第9話 ミノタウロス殲滅戦

「ここが入口かのぉ?」


 日が暮れ始めた頃、アルテ達はダンジョンの前に到着していた。鬱蒼と覆い茂る森の中に、蔦の絡まる石垣が並んでいる。ぽっかりと地中に向かって穴が空いている。穴はきちんと石で固められていて階段になっている。明らかに人工のものだ。


「ええ。もうパイク達は入っているようですね」

「では我らも先を急ぐとしようかの」


 ダンジョンの階段を降り、地中に消えていく二人を、こっそりとつける者がいた。ガルシアだった。ガルシアは少し前にダンジョンに到着していた。馬を森の中に隠し、二人が現れるのを待っていたのだ。


「よぉ、お二人さん、儂も仲間に入れてくれるか?」

「なんじゃ、お前か。だから要らんといったじゃろうが」

「そんな邪険にしないでくれよ。……しかし、エルフの嬢ちゃん、随分とババ臭い喋り方だな。儂よりも古い感じがするんだが」

「うるさいヤツだのぉ。まぁよい、ついて来たければ勝手に来るがいい」

「じゃあ、まぁそうさせてもらうぜ」


 階段を降りると、大きく分厚い鉄の扉があった。錆びに覆われているが、最近開け閉めした跡がたくさん残っている。明らかに人間が設置した扉だ。しかし不思議なことに、扉があろうがなかろうがダンジョンから魔物が地上に出てくることはない。一説では、ダンジョンの最下層に魔物が王と崇める魔王がいるからとされている。


 その元主もとあるじはアルテなのだが、本当の理由は単純だった。ダンジョンは魔力が溜まりやすく、魔物にとって住みやすいからだ。しかもダンジョンは上手い具合に階層に分かれている。実力ごとに区分けされているのだ。争いが起きても、強い魔物が弱い魔物を滅ぼしてしまうことはない。


 元々は、初代の魔王が自分の身を守るために建造した物だが、今は単に魔物達の快適な住処になっている。アルテは魔王時代、このダンジョンに滞在していたこともあったが、いつも転移魔法で直接最下層に移動していたので、他の階はまったく未知の場所だった。


 鉄の扉を開けるとすえた匂いが広がってくる。鼻の中が嫌な臭いで満たされる。


「しかしカビくさい場所じゃのぉ」

「アルテさんは僕の後ろを歩いてください」

「うむ、ではそうさせてもらおう」


 珍しく素直に従うアルテ。それもそのはず、両手にはアップルパイがある。戦いながら食べることはできない。が、ブレンドが戦ってくれていれば、食べることができる。


 ということで、即席の救出パーティーは、先頭が戦士ブレンド、次いでアップルパイを頬張る金髪エルフ(ノーパン)、最後が老骨の剣士ガルシアというデコボコ編成になった。


 ダンジョンを進むと、アルテを除いた二人は直ぐに異変に気が付いた。


「おかしいですね、明らかに普通じゃない」

「元衛兵の小僧もそう思うか?」

「小僧じゃありません。僕はブレンドです」

「おまえなぞまだまだひよっこだ。小僧で十分だ」

「ガルシアさん、じゃあ僕を認めてくれたら名前で呼んでくれますか?」

「ああ、呼んでやろう」


 裏切り行為の件はさておき、ガルシアも普通ではパーティーを組める相手ではない。ブレンドもその強さに憧れたことがある相手。半分生きる伝説のような剣士だ。その彼から認められるのは、並大抵の実力ではダメだ。


「なひが、おかひぃと、いふのら?」


 アップルパイを口に詰め込んだまま、アルテが険悪になりそうだった二人の会話に割って入る。


「このダンジョン、普通だったら1階には下級の魔物が山ほどいるはずなんだが、今日は一匹もいないな」

「僕もここには腕試しに何度か来たことがあります。1階では、魔ネズミやオーク、コボルドのような下級の魔物がたくさん出るんです。それを斃して実戦訓練できるので、衛兵には恰好のトレーニング場なんですよ」

「ふむ……何か起きているようじゃな」


 甘くなった指先を満足げに舐めとり、手をパンパンと叩いてアップルパイの生地の粉を払い落とす。アルテは、甘い物を食べてお腹が満たされていた。幸福感たっぷりで機嫌がいい。が、不満はある。ダンジョンが臭くて暗くてジメジメしていることだ。ハッキリ言うと不快な環境だった。お嬢様育ちには、こういう不衛生な環境が地味に堪える。


「しかし、この匂いとジメジメ、何とかならんのか」

「アルテさん、ダンジョンはみんなこんなもんです」


 携帯ランタンを掲げて前を進むブレンド。アルテは魔法使いのくせに、周囲を明るくしたり、匂いを消したりする生活魔法が使えない。そしてブレンドもガルシアも戦士に剣士。魔法はほとんど使えない。不快な中を進むしかなかった。



