第5話 新人教育

 年寄りは朝が早いと相場が決まっている。まだ客になる冒険者は誰もいない。窓を開けると、朝のひんやりとした空気が体を包む。改めて制服を着てみると、ボタンが飛んでしまったせいで、胸回りが緩くなっている。既に女であることを意識していないアルテにとって、胸の谷間が見えることくらい何でもなかった。腕まくりをして、二の腕を見せるのとなんら変わりない感覚である。


「さて、受付といっても何をやればよいのかのぉ、全然見当がつかぬ」

「ふぁ~あ、おはようアルテちゃん。あなた早起きなのね」

「うむ、おはようレモネード……さん」


 眠い目をこすりながら階段を降りてくるレモネード。着ている制服はアルテのものとは違っている。落ち着いていて露出が少ない。


「ふむ、朝は得意なので我に任せよ」

「あそう。……でも何なのその胸は」

「うん? ああコレか、すまぬ。このお下がりじゃがの、ちょっと胸の辺りがきつかったものでな」


 ピキッ! とレモネードの額に青筋が現れた。


「……ま、まぁいいわ。今日の主役はアルテちゃん、あなたなんだから」

「主役? 我は補佐役ではないのか?」

「補佐だけど仕事を覚えてもらうには、まずは主役級に活躍してもらわなきゃねぇ~」

「そ、そうか。だが我に務まるかの……」

「務まるかの、じゃないわ、務めるのよ。何としても」


 レモネードはさっさとアルテに仕事を押し付けて、ゆっくり休暇を取りたかった。特にここ最近は登録者数が増えたこともあって、受付は破滅的な忙しさだった。休暇を取るためには、何としてもアルテに仕事を丸投げしなければならない。丸投げした上でそれを余裕綽々よゆうしゃくしゃくで管理する。一刻も早く、都合のよい手下になって欲しかった。


 アルテの制服だけ、わざと露出を多くしているのも作戦の一つだ。冒険者の多くは血気盛んな男達。露出のないレモネードより、自然と露出の多いアルテへの方へ行く。話しっぷりはババ臭いが、見た目の器量は十二分。男の下心などそんなものだ。そうなれば自分は対応する必要がない。まったりと椅子に座っているだけで済む。楽して仕事ができる理想パターンである。


「わ、わかった。では何から覚えればよいか教えてくれ」


 アルテもアルテで、生活していくためには、この街に居続けねばならない。身元引受人という補助に頼らず、永住するためには街からの許可が必要だ。それでようやく住民として登録ができる。受付嬢の仕事を完璧にこなさなければ、許可がもらえない。荒野に放り出されても魔物や野獣に襲われる心配はないが、人間的で文化的な生活は諦めねばならない。かつて大勢いた魔族達の世話がなければ、戦闘以外は何もできないアルテ。その部下達はもういない。支配するための魔玉もない。このスピネルの街にすがるしかないのだ。


「そぉねぇ、受付嬢の基本は笑顔よ。ちょっと笑ってみて」

「こ、こぉか?」


 完全に変顔としか思えないアルテのひきつった笑顔。早朝からこの顔をみたら、客のテンションはだだ下がり間違いなし。


「……あ、あんたねぇ、作り笑いの一つもできないなんて……接客とかやったことないの?」

「ない」

「はぁ、とりあえず笑顔は諦めましょう。慣れればそのうちできるようになるから」

「ふむ、では次は何だ?」

「ギルドの受付嬢に最も必要な心得よ」

「ほう、格闘術の極意のようなものか。何じゃ?」

「”鋼の精神”よ」


 レモネードは長々と語り始めた。冒険者ギルドには様々な人間がやってくる。気性の荒い者、大怪我を負って手足を吹き飛ばされた者、詐欺師や盗賊、他所の土地で大罪を犯したお尋ね者が混じっていることもある。狡猾な魔物が人間に化け、冒険者になりますことさえある。


