其の八 花かんざし

 お鈴は数えで十二歳のときにくるわに売られた。 

 商いに失敗した親の借金の形に、器量良しのお鈴が家族の犠牲となった。

 吉原に売られたお鈴は、禿かむろから始まり、振袖新造ふりそでしんぞうになった。姉女郎の元で三味線や舞いの稽古を積んで、芸事でも一目置かれるようになり、初見世のお開帳で破瓜はかの血を流し十六で女となり、今年十九で座敷持ちの鈴音太夫すずねだゆうと呼ばれ、吉原でも売れっこの花魁おいらんである。

 美しい花魁道中には多くの人たちが吉原へ見物客に訪れた。 

 

 今宵は山城屋やましろやの旦那が客を連れてくるので、もてなすように頼まれている。

 鈴音ほどの花魁になると初顔の客とは寝ないが、上客の旦那の頼みなので断れない。

 山城屋が連れてきた客は若い男だった。廓の雰囲気に慣れてないせいか、俯いて小さくなっている。山城屋の旦那は鈴音と杯を交わし、新造たちの舞いを見て上機嫌だった。

 今から野暮用があるからと立ち上がり、後は頼んだよと鈴音に目配せをして、男を残して先に帰ってしまった。


「おひとつ、どうぞ」

 新造に酌をされて、杯をあけると男の顔はみるみる真っ赤になった、酒に弱いのだろう。鈴音が長煙管を勧めると一服吸って、激しく咳き込んだ……。

 なんて初心な客なんだろう、可笑しくて、緋色の仕掛けの袖に隠れて笑ってしまった。よく見ると、男は歌舞伎役者のように端正な面差しをしていた。

 酔いがまわったせいか、自分のことを話し始めた。


 自分は京の蒔絵職人まきえしょくにんだが江戸に呼ばれてやってきた。江戸城の大奥に献上する蒔絵の化粧道具箱を作るために三月みつきの約束で山城屋の元で働いていた。

 丁度、三月経って仕事が終わったので、明日には京に帰る。

 最後に江戸の女を抱いていけと吉原に連れて来られたが……自分は国元にいいなづけがいるので、ここには来たくなかった――。

 と、そんな話を男は京訛りでぽつりぽつりと喋る。

 ふん、なんて野暮な客なんだ。

 上客の山城屋の連れてきた男なので、すげなく扱うわけにもいかない……。夜も更けて新造や禿も座敷を下がった、花魁といえど、しょせん女郎なのだ。


「……床にまいりましょう」


 男を誘った。

 奥の間には緋色の寝具が敷き詰められ、ぼんやりと行燈あんどんが灯っている。

 寝所にはいると鈴音は仕掛けを脱いで、帯を解いた、襦袢ひとつになると男の肩にしなだれた。初めは身を固くしていた男だが……。

 艶めかしい花魁の姿態に、震える手でその白い肌に触れた。

「きれいな肌やな、まるで観音さまみたいや」

 そのまま、二人は寝具の上に身を横たえた。

「おまえ、本当の名前はなんていうんや」

 腕枕の鈴音に男が訊いた。

「お鈴でありんす」

 その名で呼ばれていたのは、遠い昔のような気がする。

「おっかさんが鈴の音色が好きで、ここに売られるときも鈴を持たせてくれて、寂しくなったらこれを鳴らしてお聴きって……」

 ふいに鈴音の胸におっかさんの面影が浮かんで恋しくなった。自分は女郎だが、こんな豪勢な暮らしをさせて貰っている、おっかさんは達者だろうか――。

「おまえほどの花魁でも、やはり家が恋しいんだろうね」

「……あい」

「親にも会えないのはさぞ辛かろう」

 優しい言葉に思わず涙ぐんだ。

「これをあげよう」

 男は懐中から布佐に包んだものを取り出し鈴音に渡した。それはだった。

 まるで町娘が挿すような可愛らしいかんざしで、花魁が挿すようなものではない。

「あちきは貰えません……」

 鈴音は断った。

 たぶん国元で待つ、いいなづけへのお土産なのだろう。

 代わりに鈴音が手箱の中から鈴を一つ取り出し、よい音がしますと男の耳元でちりんと鳴らしてみせた。くすっと笑い男は鈴を受け取った。

「おまえの鈴を鳴らせたい……」

 そういって男は鈴音を抱き寄せて口づけをした、二人は夜が明けるまで情を交わした。


「鈴音姉さん、お掃除にまいりました」

 禿かむろの娘が起こしにきた。

 朝帰るお客を見送るのが女郎の務めだが、それも忘れて寝込んでしまった。あの客は早朝に立ったらしい、花魁を起こさないでくれというので新造が送り出したという。

「あらっ、きれい」

 禿が素っ頓狂な声をだした。

 枕元に花かんざしが置かれていた、昨夜の客が置いていったのだろう。

 要らないといったのに……。

「それはおまえにやるよ」

 鈴音がいうと、禿は大喜びでおかっぱ頭に花かんざしを挿して、はしゃいでいる。

 女郎に思い出の品なんか要らない、もう逢えない男の物なんか持っていても仕方がない――。


 外を見ると格子窓から、賽の目に切られた空は明るく輝いていた。

 あの男は何処まで行っただろうか、ふと旅路の男のことが心によぎった。

 一夜のかりそめの恋……か。

湯屋ゆやへいくよ」

 鈴音は布団の中で伸びをして、あくび交じりに布団から這いだした。

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