第23話 闇魔法のきっかけ

「レモネードさん、約束通り依頼を達成しました」


 ギルドのカウンター前には、テンションの高いブレンドとソリティアが立っている。二人とも傷だらけだが以前とは雰囲気がまるで違う。ブレンドは心なしか顔つきが精悍せいかんになっている。以前の自信の無さそうな表情が今では力強い男の顔だ。


 ソリティアは黒いフードを被っていない。長い艶やかな黒髪を垂らし、はっきりと前を向いて立っている。以前ならフードを目深に被り、ぼそぼそ呟きながら下を向いたままだった彼女が今は堂々としている。相変わらず負のオーラは纏ったままだが、どこか吹っ切れたような顔をしている。


「どうしちゃったの二人とも。雰囲気が違うわね。冒険者として一皮むけたってことかしらぁ? フフフ」

 

 レモネードはカウンターに頬杖を突いて二人をかわるがわる眺める。

 

 オリビン平原での薬草集めの報酬はきちんと二人に渡していた。その後、しばらく顔を見ないと思っていたら、今日突然現れたのだ。


「はい、じゃあ依頼達成の証拠を見せて」

「これです」


 ブレンドはカウンターに真っ黒な体毛の束を乗せた。レモネードはテーブル下から大きなルーペを取り出すとその剛毛の束を観察した。確かにワーウルフの体毛だった。


「……間違いないわね。依頼達成と認めるわ」

「「やったぁ!!!」」


 ブレンドとソリティアがガッツポーズをしてお互いにハイタッチをする。二人にとってみればこれが自分たちの力だけで勝ち取った最初の達成依頼だ。オリビン平原の依頼は、最後の最後でアルテに助けられている。だからおまけ付きの達成のようなものだ。が、このワーウルフ退治はブレンドとソリティアの知恵と力だけでもぎ取った勝利。嬉しさも達成感もひとしおだ。


「それにしてもよくあのワーウルフを退治できたわねぇ……銀の武器を持っていても相当手強いはずよ? 力も強いし、何よりも警戒心が強くて狡猾こうかつなところがやっかいよね」

「ええ。オリビン平原の依頼達成料を元手に銀のナイフを買いました。それで罠を張ってずっと粘り強く仕留められる瞬間を狙っていたんです」

「罠、ねぇ……街中でよくそんなことができたわね」

「はい、ネフェリン通りは私の家のすぐ近くですから!」


 そう、ワーウルフの出現場所はソリティアが幼少時代から育った場所のネフェリン通り。裏路地の一本一本はもちろん、猫の通り道までくまなく熟知している。罠を張るのはたやすい。尾行も監視も自由自在である。


「ああ、そういえばそうだったわね、あなたの地元だったわね」

「ネフェリン通りで張り込んで、ワーウルフの正体を突き止めたんです。人間の時の姿形がわかれば、変身が解ける直前を狙えば戦わずに勝てますから!」

「地の利がある場所での粘り勝ちってところかしら?」

「はい!」


 満面の笑みで応えるソリティア。レモネードに褒められて有頂天になっていた。


「だけど残念ねぇ……アルテは貸せないわよ」

「ど、どうしてですか!?」

「あたしは”2週間で討伐系を達成”といったはずよ。もう時間、過ぎちゃったわよねぇ」

「うっ……」


 ハイテンションだった二人の顔が一気に曇った。二人がこれほどまで苦労して依頼を達成したのは、すべてアルテとパーティーを組みたいがためだった。それなのにレモネードの出した条件を守ることができなかった。


「レモネード、ちょっとくらいならよかろうて……」


 あまりに残念そうな顔をしている二人を見て、いたたまれなくなったアルテ。思わず助け舟を出してみた。


「いいえ、ダメよ。約束は約束だもの」

「お主も頭が堅いのぉ。年寄りのようにそれほど頑固にならずともよいではないか……」


 ピキッ―――レモネードの額にくっきりと怒りの血管が浮き上がる音がした。年齢の話はレモネードにタブーである。しかも自分よりとんでもなく年上のアルテに年寄り扱いされたとあっては……。


