恥物語 ~諫早孝一編~
自分が『モテる』ことは自覚している。
いやこれは嫌味ではなく、実際の経験から客観的に分析した結論だ。ナルシストになった覚えはない。
小学生の時から幾度となく告白を受けてきた。直接だったり電話だったり手紙だったり、され方は様々だった。
だが全部断った。
好みの娘がいなかったわけじゃない。受け入れると現状の人間関係が壊れてしまうかもしれない。その可能性が恐くてたまらなかったのだ。
もっとも、そんなことよりもずっと深い理由があったりするのだが、それはまた別の話なので割愛しておく。
普通は一回か二回断れば諦めてくれる。
でも、中学三年の時のアレは違った。
正直、あんなのはもう勘弁してもらいたいものだ。
∞
「あの、私、
おさげ髪のよく似合う二つ下の可愛らしい後輩女子だった。
他に誰もいない学校の屋上で、彼女はオレンジ色の夕陽を背にして告白した。頬は上気し、声は上ずり、一世一代の大勝負といった様子だった。
下駄箱に手紙という古典的な方法で呼び出された諫早孝一は、特に緊張したり狼狽したりはせず優しく微笑んだ。
「ごめんな。気持ちは嬉しいけど、オレはまだそういうことをする気はないんだ」
いつも通りの台詞。春先から秋風が肌寒くなるこの季節に至るまで、孝一は既に十七回もの告白イベントをそうやって退いてきた。今年だけでそれなのだからこういう場面は慣れたものである(全国過半数の野郎どもから石を投げられそうだが、事実なのだから仕方ない)。
断った次の流れは、断った理由についての質問タイムだ。
「受験生、だからですか?」
「それもある。けどオレは今の居心地いい交友関係に亀裂を生じさせたくないんだ」
「それは先輩が私と付き合ったら壊れてしまうものなんですか?」
「壊れるかもしれないし、壊れないかもしれない。あいつらはいい奴らだからな。祝福してくれるとは思う」
「だったら」
「でも、絶対気を遣わせてしまう」
言葉を遮って強めに言うことで、後輩女子――美良山に言葉を引っ込めざるを得なくさせる。
「オレは恋愛するよりあいつらと楽しく遊んでる方がいいんだ。オレは遊びたい。あいつらが気を遣って遊ぶ時間が減り、距離を置き始めたら、それはもう壊れたのと同じだ」
「遊び遊びって……子供なんですね」
「子供でいいじゃないか。恋愛なんて年齢的、社会的に大人になってからすればいい。今は今しかできないことをオレはやりたいんだ」
『今を全力で楽しんで生きる』がモットーの孝一は、美良山がなにを言おうともその考えを曲げる気はなかった。
「やっぱり他に好きな人がいるんですか?」
「そんなことは言ってないぞ」
孝一の考えを理解できない人からすれば、『意中の相手がいることを隠す言い訳』にしか聞こえないのだろう。こういう質問は必ず来る。否定すれば否定するほど相手の中で勝手に確信に変わってしまう厄介な誤解だ。
「いるんですね。それってもしかして――」
予想を挙げてきた場合、普段から一緒にいることの多い彼女の名前がほぼ間違いなく出てくる。
彼女――孝一の親友兼幼馴染である鷺嶋愛沙の名前が。
来るとわかっているから回避方法は幾通りもある。ここを乗り切ればみんな一旦は引き上げてくれることも経験から知っている。
――さて、今回はどうなるかな。
いつでも台詞のパターンを切り替えられるように準備する孝一だったが――
「秋幡紘也先輩ですよね!」
∞
「「「ぎゃははははははははははははははははっ!!」」」
次の日、孝一が教室で友人たちに相談すると、腹を抱えて笑われた。
「ちょ、お前ら笑うなよ!」
気持ちはわかる。孝一が逆の立場だったら同じように笑っていただろう。だがそれはそれ、これはこれだ。
「だってお前、今までずっと断ってんだろ? ぷはっ」
「そりゃ男色って思われてもしゃーねーわな。くひっ」
「つーか、ついに来たかって感じだよな。ざまあ。ヒー」
「こんにゃろ……」
