第10話 魔王の記憶

「次は儂の番だ」


 背中に差していた長剣をスラリと抜く。優雅ささえ感じる無駄のない動き。赤く細い刀身が、鋭い光を放つ。先端は尖り、まるで日本刀のようだ。


「……ドラゴンペイン」


 1400年前に伝説の勇者を背中から貫き、死をもたらした銘刀。なぜガルシアが持っているのか。それはガルシアこそ、勇者を殺した剣士の子孫だからだ。ガルシアは自分が勇者一行の剣士の子孫だということを知っている。だが、恥ずべき裏切り行為があったことは、おおやけの歴史には残っていない。


 ガルシアの一族にはきちんと過去の汚点も伝わっていた。一族最大の秘密 ―――ガルシアは自らの血筋に負い目に感じながら生きて来た。だからこそ勇者を目指した。奇しくもまた仲間を見捨てる結末を迎えることになり、自らの血筋を呪った。自分はどう足掻いても、仲間を大切にできない運命なのだと。


 今はもういない仲間達に赦しを求めていた。だから独りで戦い続けた。ひたすら魔物を殺すことで、少しでも罪滅ぼしになればと。だがどんなに殺し続けても、心は一向に軽くはならない。理由はわかっている。仲間の信頼を得て、仲間の犠牲にならなければ、自分は赦される存在ではないからだ。一言でいえば「死に場所」を求めていた。誰かのために死にたかった。


 赤い刀身を構えて踏み込む。その速度たるや旋風のごとく。サイクロプスキングも目で追えない速度だ。無防備な脚を目がけ、斜め下から剣を切り上げる。剣を素早く振るうたびに血飛沫が舞う。サイクロプスキングも負けじと反撃するが、電光石火の動きを見せるガルシアにはかすりもしない。


「さすがはガルシアだ。俺の斧じゃヤツには傷一つつけられなかったが……」


 パイクはガルシアの強さを改めて目の当たりにしていた。目を丸くして戦いに見入るソリティア。初心者がこれほどの戦いにお目にかかれるのは幸運だ。が、レベルの違いすぎるものを見てしまうと、ショックも大きい。


 サイクロプスキングを圧倒し始めるガルシア。ドラゴンペインが風車のブレードのように回転すると、叫び声があがる。徐々に全身が血まみれになっていく。後ずさりして壁に追い詰められる一つ目の巨人。


「よっしゃ、勝負はもう見えたな!」

「はい! あの老剣士さんの勝ちですね!」


 パイクもソリティアも目を輝かせている。ついさっきまで恐怖の対象でしかなかった魔物。それが今まさに膝を折ろうとしているのだ。ガルシアも自分の勝利を確信していた。油断はない。たとえ反撃されてもかわす体力はたっぷり残っている。ダメージもない。


「さて、どうかの……」


 アルテだけが苦しそうな顔をしている。ドラゴンペインを見た時から、妙な胸騒ぎが止まらない。頭痛が酷くなる。思わずうめき声をあげてうずくまってしまった。


「アルテさん、どうしたんですか?」


 ブレンドが心配そうに声を掛けるが、アルテは頭痛のあまり声も出せなくなっていた。そう、ダンジョンとドラゴンペイン、そしてサイクロプスキングの強烈な魔力に晒されて、記憶が戻りつつあった。完全ではないにしても、頭の中の霧がどんどん晴れて行く。


「アルテさん! 大丈夫ですか!?」


 蹲って動けなくなったアルテの肩を掴んで、ユサユサと揺らすブレンド。


「うっ……だ、大丈夫じゃ」


 アルテは直ぐに立ち上がった。もう頭痛はない。胸騒ぎも収まっている。そして、ほとんどの記憶を取り戻していた。


 一介のエルフの冒険者だった頃。魔王にならざるを得なかった理由。勇者との壮絶な戦い……。今自分がここに立つまでの記憶。膨大な過去と現在が全部繋がった。が、心に大きな穴が空いたように寂しさと虚しさが募っている。両目からは自然と涙が零れ落ちていた。


