第19話 予兆

「ない! ない! ない! どうしてないのよ!!!」


 レモネードはギルドの金庫前で焦っていた。入金されているはずの金がない。どう勘定しても現金と売上台帳の数字が合わない。伝票を何度整理しても金庫の現金と合わない。


 ギルドの売上金は厳しく管理する必要がある。というのも、スピネル王家に税金を納める義務があるからだ。ギルド運営の許可には納税が必須。どこの国でも同じような制度ある。ギルドの税金は売上の三割。きっちり決まっている。半年に一回は国から監査官がやってきて監査をされる。脱税していないかのチェックだ。もしも売上を誤魔化すようなことをすれば、たんまり罰金を取られた上、営業停止となる。


「何を焦っておるのじゃ」


 影の塔からもどったアルテが、他人事のようにのんびり声をかける。


「アルテ! 大変よ、台帳の数字と現金が合わないわ!」

「ふむ、どれどれ……」


 アルテは最近ようやく読めるようになった台帳をしげしげと見つめて、数字を頭に入れる。金庫へ移動すると徐に現金を数え始めた。金貨、銀貨、銅貨、鉄貨がきちんと揃えて積まれている。積んである高さで枚数がわかるようになっているので、数えるのは造作もない。


「……確かに足りぬのぉ。金貨にして20枚ほどか。これはどうしたことじゃ。計算ミスかのぉ?」

「計算ミスなんてあたしがするわけないじゃない!」

「そ、そうか。では盗人でも入ったのか?」

「この金庫はいつも閉まってるのに? あたしたち以外が開けると魔法で直ぐに閉まるようになってるから、泥棒は考えられないわ」


 アルテは首をひねって考えた。金貨20枚 ―――そう、ソリティアの登録料である。アルテはソリティアが持ち込んだ金貨20枚分の銅貨鉄貨を金塊に換えて、そっと金庫の二重底の下に忍ばせていたのだ。後からレモネードに話をしようと考えていたが、いつの間にか忘れていたのだった。


「あっ! ……」

「何よ、その”あっ!”ってのは。もしかしてアルテの仕業? あんた金貨20枚分、どうしたのよ?」

「……す、すまぬ、たぶん我がソリティアの登録料をアレしたせいじゃ、アハハハハハハ」


 冷や汗をかきながら、煮え切らない笑顔でやり過ごそうとする。


「笑って誤魔化したってダメよ。ソリティアの登録料は? あの子の銅貨の山はどこ?」

「金塊に換えたのじゃ」

「はぁ? どういうこと?」

「いやの、銅貨を数えるのが面倒くさいので創造魔法で金塊に換えたのじゃよ。ど、どうせ価値は同じじゃし構わんじゃろ?」

「確かに価値は同じよ、価値はね。でも税金は全部硬貨で納める決まりなの。だから売上も硬貨じゃないと認められないのよ……はぁ、どうしよう」


 深いため息をつくレモネード。眉間に皺を寄せている。本当に困った時に見せる彼女の表情だ。


「す、すまぬ。金から銅に戻すことはできるが、硬貨にすることはできぬ……わ、我はどうすればよい?」

「そぉね……金塊を金貨に換金したら手数料を一割ばかし両替屋に取られるわ」

「なんじゃと! ケチくさいやつらじゃのぉ」

「だから金塊って嫌われるのよ。大富豪とか貴族が貯めこむ時に使うのが金塊なの。それ以外じゃ使い道がないわ」


 スピネル金貨はスピネル国と貿易が盛んな周辺国でしか通用しない。が、金の価値としては同等だ。他国と取引する時には、金塊に戻してその国の硬貨として鋳造し直す必要がある。貴族や富豪たちは、自分の財産を守るために国に依存する硬貨ではなく、普遍的な金塊として蓄えるのである。もちろん、亡命まで視野に入れてのことだ。


「……換金手数料、アルテの給料から引いておくから」

「ぐっ、そ、それは……」

「わかったわね?」

「ハイ……」


 ここは素直に首を縦に振るしかない。アルテは観念してまた自分の借金が増えたことにプレッシャーを感じた。これでは借金大魔王まっしぐらである。元本物の魔王だけに笑えない冗談だ。