なんて薄情な奴らだ。
「なあ、紘也からもなんか言ってやってくれ」
孝一は小さい頃からの親友に助け舟を求めたが――
「悪い、孝一。俺はお前の親友だけど、その気持ちには応えてやれそうにない」
「待て紘也、心なしか少しずつオレから遠ざかってる気がするんだが?」
「いや気のせいだ。孝一、俺たちは一生『友達』でいような」
「そのつもりなのに言われるとなんかすげー傷つく台詞!?」
おかしい。守りたかった友人関係が罅割れていく……。
「コウくん、男の人が好きなの?」
もう一人の親友、黒髪に赤いリボンが特徴的な女子生徒――鷺嶋愛沙がキョトリと小首を傾げた。純心無垢な瞳で見詰められて孝一は冷や汗を隠し切れない。
彼女の肩に手を置き、涙を流しながら諭すように言う。
「違う。違うぞ愛沙、オレは至ってノーマルだ。信じてくれ」
「大丈夫だよぅ。オランダに行けば同姓で結婚できるって先生が言ってたから」
「どの辺が大丈夫なんだ!? あとそのセンコーつれて来い説教してやる!」
こういうツッコミ事は大抵いつも紘也の役割なのだが、どうも今日は立場が逆転している。状況的に孝一がアウェーなのだから仕方ないと言えばそれまでだが。
「それで、その子はコウくんのこと諦めたの?」
「いや、なんとか引き下がってはもらえたんだが……」
孝一は昨日の告白の続きを回想する。
「秋幡紘也先輩ですよね!」
「えっ? はい? 悪い、よく聞こえなかった。もう一度言ってくれないか?」
「秋幡紘也先輩ですよね!」
「ははっ、勘違いしているのか? 紘也は男なんだが……」
「わかってます! わかってますとも! そういうことでしたら私は潔く引き下がりますっていうか寧ろ応援させてください全力でハァハァ!」
「どうしてそんな嬉々とした顔で息を荒げてるんだっ!?」
「大丈夫です! モーマンタイです! 私に任せてください!」
「なにを!? いやだから紘也は――」
「いいんですいいんです! 皆まで言わなくてもわかってますキャーッ♪」
「あのな。勝手に暴走してるところ悪いが――」
「あっ、諫早先輩すみません。ちょっと冬コミの参加希望を出す予定がたった今できましたので失礼します」
「待て待て待てぇえっ!?」
――回想終了。
「……」
「……」
「……」
話を聞いたクラスメイトたちの間に長い沈黙が下りた。男子も女子もみんなが「うわぁ」と言いたげな表情で孝一を見ている。さっきまで爆笑していた男子たちも憐れみの目だった。
「つまり」
と、その沈黙を打ち破るように紘也が腕を組んで問いかける。
「孝一はその誤解を俺たちに解いてほしいわけだな?」
「ああ、そういうことだ。美良山がこれからどんなアクションを起こしてくるか、正直オレにも予測できない。ところで紘也、オレの気のせいじゃなければ十メートルくらい物理的に距離が開いてるように見えるんだが?」
「気のせいだ。とりあえず孝一が女子と付き合えば問題は解決するんじゃないか?」
「『オレには彼女がいるからBLじゃないんだぜ大作戦(仮)』ってか? いやいやいや」
「本当に付き合うのが嫌ならフリだけでもいいし」
「紘也、落ち着いて考えよう。それは流石に――」
言葉の途中で孝一は気づいた。
教室内の空気が一変していることに。
正確には、女子たちの空気が、であるが。
「し、仕方ないなぁ。そういうことなら私が諫早君の彼女役を引き受けてあげてもいいわよ」
一人の女子が一歩前に出て進言してきた。学級委員長の
すると張り合うように次々と女子たちが前に出てくる。
「あ、いいんちょズルイ! それならあたしと付き合って諫早君!」
「誰と付き合うかは彼の気持ち次第だけど、私だったら嬉しいな」
「諫早君ここは是非私と!」
「いえいえわたくしと」
「私が一番うまく諫早君の彼女を演じられます!」
「ウチはフリじゃなくってもいいよ」
「お前ら、ちょ、押すなってどわあぁああああああああああああっ!?」
