第9話 告白

 星屑の広がった夜空がすぐ手の届きそうなところまで落ちてきていた。時刻は八時になったところだった。美織は白のワンピースにブラウスを羽織っていた。風の強い港に近いせいもあるのか今日の釧路の夜はすでに肌寒いくらいだった。こうして美織と並んで歩くとあの頃以上の身長差を感じた。僕は一七三センチで特に背は高くないけど、美織とは二十センチくらいの差はありそうだった。幼さの残る丸い顔立ちと背が小さいのを別にすれば、胸は十分それと分かる膨らみを見せつけ、丸みを帯びたお尻や腰回りからはあの頃から六年の歳月が経ったことが否応なしに感じられた。

 大きな通りから一本路地に入ろうとしたところで、美織はすぐそこに落ち着く喫茶店があるからと教えてくれて、その前にお母さんに電話をすると言って電話ボックスに駆け込んだ。

 すぐに美織は戻ってきて「亮くんに今会ってるって言ったらお母さんも喜んでたよ。だから今日は少し遅くなっても大丈夫。今度うちにもおいでってさ」と言った。

 僕はおばさんを思い出していた。美織と同じく小柄で綺麗な……、今思うと、美織はあの頃のおばさんに少し似てきているように思えた。

 それから路地を少し歩くと僕達は喫茶店に到着した。繁華街ではあるものの地元の人しかわからないようなひっそりとした佇まいで、外壁一面に蔦を這わせた古い建物のお店だった。店内はコーヒーの香ばしい香りが充満し、ビートルズのヘイジュードがボリュームを絞って控えめにかかっていた。歩くたびに床板は軋みレトロな雰囲気を出していた。間接照明だけのほんわかと柔らかい光は、喫茶店特有の薄暗い雰囲気ではなく、どちらかと言えば明るい店内だった。お客さんはカップルが疎らに座っているのと、読書や勉強に励んでいる学生がいるだけで静かなものだった。僕達はいちばん奥の角席に向かい合って座ることにした。

 美織はミルクティを注文し、僕も温かい紅茶が飲みたかったので適当にアールグレイと書かれているものを注文した。正直どの種類の紅茶がどういう味なのかは僕にはわからなかった。とにかく紅茶であればなんでもよかっただけだ。

 美織は泣いたあとの顔を見られるのが恥ずかしいと言って、ウエイターに注文するとすぐに化粧室へ向かった。僕もしばらく外にいたからトイレへ行って用を足し、リュックからタオルを取り出して軽く顔を洗った。席に戻ったのは僕の方が早かった。

 すぐに美織が戻ってきた。頬を赤らめて「そんなにじろじろ見ないで」と恥ずかしそうに言った。目は幾分充血しているように見えたが、恥ずかしいと思えるようなところはどこもなかった。札幌の同級生の中には派手に化粧とわかる恰好で登校してくる者も少なくなかった。もう高校生だしそういう生徒が出てきても不思議とは思わなかったが、美織はまだ装飾のないうっすらと化粧をした程度の質素な姿で僕の向かいに座っていた。

 しばらくするとウエイターが注文した品を運んできた。僕達はそれを飲んでほっと一息ついた。やはり外は少し寒かったのか体が温まるのを感じた。僕が頼んだ紅茶は、家で飲むパックの紅茶とは比べ物にならないほどとても香りのよい紅茶だった。香りは心も落ち着かせてくれた。

「あはは、こうして面と向かうとなんか恥ずかしいね。亮くんに会ったら話したいこといっぱいあったのに、何から話していいかわからないや」

 美織はスプーンでミルクティをカラカラと混ぜながら言った。

 僕も同じ気持ちだった。あれもこれも話したいことや訊きたいことがたくさんあった。ただ、僕の中に焦りの気持ちは一切なかった。僕がずっと抱いていた彼女への気持ちが、こうして面と向かった今も変わることなく、より一層高鳴るのを感じていたからだ。だから僕は自分自身に感謝している最中だった。美織のことがずっと好きで、それが六年ぶりに会った今も変わらず好きなことに。

