第6話 秘密基地

 列車は新得駅を出発したところだった。

 僕は数学のノートとペンを置いて、リュックからレモンキャンディーを取り出してそれを一つ口に入れた。

 どこまでも続く広大な十勝平野。澄み渡る空。素晴らしい景色が広がっていた。僕は腕を上げて一度背伸びをしてずっと同じ体勢だった体をほぐした。

 それから、流れゆく景色を眺めながら僕はふと『青春』という言葉について考えていた。今の僕は年齢だけでみれば青春真っ只中と思われても不思議でないと思う。でも僕の感覚ではそれは違うような気がしている。実際考えてみればわかる。毎日学校と家を往復し、時には部活や友達や勉強にエネルギーを注ぐけども、これが青春だと思えるような中身がそこにあるとはどうしても思えなかった。少なくとも昨日までの僕の十六歳は青春という意味では空虚なものだったと言える。それは五年後に振り返ってみてもやっぱりそう思うはずだ。だから、人によってはそれがいつどの場面であっても青春は存在するし、例えば二十歳でも三十歳でも、もちろん十一歳の夏でも青春はきっと存在するはずだと思う。どれだけその物事に熱中できたか、どれだけ胸の高鳴りを感じることができたか。そしてある時振り返ってみて、あの頃は青春だったと言えるものがきっと青春なのだろうと思う。

 だから十七歳の僕が今振り返ると、十一歳の夏が青春の時だったと思う。願わくはこの十七歳の夏も、五年後、十年後に振り返ってみて、あぁ十七歳の夏は僕が光り輝いていた青春の時だったと思えるようなものにしたいし、それが来年も再来年も同じならなんて素晴らしいことだろうと思う。でも現実はきっとそうはならない。

 今振り返って、美織への恋心とヒロトとの友情が僕に青春と思わせるものであるのは間違いなかった。人は親友という言葉を簡単に使う。本当にそんなに何人も親友は存在するのだろうか?僕にとってヒロトはほんのわずかな期間だったけど、そう呼べる唯一無二の存在だった。友達はいっぱいいるけど、幼なじみのトオルを除けば、親友と呼べる人間は本当にヒロト一人のような気がしている。



一九九五年、高校二年の夏に書き綴った十一歳の僕。その四


「秘密基地?」僕は驚喜した。

「んだ、オレ達二人の秘密基地だ」

 昨日剃り込み達と取っ組み合いをした後、僕達は今日の十時に公園で待ち合わせの約束をしていた。僕はいつもと違ってドキドキしながら公園へ向かった。まだヒロトのことは何も知らなかったけど、そんなことは関係なかった。新しくできた友達に僕は心を躍らせていたのだ。そのヒロトが秘密基地を作ろうと提案してきた。秘密基地という言葉には、十一歳の少年達の目を輝かせる魔力が秘められていた。僕はその提案に大賛成した。

「いい場所があるんだ。すぐそこだ」と言ってヒロトは歩き出していた。僕はヒロトのうしろをついていった。公園から五分も歩かないうちに幅の狭い川が見えてきた。おそらく本流の釧路川に流れ込む支流だと思われた。

 川縁は石がごろごろしていて、川が流れているのは真ん中の少しの間だけだった。ただ増水時は川縁全てが水に浸かる可能性があるような川だった。

 川縁に下りるには木々の枝と草ぼうぼうの斜面をかき分けて進む必要があった。僕達は人けのないところから斜面に進入して背丈ほどある草をかき分けて進んだ。すぐにヒロトは「ここだ」と言って斜面の中腹で止まった。川縁まではまだまだ距離があった。

 そこには大きな土管が横倒しになって放置されていた。斜面の上からは木々に邪魔されて見えなく、土管の周りも草が生い茂っていて、近くまで来ないとそこにそれがあるとはわからないものだった。

「おお、すげえ」と僕は叫んでいた。

「そうだべ?」とヒロトは言って早速土管の中へ入っていった。僕もうしろについて入っていった。中はひんやりと涼しく、僕達は顔を見合わせて笑い合った。

 それから僕達の秘密基地作りは始まった。まず出入り口は一つにして、片方の穴を塞いで通り抜けはできないようにすることとした。そして木の枝を集めて土管にかぶせて屋根を作ろうと話し合った。

 早速僕達は近くのスーパーマーケットへ行って段ボールを分けてもらえないか頼んでみた。好きなだけ持っていっていいと言うので、僕達は二度往復して大きな段ボールを運んだ。それを土管内部に敷き詰め、片方の穴を塞ぐように段ボールを二重にして設置した。

 お昼になったので僕達は一度家に帰って昼食をとり、午後からは公園でみんなと遊んだ。もちろんヒロトも一緒に仲間に加わった。美織は僕とヒロトが急接近したことに首を傾げていたが、その時は特に何も言われなかった。