一人が言い出したことで、入れ食い状態の魚のように大勢の女子たちが孝一に押しかけるのだった。
その光景を見る男子たちの目はというと――真っ赤だった。
「なあ、秋幡」
「なんだ?」
「ダイナマイトって、百均で売ってるかな?」
「あったらいいな」
女子たちの黄色い声に混じって恐ろしい会話が聞こえた気がした。
∞
そんな孝一のクラスを、美良山仁菜は向かいの校舎の屋上から覗き見ていた。
双眼鏡で。
「……なんなのですか、あの女たち」
耳につけたイヤホンからは教室内の音声が鮮明に聞こえてくる。今朝早く教室内にこっそり盗聴器を設置しておいたのだ(そんなものをどこで入手したのかは内緒)。
「みんなして諫早先輩を……フフフ、許せませんね」
彼のことを好きという美良山の気持ちは本当だ。だから、他の女と付き合うなどフリだとしても腹立たしい。
「先輩には、もっと男の友情を温めていただかないと」
けれどそっちだったら全然OKだ。フラれたことも潔く認められるし、ムフフな妄想が溢れて止まらずヨダレガデマス。
そしてなにより、いつか振り向いてもらえるかもしれない。
「私は約束をちゃんと守る子です。なので全力で応援させてもらいますよ、諫早先輩」
孝一にとっては覚えのない約束だろうが、美良山の中では指切りをしたレベルまで膨れ上がっていた。
「ひとまずは、あの女狐たちをなんとかしないといけませんね」
嫉妬と欲望と希望を胸に、美良山は静かに屋上を立ち去った。
∞
かくして『オレには彼女がいるからBLじゃないんだぜ大作戦(仮)』は保留となった。
だがそれは授業が始まってしまったためであって、放課後に立候補した女子たちによる緊急会議が開かれるらしい。無論、孝一の意思は丸っきり無視である。
やはり面白くない。普段ならばこういう企画物の中心に立ちたがる孝一だが、自分が主役となれば話は別だ。映画に例えるなら孝一はあくまで監督ポジション。俳優になって演技したいとは思わない。
やがて時は過ぎ去り、放課後を知らせるチャイムが鳴った。
――どうする? 適当な理由つけて逃げるか?
幸い口には自信がある。美良山みたく話を聞かない奴でなければ、屁理屈を論理的に並べ立ててサヨナラすることなんて容易い。しかし――
「孝一、ここで逃げたら誤解は深まるだけだぞ」
「ああ……」
席を立つ前に隣の紘也から釘を刺された。もっとも、それがわかっているからこそ孝一は今まで会議を中止させる策を練らなかったわけだが……。
「それじゃあ、さっさと帰って受験勉強しろよー」
担任の先生がテキトーに締め括って教室を後にした。
その直後、会議に参加する予定の女子たちが一斉に椅子を引いて立ち上がる。
――来るか!
と気持ち身構える孝一だったが、意外な事態が発生した。
「ご、ごめん、あたし部活に顔出さなきゃいけなくなっちゃったんだよねー」
「そ、そういえば私、先生に進路のことで相談したかったのを思い出したわ」
「私も、ちょっと家の用事が……」
「わたくし、今日はバイオリンのお稽古がありますの」
「今は恋愛より受験が大事だって気づいたわ」
「ウチもよく考えたらなんかどうでもよくなってきてさぁ」
彼女たちは口々になにかしらの理由を述べて逃げるように教室から去ってしまったのだ。
「……みんな、どうしたんだ?」
残された約三分の一のクラスメイト全員が疑問符を浮かべる中、紘也が代表して訊ねた。しかし誰からも答えが返ってくることはなく、しん、と教室内が静まり返る。
数十秒の静寂の後、唯一帰らなかった学級委員の水谷が孝一に歩み寄ってきた。
「なんかよくわからないけど、私だけ残ったみたいね」
「そうみたいだな。だが水谷、オレは――」
「わかってる。本当の彼女にしてほしいとは言わないわ。でも諫早君の不名誉な誤解を解くためだから。協力してあげる。いえ、協力したいの」
優しい笑顔でそこまで言われたら断るに断れない。
腹を括るしかなさそうだ。