「だ、誰が年寄りですってぇ?」

「い、いや、すまぬ。我は別にその、あの……」


 アルテはレモネードが最も気にしている部分に触れてしまったことに気が付いた。何よりも年齢に敏感な年頃なのである。


 と、レモネードの巨大な雷が落ちる寸前、カステルが話に割って入った。


「まぁまぁ、良いではありませんか。アルテ様はお貸しできませんが、代わりにわたくしを付添いさせるということで。わたくしも受付嬢ですので資格は十分あるかと」

「カステル、あんたも甘いわね。悪魔なのにさすがはアルテ一族ねぇ。お人好しっていうか”悪魔好し”っていうのか……」


 悪魔なのに情け深い提案をしてくるカステルに、レモネードは思わず口が滑ってしまった。


「悪魔? レモネードさん、この方は誰ですか?」


 ブレンドとソリティアは依頼達成の話に夢中になって、いつの間にか受付カウンターに座っている銀髪赤目の女性に気が付いていなかった。受付嬢の制服を着ていたので関係者なのは直ぐにわかったが、臨時のアルバイトか何かだろうと思っていた。が、突然”悪魔”というキーワードと共に会話に割り込んできた。


「そういえば、あんた達には初めてだったわね。紹介するわ、うちの期待の新戦力、カステルよ」

「初めまして。……あなた達がウワサに聞いてるコンビですね。よろしくお願いします」

「ウワサ? 誰が僕たちのことを噂してるんですか?」


 ソリティアとブレンドの話は、アルテから聞いていた。そしてアルテの好みなどとうの昔にがっちり把握しているカステルは、二人を一目見ただけでわかってしまった。


「いえ、ウワサはウワサですから。それよりもアルテ様が付添いできなければ、わたくしがさせていただこうと思いますが、いかがですか?」

「ごめんなさい、失礼ですがカステルさん……はギルドの受付嬢ですよね? アルテさんの強さを僕は知っていますが、カステルさんのようなか弱い女性が冒険に付添うなんてできるんですか?」


 そこに今度はレモネードが割って入った。その顔は得意げだ。


「ふふん、このカステルはアルテ級の高位魔法使いよ、安心しなさい」

「アルテさんと同じくらいの? ……さっきカステルさんを悪魔って言ってたのはなんですか?」


 レモネードは自分の失言をズバリ突かれて冷や汗が出た。もちろんブレンド達にカステルの正体を明かすわけにはいかない。ここからどう誤魔化せばよいのか。


「あっ、ああ、あれね。カステルの魔法は”悪魔級”に凄いのよ。だからちょっと悪魔みたいねってあだ名してただけよ」


 必死で誤魔化すが、ソリティアとブレンドの眼は微妙な感じだ。いまいちすっきりしない顔をしている。アルテがすかさず話を逸らす。


「ブレンドよ、お主強くなって立派な冒険者になりたいんじゃろ?」

「はい」


 チラリとソリティアの方を見る。


「一人の女の子を守れるくらいには」

「そうか。ではカステルに付添ってもらうがよい。このカステルは我の……そう、我の家族じゃ。心配はいらぬ。信頼できるヤツじゃ」


 家族と言われてカステルの顔はいつになく嬉しそうだった。魔王時代、完全なる上下関係でしかなかったアルテとの繋がり。それが一族扱いされているのである。人間、エルフ、魔族と種族は違えど、同じ釜の飯を食い、苦楽を共にする仲間だ。あえていうなら”ギルド族”という表現がぴったりだろうか。


「わかりました、アルテさんがそこまで言うなら、カステルさんに付添ってもらいます!」

「うむ、素直なヤツじゃの」


 アルテはブレンドの頭に手を乗せ、髪の毛を優しく撫でた。アルテからすれば孫を褒めている感覚だが、周囲から見た絵は同世代の女子が男子の頭をいじっているようにしか見えない。当然、友達関係以上の二人としか映らない。


「……っ!」


 ブレンドは気恥ずかしくなって顔を真っ赤にする。憧れそして好いている人から頭を優しく撫でられているのだ。思わず下を向いてしまう。が、それを見たソリティアは意外な行動に出た。


「ずるい! 私の頭も撫でてください!」


 微笑ましい顔をするアルテ。思ったことは直ぐに口にしてしまう。空気を読まない直球娘。それがソリティアである。


「ソリティア、お主もよく頑張っているようじゃな」


 ソリティアの頭も優しく撫でる。長く黒い髪が揺れる。ソリティアも憧れのアルテに撫でられ褒められてご満悦の表情だ。ブレンドがアルテに抱いているのは尊敬と恋愛感情だが、ソリティがアルテに感じているのは母性と憧れだ。両親に厳しくしつけられ、その期待に応えられずに挫折してしまった。両親からはダメ人間の烙印を押され、愛情を注いでもらえなかった。そのせいで慢性的な愛情不足だった。ソリティアは敏感にアルテの懐の深さを感じていた。見た目年齢はほとんど変わらないアルテに母性を感じていたのだ。年の差からいえば、母性どころかご先祖様レベルだが。