「ど、どうされたんですか?」

「いや、何でもない。目にゴミが入っただけじゃ」


 ブレンドは、立ち上がる瞬間、ひどく悲しそうなアルテの横顔を垣間見てしまった。


「それより、あのガルシア、まだまだ甘いの」

「でも相手は手も足も出てませんよ? もう直ぐガルシアさんの勝ちじゃないんでしょうか」

「あの巨人には特殊能力がある」

「特殊能力って何ですか?」

「再生と攻撃魔法じゃ」

「さ、再生って、それじゃあ……」


 アルテ達が話している間に、形勢は逆転していた。巨人の蒼い体が淡い光に包まれると、傷がたちどころに塞がって行く。ガルシアの攻撃スピードよりも再生する方が速い。


「チッ! これじゃあキリがないな」


 再生能力に気が付いたガルシアが、剣を引いて大きくバックステップした。が、敵はその隙を見逃すはずがなかった。サイクロプスキングは、右手を突き出しながら呪文を唱えた。赤い高温の火の玉がガルシアを襲う。かろうじて剣を振りながらかわす。ドラゴンペインは魔法耐性がある。魔法攻撃を剣で物理的に弾くこともできるのだ。


「攻撃魔法まで使うか。手強いな。ではこちらも奥の手を出すとするか」


 老剣士ガルシアは、赤い銘刀を鞘に収めた。居合いの構えだ。ただならない緊迫した空気が満ちる。一つ目巨人もその気合を察して、動きを止めて魔力を溜めに入った。大きな攻撃魔法の一撃を放つつもりだろう。


 数秒間、見合った後、ガルシアが先ほどよりもさらに早い踏み込みで間合いに入り、大きくジャンプする。狙いは目だ。居合いの構えから剣を抜き、空中で大きな目玉を斬りつけた。クリーンヒット。目玉は真一文字に切り開かれた。


「やりましたね! すごいです!」


 ソリティアが手を叩いて喜ぶ。パイクも思わず笑顔になる。ブレンドは、この凄まじい伝説級の戦いを一コマも逃さないよう目を皿のようにしている。アルテだけが、眉間に皺を寄せて妙な構えをしている。治癒魔法を放つ準備だ。


 サイクロプスキングは、予想を上回るしぶとさだった。目を潰されながらも、攻撃魔法を放ってきたのだ。しかも避け難い電撃魔法。細い稲妻が網状になって襲ってくる。が、空中にいるガルシアは、剣を避雷針代わりにして電撃すらかわしてみせた。


「やはり強い、ガルシア……」


 パイクが呟く。ついに完全勝利かと思われたその瞬間 ―――ガルシアの左腕は吹き飛んでいた。空中で大きくバランスを崩し、肩から落下する。なんと電撃魔法はおとり、サイクロプスキングは同時に風魔法を放っていた。風圧弾は目に見えない。魔法を使わない人間が感知するのは難しい。さすがはキング種である。街一つを滅ぼす厄災級の魔物はダテではない。剛力や魔力を力任せに振るうだけではない、知能も相当高い。


 ガルシアは肩の付け根から左腕を吹き飛ばされてしまった。出血が激しい。止血しなければ数分のうちに死に至る負傷だ。が、それでも闘志は衰えていない。右手で剣を握り返すと、目の傷が再生しないうちにサイクロプスキングに斬りかかった。


 足の腱を斬り、膝をつかせる。全身全霊の力を込めて心臓を一突き。深々と赤い剣が胸に刺さる。ドラゴンの堅い鱗を破り激痛を与える銘刀だ。さすがのサイクロプスキングも、この一刀で心臓を刺されれば無事では済まない。


 一つ目巨人の断末魔の叫びがダンジョンに響き渡る。傷の再生が止まり、口から大量の血が吐き出される。ドサりと床に仰向けに倒れ動かなくなった。立っているのは老剣士。ガルシア、瀕死の勝利だ。