「オーケーオーケー。もうオレもぐだぐだ引きずるのはやめよう。水谷、よろしく頼む」
両手を挙げて孝一が降参すると、水谷は後ろを向いてぐっと小さくガッツポーズ。それから向日葵のような笑顔で彼女は孝一に振り返った。
「作戦は明日からでいいのよね? だったら今夜中に私の方でもいろいろとプランを練っておくわ」
どこか嬉しそうにそう告げて帰宅した水谷だったが――
翌日、彼女は学校を休んだ。
∞
「あー、誰か水谷にプリント届けに行ってくれないか? ていうか諫早、お前が行け。お前も学級委員だろ」
授業が終わると、担任教師が孝一を強制的に指名した。女子の学級委員が水谷なら、男子の学級委員は孝一なのだ。
「孝一、俺も一緒に行こうか? ちょっと気になることもあるし」
「ヒロくんも行くならわたしも行くよぅ。ほら、女の子もいた方がサエちゃんも安心すると思うのです」
「サンキュ、二人とも」
そう言ってついて来てくれる二人はやはり一番のシンユウだ。親友、心友、信友、真友、どれだって当てはまる。
紘也の言う『気になること』とは、女子たちの孝一に対する態度のことだろう。
今日一日中、昨日不自然な言い訳をして帰った女子たち全員があからさまに孝一を避けていたのだ。目が合えば逸らされ、近づけば露骨に距離を取られる。話しかけても無言を返される始末だった。
けれどそれは、孝一を嫌っているから、という風には見えなかった。
皆が皆、本当に申し訳なさそうな表情をしていたからである。すぐにでも謝りたいのに、まるでそうすると命を落としてしまうような恐怖心も見て取れた。
だから確認しなければならない。
水谷も同じなのかどうかを。
たとえ担任に指名されなくても、孝一は適当な理由でプリントを届ける役を買って出るつもりだった。
「ここがサエちゃんちだよぅ」
水谷の家を知っていた愛沙に案内してもらって辿り着いたそこは、これといって特筆するところのない至って普通のアパートだった。
水谷は一人暮らしをしている。一年の頃は実家から通っていたのだが、通学に片道二時間もかかるため二年からそうすることにしたらしい。中学生で一人暮らしとは珍しい部類だ、と思ったが、孝一も同じなので他人のことは言えない。
インターホンを鳴らすとすぐに返事があった。喉を傷めているのか擦れるような風邪声。流石に仮病ではないようだ。
孝一だと避けられるかもしれないので愛沙に応答してもらう。するとあっさりドアを開いてくれた。
「い、諫早君っ!?」
孝一を見つけるや否や、水谷は目を大きく見開いた。「どうして?」とでも言いたげな表情である。
「ごめんなさい。体調悪いから、プリントだけ受け取るわ」
「おっと、待ってくれ水谷。話があるんだ」
ドアを閉められそうになったので孝一は咄嗟に手を伸ばしてそれを止めた。水谷は無理に閉め続けようとはせず、視線を僅かに下へ向けて迷うように押し黙る。
とそこで孝一は見た。彼女の右腕に包帯が巻かれている。頬にはバンソウコウ。不自然に片足を浮かせているのは負担や痛みを軽減するためか。
彼女は病人だけじゃなく、怪我人でもあった。
「なにか、あったのか?」
真剣に問いかけると、水谷は意を決したらしく小さく息を吐いた。
「……上がって。中で話すから」
「悪いな、無理させちまって」
「ううん、いいのよ。たぶん、誰かが言わないといけないことだから」
水谷の後に続き、孝一たちは彼女の部屋に入った。
適当に床へ腰を下ろし、失礼を承知で軽く辺りを見回してみる。水色を基準に選んだような可愛らしい家具で彩られているが、物は意外と少なく、随分とスッキリとした部屋だった。
「昨日帰ったら、これがポストの中に入っていたの」
水谷は一枚のA4用紙をテーブルの上に置いた。
そこには小さな字でこう印刷されていた。
【諫早孝一に近づくな。
諫早孝一と話すな。
諫早孝一を想うな。
これは警告である。
無視した場合、あなたに不幸が訪れるだろう】