「それとソリティアのオーク討伐の違約金だけど、アレはあんたが払いなさいよね」

「な、何で我が払うのじゃ? あれはダンジョンにサイクロプスキングが現れたのでご破算になったのではないのか?」

「どうせあんたの魔力で集まってきたんでしょ? だいたい見当はついてるわよ」

「ぐっ……」


 アルテは完璧に見抜かれて身動きができなかった。そう、元はといえばアルテの放った殲滅魔法が原因でダンジョンの浅い階に強力な魔物が現れるようになったのだ。ソリティアが請けたオーク退治の依頼は、未達成のまま放棄されていた。が、その大元の犯人がアルテだと天下のお色気頭脳、レモネードは薄々見抜いていた。


「図星ね。確かあの依頼は、これだったわよね?」


【依頼番号7866:オークの討伐。ダンジョンに出没するオークの群れ30体を斃す。証明部位はオークの目玉/金貨20枚】


「あらやだ、ちょうど金貨20枚じゃない。アルテ、今すぐオークを狩ってきてもいいわよ? あんたが代わりに依頼達成するなら、違約金もチャラになるしぃ」

「……何で我が」


 といいかけた所でレモネードの機嫌が斜めになっていることに気が付いた。経理処理の決算期。ただでさえ忙しいギルドが修羅場になっている。レモネードは早く数字の帳尻を合わせたいのだ。


「わ、わかった、行ってくるぞ。じゃからそんなに怖い顔をするな」

「あたしは冷静よ、いつも通り」


 といいながら、レモネードの額には青筋が何本か浮いている。怒りを抑えているのがバレバレである。


「せ、制服は目立つから、ふ、服を借りてもよいか?」

「ええ。でもいいこと……半日以内に帰ってきなさいよ。イレーナの魔力もそろそろ切れる頃だから」


 イレーナは片時も休むことなく、無表情で伝票整理をこなしている。集中力にもムラがないためミスの心配もあまりない。単純作業をイレーナがこなしているからこそ、レモネードもまだ過労死せずに済んでいる。


 レモネードから借りたカジュアルな服に着替える。動きやすいパンツスタイルだ。アルテは早速ダンジョンへ向かうべくギルドから出かけようとした。


「ちょっと待って!」

「ん? 何じゃ?」

「もしかして、そのズボンの下もノーパンなのかしら?」

「ふん! 当たり前じゃ。パンツは1枚も持っておらぬからの!」


 両手を腰に当て、胸を張って自信たっぷりに言い切る。


「……はぁ、やっぱり。もういいわ、諦めてるから」

「うむ、では行ってくる」


 久々の討伐系だが相手は弱小オーク。元はといえば自分が腹いせに放った殲滅魔法が原因だ。アルテの魔力に刺激されて湧いてきた魔物達。これを機会に一掃してしまおうと思っている。


「面倒じゃからアレを使うか……」


 ギルドの路地裏に出る。夜も遅い街。人通りは皆無だ。小石を拾い、しゃがんで石畳の道に魔法陣を描く。複雑だが小さな物だ。


「ふむ、これくらいでよいか」


 魔法陣の上に乗り、軽く右手を振るとアルテの姿が忽然と消えた。転移魔法だ。転移魔法は入口と出口に魔法陣が必要だ。アルテは前回ダンジョンへ出掛けた時に、密かに魔法陣を床に刻んでおいた。おかげで一瞬で街からダンジョンまで移動することができる。


 次の瞬間、アルテはダンジョンの入口に立っていた。前回訪れた時とは随分違う雰囲気だ。ダンジョンの入口に既にオークがたむろしていた。ミノタウロスやサイクロプスキングに追いやられていた彼らが、頃合いを見計らって森から戻ってきたのだ。


「おお、これはまさかのラッキーじゃ。早速の依頼達成かのぉ」


 アルテの攻撃魔法が炸裂する。躊躇ない一撃だ。巨大な火球がオーク達を次々と襲い、あっという間に焼き尽くしていく。ものの数秒でオークの一群が黒焦げになっていた。黒焦げになった死体から目玉をくり抜く。目を持って行かなければ依頼達成の証にならないからだ。


「焦げて目玉かどうかこれではよくわからんの。氷結魔法にしておけばよかったか、失敗じゃ」


 ふいに魔物の気配を感じた。距離はかなり遠い。が、とてつもなく強力な魔力を感じる。ダンジョンの中で出会ったグレーターデーモンすら小さく感じるほどの魔力レベルだ。遠方からアルテを意識している。


「ふむ、この強烈な魔力、まずお目にかからんの」


 アルテが魔王時代にもあまり感じたことのない強い魔力。これほどの魔力は勇者やエンシェントドラゴンなど伝説級、あるいは神話級の存在にならないと持ち得ない。この魔力の持ち主が本気になれば、スピネルの街ごと滅ぼせるだろう。