「そうだ! レモネードさん、あの本、読み終わりましたよ!」

「えっ!? もう読んだの?」

「はい、面白くて一気に読んじゃいました。すごい本ですね。とっても勉強になりました」


 そういってソリティアはレモネードに借りていた本をバックパックから出すと、カウンターの上に置いた。自分の著書を褒められて、今度はレモネードがご満悦だ。自分の努力を認められることほど嬉しいことはない。ましてやレモネード場合、半生を賭けてまとめた研究成果だ。それを面白いと言ってくれる相手に嫌な感情など抱きはしないだろう。


「少しは闇魔法の参考になったかしら?」

「はい。でも頭ではわかったんですけど、実践となると……やっぱり」

「まぁ、そうよね。本を読んだだけで魔法が使いこなせたら街中が大魔法使いで溢れてるものねぇ」


 レモネードは実感を込めて言い放つ。かつては自分もソリティアのように魔法を覚えようと本を読み漁っていた時期がある。


「ふむ。ではカステルに闇魔法を見せてもらがよい。百聞は一見に如かずじゃ。一度味わってみればコツを掴めるかもしれぬぞ」

「えっ!? いいんですか?」

「カステルも闇魔法の名手じゃからのぉ」


 アルテがそういうと、カステルは軽く左手を振った。闇魔法の発動準備だ。


「ちょ、ちょっ、ちょっと待ちなさい!!!」

「どうしましたレモネードさん」

「あんた、ここで闇魔法を使う気?」

「そう、ですけど……」

「馬鹿いってんじゃないわよ。闇魔法って物を腐らせたり、病原菌を撒き散らしたりする魔法でしょ?」

「ええ。ですからこのギルドの床を腐らせてみようかと思ったんですけど」

「ふーん……で、床が朽ち落ちてそれを誰が直すわけ?」


 レモネードが腕を組んで額に青筋を立てている。徐々に怒りのパワーが溜まり始めているのが、その場の全員に伝わってきている。が、カステルだけはあっけらかんとした顔をしている。


「アルテ様の創造魔法なら朽ちた床も一瞬で修理完了かと……」

「おお、確かにそうじゃの!」


 確かに創造魔法を使えば、床の修復は簡単である。アルテは魔王時代、居城の修復も自らの魔法でやっていた。ただし補修はできても掃除はできないため、部下からの評判はイマイチだった。


「ええっ!? アルテさんって創造魔法も使えるんですか!!! 信じられない……」


 魔法オタクのソリティアが光の速さで反応する。創造魔法といえば失われた伝説の魔法だ。一般常識からすれば、今の時代に使える者はいないはずだ。


「あっ! 馬鹿っ! それは……」


 レモネードは、秘密にしておきたかったアルテの魔法を喋ってしまったカステルに苛立ちをみせる。殲滅魔法は当然だが、創造魔法のことも極力秘密にしておきたい。アカデミーや国が嗅ぎつけたら厄介なことになる。


「今のは秘密。ナイショの話よ」


 仕方なくソリティアに口止めをする。が、秘密はどこから漏れるかわからない。知る人間が多ければ多いほど漏れる確率は上がってしまうのが世の常だ。


「……や、闇魔法もそうですけどぉ……創造魔法も見たいです!」


 既にソリティアの両瞳には星マークが浮いている。こうなってしまった魔法オタクを止める術はない。


「仕方がないのぉ……」


 アルテは軽く右手を振ると、左手の掌を上にして魔力を込めた。小さな黒い球体が現れる。それをホイとばかりに下へ落す。落ちた床面の部分が途端に黒ずみ、腐ってしまった。瞬きする間もなくスイカほどの大きさの床が丸く腐っている。


「これが闇魔法の基本的な術じゃな」

「はい! アルテさん質問です」

「なんじゃ?」

「これは生物に当たったらどうなるんですか? やっぱり腐って死んじゃうんですか?」

「もちろんじゃ。生物だろうが金属だろうがすべてを腐敗させる。それが闇魔法のベースじゃからのぉ」

「……す、すごく危ない魔法ですね」

「普通に攻撃魔法としても使えるのじゃ。まぁ、ちと地味じゃがな」


 ―――ゴクリ。ソリティアが唾を飲みこむ音がした。この魔法が自分に当たったらところを想像すると、背中に冷や汗が伝う。


「フフフ……でもアルテ様はほとんど生ごみからたい肥を作るのにだけ使ってましたよね」

「へっ? たい肥って……あの畑の栄養分になるあれですか?」


 あらゆる物を腐らせる恐ろしい闇魔法……が、アルテはもっぱらたい肥を作るために使っていたのである。アルテのたい肥は家庭菜園ならぬ、城内菜園が趣味の部下達にかなり好評だった。