あからさまな脅迫文だ。
「これ、信じたのか?」
紘也が訊くと、水谷は目を伏せて首を横に振った。
「最初は信じなかった。誰かのイタズラだろうって」
でも、と彼女は続ける。
食器を割ってしまい、その破片で頬を切ったこと。
本棚を整理していると倒れてきて腕を挟んだこと。
なにもないところで転んで、足首を捻挫したこと。
「他にもお気に入りの服が何着も破れたり、ボイラーが故障してお風呂に入れなかったり、最後は高熱で寝込んじゃって……そうなるともう信じるしかないでしょ?」
昨晩だけで立て続けに起こった不幸を語る度、水谷の声から覇気が薄れていくのを孝一は感じた。
――一つ二つくらいなら偶然で済ませられるが……。
孝一は項垂れる水谷を見る。彼女の心は限界に近いのかもしれない。
――これはなにかしらの〝力〟が働いていると見るべきだな。
ここにいる水谷以外の三人は一応『一般人』だが、そういう不思議現象についての縁は深い。特に秋幡紘也は大魔術師を父に持ち、自身も魔道を究めようとしていた時期もあった。いや冗談ではなく、事実で。
「サエちゃん、具合悪そうだよ? ベッドで寝てた方がいいんじゃない?」
先程よりも顔色が悪くなっている水谷を心配し、愛沙がそう勧める。
「そう、ね……。なんのおもてなしもできなくて、ごめん……あっ」
立ち上がった水谷がくらりと倒れかけた。咄嗟に孝一が受け止め、ベッドに運ぶ。
「孝一、俺らはもうここにいない方がよさそうだ」
「みたいだな」
「わたし、残ってサエちゃんの看病するよぅ」
「いや、普通の病気ならそうするべきだが、これは一人にしておいた方がいい」
残ろうとする愛沙を紘也が止める。どうやらなにかを掴めたらしい。流石は元魔術師だ。頼りになる。
「ありがとな、水谷。いろいろ聞けて助かった」
ベッドで苦しげな寝息を零す水谷を一瞥し、孝一たちはアパートを後にした。
∞
「呪術だな」
アパートの近くにあった小さな公園のベンチに腰掛け、紘也は深刻な顔でそう告げた。
「あの脅迫状を利用した感染系かと思ったけど、アレはただの紙だった。だからたぶん類感系の呪術だと思う」
「かんせんけい? るいかんけい?」
「紘也、もっとオレらにわかりやすく説明してくれ」
愛沙がポカンとしているのを見て孝一は苦笑した。
「感染系ってのは、『対象と接触した物は霊的に繋がっている』という理屈を利用する呪術のことだ。一般的にだと服の切れ端とか髪の毛とかを使って呪いをかけるイメージだな。あの脅迫状は対象者の所有物じゃないが、術式を仕込んでおいて触れた相手を呪うようにすることはできる。だが、アレは見たところ素人の仕業だ。『なんかよくわからないけど偶然呪えました』って感じの。術式を仕込むなんて高度な技術は偶然なんかじゃ発動しない」
紘也は一般人にもわかるように説明しているつもりのようだが、呆然とする愛沙はわかってなさそうだ。自分で調べたことのある孝一はある程度ならなんとか理解できる。
「対して類感系ってのは、『対象と類似した物は霊的に繋がっている』という理屈だ。『丑の刻参り』みたいな人間型の紙片とか藁人形を使う呪術になる。こっちは環境さえ整っていれば偶然発動することだって稀じゃない。感染系と組み合わせてより強力にすることもできるが、軽い怪我や発熱程度じゃ済まないからその線はないかな」
「とにかく『呪い』ってことだな」
紘也は父親に頼んで魔術を忘れさせてもらったらしいが、全ての知識が消えたわけではない。知識や魔力を魔術として昇華する術を失っているだけなんだとか。魔術師ではない孝一にはわからない感覚だ。
「この呪いは恐らく脅迫状の通り、孝一と喋ったり触れたりする頻度や想いの強さで重くなるんだろうな。水谷が一番本気だったってことだ」
「みたいだな」
「この件が片づいたら本当に付き合ってもいいんじゃないか? そのくらいじゃ俺たちの関係は終わらないだろ?」
「……」