 翌日の午前中も僕達は二人で基地作りをした。僕はおじいちゃんから借りたガムテープで穴を塞いだ箇所の段ボールをがっちりと固定した。内部の段ボールもそれぞれを繋げて固定した。ヒロトはどこから調達してきたのかブロックを二つ持ってきていて、それを土管の入り口前に置いて椅子変わりにしようとした。内部はほぼ完成し、僕達は段ボールの上に寝転がったりしてその感触を確かめていた。土管の中では話し声が響いて少し不思議な空間になっていた。それから長い枝を集めて屋根作りを始めた。円の右側と左側から立てかけて三角屋根にすることを目指してみたが、これがとても大変な作業であることにすぐに気づいた。適当な長さの枝を大量に集めるのが大変だったからだ。続きはまた明日行うことにして、午後からはみんなで虫捕りに出かけた。

 基地作りから三日目。蝉の鳴き声がけたたましい暑い日だった。僕達は話し合って難儀だった屋根作りを諦める決断をした。今まで集めた枝は土管をカモフラージュする程度に立てかけて基地の完成とした。十一歳の僕達ができるのはせいぜいこれくらいまでだった。でも僕達はそれで十分満足していたし、自分たちの秘密基地を手に入れた喜びでいっぱいだった。僕はおじいちゃんの家から持ってきたお菓子と二本の缶ジュースをもって土管の中で完成祝いをやろうと提案した。ポテトチップスを袋から広げ、僕達はジュースの缶をカチンと合わせて乾杯した。

「リョウタは野球好きか?」とヒロトは缶ジュースを飲みながら言った。

「好きだよ。おじいちゃんの家でも毎日ナイターを観てる。」

「どんな選手が好きだ?」

「うーん、篠塚とか広島の高橋慶彦とか。ピッチャーは江川」

 僕はシュアな打撃をする選手が好きだった。

「オレは掛布。今は中日に来た落合がすごいなって思う」

「江川対掛布」と僕は呟いた。

「んだ、江川対掛布。興奮したな。もう二人とも引退しちゃって悲しいよ」とヒロトは俯いて言った。

 巨人のエース江川と阪神の四番掛布の対決は、どちらが勝ってもそこには夢があるものだった。僕達はそういうヒーロー達の真似をしていつも野球で遊んでいた。

 それからもゲームや漫画やアイドルなんかについてお互いの『好きなもの』を語り合った。おニャン子クラブではヒロトは高井麻巳子が好きだったと言って、僕はゆうゆ(岩井由紀子)が好きだったと言った。このグループも去年か一昨年にもう解散していた。好きな映画ではヒロトはインディ・ジョーンズが好きだと言って、僕はスターウォーズが好きだと言った。

 僕達の好きなものはまったく合わなかったけど、僕はそれでよかった。ヒロトの好きな物や嫌いな物が少しずつわかってきて嬉しかった。

 ヒロトは不思議と僕の札幌でのことは質問しなかった。自分の家庭のことについても何も話さなかった。取っ組み合いの一件で、彼が新聞配達をしていることと根室から釧路へ転校して来たらしいことはなんとなくわかったけど、そのことについても彼は何も言わなかった。だから僕もそのことについて尋ねることはしなかった。

「リョウタは栗原のこと好きか?」とヒロトが唐突に質問してきた。

 栗原とは美織の名字だった。

「もちろん好きだよ。こっちでは小さい頃からずっと一緒だし」

「いや、そうじゃなくて、ほら、好きな人なのか?」

「ああ。……うーん。そうかもしれない。でも突然訊かれてもよくわからないよ」と僕は正直に言った。

「そっか。……じゃあアオイのことはどう思う?」

「葵はとてもかわいいと思うよ。……でも好きな人ではないと思う」

「そっか。……なあ誰にも言わないか?」

「え?言わないけど……」

「オレ、アオイのこと好きなんだ」

 ヒロトがなぜ自分の気持ちを僕に打ち明けたのかはわからない。ひとつあるとしたら、秘密基地の不思議な魔力がそういう気持ちにさせたのかもしれないということだけだった。


 午後に公園へ行ったら、ヒロトと一緒にいるところで僕達は美織に捕まった。うしろには葵を従えていた。

「ねえ亮くん、それにヒロト、あんた達午前中にどこ行ってるの?昨日も今日も午前中におじいちゃんの家行ったんだけど誰もいなかったし公園にも来てなかったし、もしかして私たちのこと避けてるの?」と美織は涙目をキリッとさせて訴えてきた。