「……勝負あったの」

「で、でも腕が」


 サイクロプスキングが倒れ、全員が安堵した。ガルシアは左腕を失ってなお、まだ剣を持って立っていた。このくらいの傷で自分は赦されるわけがない。死んでいった仲間達はもっともっと惨い目にあった。その強い思いだけが、ガルシアを奮い立たせていた。


 しかし、ダンジョン内に響き渡った声で、アルテ以外の全員が恐怖と絶望を味わうことになった。


「ほう、面白い。人間風情がサイクロプスキングを斃すとは」


 いつの間にか人型の魔物が立っていた。眼はつり上がり、耳が尖っている。肌は浅黒く、蛇のような尻尾が生えている。背中についている黒く大きな翼が目立つ。何よりも周囲を凍り付かせるような殺気を纏っている。目線を合わせただけで、魂が凍るようだ。


「グ、グレーターデーモン……だと」


 辛うじて立っているガルシアが呟いた。


「デ、デーモンって……悪魔ですか?! 悪魔なんておとぎ話の中だけじゃないんですか!?」

「髑髏の小娘、俺もマジで夢を見てるんじゃねぇかと思いてぇぜ。コイツに比べりゃ、ミノタウロスが飲み屋のねえーちゃんより可愛く見えるぜ」


 ソリティアとパイクが、緊迫した雰囲気に耐え切れず会話を始めていた。


「……ここに来てデーモン、しかもグレーターデーモンとは。運が悪すぎる、最悪だ。儂にもどうすることもできん。皆すまんな」


 ガルシアもブレンドもパイクも武器を構えはするが、相手は伝説の魔物である。手足がまったく動かせない。戦う気力を根こそぎ刈り取られる。悪魔族は、魔物の中でも別格扱いされている。魔物というより神に近い存在だ。もっとも近いのは死神の方だが……。高位の魔法を自在に操り、魔物達を従え、強力な打撃を放つ。グレーターデーモンは魔王の忠実な懐刀へいしだ。


「グレーターデーモンか。……ふん」


 全員が凍り付く中、アルテはまるで買い物にでも出かけるように歩を進めた。そして憶することなく、堂々とデーモンの前に立った。


「ほう、私の魔気を浴びてなお動けるとは。貴様、魔法使いか?」


 デーモンが流暢な人語で話しかける。ガルシアもパイクもソリティアも、この後の展開がまるで読めない。ブレンドはアルテの盾になるべく歩を進めようとするが、魔気に当てられ金縛り状態だった。


「黙れ。我に気安く話しかけられるようになったか。偉くなったのぉ、悪魔も」

「何を言っている貧弱なエルフ風情が」

「……貧弱? クックック、それはお主であろう」

「そうか死にたいのか。ならば死ぬがよい、身の程知らずのエルフがっ!!!」


 グレーターデーモンは、黒い翼を羽ばたかせ、ゆっくりと浮遊を始めた。そして全員を見下ろす高さまで上がると、左右の手を振って呪文を唱えた。


「ま、まずいぞ……でかい攻撃魔法が来やがる!」


 パイクは動きたかったが、動けなかった。ソリティアを庇うようにゆっくり移動するのが精一杯だった。ガルシアもブレンドも身じろぎ一つできない。アルテとデーモンの様子を見つめるしかなかった。


 空中のデーモンから真っ青に燃え盛る炎の玉が、アルテ目がけて放出された。


「あの攻撃魔法は……ブルーボール!?」


 パイクが悲痛な声で叫ぶ。


 青火球 ―――通称ブルーボール。この攻撃魔法は、今は失われた魔法だ。が、誰もが良く知っている。歴史の教科書や、吟遊詩人の物語に”滅びの攻撃魔法”としてしばしば登場するからだ。魔王が使う伝説の攻撃魔法で、人間の軍隊をいくつも滅ぼしたと語り継がれている。


