第8話 ダンジョンへ

「話は変わるけど、どうしてあいつ等は大怪我してたのかしら?」

「あいつ等?」

「ええ、アルテが治した奴らよ。あいつのパーティーは、ギルドでもトップクラスのベテランだから、そうそうヘマをやらかすはずないのよね。逃げ足も一流のはずだし」

「そうじゃな、聞いてみる必要はあるのぉ」


 アルテとレモネードは、まだ興奮冷めやらぬカウンター前で、治療した剣士を捕まえて問い質す。


「あんたらのパーティーが大怪我するなんて一体何処でどうしたのさ?」

「……ダンジョンだぜ、レモネードさん」

「ダンジョン? まさか下層まで潜ったんじゃないだろうね?」

「いや、それは絶対しない。俺達の力でも下層の魔物は手に負えねぇ。軍隊でもなけりゃな」

「じゃあどうしたのさ。ダンジョンも50階までなら余裕じゃないの?」

「それがよ、潜って適当にオークでも狩ろうかと思ったんだ。普段オークどもは1階から現れるんだが1匹もいねぇ。おかしいと思って引き返そうとしたら、突然一つ目の巨人が現れやがった」

「サイクロプスね。かなりヤバいヤツだけど、あんたらのパーティーだったら何とか斃せる相手でしょ」


 話を聞きながら煙草に火をつける。パイプから煙を燻らせるレモネード。ヘビースモーカーだが、なぜか嫌な香りがしない。


「サイクロプスは強いが、俺達なら殺れる。”普通”だったら……」

「どういうこと?」

「サイクロプスキングだ」

「そんな! キング種がどうしてそんな浅い階に……現れるのはもっともっと深いところなのに」

「俺達も知っていたら、近づかなかったさ」

「直ぐに逃げたんでしょ?」

「逃げようとしたさ。だけどできなかったんだ。逃走経路をミノタウロスの大群に塞がれてたんだよ」

「1階にミノタウロス? 馬鹿言ってんじゃないわよ、ありえないわ!」

「ああ、馬鹿力のミノタウロスが出るのはせいぜい50階からだ。しかも群れで出てくるなんてあり得ねぇ。元々群れる魔物じゃねぇしな」

「1階がそんな強敵の巣窟になってるなんて、異常だわ」

「おい、レモネード。放っておいてよいのか? パイクとあの髑髏娘、危ないのではないのか?」


 アルテが会話に割って入る。


「そ、そうよ、こうしちゃいられないわ!」


 珍しくレモネードが冷静さを失って、焦った表情を見せる。いつもパイクをからかってはいるが、心の底では信頼しきった仲間だ。言葉にすることはないが、お互い大切な同僚だと思っている。もしもパイクに万が一のことがあれば……激しく心配が募ってくる。


「どうしたんですかい? レモネードさん」

「パイクが……パイクが今ダンジョンに出ているのよ」

「一人でですかい?」

「いえ、今日登録したばかりの新人と一緒よ」

「そ、そりゃあ……」


 その場に居る全員が絶句する。下を向いて誰一人口を開こうとしない。それはそうだ。キング種が出たというだけで、普通ギルドは騒然となる。キング種、あるいはロード種はその種族の親玉のような特別な存在だ。突然変異で生まれた魔物で、極めて突出した能力を持つ。たとえば、弱い魔物の代表であるゴブリンもキング種となれば、力もスピードも桁違い。ベテラン冒険者が20人以上いなければ、まず太刀打ちできない。


 サイクロプスのキング種ともなれば、街一つの存続が危うくなるレベルの脅威だ。おそらく、今ギルドにいる全員で戦っても、相打ちがいいところだろう。その上、ミノタウロスの群れである。ダンジョンに飛び込むのは自殺行為に等しい。


「い、いくらパイクの兄貴が腕利きとはいえ……さすがに。だけどよぉ、た、助けに行くって言っても……」


 冒険者の1人がぼそりと呟いた。それが今フロアにいる全員の本音だった。レモネードも重々承知している。だからこそ「誰かパイクの応援に行ってくれ!」とは言い出せなかった。今頃、何も知らずにダンジョンに潜るところかもしれない。そこは死地だというのに。


