫉妬の兵装。見た目はまるで舞台衣装だけど、実際には目に見えない防護フィールドが展開されているから、露出している部分も防御されているよ。

 ――そして、そのガントレットが君の武器だ。


 両の手に装着されたガントレットを見る。カチャリと、金属同士が擦れ合う音がした。

 肘の近くまでカバーする鋼鉄製――のようにみえるのだが、私達が日頃触れる金属のどれとも違う――のガントレットだ。

 華やかな戦装束とは対照的に、機能を追求したシンプルなフォルム。ただ、よく見ると内部に複雑な技巧を内蔵している。どういった動力で動くのかは分からないが、これの"扱い方"は、わかる気がした。


 ――名は「プロメテウス」大事に使ってあげてね。

「プロメテウス……神話の、名前?」

 ――その通り。人類に火を齎した神。もっとも、君の駆る火はそんな生ぬるいものじゃない。全てを焼き尽くす激情……制御できるかどうかは、君次第だよ。


 全身に満ちるエネルギー。そして、手の内に感じる確かな力。体の奥底から滾る熱情は、まるで心臓に火が付いたよう。

 ――思わず口元が釣り上がり、艶やかな笑い声が溢れた。


 ◇ ◇ ◇


 眼前に、ソレは居た。

 光の反射がないため平面的に見えるが、実際には立体的なフォルムだ。

 真っ黒な不定形の何か。人の姿を模しているようにも見えるし、獣の姿のようにも見える。

 その形ある影に瞳はない。しかし、明らかにこちらを見ているようだった。


 一拍置いて、私は駆け出していた。

 軽く地面を蹴ったつもりだったが、彼我の距離は一瞬で消え去った。たった一歩の跳躍で、十メートル近い距離が消失したのだ。

 だが、焦りはない。次に私がとった行動は、その速度を殺さぬよう、シェイドの胴体に右の拳を叩き込むことだった。

 全身を弾丸と化したかのような右ストレート一閃。それはシェイドの身体を確実に捉えた。

 柔らかいとも、硬いとも形容しがたい感覚。だが、一つ言えることは、生き物を殴るような厭な感触はなく、まるでサンドバッグを全力で殴り抜けるような――経験はないのだけど――ある種の爽快感が掌から伝わる。

 衝撃波と同時にシェイドの胴体が飛ぶ。そして、公園の柵に激突し、そのまま柵ごと更に奥へと吹き飛んでいった。


 ――建造物を破壊しても支障はないよ。シェイドとの戦いは、実際の世界で行われているわけじゃないのだから。

「どういうこと?」

 ――シェイドとの交戦は、通常空間では行えない。ベアトリーチェを起動するということは、シェイドと交戦可能な次元に移動するということなんだ。

「……要するに、暴れてもかまわないってこと?」

 ――ま、そうだね。君が敗北しない限りは、現実世界の建造物に悪影響が及ぶことはないよ。


 だったら。

 シェイドの吹き飛んでいった方向に向けて飛びかかる。

 のそり、と起き上がってきた身体に再び肉薄する。今度は、速度に任せた拳撃ではない。シェイドの眼前で、左足を全力で踏み込む。

 地面が抉れ、左足がめり込む。砂煙が巻き上がるが、私の視界に映る影を見逃すことはない。

 右の拳を強く握り込むと、ガシュン、と、機械的な動作音が鳴り響いた。

 右手のガントレットのギミックが動作した音だった。まるで拳銃を構えるかのように、内部の装置が撃鉄を起こす。


「喰らえ……っ!」


 左足をアンカーとして、右拳を全力で叩き込む。

 インパクトの刹那、拳に力を込めた。鋼鉄が鋼鉄をねじ切り、爆薬が炸裂するような轟音と、何かが射出されたような衝撃が伝わってきた。

 シェイドの身体が大きく歪み、上半身と下半身に引き裂かれ、そのまま爆散していった。

 ガントレットに仕込まれたギミックの一つのようだった。拳打の瞬間、圧縮されたエネルギーを爆発させ、威力を増大させる機構だ。

 生身の人間が震えば、自らの腕を粉砕するようなおぞましいこの武器も、今の私にとっては心地よいヴァイブレーションにしか感じられない。


 ――おめでとう。これが、シェイド討伐。これが、ベアトリーチェの力。そしてこれが、君たちの使命だよ。

「これが……」


 息は切れていない。あれほど全力の疾走、打撃を行いながらも、身体には一切の疲労感はなかった。

 その代わりに身体を包み込んでいたのは、むしろ一種の多幸感だった。

 圧倒的な力を振るう、カタルシス。それは、まるで完成されたゲームのようだった。


 ――楽しかった?


 リヴァイアサンが、いたずらそうに訪ねてきた。


「――少しだけ」


 思わず漏れそうになる笑みを、噛み殺しながら言った。


 ◇ ◇ ◇


 そこは、明かりのない自室だった。


 ――シェイドを討伐したら、現実の世界に戻ってくる。その際、元の場所に戻ることも、自分の生活拠点に戻ることもできる。

「便利な機能……」

 ――遠方のシェイドと戦うこともあるからね。

「遠方って、どのくらい?」

 ――とはいっても、範囲は限定的だよ。半径20km以内程度には収まっている。

 ――今回は現地で変身したけど、シェイドの気配さえ感知できれば家から出撃することも出来る。

「遠方にはそうやって行け、ということ」

 ――その通り。変身後の脚力ならば、この街の何処へでも、数分もあれば到着することが出来る。

「……おさらいしてもいい? つまり、このアプリの能力とは「シェイドと戦うために身体機能を引き上げ、武装を装備する」「シェイドと戦うための空間にワープする」ということ?」


 戦斗少女変身アプリ、ベアトリーチェ。変身アプリと謳っておきながら、そのシステムは多岐にわたるようであった。

 シェイドを感知する力。衣装を生成し、装着する力。私の身体を"作り変える"力。シェイドと戦うための空間……異次元、裏次元とでもいうのだろうか。そんな場所に転移させる力。

 そういった意味では、このアプリの本質は「変身」ではなく、もっと別のところにあるのではないか。


 ――ご明察。早速、このアプリの本質を見抜いてくれたね。

 ――その理解で概ね正解だよ。そして、そこまで理解していれば他は問題なさそうだね。


 もっとも、詳細な本質を理解したところで、何かが変わるとは思えないが。


 ――他の機能などについては、追って説明するとしよう。今日はもう寝た方がいい。

「……そうね」


 体の中の熱は、冷めやまない。

 思えば私はこの時既に、この悪魔の玩具とでも言うべき代物に魅入られてしまったのかもしれない。

 無機質に光るスマホの電源を落とし、寝間着に着替えて床に就く。

 時刻は、既に深夜の四時を過ぎていた。

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