◇◆◇◆◇◆



 そして一方、パイク達は ――― 今まさに絶体絶命の状況に陥っていた。ダンジョン1階奥に大きなドーム状の部屋がある。そこにはオークの群れがいるはずだった。オークは最下級の魔物。群れていてもパイクだったら、蹴散らすことが出来る。


「何でオークじゃなくてミノタウロスの群れがいるんだよ、馬鹿野郎ーっ!!!」


 髑髏娘ことソリティアとパイクは、ミノタウロスの群れに退路を断たれていた。そして前面には一つ目の巨人が、舌なめずりをして見下ろしている。肌の色が青い。普通のサイクロプスではない。噂のキング種だ。パイクも直ぐにそれに気が付いて、戦うのを止めた。ただのサイクロプスなら、逃げおおせることもできる。が、キング種となると絶望的だ。実力差があり過ぎる。拳の一撃を受けただけで、勝敗が決してしまう。しかも髑髏娘が一緒だ。運が良くても、二人無事で逃げ出すのは難しい。


「パ、パ、パイクさぁ~~ん、私達死ぬんでしょうか~?」

「チッ、うるせぇ髑髏娘。この状況じゃあどうしようもねぇだろうが」

「た、助けなんて来ないですよね~?」


 声が震えている。オーク狩りの依頼を請けたことを激しく後悔するソリティアだったが、今となってはもう遅い。オーク戦ですら危うい自分が、ミノタウロスとサイクロプスキングを相手にして生き延びられるわけがない。攻撃魔法を使えるというのも嘘だ。どうすることもできない。


「来るわけ、……ねぇだろうな。この状況じゃ、ギルドの連中が来たとしても、全員まとめて奴らの餌になっちまうがな。城の騎士団でも来なけりゃ助からねぇ」

「うっ、うっ……私まだ死にたくありませんよおぉぉぉぉ」


 ポロポロと涙をこぼすソリティア。自慢の髑髏のアクセサリーも、今は自分の未来を暗示しているようで、見ているだけで気分が悪くなった。


「泣くな! 俺だって死にたくなんかねぇ。最後まで諦めるな!」

「で、でも、これじゃあ……」


 パイクは捨て身の作戦に出ることにした。ミノタウロスもサイクロプスキングも体が大きい。パイクも大柄だが、ソリティアは小柄だ。自分がおとりになり、注意を引きつければわずかに隙ができる。その間に小柄なソリティアを逃がす。走る速さはイマイチだが、ソリティアは全身黒ずくめ。ダンジョンの中では目立たない。一度この場から離れて闇に紛れれば、見つかりにくくなるはずだ。


「髑髏娘、俺が一つ目の方に斬り込む。一瞬だがミノタウロスどもの注意も引けるだろう。その隙にお前はミノタウロスの足下をくぐってダンジョンの暗闇に紛れろ。わかったな、姿勢を低くして全力で走るんだぜ」

「そ、それじゃあ、パイクさんが……」

「心配は要らねぇ。俺も後から行く。お前は自分が逃げる事だけ考えろ」


 とはいいながらパイクは、自分の命はおそらくないだろうと薄々感じていた。サイクロプスキングの攻撃がかするだけでも、手足は確実にもぎ取られる。怪我を負ったら逃げ切れる相手じゃない。それにサイクロプスキングは攻撃魔法も使う。万全の状態でも逃げ切れる確率はかなり低い。


 パイクは覚悟を決めて片手斧を握り締めた。武器はそれしかない。元々オーク程度の相手しか想定していなかった。いつもなら短剣や予備の手斧も持ってくる。


「ウオォォォォッ!」


 雄叫びとともにパイクは斧を大きく振り上げ、サイクロプスキングに突っ込んだ。が、ミノタウロスの群れはパイク達を睨んだまま、ピクリとも動かなかった。当然ながらソリティアは走り出すことができなかった。


 パイクの片手斧が唸りをあげてサイクロプスキングの左脚を直撃した。これ以上ないくらいの会心の一撃。が、次の瞬間、パイクは絶望を味わうことになった。斧の刃は粉々に砕け、脚にはまるでダメージを与えられなかった。皮膚にかすり傷すらつけられなかった。斧の柄もグニャリと曲がり、もはや武器の原形をとどめていなかった。サイクロプスキングが、「一体お前は何をやったんだ?」とばかりに見下ろしてくる。