「そうだ、優子ちゃんは元気?」

「元気元気。忙しそうだけどね」

「そっか。いいな札幌。……実はね、私も札幌へ行きたいの。優子ちゃんみたいに。だからがんばって釧路湖陵に進学して、大学は札幌に行けたらなって思ってるの」

「湖陵っていったらすごいじゃん。優子ねえちゃんもそこだよね」

「そう。でも亮くんにはかなわないよ。だって札幌南でしょ?聞いたんだ」

 きっとおじいちゃんか優子ねえちゃんが教えたんだろうと僕は思った。

「いいや僕はすごくない。成績は校内で半分より上に行ったことなんてない。何の目標もない落ちこぼれってやつだよ」

「お父さんと同じお医者さんにはならないの?」

「今の成績じゃ到底無理。中学の時はがんばって今の高校へ進んだけど、正直何も考えないままここまできてしまった」

「そっか。……まあ私も似たようなものね。中学の時に将来札幌へ行けば亮くんに会えるって思って。ただそれだけ。本当子供の発想で馬鹿みたいだよね。でもそうでもしないともう二度と会えないんじゃないかって思ってたの」

「わかるよ。僕も大学生にでもなれば釧路なんて一人で行けるんだって思ってた。今年ようやくおじいちゃんが許してくれたからこうして来られたけど、それまでは釧路立ち入り禁止だった」

「……それって、やっぱりまたあそこに行くのが目的なの」

 美織が言う『あそこ』とはホタル丘であるのは明白だった。

「それだけが目的じゃないけど、ホタル丘へは行くよ。あそこで僕の時間は止まったままな気がするんだ。だから……」

「そうだよね、突然あんなことになっちゃって……。なんか思い出すとまた泣けちゃう。今目の前にいるのが不思議なくらい」

 店内はオール・マイ・ラヴィングが流れていた。ずっとビートルズの楽曲を流しているようだった。

「ねえ大事なこと訊いてもいいかな?」

「もちろん」

「亮くんって今彼女とかいるの?」と美織は恥ずかしそうに訊いてきた。

 六年ぶりに会った僕達には避けて通ることの出来ない質問だった。お互いに今恋人がいるのかどうかは十七歳の僕達にとってとても重要な事だった。

「いないよ。ずっと」

「え、本当?だってモテるでしょ」

「モテるわけないよ。僕なんか。……でも一度だけ。中学二年の時にたった一度だけ告白されたことがある。その一回だけ」

「それってどうなったの?」

「どうって?……好きな人はいるの?って訊かれて、僕にはずっと好きな人がいると言った」

「それでおしまい?」

「うん大体は」

「大体?」

「……いや違う」

「え?違うの?」

 ちぐはぐな会話が続いた。

 僕はあの時、告白してきた山本さんとある約束をしていた。今、その約束を果たす時が来たと感じていた。今回の旅に出る前、僕は家の玄関で覚悟を決めて出発した。真実や結果がどうであれ怖いものは何もないのだ。だから勇気を出して話すことにした。

「少し長くなるけど、僕の話聞いてくれるかな?」

 僕はそう言いながら緊張してくるのを感じていた。

「もちろん」と美織は言ってミルクティを一口飲んでから姿勢を正した。

「……その子は山本さんという同じクラスの子で特に仲良く話す子だった。ある時、山本さんは僕のことを好きだと告白してきた。僕は彼女の気持ちが素直に嬉しかった。ありがとうと伝えた。次に山本さんは、亮太は今好きな人はいるのか?正直に言って。と質問してきた。僕はその質問ではじめて自分にはずっと好きな人がいることに気づくことができた。それで僕にはずっと前から好きな人がいると正直に伝えた。山本さんはその人は私じゃない人?と質問してきた。僕はごめん違う人だと伝えた。山本さんは僕の好きな人が自分ではないことを知って涙を流した。山本さんはその人には亮太の気持ちは伝えたのか?と訊いてきた。僕は会いたくてもなかなか会えない人だからまだ伝えてないと言った。山本さんはお願いが二つあると泣きながら言った。一つ目は、これからも今までと同じように私と接していつものように話して欲しいと言った。僕はもちろんだと約束した。二つ目は、もしその人に会うことができたら亮太の気持ちをきちんと伝えてあげて欲しいと言った。僕はわかった約束すると言った。だから……、だから僕は今日その約束を果たそうと思う」

