駒とさくら

相戸結衣

第1話

 青森の春は遅い。

 東京ではとうの昔に花見シーズンを終え、桜は青々とした葉を繁らせている。

 北東北では、4月下旬になって、ようやく見ごろを迎える。こういうとき、日本は縦長なんだなあ、としみじみ思う。

 

 私は父と一緒に、青森県の南東部にある十和田とわだ市に来ていた。母がこの近くの病院に入院しているのだ。

 官庁街通りにある中央公園緑地の芝生広場は、満開の桜に囲まれていた。

 昨日からはじまった祭りに合わせるように、一気に開花したらしい。

 

「あれを見てごらん」

 父が、広場の西側にある土手を指さした。

 二列に並んだ桜並木のあいだを、馬と人が駈けてくる。

 騎手は、烏帽子えぼし水干すいかんという和装束で、手には弓矢を持っていた。

 足の力だけで馬にまたがり、長い弓を大きく引きわける。そして走路の左手にある的に向かって矢を放った。快音をたてて的板が割れる。


「やぶさめ!? しかも、馬に乗っているの、女の人じゃない!?」


 馬の上で弓矢を繰るのが女性だったということに、私は驚いた。ここ十和田では、老若男女問わず、誰でも流鏑馬やぶさめ競技に参加することができるらしい。

「かっこいいねえ」

 私は、ほうっと見とれた。

 


 しばらくすると、誰かがにこにこと手を振りながらやってきた。

 テンガロンハットとサックスブルーのシャツ、そしてジーンズと革のブーツを身につけた男性である。目のふちに皺をよせた笑い顔には見覚えがあった。


 男性は日に焼けた顔から白い歯をのぞかせ、ごつごつした手で私の頭を撫でた。

「久しぶり。大きくなったねえ。いまは中学生?」

「はい。2年生になりました」

 彼は母の兄、つまり私の伯父である。今日の祭りは、彼から招待されたのだった。


「そうそう、トロワのことは覚えているかい? 今日はあいつも、競技に出るんだ」

「トロワって、おじさんのところにいた仔馬ですか?」

 舞い散る花びらを背景に、3年前の記憶が鮮やかによみがえる。

 

 


 私がトロワと出会ったのは、まだ桜が咲く前の春休みのことだった。

 小学5年生だった私は、伯父が経営する牧場でしばらく世話になっていた。

 

 八甲田はっこうだ山のふもとにある小さな牧場では、20頭の牛と、2頭のヤギと、馬の親子が育てられていた。

 十和田は、明治時代のころに、軍馬の生産地として日本一になった場所だという。

 当時はまだ、サラブレッドなどの西洋馬はおらず、体の小さいずんぐりした日本産の馬がほとんどだったらしい。その名残で、いまも十和田の牧場では、素朴な風采の和種馬が育てられている。

 

 仔馬の名前はトロワといった。トロワは母親が北海道生まれの道産子どさんこで、父親は西洋の馬だということだった。

 人間もそうだけれど、ハーフというのはかっこいい。母親は栗毛でずんぐりした体型だけれど、トロワはすらりとしていた。毛色は赤みがかった鹿毛かげで、たてがみは黒く、額の部分に白い筋があった。

 

 童謡の歌詞にあるように、馬の親子というのは仲良しで、仔馬はいつでも母馬のそばにぴったりくっついていた。広い草原で草を食み、群れと一緒になって走り、物音に驚いてぴょんと跳ねたりする。

 のびやかに動く馬を見るのは、とても楽しかった。

 

 けれど伯父は、「トロワはもうすぐ、別の牧場に行くんだ」と言った。

 小さいうちに母馬から離さないと、人間の言うことをきかなくなってしまうらしい。

 

 桜が満開になったころ、トロワはよその牧場へ連れていかれた。

 1頭だけトラックに乗せられ、トロワは悲鳴のような声をあげる。

 草原の向こうにある馬房からも、子供を呼ぶ母親のいななきが聞こえてきた。

 親子がお互いを呼び合う声が悲しすぎて、私は耳をふさいで目をつぶった。

 

 ――私のお母さんも、病室であんなふうに泣いているのだろうか。

 お母さんが入院するとき、私は笑顔で送り出した。「がんばってね」とちゃんと言えた。

 もう5年生だし、泣くなんてみっともない。それにつらいのは私じゃない。病気と闘っている、お母さんのほうだ。


 でも、ほんとうは寂しかった。

 全身で母親との別れを悲しむトロワのように、私も大声で母の名前を呼びたかったのだ。

 

 


「今日、トロワと母馬が一緒にいるんだよ」

「どうして?」

「トロワは流鏑馬に出るんだ。母馬はふれあい体験用」


 控えになっている広場には、たくさんの馬が横並びにつながれていた。

 ぽっちゃりした栗毛のとなりに、ひとまわり大きな体つきの、額に白い筋のある褐色の馬が立っている。


 ――トロワだ。


 もう立派な大人なのだけれど、お母さんのとなりで、甘えたそうにそわそわしている。あいかわらずお母さんが大好きみたいだ。

 

 私の母も、ようやく退院することになった。これからみんなで家に帰る。

 そしたらあんなふうに、私もお母さんに甘えていいだろうか。

 


 弓を構えた騎手を乗せ、馬は力強く土を蹴る。

 桜吹雪のなかを、まっすぐ、まっすぐに。

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駒とさくら 相戸結衣 @aito_yui

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