「ちくしょう! ヤツの皮膚は鋼よりも堅いのかよ。こりゃあ勝ち目どころか逃げるのもお手上げだぜ」

「パイクさぁ~ん……」

「すまねぇな。時間稼ぎにもならなかったみてぇだ」


 サイクロプスキングが、パイクの攻撃に呼応して拳を振るう。容赦のないフルスイングだ。が、まだ感覚が掴めていないのだろうか、狙いはさほど正確ではない。パイクは怯えるソリティアの手を引いて、素早く移動し、かろうじて拳をかわすことができた。ダンジョンの壁が爆音と共に派手に破壊される。


「へ、へへ、まぐれだが一発だけはかわせたな。まぁ、長くは持たねぇがな」


 サイクロプスキングは加減を誤った。次は修正してきっちり当ててくる。パイクはそう思った。そして次の攻撃の瞬間が自分の最後だという事を悟った。


「やれやれ、俺の人生がまさかダンジョンの1階で終わるとは思ってもいなかったぜ」


 パイクがそうぼやくと、巨大な拳が猛烈なスピードで飛んで来た。


◇◆◇◆◇◆


 アルテ達のパーティーは、1階にほとんど魔物がいないことを知り、先を急ぐことにした。雑魚とはいえ魔物が一匹もいない。走れば直ぐに地下2階への入口へと辿り着けるだろう。


「アルテさん、あのホールが1階の最後です」

「ん? これは……ブレンドよ、止まれ!」


 前方に魔物の群れの気配を感じた。魔力もかなり大きい。すべての個体からオーガよりも大きな魔力を感じる。そしてうち1体から強力な魔力が放たれている。


「どうしたんですか? 急ぎましょう!」

「わからぬか? ミノタウロスの群れとサイクロプスキング、その角を曲がったところにおるぞ」

「ほ、本当ですか?!」

「……おっと、遅かったようじゃ。奴ら、こちらに気が付いたようじゃの」


 ブレンドが素早く長剣を抜いた。緊張で手に汗が滲む。ミノタウロスとは一戦交えたことがある。その時は、骨を折られながらも辛うじて勝った。が、相手は1体だけだった。今は群れで襲いかかってくるのだ。勝ち目は薄い。覚悟を決めて、再度長剣を握り返す。


 長い通路を曲がると、そこにはミノタウロスの群れが集結していた。通路を所狭しと塞いでいる。牛の鼻息で空気が異常に生臭い。


「ほぉ、まさに牛の群れだな……厄介な」


 そう呟いたのはガルシアだった。だが台詞に反して表情は余裕だった。腕組をしながら、トレードマークの髭を撫でている。ガルシアならミノタウロス程度、簡単に斃すことができる。が、群れとなると話は別だ。負けはしないだろうが、無事では済まないだろう。骨折の何本かは覚悟しなければならない。


「アルテさん、僕が突っ込みます。貴女は後ろに下がっていてください」

「……(我の供に風と大地の祝福あれ)」

「え? 何ですか?」

「いや、何でもない。存分に戦ってくるがよい」

「はい!」


 アルテはブレンドに強化魔法をこっそりかけていた。素早く動ける風の魔法とダメージを軽減する土の魔法だ。これでブレンドは普通の倍以上の速さで動くことができる。ミノタウロスの攻撃を受けても、一撃で気絶したりすることはないだろう。


「……エルフの嬢ちゃん、今、何かしたか?」

「ガルシアとやら、黙っておれ。アイツは今、頑張りたい年頃なんじゃよ」


 ブレンドはやる気に漲っていた。衛兵を辞めてしがらみがなくなって吹っ切れたのと、尊敬する美人エルフのアルテの前で格好をつけたいからだ。そして、良い戦いをしてガルシアにも自分の事を認めてもらいたい。ミノタウロスの群れを自分一人で撃退する。堅く心に決めていた。


「嬢ちゃん、あの小僧と同じくらいの歳なのに、儂より年寄りくさい事を言うんだな?」

「フン……」


 アルテ自身も、どうしてブレンドに強化魔法をかけて戦わせたかったのか、理解できなかった。自分で戦えば勝負は一瞬で決まる。


「なぜじゃろうな。……ブレンドが似ているからかもしれんな」

「似てるって、誰に?」


 懐かしいダンジョンの匂いを嗅いだことで、少し記憶が戻っていた。アルテが冒険者だった頃、一緒にパーティーを組んでいた仲間に戦士がいた。真っ直ぐで純粋な性格だった。裏表がなく、みんなから信頼されていた。そして誰よりも理想も夢も大きかった。だが肝心の戦いの方は弱かった。いつもアルテが背中を庇い、魔法でフォローしていた。そんな弱い彼だったが、アルテは大好きだったのだ。その彼にブレンドは何となく似ている。


