第八回 俺、組む!
織田からの正式な使者が現れた。
使者は、滝川一益。〔先駆けは滝川、
その男が来たのだから、連合に賭ける信長の本気度が伺える。
俺は満座の前で、
「対等の連合であれば、その話を考える余地はある。しかし、臣従とあれば最後の一兵となるまで、松平党は戦う」
と、改めて言った。それに対し一益は、不敵な微笑みを返した。
「流石は、三河を征さんとする松平党の頭領でございますな。お噂通りの気骨」
一益を別室に待たせ、俺は家臣団と話し合う事にした。
予想通り、反対の声は多い。中には美濃の斎藤と組み、尾張を切り取るべしとの意見も出でいた。
(ほう、美濃か……)
そういう手もあるのか。歴史の裏には色々あるものだ。しかし、感情的な連合反対は看過できるが、斎藤の名が出たのは気になる。
俺は発言した
言ってしまえば、他の者は渋々頷いた。皆、頭では連合する事の利を理解しているのだ。
だが、それでも連合に反対する者がいないわけでもない。織田に家族を殺された者も少なくないのだ。そこは乗り越えてもらわねばならないが、それが出来ない者は何故か吉良義昭の下に集まっているそうだ。
「どうやら、連合締結が火に油を注ぐ事になったようで」
諸事の報告に現れた本多正信が、そう言って口許を綻ばせた。傍には鳥居忠吉だけがいる。
「盛大に燃え上がりそうだな」
「お陰で、やりやすうござる」
「吉良と結びつけているのはお前か」
「人は選んでおりますよ。生かしても害しかならぬ者ばかりで」
正信の謀略は、上手く行っているようだ。それから、反対派へ送り込む人選の話にもなった。
反対派には、息の掛かった者を数名参加させると決めていた。これは正信の発案で、情報を得る事もだが、戦になればこちらが有利になるよう動いてくれるはずだ。
忠吉は、渡辺守綱や蜂屋貞次、夏目吉信の名を挙げた。どれも勇猛で、武士らしい武士である。
「その辺りは任せる。だが、その三名を傷つけぬようにな」
「お優しいですな」
忠吉がそう言って笑い、正信もシニカルに口を綻ばせた。皮肉にも聞こえたが、俺はスル―した。そうしたスキルは、この時代で身に付けたものだ。どうやら俺は、順調に狸化しているようである。
正信が去ると、俺は忠吉に篠山の調査を命じた。
「篠山保茂……。駿河から来た武士でござるな」
「この者を調べてくれないか」
「ほう」
「理由が気になるか?」
「いや。先入観が無い方がようござろうて」
「尾張様が、清州での会談をお望みでございます」
信長の要望を伝えたのは、交渉を一任している石川数正と高力清長だった。
俺は二人を尾張に遣わし、連合の細部まで話し合わせていたのだ。勇猛揃いの三河武士の中にあって、沈着冷静で視野が広い二人の存在は貴重であった。
「尾張にだと? 対等な連合のはずなのに、尾張に来いだと!」
本多重次や大久保忠世が、声高に反対した。
「連合を組むにしても、尾張と三河の間でいいではないか!」
「尾張者は油断ならん。罠やもしれぬ!」
そうした声を、俺の代わりに酒井忠次が抑えた。
「よう考えてみよ。尾張様が殿に手を掛ける事はありえん。美濃と三河に攻められ、待つのは滅びじゃ」
「そうはならんと断言できるのか?」
「出来る」
俺は口を挟んだ。
「殿……」
「尾張殿は、そこまで短慮ではない。それに我らは幼友達。心配は無用じゃ」
俺が言うと、それ以上言い募る者はいなかった。
「それにさ。ここで肝を見せねば、尾張殿は対等とは見てくれぬだろうよ」
清州へ出立前、忠吉が掃除を終えたと報告に現れた。
篠山は斎藤家と繋がっていて、美濃と連合するように動いていたそうだ。その確証を得て、俺は忠吉に始末を命じていた。
最近、こうした暗殺にも躊躇なく命じる事が出来るようになっていた。一人でも多く生かす為の、最善の方法。そう思えば、手を心を穢す事も厭わなくなった。
主君の務めなのだ。家臣と領民の生命と財産、権益を守らなければならない存在。それが出来ない主君は、その座を追われる。これが乱世の、戦国の掟なのだ。
「殿は最近怖くなりましたなぁ」
忠吉が言った。
「儂がか?」
「好悪の感情を表に出さず、こういう事をなされる」
「……」
「今回殿は、篠山と談笑した後に拙者を呼ばれ、始末をお命じになられました」
「そうだったかな」
俺はとぼけてみせたが、これは意図したものだった。
宣教師が残した史料には、こう記されている。
「日本人は、自尊心が強い。罵倒しただけでも、それを憎んで相手を殺してしまう。当然、主君が粛清を企んでいると知れば、先手を打って殺してしまうほど、執念深い存在なのだ」
俺の頭には、現世で読んだそれがあった。
殺るか殺られるか。中途半端な容赦が、自分をそして多くの者を殺してしまう。
清州城。
その広間に通された。
案内役は、秀吉。相変わらずの異形だが、折烏帽子に直垂姿では、印象がまた違う。
「松平蔵人佐元康様でござる」
秀吉が高々と告げると、俺は上座にいる信長を見据えた。
陽に焼けた精悍な顔立ち。うつけと呼ばれた野生児の面影が残るが、目の鋭さには神経質な性質を伺わせる。
織田信長。
戦国の革命児。第六天魔王。否が応でも緊張と圧を感じる。が、俺も後の東照大権現。神君。ここで気圧されれば、この連合は従属になってしまう。
「よう参られた、元康殿」
信長が険しい顔に笑みを見せ、したたかに頭を下げた。
それに場がざわついた。信長が頭を下げる事が珍しいのか。
「何年振りかのう?」
「さて……長い長い年月のような気がいたします」
「人質の日々が、おぬしをそうさせたか」
「そうとは何でござろうか?」
「面構えじゃ。この信長の前でも、平然としておる。媚びず、恐れず、怯まず。中々そうした者はおらん」
信長が言うと、俺は笑い声を挙げた。
「元より尾張殿は兄と、いや勝手ながら友と慕っておりますれば、どうして恐れましょうか。しかも、これよりは対等の連合を結ぶ身。時には諫め時には励ますのに、差し障りがございます」
「ふふふ。友か……俺を友と申すか」
信長が、鼻を鳴らした。
「頼むぞ、元康殿。俺は西、おぬしは東に」
「背中はお守り申す」
「俺もまた、おぬしを守ろう」
こうして、清州同盟が成立した。信長の手元にいた
現世では一つも成し得なかった大仕事を成功させ、俺は充実した疲労感で、その夜はしたたかに酔った。
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