其の六 美しく、したたかに

 世の中に『美人薄命』という言葉がある。

 美しい女性は得てして寿命が短く、容貌が衰えない内に死んでしまうという意味だが、実は美人で長命な方もたくさんおられる。


 いつか【 美女 】をテーマに書くことがあれば、ぜひ、この女性のことを知って欲しいと思っていました。

 その女性の名は常盤御前ときわごぜん、あの有名な源義経みなもとのよしつねの生母に当る人です。

 常盤御前は近衛天皇の中宮・九条院(藤原呈子)の雑仕女ぞうしめで、採用にあたり都の美女を千人を集め、その内の百名の中から、さらに十名を選んだ。

 その十名の中で一番なのが常盤御前、まさに絶世の美女だったのです。


 雑仕女という最下層の職にも関わらず、その美貌が源氏の棟梁とうりょう源義朝みなもとのよしともの目に止まり側室となって三人の男子、今若・乙若・牛若(義経)を産みました。

 そして幸せに暮らしていましたが、源義朝が『平治の乱』に敗北し逃亡中に殺害され、二十三歳で未亡人となった。平家に追われて、子どもたちを連れて雪中を逃亡し大和国にたどり着くが、都に残してきた母が捕まったことを知り自ら出頭する。

『平治物語』『義経記』による物語上では、常盤御前は母と三人の子どもの命乞いのため、敵の大将である平清盛たいらのきよもりめかけになったと伝えられるが、それは後世の義経贔屓が作りあげた美談だと私は思う。

 歴史的にみて平清盛には人の好いところがあって、その詰めの甘さが壇ノ浦で一族が滅亡する要因になったことはいなめない。

 

 美女だからといって性格まで美人とは限らない。――私はこう考察する。


 常盤御前が出頭してきた時には、平治の乱において戦闘にまで参加している義朝の嫡男・頼朝よりともの助命が決定していた。

 妾腹の幼子三人を今さら処刑するとは考えがたい。実際、常盤御前は我が子の命乞いなどひと言もしなかったとされる。本当に助けたかったのは自分の母の方だった。

 どうせ追手に捕まったなら、そのまま我が子とは引き離されるだろう。夫の義朝はすでに死んでいるのだから、これ以上の追及もないだろうし、側室の自分は放免される筈だ。

 だが、謀反人義朝の女だった常盤御前に寄ってくる男などおそらくいないだろう。――かといって、髪を切って尼僧になり亡き夫の御霊みたまを弔う気など更々ない。

 一度は身分の高い暮らしを知った常盤御前なのに、また貧しい暮らしに戻るのは真っ平だ。千人の内で一番の美女との誉れ高き常盤御前は、まだまだ女を捨てたくなかった。

 しおらしく出頭したのは女盛りの美しい自分を平清盛に見て欲しかったからに違いない。雑仕女から側室になったのだから、もう一度この美貌で男を惑わし、時の権力者の寵愛を受けて栄華な暮らしを手に入れたいと、ここぞと勝負に打って出たのだ。

 この度胸と勝負強さ、策謀家の才能が我が子義経に引き継がれたようだ。


 そして常盤御前は平清盛の愛妾になり、二人の間に一女(廊御方)を産んだとされる。清盛の子を産んだのだから、もう平家の人間である。こうやって子どもを産むことで自分の居場所を作ってきたのだろうか。

 だが、清盛の北の方(正妻)時子ときこが常盤御前を妾としたことに激怒したので、別の男のもとにいかされる破目になった。

 次の男は一条長成いちじょう ながなりという公家くげで、今度は貴族の側室である。そこで常盤は嫡男・能成よしなりと女子を産みました。男が変わってもよく子どもを産む元気な女性です。

 こうやって源義朝・平清盛・一条長成と有力者三人の妾になり、波乱万丈はらんばんじょうの人生を送った常盤御前ですが、彼女が本当に欲しかったものは愛ではなく、自分の居場所だったのかもしれない。

 

 いつの世でも、美女=正義の図式が幅を利かせています。


 戦国の代表的な美女、お市の方、細川ガラシャ、淀君に比べて、この人の生き様には美貌しかなくて、そういう意味では【 美女 】というテーマにぴったりの常盤御前でした。

 没年は不明ですが、ある程度長生きしたことは間違いない。

 後ろ盾もなく、雑仕女から美貌と才覚だけで、戦乱の世を生き延びた常盤御前は美しく、したたかな女性であったと思う。

 究極の美女とは美貌を武器に何人もの有力者の男を渡り歩き、貧窮することなく、天命を全うした女性のことをいうのだと思います。


 実は『美人薄命』なんて、幻想だったのです。






     ***********************〔 参照 〕*************************


 棟梁(とうりょう) ― 組織や仕事を束ねる、中心人物のこと。


 平治の乱(へいじのらん) ― 平治元年(1159)京都に起こった内乱。保元 の乱後、藤原通憲と結んで勢力を伸ばした平清盛を打倒しようとして、源義朝が藤原 信頼と結んで挙兵したもの。結局、義朝・信頼は殺され、平氏政権が出現した。

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