第11話 ”魔王”という刷り込み
全員が無事ギルドに戻ることができた。唯一無事ではないところは、アルテのスカートだけだ。アルテ得意の創造魔法で直してはいない。いや、正確には直すことができない。悪魔の炎はただの火ではない。物質の根本を蝕む魔界の炎だ。素材そのものが崩壊している。だから創造魔法で転換しようとしても、元が無いのでやりようがないのである。
「アルテ! パイク! よく戻ったわね。もう皆心配してたのよ」
いつも強気でのらりくらりとしているレモネードが、普段は見せないであろう悲痛な顔で一行を迎えた。
「何でぃ、珍しくしおらしいじゃねぇか」
「もう、馬鹿言ってないで元気ならさっさと仕事仕事! 酒場で客がお待ちかねよ」
「ちっ、やっぱり人使いの荒い女だな。俺はダンジョンから帰ったばかりで疲れてるんだぜ?」
「うるさいわね! ほらアルテ、あんたもよ。仕事が溜まってるんだから」
「お、おぅ……わ、我もか」
強気を見せるレモネードだが、その眼尻に涙の痕があったのをパイクもアルテも見逃さなかった。二人がいない時間、レモネードがどれほど心配をしていたか。心細く不安だったか。レモネードの強気の態度は、それを隠すためだ。不器用にしか生きられないそんなレモネードに、アルテは今まで以上に親近感を抱いた。
「ちょっとアルテ、どうしてスカートが焦げてるのよ?」
「す、すまぬ、これはダンジョンで」
「言い訳は要らないわ。ったく、商売道具なんだから大事にしなさい。ほら、着替えるわよ」
「こ、こら、ちょっと待たぬか!?」
グイッとスカートを引っ張るレモネード。ただでさえ目立つ二人だ。ホールの冒険者全員が注目する。が、不運は重なる。アルテのスカートを焦がしたのはただの炎ではない。悪魔の炎だ。布の繊維自体が崩壊し、脆くなっている。
「あらっ?!」
スカートを引いた拍子に脆くなっていた布が千切れ、ただでさえ短い丈がさらに縮んだ。
「な、何なのよコレ……ちょ、ちょっと、どうなってるの!?」
ついにアルテのスカートごとボロボロと崩れてしまう。ホール全員の目がアルテの下半身に注がれた。
「レ、レモネード。いくら気にしないと言っても、我は別に露出狂ではない。は、早く隠してくれぬか?」
「ばっ、馬鹿……」
レモネードは自分の上着を素早く脱ぎ、アルテの腰に巻いた。が、時すでに遅し。ホールの男達の全員が前傾姿勢を取っていた。
「あんたたち! うちの受付嬢に手出したら登録抹消だよ! ほら、突っ立てないでさっさと依頼こなしてきな!」
レモネードの雷で、ホールの男達は蜘蛛の子を散らすように消えて行った。が、まだレモネードの雷は収まっていない。カウンター裏の控室にアルテを引っ張り込む。机に座らせて声を低くして話す。
「アルテ、ダンジョンで何があったの?」
「それは儂から話そう」
「いえ、僕から」
「じゃあ私から」
控室にガルシア、ブレンド、ソリティアの3人が入って来ていた。
「……あんたたち、ここは関係者以外立ち入り禁止よっ!」
レモネードは懐から煙草用のパイプを取り出すと、ポカッ、ポカッ、ポカッ、と三人の頭をリズミカルに叩いて行った。
「早く出て行きなさい!!!」
レモネードに怒られては、さすがの三人も抵抗する術がない。仕方なくパイクの酒場へ行く事にした。
ギルド隣のパイクの酒場は、冒険者達で満席だった。座る場所がなくて、立ったまま酒を煽っている者もいる。カウンターではパイクがフル稼働していた。ギルドの使用人達も、酒や料理を運ぶので大わらわだ。
「凄い混雑ですね。ギルドの酒場っていつもこんなですか?」
「儂もここまで繁盛しているのは初めて見た」
「僕も初めてです」
三人が入口付近に立っていると、誰ともなく声を掛け始めた。
「おい、お前ら、ダンジョンでの武勇伝を聞かせてくれよ!」
「そうだそうだ、あのサイクロプスキングを斃したんだろ?」
「ミノタウロスの群れをどうやって撃退したんだ?」