「こ、こら、カステル、余計なことを言うでない!」


 名前だけはかっこいい闇魔法。だがその動機はたい肥生産のためにアルテが作った魔法だったのだ。


「ほ、他にはどんなのがあるんですか?」

「ふむ。虫を呼んでいう事を利かせたりできるぞ」

「すごい! そんなことまで!」


 ソリティアは闇魔法の使い手になることを決心した。術を生み出した本人が目の前にいるのだ、これ以上の機会はないだろう。


「ちょ、ちょっと……やめてよね。絶対にここでは使わないでよね。やったら殺すわよ」

「何じゃレモネード、お主、虫が嫌いなのかのぉ?」


 レモネードは虫が大の苦手だった。ハエの一匹でも大騒ぎして大変なことになる。だからギルドには”虫よけ”の生活魔法が何重にもかけてある。外から虫が入って来ることはできない。


「虫が嫌いだからあたしは冒険者やらないの!」

「何と……そんな理由じゃったのか。かわいいのぉ、アハハハ」

「うっさいわね、ノーパンババア! 早くその腐った床を直しなさいよ」

「うむ、承知した」


 アルテは軽く右手を振ると、床の腐った部分が淡い光に包まれた。数秒のうちに床が元通りになる。


「これが創造魔法……」


 ソリティアが目を細めながら必死でメモを取っている。


「アルテさん、私にも使えるようになるでしょうか? 創造魔法……」

「わからん。こればっかりは適正じゃからのぉ。どんなに魔力があっても使えん人間には絶対に使えん」

「そっ、その適正ってどうやって見極めるんですか?」

「……うーん、そうじゃのぉ……実際に試してみるのが一番手っ取り早いのじゃが」

「じ、実戦ってことですか!?」

「実戦ではない、実践じゃ。創造魔法で戦ってどうする。魔法は魔力と想像力のコンビネーションじゃからのぉ」


 ふむ、とばかりに考え込んでしまう、アルテ。その隣で同じポーズを取るカステル。二人とも魔法の適正はあれこれ試すうちに自然と身についた経験しかない。改めて問われると言葉で表現するのが難しいのである。


「とりあえず試すしかあるまい。依頼を請けてカステルに見てらもうがよい……」

「わかりました! 私、じゃあ依頼を請けます。カステルさんに付添ってもらいます」

「うむ、カステル、一つ頼むぞ」

「かしこまりました、必ずやこの娘の魔法適正を見極めて参ります」

「そんなに片肘張らずともよい。まずは適当に面倒をみてやってくれ」


 そういうとアルテは得意げにカウンター内に入り、椅子に腰かけた。


「はぁ……ったくしょうがないわね。カステルは貴重な戦力だけど今回は貸してあげるわ。その代り、請けた依頼は必ず達成しなさいよね」

「はい!」


 元気よく返事をするソリティア。


 そして選んだ依頼は……


【依頼番号2001:ダークナイトの討伐。ダンジョン地下70階に出現するダークナイトを斃す。証明部位はダークナイトの兜/金貨250枚】


「……ねぇ、ソリティア、聞いていいかしら?」

「はい、レモネードさん、何ですか?」

「どうしてこの依頼にしようと思ったのかしら」

「だってカステルさんって高位の魔法使いなんですよね? だったらこれくらい難しい依頼を選ばないと逆に失礼かなーって」


 にっこり笑って答えるソリティア。裏表がない。本心で言っている。ナチュラルに話をしているだけに咎めようがない。


 金貨250枚の依頼は、ギルドの上級冒険者でも滅多なことでは請ける内容ではない。それを初心者のソリティアが請けようとするのだ。前代未聞、自殺志願者としか思えない。


 しかし付添うのはあのカステルだ。戦力的な心配はない。レモネードが心配なのは、ソリティアが戦闘に巻き込まれて死んでしまわないかだ。だがアルテ級の治癒魔法を使えるカステルだ、その点も大丈夫だろうと思う……が、カステルが万が一悪魔の本性を出したらどうなるだろうか? そんなネガティブな想像が湧き上がる。


「レモネード殿、大丈夫です。お任せください。もしご心配ならやはりわたくしではなくアルテ様を……」

「いえ、大丈夫。カステル、あなたに任せるわ!」


 仲間は信頼が一番。これを損ねるようなことをしたくはない。相手からの信頼を得たければまず自分が相手を信頼しなければならない。レモネードは頭を振って自分の悪い想像を振り払った。

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