孝一は黙った。水谷は性格もいいし好感が持てるタイプだ。紘也に言われなくてもそうすれば幸せになれることくらい悟っている。だがしかし、彼女の気持ちには応えてやれない。理由は紘也たちの前では言えないが……。
「犯人は、美良山か?」
「時期的に考えると一番怪しいな」
少し強引に話を戻したが、紘也は追及してこなかった。本当によくできた自慢の親友だと思う。
「仮に犯人が美良山として、呪いはどうすれば解けるんだ?」
本来解くものは誤解だったはずなのに、どうしてこうなったのか孝一にはさっぱりわからない。
「一番確実なのは術者が死ぬこと」紘也はあっさり言い、「でもただの素人だからな。呪具を破壊するだけでも充分だろ」
「呪具ってのは?」
「それは見るまでわからん」
「だよな。おし、なら決着はオレがつけてくる。なぁに、見た感じ悪い子じゃなかったからな。ちょっと注意すればわかってくれるはずだ」
この件はある意味で孝一のせいなのだ。紘也たちに手伝ってもらうのはここまでで構わない。紘也の言う通り偶然呪いに成功した一般人が相手なら一人でも問題はないだろう。
「今から呼び出すつもりか? 携帯の番号とか知ってんのかよ?」
「いや、携帯は必要ないだろうな」
「ん? どういう意味――」
「あの、ヒロくん、コウくん。お話してるところ申し訳ないんだけど、ちょっといい?」
と、愛沙がそう言って控え目に割って入ってきた。
「どうしたんだ、愛沙?」
孝一が訊き返すと、愛沙は困った風な笑顔を浮かべて、
「えっと、たぶん移動教室の時に机に入れられてたんだと思うんだけど――」
カバンから、一枚の見覚えのある用紙を取り出した。
「わたしもあの脅迫状、貰ってたみたい」
∞
美良山は自宅の自室に引き籠っていた。部屋の照明はつけず、スタンドライトのみの明かりで机に向かって鉛筆を走らせている。
だが勉強しているのではない。
文房具屋に行けば当たり前のように売られている大学ノートには、イラストが描かれていた。いや、漫画風にデフォルメされているが、イラストと言うよりは似顔絵と言った方が自然だろう。
絵のモデルは全て少女。苦しみもがくようなポーズで描かれている彼女たちは、全て孝一のクラスメイトの女子たちである。当然そこにはあの水谷冴香もあった。
そして今描いている似顔絵は――鷺嶋愛沙のものだった。
「なんでですか? どうしてですか? どういうことですか?」
バン! と美良山は苛立たしく机を叩いた。風圧でノートのページが捲れる。数ページに渡って鷺嶋愛沙ばかりが描かれていた。
「なぜ、鷺嶋先輩には効果ないんですか!?」
イライラが口調に現れる。孝一のカバンにこっそり仕掛けた盗聴器(どこで入手したかはヒ・ミ・ツ)から届く鷺嶋愛沙の声は至って普通だ。
――脅迫状を読んでなかったから? いえ、それは関係ないはずです。
脅迫状は対象者に意識を植えつけて不安を持たせ、より呪いの効力を増幅させるだけのもの(警告は本心)。呪い事態はノートなどに対象者の苦しむ姿を描けば完成するはずだ。
小学生の頃、図画工作の授業で人物画を描くことになった時、組まされた嫌いな子を憎みながら描いた。するとその子は階段で転んでしばらく入院してしまった。その時から自分が負の表現で描いた人物には呪いがかかることを知ったのだ。どういう念を込めて描くかで呪いの効果を操作できるようにもなった。
なのに、通じない。愛しの諫早孝一に最も近しいあの女には。
「こんなこと、今までなかったのに……」
鉛筆や紙などが違っていた場合になぜかできなかった時もあったが、今回は他の女子たちと同じ物を使っている。おかしい。気づいていないだけでなにかを間違ってしまったのだろうか?
そう思って美良山が画材一式を改め始めたその時だった。
『美良山、どうせ聞いてるんだろ? オレのカバンに仕掛けた盗聴器から』
イヤホンからこちらに語りかける声が聞こえた。
――見つかった!?