「やべぇなんてもんじゃねぇ。俺の人生、まさか伝説のブルーボールで終わるたぁな……。灰すら残らねぇ、かな」


 アルテに青火球が着弾する。誰もが死を覚悟した。が、アルテは両手で燃え盛る青火球を挟みこんだ。グニグニと掌を合わせるようにすると、ブルーボールは一瞬大きく燃え上り、アルテを包み込んだ。そして直ぐに消え去った。


「むう、せっかくの制服が焦げ落ちてしまったではないか、ヒラヒラした長いスカートも少し気に入っておったのに。レモネードに怒られてしまうな」


 アルテの制服が、青火を消した時の副作用で焼け焦げ、再びミニスカートになっていた。


「ば、馬鹿な……お前は一体何者だ?! 私の青火球を喰らって平気な者など存在しないはずだ!」

「さてと……我の制服を焦がした礼をさせてもらおうかの」


 軽やかに右手を振る。アルテは膝を深く曲げ、タメを作ると一気に飛び上がった。浮遊魔法ではない。純粋に脚力のみによるジャンプだ。もちろん脚力は魔法で極限まで強化されている。グレーターデーモンと同じ高さまで飛び上がる。悪魔はあり得ないことが立て続けに起き、混乱していた。


 空中のアルテは、踏ん張りが利かない状態で、貫手を大きく振り抜いた。悪魔の胸にぽっかりと大きな穴が開く。青黒い血液が上空から撒き散らされる。


「ガハッ、そん、な。私がエルフに素手でやられる、なんて……」


 バランスを崩して、地面に叩きつけられる悪魔。アルテはその傍らにミニスカートをふわりとさせながら着地する。苦悶の表情の悪魔を見下ろして言い放った。


「ったく、我を怒らせるとは愚かなヤツじゃ」

「……金髪のエルフ、強化魔法を使って素手で悪魔である私を斃す……まさか、まさか、あなた様は」


 悪魔は最後まで台詞を言うことなく事切れた。悪魔は人知を超えて長く生きる魔物だ。上位の悪魔になれば数万年も生きる。が、この悪魔はまだ若く、魔王時代のアルテを直接は知らなかった。しかし最後の最後で、その正体に気が付いていた。


 悪魔の緊縛から解かれたパイク達は、今度は別の意味で固まっていた。アルテのでたらめな強さに驚愕したまま動けなかった。


「でたらめだぜ。悪魔を素手でぶっ殺すなんて、おとぎ話の世界でしかありえねぇだろ……」


 ソリティアは目をハート型にして一人妄想の世界に浸っていた。あまりに高いレベルの戦いに、目の前で起きていることが現実味を帯びていない。まるで物語を実写で観ている気分になっていた。


 ブレンドは以前目撃して、アルテの凄さを知ってはいたが、まさか悪魔にまでそれが通用するとは思っていなかった。


 皆が驚愕で固まる中、アルテは間髪入れずに動いた。ガルシアの横に立つと、リズミカルに右手を振り、治癒魔法を唱える。眩い光がホールに満ちる。光が消え去った後、目をこらしてみるとガルシアの左腕が元通りになっている。アルテの治癒魔法は、反則ともいえる効果を発揮する。これも肉弾戦が大好きなアルテが磨いた術だ。


「わ、儂の腕が……やはり失われた古代の高位治癒魔法。エルフの嬢ちゃん、あんたは一体何者なんだ?」

「我はギルドの受付嬢じゃ。ふむ、まだまだ新人なのでヘマは多いがな」


 ニッコリと笑う金髪エルフ。ガルシアもパイクも思わず頬を赤くしてしまう。これほどの治癒魔法と強さを見せつけてもなお、自分は”ギルドの受付嬢”と言い切る。しかも絶世の美形なのに気さくで愛嬌もある。誰もが惹かれずにはいられない。


「お、おう……。ギルドの副マスターとしてエルフの嬢ちゃん、いやアルテの事を正式にギルドの受付嬢と認めるぜ」


 パイクもアルテの発言に応えないわけにはいかない。グレーターデーモンを斃し、自分や新人冒険者の危機を救った功績だけでも、ギルドの栄誉冒険者の称号を与えたいくらいだ。