 レモネードの焦りは頂点に達していた。が、戦闘ができない自分が行ったところで、何の役にも立てないだろう。せいぜい足を引っ張るのが関の山だ。


「ふむ、では我が助けに行こう」


 緊迫した空気を破るアルテ。腕組みして仁王立ちする華奢な金髪エルフに、フロアの全員が注目した。


「ア、アルテ……あんた状況わかってんの?」

「ん? 要はパイクと髑髏の小娘を救出してくればよいのじゃろ? 簡単な話じゃ」

「相手はサイクロプスキングとミノタウロスの群れなのよ。普通に考えて、ギルド連合でベテランを募って、大規模パーティーでも組まない限り、死にに行くようなものなのよ?」

「まぁ心配はいらんじゃろ」

「治癒魔法じゃ戦えないでしょ!」

「他に誰も行く気はないのじゃろ? だったら我が行くしかあるまい。受付嬢が副マスターのフォローをしなくてどうするのじゃ」

「だ、だからあんたじゃ役に立たないって!」


 レモネードとアルテの会話に全員が耳を傾けている。フロアにいる猛者達が、受付嬢二人を食い入るように見つめている。が、誰も見る事しかできない。今ダンジョンに行く事 ――― あまりにリスクの高い状況が、ベテランほどよくわかるからだ。


「フハハハハッ、面白いエルフだな。ぜひ儂も同行しよう」


 そう言って前に出て来たのは初老の騎士だった。品の良さそうな銀の鎧に身を包んでいる。綺麗に整えられた髭は紳士の雰囲気を醸し出している。


「ガルシア ……あんたが?」

「うむ、死に場所を間違えた老体では不足かもしれんがね。だがエルフ嬢ちゃんのお供くらいはできるぞ」


 ――― 剣士ガルシア。ギルドでは”最も勇者に近づいた男”と言われている。最盛期のガルシアの強さは、独りで獰猛なレッドドラゴンを圧倒できるほどだった。そんな当代きっての剣豪も、10年前に現れた通りすがりのエンシェントドラゴンによってパーティーを全滅させられた。


 自分だけが命からがら逃げ出した負い目から、今では誰とも組まず細々と冒険者稼業を続けている。エンシェントドラゴンと戦った彼を臆病者と罵る者はいないが、仲間を見捨てたのは事実。信頼のないガルシアとは誰もパーティーを組みたがらない。が、その強さは折り紙付きだ。スピネル騎士団も一目置いている。今このギルドで一番強い剣士と言って間違いない。


 アルテの口からは驚きのセリフが放たれた。


「ガルシア、とか言ったな。同行は不要じゃ。足手まといじゃからの」

「ア、アルテ……この人、ガルシアはね」

「プハハハハ、ますます面白い! その気概が気に入ったぞ。臆病なエルフ族とは思えない豪胆な嬢ちゃんだ」


 ギルド一の実力者の同行を断る受付嬢。誰の目にも、モノを知らない新人が場違いな発言をしているとしか映らない。しかし、アルテは本気だった。ダンジョンに入ったら、殲滅魔法か高度な攻撃魔法を派手にぶっ放すことになる。同行者(つれ)がいれば、巻き込まれないよう気にしながら戦う必要がある。つまり、同行者は邪魔者以外の何者でもない。


「まぁよい。ついて来たいなら勝手にせい」


 アルテはぶっきらぼうに言い放った。が、それに呼応する者がもう一人いた。


「僕も行きます。ぜひお供させてくださいっ!」


 ホールの入口には見知った顔があった。顔を真っ赤に上気させたブレンドだった。ブレンドはアルテと出会ってから魅入られっぱなしだった。ずっと気になって気になって仕方がなかった。頭からアルテのことが一瞬たりとも離れなくなってしまったのだ。