皆が三人の話を待っていたのだ。冒険者達は基本的に話し好きだ。会話から様々な情報を得ることができるし、仲間を募ったり力を借りたりすることもできる。話す事は冒険の基礎。特に魔物の話を聞いておくことは、いざという時生き延びる知恵にもなる。
あっという間に質問攻めが始まった。もはや収拾がつかない。あまりの騒ぎにパイクが大声を上げて制した。
「おめぇら! 俺が話してやるから大人しく聞きやがれ!」
パイクはダンジョンでの出来事を、バーカウンターの上に乗って語り始めた。酒場が水を打ったように静かになる。誰もがパイクの声に耳を傾けた。次々と飛び出す刺激的な話に、冒険者達は酔っていく。
冒険者は元々、魔物退治の英雄譚に憧れていた者が多い。パイクの話にのめり込むのも、当たり前といえば当たり前だ。思い描く姿はそれぞれだが、自分もいつか英雄になりたい ―――そんな連中ばかりなのだから。
盛り上がる酒場から離れ、ガルシアだけは誰もいなくなった受付カウンターの前に静かに立っている。アルテを待っていた。ガルシアはアルテの正体を知りたがっていた。失われたはずの高位魔法を使い”人外の強さ”を誇る。そんな金髪の女エルフに一人だけ心当たりがあった。
だが、アルテがその人物だとすれば年齢が合わない。大昔過ぎる人物だ。その昔、勇者に回復不可能な致命傷を負わされ、滅んだと聞かされていた。――― そう、一族とも因縁の深い1400年前の魔王だ。
ガルシアは頭を振る。自分は何を馬鹿なことを考えているのだと。魔王は死んだ。それも1400年も前だ。エルフが長命と言っても、大きく寿命を超えている。あるはずがないと。
控室でアルテは、今回の事は何も喋らないようにとキツく口止めされた。キング種が出たとなれば、騎士団やスピネル王が黙ってはいない。必ず調査に乗り出してくる。ギルドが政治的な面倒に巻き込まれるのは、商売上好ましくない。痛くもない腹を探られるのは、他のギルドにつけいる隙を与えてしまう。
アルテとレモネードは、口裏を合わせた。悪魔の事は一切話さないことにして、サイクロプスキングとミノタウロスの群れは、ガルシアがすべて独りで斃したことにする。老齢とはいえ、ガルシアの強さは街の誰もが知る事実。スピネル王の耳にも届いている。信じてもらうには十分だ。
「……というわけよ。わかったわね?」
「う、うむ。我は適当に治癒魔法でガルシアを援護した言っておけばよいのだな」
「そうよ。余計なことは言わなくていいわ。ギルドの連中以外に、何を聞かれても知らぬ存ぜぬでね」
「承知した」
「わかったら後は任せたわよ。あたしはもう寝るから」
「お、おぅ。わ、我も疲れてるので休んでよいか?」
「ダメよ! あたしが起きるまでアルテは働くの!」
レモネードの剣幕に押し切られてしまった。実際、アルテとパイクがいない間、レモネードはトイレに行く暇すらなく、酒場も受付も切り盛りしていたのだ。心身ともに疲労困憊だった。
仕方なくポツンと受付カウンターに座るアルテ。隣の酒場は何やら盛り上がっているらしく、ひどく騒がしい。対照的に受付ホールには誰もいない。
「エルフの嬢ちゃん……」
「ガルシアか」
「単刀直入に聞く」
「なんじゃ?」
「お前は”魔王”なんじゃないのか? 太古に滅んだ高位魔法を使う金髪の女エルフ、そしてあの悪魔だ。滅ぶ間際にお前のことを”あなた様”と呼んでいた。状況証拠は揃ってる。とても信じられないがな……」
アルテの心臓はドクンと跳ね上がった。鼓動が速くなる。どう答えればいいのか。正直に話せばギルドに迷惑がかかるどころの話ではない。街のすべてが敵に回る。自分を殺すための凄惨な戦争が始まるに違いない。日常は失われ、レモネード達とも別れなければならない。それどころか、彼らと殺し合いが始まってしまうかもしれない。
両目を見開いたまま何も答えないアルテ。その様子でガルシアはすべてを察した。
「そうか。わかった。もう何も聞くまい」