「それにしても……ツルツルなんですね」


 妄想からようやく現実世界に戻って来たソリティアが、しみじみと言った。”ツルツル”という言葉にパイクは即座に反応した。当然気にしている自分の頭の事である。スキンヘッドにするために剃っている、とは言っているものの、実は薄毛を誤魔化すためのヘアスタイルだったからだ。「ハゲ」とか「ツルツル」とかいう言葉には敏感だ。


「あぁん? 何だとこの髑髏娘。誰がツルツルだ! 俺はハゲじゃねぇ! こういう髪型にしてるんだよ!」

「違いますぅ、パイクさんのことじゃありませんよぉー」


 頬を膨らませて怒るソリティア。


「じゃあ誰の話だ?」

「受付嬢さんです」

「アルテの? 何がツルツルなんだよ。アイツはフサフサの長髪じゃねぇか」

「何じゃ、我の何がどうしたのじゃ」

「剃ってるんですか? それともエルフって大人になってもそうなんですか?」

「……???」


 ソリティア以外の全員の頭の上に、はてなマークが浮かんだ。


「コレですよコレ!」


 焼け焦げて短くなったアルテのスカートを、ソリティアがためらいなく捲り上げた。ガルシア、パイク、ブレンドの男三人衆が真っ赤になって硬直する。が、当の本人、アルテはあっけらかんとした顔をしている。


「ん? 何じゃ髑髏の小娘、我は何かおかしいのか?」

「えっと、まずですね……何でパンツ穿いてないんですか?」

「簡単な話じゃ。あんな極薄の布をつけたところで防御力ゼロじゃからな。動きにくいしの」

「なるほど! 勉強になります。アルテさんの強さはそこから来てるんですね!」


 男三人衆は全員ずっこけた。


「こらアルテ、パンツぐらい穿け! それとソリティア、ノーパンと強さは関係ねぇ。変なこと勉強するんじゃねぇ!」


 パイクは突っ込まざるを得なかった。


「あとですね、どうして生えてないんですか?」


 あれだけの高度な戦いを見せた後の英雄受付嬢に、ためらいなくズケズケと質問するソリティア。この娘も別の意味で肝が据わっていた。


「ソリティア、とか言ったな。お主は生えているのか?」

「も、も、もちろんです! もう大人ですから!」

「そうか、我は定期的に手入れしておるのじゃ。生えてくるとチクチクして動きずらいからの」

「ああ! なるほどです。じゃあ私も剃ることにします」


 またもやパイクは突っ込まざるを得なかった。


「てめぇら、何の話をしてるんだよ……。厄災級のサイクロプスキングと伝説級の悪魔を斃した直後にする会話じゃねぇだろうが!」

「邪魔しないでくださいよぉ、パイクさぁん。私はアルテさんの強さの秘密を調査してるんですぅ!」

「何でノーパンと剃毛が強さの秘密なんだよ、おかしいだろ! 剃って強くなるんだったら、俺なんか神様級に強いはずだぜ」


 そういってパイクは自分の頭を下げてパンパンと叩く。


「僕もアルテさんのあの、その、スタイルはちょっとおかしいと思うんだ」

「……ブレンドおめぇまで何を言い出すんだ。ああちくしょう、頭がいてぇ」


「プッ……プハハハハハハハ」


 アルテはこらえきらずに笑い出してしまった。


 悲しい思い出、凄惨な過去、消したい記憶、すべてを思い出した上で感じていた。自分はこの連中が好きだ。即席だが受付嬢という職も面白い。口は悪いが心根は良いヤツらだ。居心地がいい。ずっとこの街に居たいと思った。


 が、自分の過去は消せない。魔王として人間をたくさん殺した罪と責任がある。もちろんむやみに理由もなく殺したわけじゃない。魔王 ―――人間の仇敵、悪役となることで、彼らの心を一つに纏め、争いの矛先を人間同士ではなく魔物に向かわせるためのシステムなのだ。そして魔王に対抗する勇者を作り上げることで、人間に希望や夢を見させることができる。すべては織り込み済みの”からくり”に過ぎない。


