其の二 獣鬼丸

 殿上人てんじょうびとの姫君が鬼の子を産んだと、京童きょうわらわたちの間で噂になった。

 治部卿じぶきょうの娘、一ノ君いちのみやが父親のわからぬ赤子あかごを産んだが、それは鬼の子だったというのだ。

 産み落とした我が子をひと目見るなり、あまりにおぞましき姿に発狂して姫は身まかった。治部卿は異形の孫を葬り去ろうとしたが、陰陽寮おんみょうりょうの技官に鬼の祟りがあるやもしれぬゆえ、殺さず、人目に触れぬように生かせと助言された。一ノ君の産んだ男児は、屋敷の奥深く密かに育てられていた。


 時は流れ、治部卿はこの世を去り、屋敷には三ノ君さんのみやとその母君が住んでおられた。

 和歌を詠み、才色兼備と謳われた三ノ君の元には中納言家の嫡男ちゃくなんが通ってこられるようになった。かつての悪い噂を耳にした中納言の嫡男は三ノ君の身を案じて、一人の霊力の強い巫女を使わした。

 千種ちぐさと呼ばれる娘は十五になったばかりだが、伊勢の斎宮さいぐうの元で修業を積んだ巫女だけあって、凛とした出で立ちには威厳すら感じる。

 ある夜、千種が夜回りをしていると美しい笛の音が聴こえてきた。何処いずこからと探しあてれば竹林の奥から灯りがもれている。近づいてゆくと、なにやら結界けっかいが張られていたが、笛の音に惹かれて奥へ入っていった。

 縁側に腰かけて若者が笛を吹いていた。月の光に照らし出されたかおは気品漂う公達きんだちであった。よわい元服げんぷくしたばかりであろうか。

「汝は何者ぞ」

 千種は若者に声をかけた。

「おや、貴女あなたには私が見えるのですか」

「美しい笛の音に惹かれて足を踏み入れてしまった」

「今宵の月に捧げるために吹いておりましたが、まさか天女が舞い降りるとは……」

われは巫女なり。結界のいおりに棲む汝の名を明かせ」

鬼獣丸きじゅうまると申す者。わけあって幽閉ゆうへいされています」

『誰と話しておるのじゃあ!』

 いきなりみ声が響いた。見ると若者の背中からもう一人男の貌が覗いていた。

「やや、おのれ妖しか?」

「巫女殿、これは弟です。私たち兄弟は腰から上に二つのからだが付いた異形の者に御座います」

『兄者、この女を喰ってもいいか』

 背中の男の貌には角と鋭い牙が生えていた。

「ならね! 巫女を喰う祟りがあるぞ」

「この屋敷に鬼の子がると聴いたが汝らのことであったか」

「見ての通り、弟は怖ろしい鬼なのです。そのせいで、この私まで生まれた時からここに閉じ込められています。どうか、私を外に出してください」

『兄者! わしは人間の女を喰いたいぞおー』

 背中の男はそう言って暴れている。

難儀なんぎよのう。汝らはからだが繋がっておるゆえ……」

 庵に張られた結界が弱まってきている。いずれ破られて鬼獣丸は野に放たれ悪さをするであろう。鬼と人と二つの躯を持つ兄弟を引離すことはできるのか。千種は己の霊力でなんとかしてやりたいと思案した。

 明日の夜またくると兄と約束して結界の庵を去った。


 次の夜、千種は神楽かぐらを舞う巫女の正装で現れた。

「巫女殿、その出で立ちは……」

「鬼の瘴気しょうきを祓うために、吾が神楽を舞って進ぜよう。汝は笛を吹け」

 鬼獣丸の兄の笛に合わせて、手に持った鈴をシャンシャン鳴らし多々羅たたらを踏んだ。篝火かがりに映えて妖艶に舞う巫女の姿である。

『止めろ! く、苦しい……』

 千種の放つ霊力に背中の弟が苦しみ出した。

『おのれ……喰い殺してやる』

 鬼の形相で黒い息を吐きのた打ち回る。

「巫女殿! 今じゃ、弟を調伏ちょうふくしてください」

 いつの間にか懐剣を取り出し、呪文を唱えながらくるくる舞い踊り、一気に振り下ろした。

 ぎぇえええ――――闇を切り裂く咆哮ほうこうが轟いた。

「な、なぜ……この私を……」

 鬼獣丸の兄の胸には懐剣が突き刺さり、ドス黒い血が流れていた。

「鬼め! 正体を現わせ」

 見る見る兄は般若はんにゃの貌に変わっていった。

「よくも、俺の正体を見抜いたな……この巫女めが……」

「汝の口から生臭い瘴気が出ておったのじゃあ。鬼は弟ではなく、兄の方だと最初から気づいておったわ。弟は人の心を封印されて鬼の姿にされていた。鬼は狡賢ずるがしこいので、そうやってたばかるものよ」

「畜生……」

 鬼の兄は胸を掻きむしり息絶えた。身二つの兄弟だった、兄の躯が腐った柿のようにぐしゃりと地面に落ちると、どろどろに溶けて土の中に吸込まれていった。

 そして背中の弟は美しい若者に変身していた。

「ああ、やっと人の心に戻ることができました」

 弟は身一つになった躯を不思議そうに見ている。

なんじ、ここを出ても棲む処があるまい」

「はい」

われに付いてきやれ」

 そして鬼獣丸は陰陽諸道おんみょうしょどうりおこなう家に預けられた。

 やがて年齢と共に巫女の霊力が衰えた千種は職を辞して、陰陽道博士の鬼獣丸きじゅうまると夫婦になった。二人の間に生まれた男児が、後の世に“ 稀代の陰陽師おんみょうじ ”と讃えられた安倍晴明あべのせいめいであったといわれる。


 安倍晴明は千種の霊力と鬼獣丸の鬼の妖力を得て、妖かしどもを次々と調伏していったのである。






     ***********************〔 参照 〕*************************


 天上人(てんじょうびと) ― 清涼殿の殿上の間に昇ることを許された身分の人。


 治部卿(じぶきょう) ― 律令制における八省のうちのひとつ。治部省の長官。


 陰陽寮(おんみょうりょう) ― 日本の律令制において 中務省に属する機関のひとつ。占い・天文・時・暦の編纂(へんさん)を担当する部署。


 中納言(ちゅうなごん) ― 太政官に置かれた令外官のひとつ。太政官においては四等官 の次官(すけ)に相当する。


 斎王(さいぐう) ― 天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替りごとに、未婚の内親王や皇族女性の中から選ばれて、都から伊勢に派遣された。


 陰陽師(おんみょうじ) ― 古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職のひとつで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする技官。

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