焦る美良山。彼の言い方からして、知っていながら取り除かず放置していたように思える。
『今すぐ学校の正門前に来るんだ。話がある』
声のトーンが先程よりもずっと低く、重い。
間違いなく、彼はブチ切れている。
盗聴器が踏み潰される音が耳元で鳴る。
恐いが、行くしかないだろう。いざとなれば呪いの力がある。
「こういうこともあろうかと諫早先輩の絵も描いててよかったです。フフフ」
未完だが、それはあと一ヶ所に線を入れるだけで完成する絵だった。
∞
日は沈んだが、まだ僅かながら活動している部活もある時間帯。ほとんど人通りのなくなった正門に孝一は一人凭れかかっていた。
「来たな、美良山」
こちらに向かってくるおさげ髪の少女を認め、孝一は凭れていた背中を門から離す。彼女――美良山仁菜は孝一からやや距離を置いて立ち止まった。
「遅くなって申し訳ありません、諫早先輩」
ニッコリと笑う美良山だったが、孝一は告白時の時のようには笑えない。
彼女は絶対にやってはならないことをした。
孝一の『親友』に手を出してしまった。
水谷や他の女子たちには悪いが、孝一が本気で怒れるとすればそこなのだ。
「そんな顔すると恐いですよ、諫早先輩」
「誰がこういう顔させてると思ってるんだ?」
「先輩はフリでも彼女を作るのが嫌だったんでしょう? それを防いであげたのに、どうしてそんなに怒るんですか?」
美良山に悪びれる様子はない。いや、悪いとわかっていて開き直っているだけか。
彼女の手には大学ノートと鉛筆が握られている。それ自体はなんの変哲もないが、今この場に持って来るのは明らかに不自然だ。
――わかりやすいな。
アレが美良山の呪具だ。
「美良山、みんなの呪いを解いてくれないか? もう充分だろう?」
「いえまだです。今止めたら『やっぱりあの不幸は偶然だった』ってことになっちゃいます」
素直に「はい」とは言ってくれないらしい。
「それになぜか鷺嶋先輩には呪いが効かないのです。私はそれがどうしても許せません」
「呪いが効かない?」
言われてみると、愛沙にはなんの不幸も訪れていない。
美良山は魔術に関しては素人の一般人だ。紘也のように深い知識を持っているわけではない。そういう失敗もあるのだろう。
「美良山、オレはなるべく穏便に済ませたいと思ってる。女の子相手に強硬手段を取ったり暴力振るったりはしたくない。だがな――」
孝一は一旦言葉を区切り、氷刃のような鋭く冷たい視線で美良山を射た。
「これ以上オレの『親友』になにかしてみろ。オレはお前を危険因子と看做し、容赦なく排除することになるぞ?」
静かな怒声。
「ひぅ!?」
短く悲鳴を上げて肩を震わす美良山。だが気丈にも逃げ出すことはせず踏み止まり、孝一を睨み返す。
「でしたら、孝一先輩が私の恋人になってくださいよ。そうすれば私もこんなことする必要がなくなります」
「それは……」
言葉に詰まる孝一に、美良山は「フフフ」と怪しく笑う。
「やっぱり嫌なんですね。わかりました。わかりましたよ。そういうことでしたら諫早先輩が私好みになるように呪いをかけます! 具体的には私の恋人になってさらに男同士の行き過ぎいた友情を深め合うような人に!」
「どんな奴だよ!?」
美良山が大学ノートを開いて鉛筆を構える。
だが次の瞬間、その鉛筆とノートは孝一の手に渡っていた。
「え? ど、どうして?」
なにが起こったのかわからない、美良山はそんな顔をしていた。しかし詳細は単純だ。孝一がダッシュで美良山に接近して手際よく鉛筆とノートを奪ったに過ぎない。
ただ、その動きが少しばかり常人離れしていたように見えただけである。
「これは……」
ノートを開いてみると、クラスの女子たちの似顔絵でページが埋まっていた。漫画調なので肖像画とまではいかないが、やたら上手い。冬コミがどうのと言っていただけのことはある。
――これを破壊すれば呪いは解けるのか?
紘也はそう言っていたが、もし破ったり燃やしたりしてしまうと同じ現象が実際の人間にも起こるかもしれない。そう考えると迂闊に破壊はできない。
――あとで紘也に渡して処分してもらうか。
その方が確実である。
と――
「そ、それを奪われても家に帰れば替えがあります! 呪いは全部リセットされてしまいますが、もう一度描けばいいだけです!」
自棄になった様子の美良山は踵を返して一目散に駆け出した。フラれ、呪いも防がれた彼女はもう正常な判断ができなくなったのかもしれない。
だから、不注意だった。
駈け出した先にあった横断歩道の信号が、赤だったのだ。
車道からは大型のタンクローリーが高速で迫っている。あのまま突っ込むと確実に衝突は避けられないタイミングだ。
「止まれ美良山!?」
慌てて叫ぶ孝一だったが、美良山は止まるどころかさらに加速する。
まずい。
かなりまずい。
先程はあのように言ったが、美良山が事故死することを孝一は本気で望んでいるわけではない。彼女を車道に突っ込ませた責任は孝一にある。
地面を蹴り、孝一は彼女を追う。
「止まるんだ美良山!?」
止めなければ。
美良山の足だけじゃない。呪いも、誤解も、全ての暴走をここで終わらせる。
――どうすればいい?