「そんなわけないだろ。今だって公園で美織達と遊ぼうと……なあヒロト」

「んだ、午前中はただ二人で遊んでただけだ」

「じゃあ、二人で隠れて何してんのよ」と今度は葵が言った。

「それは……」とヒロトは窮して言葉を呑んだ。

 僕達は女子二人に圧倒されていた。

「二人が突然仲良くなったのは私たちも嬉しいけどさ、でも隠し事は嫌だよ。きちんと教えて」と美織は一層うるうるした目で続けた。

 僕はここまでだなと思った。誰かを傷つけてまで秘密基地のことを隠す必要なんてまったくなかったからだ。僕とヒロトは顔を見合わせて白状することを目で確認し合った。

「わかったよ。ついてこい」とヒロトは言って秘密基地の方へ歩き出した。

 美織と葵は、やったやったと喜びながらついていった。僕もそのあとを追った。

 僕達はすぐに秘密基地に繋がる斜面の入り口に到着した。

「すぐそこだ、下りられるか?」とヒロトが女子二人に訊いた。

「大丈夫」と女子二人は言った。

 すぐに秘密基地は僕達の目の前に現れた。

「え?え?なにこれ、すごーい」と美織は喜びの声を上げた。

「わー、ね、ね、入っていい?」と葵は訊きながらも体は既に秘密基地に入っていた。

 僕達は四人で秘密基地の中へ入った。

 僕とヒロトが隣になり、美織と葵が向かい側になって体を互い違いにして座った。

「これって秘密基地?二人で作ってたの?」と葵は訊いてきた。

「んだ、いいべ?誰にも言うなよ」とヒロトは誇らしげに言った。

「あーよかった。避けられてなくて」と美織は安心したように言った

「だから避けてないって」と僕が笑いながら言ったらみんなも笑った。

 こうして僕達二人の秘密基地は、あっという間に四人の秘密基地になった。

 薄暗い空間で体を密着させた僕達四人の距離はさらに縮まっていった。僕はさっきのヒロトの言葉が頭の中で響いていた。

 『オレ、アオイのこと好きなんだ』

 ヒロトの斜め向かいには葵がいて二人で何かを喋っている。僕の斜め向いには美織がいて僕の方を安堵の表情で見つめている。僕は急速に美織のことを意識し始めている自分がいることに気づいていた。

 七月の終わりまで僕達は秘密基地を中心に四人で遊ぶことが多くなっていた。いつのまにか基地の中には漫画の週刊誌、ゴムボール、トランプ、おはじき、あやとりの毛糸、飴玉の入った袋、誰が持ってきたのかクマのぬいぐるみまでもあった。

 八月に入って、僕達は数日後に控えていた町内の夏祭りの話をしていた。ヒロトは腕相撲大会の小学生の部で今年は絶対優勝すると張り切っていた。去年は六年生に負けて二位だったようだ。僕は地元の子じゃないから参加はしないけど応援するよと言った。

 それから「新聞社の花火大会っていつだべ?」とヒロトが言った。

 これは町内の夏祭りとは別で、釧路市内で行われる大きな花火大会のことを指していた。毎年美織と優子ねえちゃんは浴衣を着て、僕やおじいちゃん達と一緒に近所の高台から眺めていたものだった。

「確かまだ先よ。お盆の頃じゃない?」と葵が言った。

「僕もそう思う」

「なあ、今年は四人でここで花火大会見ないか?」とヒロトが提案してきた。

「わあ楽しそう。お母さんに美織と見に行くって言えばたぶん大丈夫。見ようよ」と葵が言った。

「私も葵も亮くんも一緒ならお母さんは大丈夫。絶対来る」と美織もすかさず言った。

「もちろん!」と僕は障害になるものが何一つなかったのでそう応えた。

 僕達四人はこの夏最大のイベント『秘密基地で花火大会を見る計画』を立てたのだった。




 一気に車内がざわめきだしていた。帯広駅に到着間近だったからだ。ここまで三時間は経過しただろうか。釧路まではまだ二時間近くかかりそうだった。外は雲一つないかんかん照りで、その日差しがいちばん強い時間帯になっていた。帯広は地理的にも気温が高くなるところなので、優に三十度は超えていると思われた。景色はまだ広大な十勝平野が眩しい太陽の光とともにどこまでも続いていた。

 あの夏のヒロト達との花火大会の計画は結局実現しなかった。その日を迎える前に僕がホタル丘で行方不明になったからだ。彼との時間も夏祭りの日から止まったままだ。もしあのまま計画が実行されていたならば、僕達四人はどんな思い出を作ったのだろうか。

 僕は自然と眠くなりウトウトしだしていた。ふと、あのクマのぬいぐるみはどうなったのだろうかと考えたが、そのうちに意識は遠のいていった。



 結局僕は釧路に到着する直前まで眠っていた。

 景色は一変して大きな海が広がっていた。太平洋だ。海を見たのはいつ以来か考えてみたが、中学の修学旅行以来見ていないのではないかと思ってすぐに考えるのをやめた。それほどこの数年は札幌近辺でしか僕は生活していなかった。

 列車の旅の最後はあっけないものだった。既に列車はスピードを緩め釧路駅に停車する準備に入っていた。僕も忘れ物がないかを確認して、弁当のゴミとリュックの二つを持つ準備をして、その時を待っていた。

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