「……」
「一つだけ教えてくれ」
ガルシアは背中の剣を抜いた。ドラゴンペインだ。公の歴史では勇者が魔王に致命傷を与えた伝説の剣、ということになっている。が、事実は勇者を殺した裏切りの剣だ。その事実が伝わっているのは、ガルシアの一族だけである。
「この剣は本当に勇者を殺したのか?」
アルテは自分の顔が真っ青になり、呼吸が荒くなっているのを自覚する。1400年前のあのシーンが鮮明によみがえる。勇者の悲しくも悔しそうな表情が忘れられない。思い出すだけで、心が引き裂かれそうになる。魔界では裏切りや謀殺は日常茶飯事。心を痛めるものではない。だが、心から信頼し合っていた仲間から裏切られるのは、心中穏やかには済ませられない。アルテもかつては仲間から裏切られた身だ。
「……勇者の心臓を貫いた剣に間違いない。1400年前にな」
「言い伝えは正しかったのか。儂は裏切り者の血筋なのだな」
苦しそうに顔を歪め、唇を噛みしめるガルシア。
「儂に生きる価値などない。頼む、殺してくれぬか。金髪の悪魔よ」
「裏切りの剣士の子孫よ、悪いのはすべて我じゃ。あの時、裏切りを誘ったのは我じゃ。お主が恥じに思う事など一つもない」
「……その話も知っている。儂の先祖は強大な力を手に入れるために、欲に目が眩んで仲間を殺した。世界で最も恥ずべき悪だと思っている」
ガルシアの目には涙が浮かんでいる。悔しさか、はたまたかつての仲間達を助けられなかった無力さか。
アルテは”魔王と勇者のシステム”をガルシアに話すべきか、迷っていた。もしも今の時代に魔王と勇者が存在するならば、あのからくりを暴露するのは危険だ。彼の苦労が水の泡になりかねない。
「ならばこれからはその分、仲間のために命を捧げて生きることじゃな」
「裏切り者のレッテルを貼られた儂の仲間になってくれる者などいない……」
「ふん、お主には隣のアレが聞こえぬのか?」
アルテが酒場の方を指差してニヤリと笑う。
「ウオォォォォォォォォォ! やっぱガルシアさんはすげぇー!!!」
「俺も一緒にダンジョンに入りてぇな」
「剣の指導とかして欲しいんだけど」
「うちらのパーティーに入ってくれねぇかなぁ」
パイクがガルシアの活躍を皆に聞かせ終わったところだった。酒場全体から歓声があがる。どれもキング種を斃したガルシアを讃える声ばかりだ。
「あいつら……」
「まだまだこの場も捨てたもんではなかろうて」
「そうだな。儂もまだ簡単に死ぬわけにはいかないようだ」
「我など何万人の人間を殺したことか。その罪は一度や二度命を張ったくらいでは償いきれぬ。じゃがお主は違う。十分にやり直せる」
「それにしても、あの伝説の魔王がこんな情け深い善人だったとはな」
「善人か……」
魔王と勇者が対立することによる社会のバランス調整。そのからくりの中心は魔王にある。魔王の役割、つまり世界最大の悪役だが、それを知ってなお魔王になる人間が必要になる。強い事ははもちろん、納得して魔王になりきることが必要最低条件。からくりの秘密をばらしてしまっては意味がない。人間のためにすべての人間から憎まれる役になるのである。
魔王こそ人類で”最も善なる奉仕の心”がなければ、果たせるものではない。そして魔王になれば、人間を殺して回るという矛盾した使命も課せられる。正気を失う者も多い。心が挫けて自殺する魔王もいた。アルテのような魔王は史上初めてといえる。
「我からも一つ聞きたい。ここ1400年間、魔王と勇者は現れているのか?」
「……魔王も勇者も不在だ。1400年来現れていないとの話を聞いている」
アルテは衝撃を受けた。もしも魔王と勇者のシステムが動いていないのなら、世界は魔物に支配されるか、人間同士が争って絶滅の危機に瀕しているかのどちらかだ。
「ガルシア、今の時代、人間はどれほどおる?」
「どれほど? ……大陸全土ではわからないが、この街で100万人程度だろう」
「魔物達はいかほどか?」