その答えは既に美良山自身が提示している。
――くそっ、どうすれば……。
その答えを美良山自身が望んでいる。
――畜生、そうするしかないのかよ!
「美良山! わかった! 付き合ってもいいから頼む! 止まってくれぇえっ!?」
孝一は、ついに折れることを決断した。
だが、今の美良山は孝一がなにを言おうとも聞こえない。こうなったら事故る前に突き飛ばして――
「え? 本当ですか?」
ピタッ。クルッ。
彼女は横断歩道の手前であっさり止まって振り返った。物理運動を無視したような静止だった。
「ホワッツ!?」
止まれなかったのは寧ろ、孝一の方だ。
幸せそうな満面の笑みを咲かせる美良山の隣を過ぎ去り、車道に飛び出す。
けたたましく鳴るクラクション。
目の前に迫り来る巨大な質量。
全てがスローモーションに見えた。
意識が何倍にも加速する中で、孝一は走馬灯よりも先にこう思う。
――あっ、これ、死んだな。
数分後、救急車のサイレンが街中に響き渡った。
∞
「いや本当によかったです。孝一先輩が無事で♪」
市立の病院の一室で少女――美良山仁菜の心から嬉しそうな声が弾んだ。
「どこが無事だ。全治一ヶ月だぞ?」
ミイラ男状態で病室のベッドに寝かされている孝一はうんざりと溜息を吐いた。死を覚悟しただけにたった一ヶ月で済んだことは奇跡と言う他ない。時期的に受験は厳しくなるが、蒼洋高校の推薦が決まっているからそこは心配ないだろう。というか、大げさに包帯巻き過ぎ。
まったく酷い目に遭った。孝一にも呪いがかかっていたのではないかと思うくらい。
「孝一先輩、約束通り皆さんの呪いは解除しました。私は約束を守る子です」
「当たり前だ。ていうか、なに自然と下の名前で呼んでるんだ?」
「え? だって私たち恋人同士になったのですから。それこそ当然かと」
キョトンとする美良山。切羽詰っていたとはいえ、どうしてあんなことを言ってしまったのかと激しく後悔する孝一である。
「孝一先輩、リンゴ剥いてあげますね」
「ああ、サンキュ」
「孝一先輩、喉乾いてませんか?」
「いや、大丈夫だ」
「孝一先輩、おトイレ行きたくないですか? 私お手伝いしますハァハァ」
「なに息荒げて尿瓶構えてんの!? しないからな!?」
入院中、美良山はベッタリ尽くしてくれる。正直言うと迷惑レベルなのだが、それだけ孝一を想っているということだろう。
そこで少し、疑問に思う。
「美良山、お前さ、なんでオレなんかを好きになったんだ?」
「一目惚れです」
即答だった。
「孝一先輩は似てたのです」
「似てた?」
昔付き合っていた彼氏に、とかだろうか? それとも父親に? まさかペットではないと思うが……。
「はい。丁度今持って来てるんです。読んでみてください」
「持って来てる? 読む?」
「フフフ、きっと感動のあまり歓喜して怪我なんて一瞬で治りますよ」
そう言って美良山が取り出した大学ノートの中身を見て、孝一は絶句した。
ノートにはびっしりと漫画が描かれていた。
孝一に似た少年と少し気弱そうな少年が、とっても熱く互いの友情を語り合っている内容だった。しかもやたらと絵が上手い。
ダラダラダラダラ。
どうしよう、嫌な汗が滝のように流れて止まらない。
「どうですか? 面白いですか? 昔描いた漫画なのですが、これが私の最高傑作なのです♪」
寒気までしてきた。
「これからは孝一先輩をモデルにもっと素晴らしい作品を描いていくつもりです。手伝ってくれますよね? 恋人なのですから」
「がふっ」
トドメとばかりの台詞に、孝一は布団に顔を突っ伏した。
「フフフ、どうしたんですか孝一先輩? そんなわざとらしく吐血して? ――先輩? 先輩!? たたた大変です!? か、看護師さぁーん!?」
諫早孝一の入院期間が少し長引いたのは言うまでもなかった。
余談だが、美良山仁菜は孝一が卒業する数日前に親の都合で海外に引っ越すことになる。
彼女から解放された孝一は、しばらく紘也たちクラスメイトを巻き込んで盛大にはっちゃけたとか。
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