 試しにアルテからも相手に向かって魔力を放つ。目に見えない波動が飛んでいく。すると、相手の魔力は急速に弱まって行った。直ぐに消失すると、気配ごとなくなっていた。


「何者じゃ? まぁあれほどの魔力の持ち主じゃ、存在を隠し通すのは無理じゃろうて。いずれ会うことになるやもしれぬな」


 アルテはスピネルの街に害が及ばないことを願いつつ、ダンジョンに潜って行った。


 ダンジョンの魔物を殲滅する。ダンジョンから魔物がいなくなれば、その隙を狙って森の魔物達がダンジョンへ移住する。森よりも魔力が濃いダンジョンの方が住みやすいからだ。するとスピネルの森から魔物の数が減る。少しは街へ魔物が流入するのを防げるはずだ。衛兵達の仕事も楽になるし、商人達の安全も確保されて貿易も盛んになるだろう。アルテなりの人間への罪滅ぼしだ。


「ジメジメして臭いが仕方あるまい。このダンジョン、確か101階が最下層じゃったか」


 そう、アルテはその101階にしか行ったことがない。何しろ、1階から100階までは魔王のための防御壁でしかないのだ。大将である魔王がそもそも行く必要がない。


 と、ダンジョン入口の扉を押すと、そこには見覚えのある顔が立っていた。


「よぉ、エルフの嬢ちゃん、しばらくぶりだな」


 勇者に最も近づいた男。老剣士ガルシアがそこにいた。フル装備だ。しかも珍しいことに仲間がいた。ギルドで意気投合した新進気鋭のパーティー「ダナイト」。今は彼らのリーダを務めている。”ダナイト”は元騎士団のメンバーや他のギルドで名を馳せた強者が集まってできたパーティーだ。アルテのいる冒険者ギルドに所属するようになったのは、つい三ヶ月前。が、さすがは強者のパーティーだけあって、難易度の高い依頼を次々とこなしている。ここ最近で一番勢いのある連中だ。


「お主もどうやら居場所を見つけたようじゃの」

「……ああ、おかげさまでな。ま、儂だけ随分と年寄りだかな、フハハハハハ」


 豪快に笑うガルシア。仲間を見つけてパーティーを組んで依頼をこなすうちに、段々と堅くなっていた心が戻ってきているのを感じていた。ようやく自分の役割を理解できた。そして死に場所もパーティーのためにと決めていた。決心することで、罪を償えるような気がしたのだ。


「嬢ちゃん、儂の新しい仲間達を紹介しよう」


 ガルシアが嬉しそうに仲間をアルテの前に並ばせた。男が二人。二人とも屈強な剣士か戦士であることが見て取れる。纏っている雰囲気は高レベルの達人である。


「俺の名前はベリル。元スピネルの騎士団員だ。剣技を極めたくてガルシアさんに弟子入りしている」


 超重量級の頑丈そうな鎧を着ているが、動きにくさを感じさせない。剣も幅広で大きい。背丈ほどあるだろう。技で斬るというより、力で叩き切るパワータイプの剣士に違いない。大振りな剣を振るい相手の鎧ごと豪快に断ち割る。そんなタイプの戦士が、剣技を極めんとするためにガルシアに弟子入りすることに、どことなく不自然さを感じる。


「ほう、剣技とな? じゃがお主、ガルシアとはまったく正反対のスタイルではないのか?」


 アルテが思わず本音で突っ込む。


「ん? もしかして……ガルシアさん、このお嬢さん、ギルドの新人受付嬢ですか?」

「そうだ。今頃気が付いたのか?」

「ええ、俺らはあまり受付の方には行きませんからね」

「ふむ、我も登録済の冒険者全員を覚えているわけではないからの」

「……」


 警戒心を高めるベリル。その様子を見逃すアルテではなかった。この男には何かある。


「じ、じ、自分とは真逆のスタイルを学ぶことで戦い方に幅ができると思ってな」

「ふん、まぁせいぜい頑張るがよい」


 アルテは油断ならないと思ったが、今のところ他に怪しいところはない。変な魔力を感じたりもしない。が、元騎士団員というのが気になっている。そう、ギルドマスターのクォーツとの関係だ。騎士団は王家の忠実な私兵のようなものだ。一方、上級貴族のクォーツは王家に目をつけられている。要監視対象であることは間違いない。