「わからん。だが、これほど大きな街でも、防壁を高く作らねば危険なほどの多くの魔物がいる」
「人間同士の戦争は起きているか?」
「もちろんだ。年中起きている。ここ数年で滅んだ国もたくさんある」
バランス調整は上手く働いていなかった。危険な魔物がいるにもかかわらず、その上で人間同士が戦争をする。魔物に手をかけられて死ぬ人間よりも、人間に殺される人間の数の方が多い。このまま行けば、人類は緩やかに滅びに向かうだろう。あと100年か、200年かで。
アルテは、魔王である自分が長い眠りについて現世から姿を消し、同時に勇者が殺されたことで、魔王と勇者のシステムが働いていないのではないだろうかと考えた。魔王と勇者のシステムの鍵は「魔玉」にある。魔玉の所有者だけが魔物達を操ることができる。つまり魔王になれる。魔王が現れれば、人間は一致団結し、希望の象徴である勇者を生み出す。そして自然とバランスが保たれる。
「お主”魔玉”の話は知っておるか?」
「知っている。黒い水晶玉の事だな……」
魔玉の形状を知っているガルシア。彼は間違いなくその行く末を聞き伝えているはずだ。
「あの玉なら、儂の先祖の剣士が一時所有していた。が、同じく仲間の魔法使いに殺され盗まれたよ。欲望のなせるえげつない結末だろ?」
「して、その魔法使いはどうなった?」
「……儂の知っている言伝えでは、仲間を殺した良心の呵責に耐え切れず、水晶玉を叩き割って自ら命を絶ったそうだ」
アルテもこれには絶句するほかなかった。欲に目が眩んだ人間が魔玉を持てば、不幸な結果にしかならない。だが、まさかここまで破滅的な結末になるとは予想していなかった。魔玉が破壊されたとなれば、もはやこの世に魔王と勇者のシステムは存在しない。バランス調整は人間達が自ら行わねばならない。
「なぁ、儂も聞いていいか? ”魔王”とは一体何者なんだ? エルフの嬢ちゃんを見ていると、極悪非道、残虐と邪悪の化身と言われるような存在にはとても思えない。少なくとも儂の腕を魔法で治してくれた。儂らに言い伝えられてきた魔王像とは程遠い」
アルテは迷っていた。正直にすべてを話したところで、信用などしてもらえないだろう。人々の心に蔓延った魔王のイメージを払拭することは難しい。長年にわたって、魔王と勇者のシステムがそれを植え付けるよう、仕向けていたのだから。
「我は仲間を裏切らぬ。ギルドのために命をかけるつもりじゃ。何があってもこれだけは信じてくれ」
「そうだな。もし裏切るつもりなら、ダンジョンで儂ら全員を殺す事もできたはず」
「今すぐ信用してくれとは言わぬ。これから行動で示していくつもりじゃ」
「ふぅ……ますます魔王とやらが、わからなくなった」
ガルシアは抜いたドラゴンペインをアルテの鼻先に向けた。じっと目を見つめる。アルテもその眼をしっかりと見返す。魔王は人間の仇敵。斃さねばならない。それが無意識に刷り込まれた常識。ガルシアと言えども、その常識から逃れるのは難しかった。ましてや、自分の先祖が裏切り行為を働いたのは、正真正銘この魔王のせいなのだ。
剣を握り返し、力を込める。迷いながらも殺気が漏れ出てしまう。が、アルテの人柄からは、残虐性や邪悪さの欠片も感じられない。失くした腕の再生までしてくれている。本当なら剣を向けるなど、恩知らずな事はできない。
「くっ……儂は一体どうすればいい。この歳になって、これほど自分の見識に自信が持てないなんてな……」
「我からは何も言えぬ。お主の好きにせよ」
アルテもここでガルシアの剣で刺されるのも、仕方がないと思っていた。それで償うことができれば安いものだ。
「何をしている!!! アルテさんから剣を引け!」
そこには普段の優男らしからぬ、鬼の形相をしたブレンドが立っていた。アルテに剣を向け、殺気を漏らすガルシアを見てしまったのだ。
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