 極めつけは昨日アルテと別れ、衛兵宿舎に帰還した時のことだ。奇妙な事に気が付いた。そう、オーガ達とあれほどの激闘をし、城壁の上から落下したはずなのに、かすり傷の一つもない。強烈なオーガの一撃を貰い、確実に鎧の腹部が大きくひしゃげたハズだった。それが新品同様の鎧に戻っている。あり得ないことだった。


 もちろん、アルテがこっそりと治癒魔法と創造魔法をかけ、怪我と鎧を直していたのだが、ブレンドはアルテとの話に夢中で、気が付いていなかったのである。


 ブレンドも馬鹿ではない。それがアルテによるものだろうと何となく推測ができた。医療室の魔法医にその事を話すと、怪我はともかく、鎧を直すのは太古に失われた創造魔法しかないということだった。そして創造魔法が得意な種族はエルフだというのも、ブレンドを突き動かす理由になった。


 そして今、ギルドに現れたブレンドは、いつもの衛兵の鎧を着ていなかった。


「おお、ブレンドか。いつもの鎧はどうしたのじゃ?」

「アレはもう着ないことに決めました」

「どういうことじゃ?」

「衛兵辞めてきました。僕も今日から冒険者になります!」

「ふふん、大方あの頭の固い上官殿と喧嘩でもしたんじゃろ?」

「ま、まぁそれもありますけど……ね」


 実際、ブレンドは昨夜、上官に呼び出されていた。当然のことながら、オーガに城壁から突き落とされ、気絶して失禁していた自分の失態を隠すためである。上官は口裏を合わせて、オーガと魔物の群れを追い払った事を自分の手柄にしようと画策したのである。だが、ブレンドはその考えに従うことはなかった。上官からは「命令違反、軍法会議」をチラつかされ、自宅待機を命じられた。


 どんな軽いものであっても一度でも罰を受ければ、実質的に出世の道は閉ざされたことになる。が、ブレンドの心の中は晴れやかだった。出世して騎士団に入るのは夢だったが、自分の心を曲げることはできない。そして今はアルテという心惹かれる人がいる。だったら冒険者になって、己の力だけで道を切り開きたい。ブレンドは真っ直ぐで純朴な人間だ。政治的な駆け引きはもちろん、人を出し抜くことが必須の衛兵団・騎士団の中で生きていくには無理がある。


「ところでブレンド、今日はアレは持っているかの?」

「アレ?」

「アップルパイじゃよ」


 アルテはブレンドから貰ったアップルパイの味が忘れられなかった。あの濃厚で芳醇な甘い香りと生地の食感。抜群のハーモニーは、魔王時代の豪勢な食事でも敵わないほどのインパクトがあった。アルテはあのアップルパイの虜になっていた。


「もちろんです」


 ブレンドはニヤリと笑みを作り、腰に下げたバッグから甘い香りのする包み紙を取り出した。ブレンドの父の自慢のアップルパイだ。


「うむ、ブレンドの同行を許すぞ」

「ちょ、ちょっと勝手に決めないでよ!」


 アルテの好き勝手な発言に、レモネードが焦って割って入る。


「ブレンド、あなた今のダンジョンの危険な状況をわかっているの?」

「大丈夫ですよ、アルテさんがいれば」

「アルテはただの治癒魔法が使えるエルフよ。サイクロプスキングに敵うわけないじゃない。もちろんあなたもね」


 深刻な顔のレモネード。ブレンドも危険は十分承知している。だが幼馴染のパイク、そして心惹かれているアルテがピンチに陥るかもしれないのだ。自分が行かないわけにはいかない。


「わかってます、レモネードさん。でも僕はアルテさんの助けになりたいんです」

「ったく、しょうがないわねぇ……。じゃあいいわ、あなたたちに任せるわ。他に頼める人もいないしね」

「ええ、任せてください!」


 ブレンドが笑顔で答える。面白くないのは先に名乗りを上げたガルシアだ。良い所はブレンドに持っていかれてしまった。


「ゴホン。儂も行くぞ」

「ガルシア、お主は不要じゃぞ」


 さすがにここで引っ込んでは立つ瀬がない。


「フハハ、儂も嫌われたものだな。わかった、同行はしない。だから勝手に周りをうろつくとしよう。それならいいだろう?」

「ふん、勝手にせい」


 アルテは機嫌が悪そうに言い放った。が、その心の内は、心配事が一つ増えたという思いで一杯だった。ガルシアとブレンド。どちらにも気を遣いながら戦わなければならない。うっかり殲滅魔法に巻き込んでしまったら、さすがのアルテでも蘇生は不可能だ。