 しかし、アルテの罪は罪。赦されるものではない。今さらのうのうと街で平和に暮らし続けることはできないだろう。薄々は別れを感じながらも、このギルドの仲間達とできるだけ長く一緒にいたいと強く願っていた。


(我の居場所はもうこの世のどこにもないが、できればここを守っていきたいの)


 アルテの決心は直ぐに固まった。自分が魔王として過去を清算するまで、ギルドに居続けよう。とても罪滅ぼしにはなるものではないが、寿命が尽きるまで皆のために役立つよう頑張ろうと。


 アルテはふと思った。今の時代の魔王と勇者はどうなっているのだろうか? 魔玉まぎょくがあれば、魔王はシステムとして動いているはず。それに呼応して勇者も誕生する。人間と魔物のバランスも取れているはずだ。この場でパイク達に聞いてみようか。が、アルテは無意識に恐れた。自分が魔王であったことがバレるのを。せっかく得られた仲間を失うことが怖かったのだ。


(あ、あとでどこかで調べてみようかの……)


 ずるいと言えばずるいが、アルテも心は普通のエルフだった。それに、今居場所を失ったら人としては生きていけない。魔力一辺倒では生活ができない。エルフとして生まれ、魔王になり、そしてまたエルフになった。アルテは普通のエルフとして生きて死にたかった。


「ところで……どうしてダンジョンの1階にこれほど強い魔物達がいたのでしょうか?」


 慎重派のブレンドが腕組みをして考えながら言った。考えるより体を動かす派のパイクは、両肩をすくめて「わかるわけねぇだろ」と半笑いする。


「うーん、関係があるかどうかわかりませんけど……」


 と言って、ソリティアが口を出し始める。


「ちょっと前の深夜なんですけどね……スピネルから南にある森で、とんでもない魔力の高まりがあったそうです。街の魔法使いの間で話題になってたんですよ。で、ある冒険者がその森まで行ってみたら、地面が一直線に抉れてて、森が無くなってたそうです。焼けたっていうより、高温で溶けたみたいな地面になってたらしいですよ。街では神様か魔王が降臨したんじゃないかって、変な噂が立ってます」


 話を聞いてブレンドがポンと手を叩く。


「……そうか! 高い魔力に反応して魔物達が騒ぎ出したんですよ。ちょうどアルテさんが街にいらした夜なんですけどね、実は魔物の群れが森の方から逃げるようにして、街に侵入しようとした事件があったんです」

「ほう、そんなことがあったのか。気付かなかった。儂はもう寝ていた時間だろうな」

「ええ、深夜でした。ダンジョンの魔物達も、その魔力に刺激されて深い場所から出て来たんじゃないでしょうか?」

「うむ、辻褄はあってる。魔物達は常により強い魔力に引かれる習性があるからな」


 ガルシアが興味深そうに横から口を出す。


 しかし、1人黙って冷や汗をかいているエルフがいた。そう、アルテが空腹時にイライラしてぶっ放した殲滅魔法がすべて原因だったのだ。殲滅魔法は簡単に使う魔法ではない。魔王もここぞという時にしか使わない。使えば影響は後々まで残る神代の魔法なのだ。それをアルテはちょっと腹立たしいという理由だけで、思い切り使ってしまったのである。刺激された魔物達。低級の魔物は天変地異が起きたと思い込んで慌てて逃げ出した。高位の魔物達は、あわよくば強い魔力を自分の物にしようと、地下深いところから誘い出されて来たのである。


(な、何ということじゃ。全部我のせいだったとは……こ、これは口が裂けても言えぬ! 絶対に言えぬ!)


 アルテはダンマリを決め込むことにした。そしてこの不名誉を挽回すべく、ギルドの受付嬢として頑張ることをなお一層固く決心したのだった。

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