「俺の名はシュードだ。元は別のギルドで冒険者をしてた。よろしく」


 怪しさ満天のベリルに比べ、シュードはいたって真面目で普通の冒険者に見える。静かな雰囲気だが力強さを感じる。そんな印象だ。軽いチェインメイル、左手にはマンゴーシュ、右手にはサーベル。明らかに力よりも技で相手を斃すタイプだ。ガルシアの戦闘スタイルに近い。


「お主はなぜガルシアとパーティーを組んだのじゃ?」

「俺は別に剣技がどうとかじゃない。ガルシアさんとパーティーを組めば依頼達成の確率が上がると思った。強いヤツと組んで楽に難しい依頼をこなせば金がたくさん入る。俺には金が必要なんだよ。ただそれだけだ」


 単純明快。誰もが納得いく理由だ。が、クールな表情の下に魔力の影が揺れ動いている。ただの剣士ではない。アルテは直ぐに見抜いていた。おそらく、剣も使いつつ魔法も放てる器用な人間だ。ガルシアと組まなくても、短期でかなりの額を稼げるはずだ。そんな冒険者がガルシアと組む理由が、単純な金銭目的。相当な額が必要ということになる。


「いくら必要なのじゃ?」

「そこまで言う必要はないだろ」


 ぶっきらぼうでとっつきにくい。何か事情を隠している。


「そうか、まぁよい。お主もせいぜい頑張るがよい」

「言われなくても頑張るに決まってる。たかが受付嬢のくせに」


 アルテの態度に次第にシュードが切れ始めた。どうやら冷徹な見た目に反して、キレやすい人間のようだ。


「まぁまぁ、待て。ここでお互いにいがみ合っても仕方ないだろう」


 ガルシアが慌てて割って入る。


「ガルシアさん……俺はやっぱりエルフは好きになれませんね。街に後から入ってきたよそ者のクセに、上から目線で偉そうに喋りやがって。チッ」


 苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをする。シュードはエルフの差別主義者だった。ただでさえエルフ嫌いなのに、アルテの古臭い口調が気に入らなかったのだ。


「嬢ちゃん、すまなかったな」

「我は気にしておらん、心配するな。それよりもこれからダンジョンに潜るのか?」

「ああ、昨日は40階まで潜ってミノタウロスとゴブリンロードを斃した。今日は50階まで潜るつもりだ」

「そうか、気を付けるのじゃぞ」

「そういう嬢ちゃんは、ダンジョンに入るのか?」


 ガルシアは訝し気な目でアルテを見る。元魔王であるアルテがダンジョンに一人で潜る理由。もしやまた魔王として君臨するつもりなのではないか? 本能に刻まれた魔王に対する敵愾心が、理性に抗って湧き出てくる。とはいえ、ガルシアはアルテを信用していた。自分の腕を治療してくれたエルフである。命の恩人なのだ。頭を振って自分の悪い考えを追い払う。


 アルテは出鼻を完全に挫かれた。ダンジョンには誰も近づかないだろうとタカを括っていた。だから、一人で暴れて魔物を殲滅しても問題ないと思っていた。が、ガルシア達が入るならばそれも難しい。


「い、いや、我は戻ることにする。レモネードに頼まれたオーク狩りも終わったしギルドも忙しいしの」

「そうか、わかった。ま、レモネードによろしくな」

「うむ。ではごきげんよう」


 アルテは止むを得ず、30体分のオークの目玉だけを持ってギルドに帰ることにした。ガルシアの新しい仲間も気にはなるが、もっと気がかりなのは先刻の巨大な魔力を放つ者の正体だ。もしもあのレベルの魔力を放つ者が街に侵入してきたら、騎士団だけでは対応できない。街の全戦力が善戦しても勝敗は五分五分といったところだろう。


 もちろんアルテの力をもってすれば、対抗できる相手ではある。が、苦戦は必至だ。街を離れている間に襲われたらアルテでも対処が遅れてしまうかもしれない。ダンジョンの魔物を殲滅することも街を守ることに繋がるが、街を離れずに防衛に努めるのが今は一番重要だ。そう判断した。


◇◆◇◆◇◆


 アルテの心配をよそに”強大な魔力を放つ者”は実に上機嫌だった。実はアルテが古くからよく知る者だった。


「フフフ……ついに見つけました、我が首領、魔王様」


 南の森でとある一体の悪魔がほくそ笑む。創造魔法を応用し、悪魔最大の特徴である羽と尻尾、牙を見えなくする。するとほぼ人間と同じ姿形になる。


「いらっしゃるのはあの街ですか。1400年ぶりにお会いできる。楽しみです」


 ペロリと舌なめずりをすると、ゆっくりと街の方へ歩き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る