其の五 【 私的検証 】義経とその讒言者
元々は平家に属していたが、治承四年、石橋山の合戦で大敗し逃走する
平氏討伐の際、
頼朝と義経は
かたや、義経の母、
さて、この二人が対面したのは頼朝が挙兵して都の平家を攻め込もうしていた頃だった。黄瀬川の宿に居る頼朝の元に、僅かな兵を引き連れて義経が馳せ参じた。その時、兄弟は手を取り合って涙を流して喜んだといわれるが……ここで一つ大きな勘違いが生じた。
我が兄と頼朝のことを慕い「兄弟力を合わせる」という想いが、義経の脳裏にインプットされていたが、頼朝の方はぜんぜん違う。身分の低い妾腹の子は兄弟じゃない、義経なんか家臣としか思っていない。
――頼朝という男は、
頼朝に
そして『お兄ちゃん大好きっ子』義経もまた
――思うに、天下人の才能とは
スタンドプレーが大好き自由奔放な義経 VS 頼朝の威光を笠に着るスパイの景時。
木曽義仲追討として共に上洛し、そのまま平氏追討に当たったが、屋島の戦いあたりから作戦上の問題で対立が生じはじめる。壇の浦の戦いでは勝利できたが、義経の勝手な行動を景時は逐一鎌倉に報告していた。
本陣にて指揮を執るべき総大将が先陣に立って動いたために士気が乱れ、諸将が貰うべき恩賞も独り占めしてしまった。大将なら動くべきではないと諌める景時であったが、義経は利かない。この二人犬猿の仲というか、気が合うはずもない。
「私に逆らえば、頼朝公に逆らうのと同じじゃあ!」と景時が
義経は自分の大将は鎌倉の頼朝だと反論し、景時は義経を大将の
景時から送られる『義経が調子こいて、いうこと利きませ~ん!』という書簡を読む度にイライラを募らせる頼朝であった。本来、頼朝という男は猜疑心が強く、嫉妬深い、日本一の白拍子、
その頼朝にいろいろ焚き付けて、兄弟の仲を裂いたのが景時が発信する『チクリメール』だったことは疑う余地もない。
兄弟の亀裂の決定的な原因は、
「平家を討ち滅ぼした後の判官(義経)殿の様子をみると、常日ごろの様子を越えて猛々しく、士卒軍兵たちはみな心のなかで、どんな憂目にあうかと、まるで薄氷を踏む思いであって、真実に和順する気持ちはまったくありません」これを要約すると、義経があらぶってて怖い! どんな酷い目に合わされるか、みんなビクビク脅えていますよ。ほんとはあいつ(義経)なんか大嫌いでーす。(みんなの反応)
さらに具体的に「平家追討を果たしたら、逢坂の関から西は義経が頂戴する。天に二つの太陽はなく、国に二人の王はないというが、これからは後二人の将軍がいることになるだろう。と言われました ―略―」(景時・談)
この
その後いろいろな駆け引きや事件を経て(詳しく述べると2,000文字では収まらない)、義経は二百余騎の軍勢を率いて、粛々と京から出ていった。さらの兄が放った追捕使たちから逃れ、ひたすら北国を目指してスリリングな逃避行となった。
奥州(岩手県)・平泉に
スーパースター『乱世の英雄』源義経は奥州でその生涯を閉じた。享年三十一歳。
そして梶原景時は、源頼朝の死によって後ろ盾を失い、わずか一年で他の御家人たちに嫌われて、六十六名から弾劾を受けて、ついに鎌倉から追放されてしまった。
頼朝と義経の兄弟愛を裂き、何人もの御家人を陥れた讒言者である梶原景時の最期、駿河国で合戦となり討ち死して一族が滅ぼされてしまった。
結局、頼朝に愛されたスパイ景時は、口が災いとなって身の破滅を招いたということだ。――因果応報というべきか。
***********************〔 参照 〕*************************
讒言(ざんげん) ― 他人を陥れようとして、事実をまげ、いつわって悪( あ)しざまに告げ口をすること。
雑仕女(ぞうしめ) ― 内裏や三位以上の貴族の家に仕える女性の召使い のこと指す。
白拍子(しらびょうし) ― 平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。 及びそれを演ずる芸人。主に男装の遊女が今様や朗詠を歌いながら舞ったもの。貴族の相手をする高級娼婦だったともいわれる。
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