「え?それって……」と美織はそう言いながら右手で口を押さえる仕草をした。

「美織、僕はずっと君のことが好きだった。今日会ってみても僕の気持ちは同じだった。今もあの頃と変わらず大好きだ」

 僕の人生で初めての告白だった。心臓の音だけがドクンドクンと響き続けていた。ホタル丘で美織とキスした後に感じたのと同じような熱い鼓動が全身を駆けめぐっていた。

 六年間僕の中に溜まりに溜まった好きだという想いを放出したことで、僕にはある種の充実感があった。しかしこんな一方的な告白はきっと僕のエゴなのだと思う。自分勝手な行為をして自己満足しているだけじゃないかと思う。僕と山本さんが普段から好意的な関係だったように、僕と美織もずっと小さい頃から好意的な関係だった。それは確信していることだ。でもだからと言って、僕が山本さん対したように、美織にも他に好きな人がいたり、既に恋人がいたりすることは特別不思議なことではなかった。場合によっては迷惑な告白だったかもしれない。でもどうしても僕はそれを止めることはできなかった。それに振られたら振られたでそれは納得できることだったし、僕の告白で美織との好意的な関係が全て崩れ去るとまでは思ってはいなかった。僕には恋の駆け引きとかは全く経験のないことだからあとは彼女の気持ちを尊重するだけだ。

 美織は右手で口を押さえたまま魔法をかけられたように固まって動かなかった。次第に瞳だけが光るものでいっぱいになっていった。彼女はバッグから自分のピンクのハンカチを取り出して、それを軽く目元にあてた。

「ずるいよまた。あの時と一緒。自分から先に……」

 美織はそう言って、ミルクティを一度かき混ぜ直してからカップに口をつけた。僕も同じようにアールグレイを一口飲んだ。美織はしばらく瞳から溢れ出てくるものを気にしていたが、次第にそれも落ち着いたようだった。

「話してくれてありがとう。とても嬉しい。……もうわかってると思うけど今度は私の番」と美織は晴れ晴れとした表情で言った。

「え?わかってるって……」と僕は困惑して訊いた。

「いいから最後まで黙って聞いてて」

 美織はそう言ってハンカチをテーブルの端に置き、大きく息を吸ってから話し出した。

「私は中学と高校で何人かに告白されたわ。葵みたいに全然かわいくないけど、こう見えてもちょっとだけ人気あったんだよ。でも誰ともつき合ったことはないし、もちろん自分から誰かに告白したこともなかったの。私にはずっと『決めていた人』がいたから。その人は十一歳の夏に私のファーストキスとセカンドキスを奪った人で、キスをするずっと前から大好きな人だったの。それは周りの人なら誰でも知っていることで、お母さんも、優子ちゃんも、葵も、一緒に遊んだ子供達もみんな。私は不器用で自分の気持ちを隠すのが下手だったし、また隠す必要もないと思っていたの。体は自然と彼に触れ、毎日彼を目で追っていたわ。だから私は彼と最初にキスができてとても嬉しかったの。まだ五年生だったけどね。……彼とはその後六年間会えなくて、いつかまた会える時のために私は勉強をがんばったり、毎日夢を描いていたの。彼と手をつないで街を歩き、三度目のキスをすることを。そして彼の十七歳の誕生日の日に会えるチャンスが来て、私は彼へのプレゼントは何がいいかを考えたの。それで喜んでもらえることを信じて自分の気持ちを伝えることに決めたの……