「ではレモネード、行ってくる」

「ちょ、ちょ、ちょっと待ちなさい!」

「なんじゃ、まだ何かあるのか?」

「ダンジョンへ行くのに何でギルドの制服なのよ! せめて皮の鎧くらい着なさい!」

「いや、面倒だしこれでいいじゃろ」

「よくないわよ! 待ってなさい、今鎧を取ってきてあげるから」


 アルテはさっさとダンジョンへ出掛けて、早くアップルパイを食べたかった。これ以上レモネードと掛け合いをしていても、時間の無駄だと思い始めていた。が、心配で仕方のないレモネード。


「うむ、では行くぞブレンド!」

「へっ?」


 突然アルテに手をグッと握られて、強引に引っ張られたブレンド。レモネードが鎧を取りに控室に引っ込んだ隙に、アルテはギルドの外に出て、ダッシュで城門へ向かっていた。


 走力と心肺機能を高める強化魔法を自分とブレンドにかける。あっという間に城門を抜け、城壁の外へ出る。

「ア、アルテさん……」


 手を握ってアルテと走るシチュエーションに、思わず顔が赤くなる。ブレンドはいきなりの行動に驚きつつも、幸福に浸っていた。憧れの人と手をつないで走るなんて考えてもいなかったからだ。


「ん? どうした。スピードを上げ過ぎたかの?」

「い、いえ、大丈夫です」

「そうか。ではもう少しペースをあげるぞ」


 アルテが軽く右手を振り、短い呪文を唱えるとブレンドは自分の脚が軽くなるのを感じた。右手はアルテの左手を握ったままだ。信じられないほど速く走れる。そして何より疲れない。息が切れない。


「アルテさん! これは魔法なんですか?!」

「強化魔法じゃ。我の得意魔法の一つじゃよ。移動するだけならもっと便利な魔法もあるがの」

「便利な魔法?」

「まぁ、それは別の機会に話してやろう。ほれ、お喋りしておると舌を噛むぞ」


 さらに速度を上げるアルテ。この分ならダンジョンまで半日かからずに着くだろう。ポニーテールに纏められた長い髪がたなびく。風を切るたびにスカートが巻き上がる。ブレンドはアルテのスカートの下が心配になった。ギルドの制服でもノーパンなのだろうか。


 手を握っていて気が付いた。アルテの手は戦士の手ではない。細くて白い華奢な手だ。土を触ったこともないような綺麗なてのひら。自分が少し力を込めれば、潰れてしまいそうな柔らかな感触。が、この手で確かにオーガを殴り倒し、オークやゴブリンをちぎっては投げしていたのだ。つまり、魔法で無理やり強化した体で戦っていたことになる。ブレンドは、アルテがいかに無茶をして戦っていたかを思い知らされた。


 だが、アルテの側からすれば、無茶でも何でもなかった。派手に攻撃魔法を放てば一瞬で決着が着く。わざわざ肉弾戦を展開するのは、周りを巻き込まないためなのだ。もちろん、アルテ自身のこだわりと純粋に強化魔法の方が面白いので、という好みもあるが……。


 一方、すっかりおいてけぼりをくらったガルシア。カウンター前に呆然と立っていた。


「あーあ、しょうがないね。若い連中はいつも焦り過ぎだぜ」


 そういうと、ギルド前の道に出て指笛を鳴らす。路地から大きな白馬が現れた。ガルシアは剣士であり乗馬の達人でもあった。その腕前はスピネルでも指折りだ。特に速さにかけてはガルシアの愛馬に敵う馬はいない。


「んじゃまぁ、行きますかねー」


 馬に跨ると颯爽と駆け出していた。目指すはダンジョンである。

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