「すべては大昔の話じゃよ」

「……」


 ガルシアは、エルフが長命種なことを思い出していた。アルテも見た目通りの歳ではないのだろうと察した。


「悪かったな。嬢ちゃん、もしかして儂よりも年上なのか?」

「ああ、だいぶの」

「何歳だ?」

「レディに年齢を聞くのは昔からルール違反と決まっておる」

「おっと、これは失礼。儂としたことが興味が先走った」


 ブレンドがミノタウロスの群れに剣を振り上げて突っ込む。雄叫びと共に、先頭のミノタウロスの首が飛んでいった。一撃で勝負がついた。もちろんアルテの強化魔法の効果だ。時間限定とはいえ、剣速は倍以上に上がっている。


 ブレンドは夢中で斬り進んだ。ミノタウロスは密集していたため、得意の斧での攻撃ができずにいる。ブレンドは小回りを利かせて次々と勝利を重ねていく。それでも何度かミノタウロスの打撃が体に当たる。が、耐久力も飛躍的に上がっている。攻撃をガードしてそのまま踏み込んでいく。


「ほう、あの小僧、なかなかいい筋してるな。肝もすわっている」


 高みの見物と決め込んでいたガルシアが、思わず唸る。


「……そろそろじゃな」


 アルテがミノタウロスの群れに向かって歩き出した。ブレンドの後に続く形となる。


 ブレンドは、信じられないほど軽い体に違和感を覚えていた。自分のものとは思えないほどの剣速、そしてダメージへの耐性。アルテの魔法であることは想像に難くない。が、とにかく今は敵を斃す。それが自分の役目だ。


 10匹目のミノタウロスを討ち果たした時、急に体がガクンと重くなった。剣の重さが増えて体全体に錘が付いたような感覚。アルテの強化魔法が切れ、その反動が表れた瞬間だった。膝がまったく言う事を利かない。思わず崩れ落ちてしまう。


 強化魔法の反動で、倒れそうになるブレンドをアルテがしっかりと支えた。


「よく頑張ったの。後は我に任せるがいい」

「……ア、アルテさん」


 アルテはそういうと軽く右手を振った。ミノタウロスの群れに向かって右手を突き出す。冷ややかな空気が駆け抜ける。次の瞬間、通路が凍結していた。空気までもが完全に冷凍している。ミノタウロスの群れは逃れる間どころか、まばたきする間もなく氷漬けになっていた。―――絶対零度の冷気。アルテ得意の攻撃魔法だ。


「久々に使ったが、いまいち調子が悪いの」


 アルテは準備運動が不足だと言わんばかりに、グルグルと肩を回す。金髪のポニーテールが揺れる。ブレンドもガルシアも何が起きたのかまったく理解できていない。気が付いたら通路が凍っていたのだ。


「……エ、エルフの嬢ちゃん、こりゃあ一体?」

「ただの攻撃魔法じゃ。驚くこともあるまい」


 確かに氷を飛ばしたり、魔物を凍らせたりする攻撃魔法はある。しかし、ダンジョンの通路ごと、しかもミノタウロスの群れを瞬時に凍結させる規模のものは見た事がなかった。


「お前さん、高位の魔法使いなのか?」

「……そうかもしれんの。我にはあまり記憶がない。が、魔法だけは覚えておる。だからお主の言うように高位の魔法使いなのかもしれぬな」

「そうか。だけどな、この通路はどうやって進んだらいいんだ?」


 氷で埋まっている通路。物理的にはただの行き止まりもいいところだ。壊すには相当な力が必要になる。溶けるまで待っていたらパイク達が危ない。が、その心配はいらなかった。ちょうどその時、通路の向こう側ではサイクロプスキングの拳がパイク達に襲いかかるところだった。


 負傷しながらもサイクロプスキングの拳を辛うじてかわすパイク。二度もサイクロプスキングの拳をかわすのは、さすがパイクだった。が、勢い余った大砲のような拳は止まらない。そのままアルテがミノタウロスごと氷漬けにした通路に着弾した。拳の衝撃で氷は粉々に砕けた。もちろんミノタウロスごとだ。


 激しい衝撃とともに氷が粉砕される。アルテ達はトンネルをくぐってホールへ出た。ホールには、一つ目の巨人と対峙するパイクと髑髏娘が立っていた。


「あっ! ギルドの受付嬢さん! もしかしてギルドから援軍が来たんですか?」

「援軍だぁ? っておい、ブレンドにガルシア、それにエルフの嬢ちゃんじゃねえか! どうしたんだよ?」

「どうしたって……お主らを救出に来たんじゃが」

「来たんじゃが、じゃねぇ! この状況わかってんのかよ!?」


 パイクはサイクロプスキングの方へ目くばせした。サイクロプスキングは、突然現れた人間達に、不思議そうな顔をしている。もちろん、餌が増えたとしか思っていないのだが、強い魔力の気配を感じて警戒心を高めている。


「本当にサイクロプスキングか。……初めて顔を拝んだな」


 ガルシアはそう言うと、ゆっくりとパイク達の前に出た。

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