 亮くん、お誕生日おめでとう。私もずっと好きだったよ。今この瞬間も」

 僕は体中が熱くなってありがとうと言うのが精一杯だった。六年間本当に長かった。悩んで藻掻いて、こんな最高の十七歳の誕生日が来るなんて今でも夢みたいだった。

「ハンカチいるかしら?」と美織はおどけた顔で僕にピンクのハンカチを差し出した。

「いや大丈夫」と僕は涙を堪えて言った。

「なんか私の告白、小学生の作文発表みたいだったね」

「感動したよ。ひとつ間違いがあったけど」

「え?なんだろ」

「ファーストキスは確かに僕が奪ったけど、セカンドキスは僕からじゃない」

「あれそうだったかなあ」と美織は肩をすくめながら惚けた。

 僕達は昨日のことのように『あの日』にタイムスリップしていた。

「亮くん、あの頃の私の気持ちに気づいてなかったの?」

「うん。そういう恋愛の『好き』とは……」

「そういうところは鈍感なのね。十一歳でキスできちゃう人なのに」

「いやそれは……言葉では説明できないよ」

「あの時私はもうびっくりでドキドキで、でも嬉しかった。とっても。今大好きな人とキスしてるんだって。一生忘れられないな」

「僕も一生忘れないさ」

 僕達の話はその後も尽きなかったが、時刻が九時を回ったので店を出ることにした。店内にはイエスタデイが流れていた。

 外は半袖では寒いと感じる気温になっていた。僕はリュックから長袖のシャツを取り出してそれを羽織った。美織はバスで帰ると言うので僕はバス停まで送って、それからホテルへ戻ることにした。

 バス停がある方へ歩き出すと、美織は僕に体をくっつけて手をつないできた。彼女は「いいでしょ?」と顔を見上げて訊いた。「もちろん」と僕は応えた。僕は彼女の小さな歩幅に合わせてゆっくりと歩いた。彼女の手は細く小さくまるであの頃のままで僕の手だけが大きくなったみたいだった。時折僕の体の一部に彼女の柔らかい胸や腕があたる度にドキドキしていた。振り返ってみれば、僕が前にこうして女の子と手をつないで歩いたのは小学生時代の美織だけだった。中学になって何度かトオル達と男女三対三で遊びに出かけたことはあったけど、まともなデートなんて経験したことがなかったし、まして女の子と手をつないで歩くなんてあり得ないことだった。だから、たかが手をつなぐことだけでも僕には胸が飛び出しそうな出来事だった。そして、なぜ同級生のカップル達が街や下校時にいつも手をつないで楽しそうに歩いているのか今やっと僕にもわかった気がする。つないだ手から伝わる相手の温もりや気持ちがこれほど素晴らしいものだったなんて、今やっと実感している最中だった。

 美織は「嬉しい」と言ってつないだ手を大きく振った。

「亮くんとずっとこうしたかったんだ」

 美織はあの頃と変わらず活発で、思ったことを自然に表現する子だった。本当にあの頃のまんま何も変わっていなかった。わかりやすいといえばそうだし、彼女の言うように不器用といえばそうなのかもしれない。

 少し歩いただけで僕達はバス停に到着した。

「ねえお願い。もう少しこうして歩いていたい。もうひとつ先のバス停まで行こう。そこだとホテルも近いし」

「わかったよ」と僕は笑って応えた。

「亮くんの明日の予定はどうなってるの?」

「十時半におじいちゃんがホテルに迎えに来てくれて、何も問題がなければおじいちゃんの家へ行って荷物の整理とかかな。しばらくはこっちに滞在する」

「よかった。じゃあ、明日部活終わったら少し会えない?三時くらいからだけど」

「もちろん」

「やったあ、部活行く前に一回おじいちゃんの家に寄るね。お昼くらいかな」

「わかったよ」

 それから僕達はひとつ先のバス停へ向けて歩いた。歩きながら自分はいったい今何をしているのかよくわからないような、地に足が着かない感覚に襲われていた。つい数時間前まではこんなことが起こるなんて想像もつかなかった。釧路へ行くことが決まってから、こういう期待が全くゼロだったとは言わない。好きな人とこういうことができたらなと思い描き、それを切望することは僕にだって当たり前にあった。でもその度に不安や葛藤が僕の目の前に現れ、大きなナイフがそれを切り裂き、そんな願いは叶わないんだ、叶うはずはないんだと不気味な光を放った。僕が勇気を出して告白したことがそのナイフを振り払ったのか、それはわからない。誰かに言わせれば、元々こうなる運命だったんだとおセンチなことを言うかもしれない。でも、所詮答えなんて二つか三つしかないのだから怖がる必要がないことが僕にはわかった。かけがえのないものを手に入れるには、時には代償も伴うだろうが、勇気を出して前に進むしかない。こんな風に心が満ち足りることがあるのなら、僕はこれからも前に進んで行こうと思う。今、自分の生き方の土台がはっきり見えたような気がした。強く前を向いて生きること。尾崎豊が唄っていた十七歳の地図が脳裏をかすめた。

「何か考えてるの?」と美織は訊いた。

「大したことは考えてない。なぜ今ここでこうしているのか、なぜこんなにも心が満ち足りているのか。まあそんなこと。よくわからない」

 彼女は何も言わずにつないだ手をギュッと握りしめ、僕の方に体を寄せてきた。

 しばらくすると通りの向かい側にホテルが見えてきた。昼間と違って人通りもなくバス通りは交通量も少なくなっていた。時刻は九時半になろうとしていた。

「あそこよ」と美織はバス停を指さして教えてくれた。バス停には簡易的な屋根とベンチが備え付けられていた。美織が時刻表を確認してから僕達はベンチに寄り添って座った。せいぜいあと五分か十分もすればバスは来るだろうと思った。十時前には美織は家に帰れるはずだ。

「すごい一日だったね。あっという間」と美織は言った。

「そうだね。……本当にありがとう」と僕は言った。

「えっ、私も、その、ありがとう」と言って美織は微笑んだ。

「亮くん、こっち向いて」と美織は言った。

 僕は座りながら美織の方を向いた。うるうると輝く瞳の奥にはあの時と同じような強い意志が見て取れた。

 美織は僕の首のうしろに両腕を回し、おでことおでこをくっつけた。僕は彼女の背中に手を回して自分の方に彼女を抱き寄せた。彼女は待ちきれないように柔らかく潤いのある唇を僕の唇にあてた。僕達はそのまま抱き合いながら人生で三度目のキスをしばらくしていた。それは自分たちの気持ちを確かめ合うようなお互いに望んだ長いキスだった。自然にキスを終えると美織は僕の胸に顔を埋めた。いつもの美織の香りが漂っていた。

「もう突然いなくならないでよ。ずっとそばにいて欲しい」

「わかってる。僕も同じ気持ちだよ」と僕は彼女の頭に手を置いて軽く髪を撫でながらそう言った。

 しばらくすると大きなライトに僕達は一瞬照らされてバスが来たのがわかった。

「明日のお昼に行くね。お誕生日おめでとう」と言って美織はバスに乗り込んだ。僕は彼女が見えなくなるまで手を振った。バスが見えなくなると僕は急に全身の力が抜けてへなへなとまたベンチに座った。電光石火のような一日だった。さっきまで列車に揺られ、六年前のことをああだこうだと考えていたはずなのに、今はずっと思い続けていた人が、文字通りかけがえのない人になっていた。こんな幸せなことがあるだろうか。自然と嬉しさが込み上げてきていた。

 少し休んでから僕は立ち上がってホテルに戻ることにした。ホテルのキーを確認するため無意識にジーンズのポケットに手を当てた。そこには飴玉のようなものが確認できた。一気に夢の中から現実に戻された気がした。今日はいろんな事がありすぎてすっかり忘れていたが……、いや、今日はもう考えるのは止そう。まだ冒険は始まったばかりだ。時間はたっぷりあるのだから。

 僕は右手を見つめてみた。さっきまでこの手の中に美織はいた。美織の指の感触が、美織の髪の感触が残っている。いつまでも彼女と一緒に歩んでいきたいと今はそれだけを考えていたかった。右手には彼女の香りがほのかに残っていた。

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