 というともっともらしく聞こえるが、単に自分がこれまでしてきた苦労話だった。要するに受付嬢をやるには、とんでもない連中を毎日相手にしなければならない。そのためには、何が起きても動じず冷静に対処できる心が必要ということだった。


「わかったぁ? 絶対に慌てたり怖気おじけづいちゃダメよ」

「うむ、承知した」

「本当に大丈夫かしらぁ? まぁいいわ、最初のうちはあたしが後ろで見ててあげるから」


 と言いながら、レモネードはアルテに仕事を丸投げし、自分は後ろでお茶でも飲んでゆっくりさせてもらうつもりだった。アルテが困るであろう、怪我人の治療や回復だけは自分が魔法を使って助け舟を出す。その時以外はすべて休憩時間にする作戦だ。


 一方アルテは、修羅場をくぐり過ぎている。街の冒険者ギルド程度で起きる事件や事案で、慌てたり焦ったりすることはない。何しろ元魔王である。ドラゴンがやってきたところで、軽くいなすことができる。逆に、事務的な手続きはさっぱりわからない。その辺りが一番不安だった。


「で、では、具体的にはどうすればよい?」

「そぉねぇ……今日はほとんど既存の登録者だから、まずは依頼達成の報酬払いかしらねぇ」

「何をすればよいのじゃ」

「冒険者が依頼達成の申告をしてくるから、依頼番号を聞くのよ。で、あの掲示板から依頼番号のついた依頼状を取ってくるの。依頼内容の確認をして、あんたが達成の成否を確認するの。達成したと思ったら、ほら、後ろの金庫から金貨なり銀貨なりを、その依頼状に書かれてある額冒険者に支払うのよ。簡単でしょ?」

「う、あ、いや、達成の判断はどうやってしたらよいのじゃ?」


 事務仕事の経験のまったくないアルテ。一気に頭が混乱して冷や汗が噴き出る。記憶が完全だったとしても同じ反応だったろう。


「討伐系の依頼だったら目的の魔物の部位が提示されるから、それで適当に判断して。救出系の依頼だったら救出された本人に確認すればいいし、護衛系の依頼だったら、護衛された依頼主から一筆もらうことになってるから大丈夫よ。それがなければ未達成と判断していいわ」

「……う、うむ」

「どうしたの? 顔色が悪いわよ」

「な、何でもないのじゃ。続けてくれ」


 初めての事務経験に戸惑いを隠せない。荒事ばかりの世界で生きてきたアルテにとって、接客業の方がよっぽど手強い相手に思えた。


「それと、何もしてないのに依頼達成と言い張る詐欺師が来るわ。コイツらは言動を見て判断しなさい」

「げ、言動を?」

「嘘つきは不自然なところが出るに決まってるからね」

「そ、それだけで見抜けと?」

「安心して。慣れれば直ぐできるようになるわぁ」

「もし見抜けなかった場合は?」

「ギルドの損失になるわねぇ。ギルドが代わりの冒険者を雇って、無償で依頼をこなすことになるわ。つまりタダ働きね」

「そ、そうか……責任重大じゃの」


 人間の言動だけで嘘かどうか見抜く。レモネードはさらりと言っているが、彼女の経験を以ってすればの話である。実際レモネードも勤め始めた頃は、何度も失敗をやらかしている。長い経験を積むことによって、詐欺師の顔、常連の嘘つきも勘でわかるようになる。ブラックリストが頭の中に自然とできるのだ。それを新人のアルテにやれというのは、酷な話だった。しかし、レモネードはそれでよいと思っていた。失敗しなければ仕事は覚えない。


「あと来るとすれば……新規登録者かしらねぇ。最近なぜだか増えてるのよねぇ」

「う、うむ」

「今日からこのギルドに登録して冒険者としてやっていきたいっていう、命知らず達の応対ね」

「わ、我は何をすればよいのじゃ?」

「簡単よぉ、登録用紙にいくつか書いてもらうだけ。あとはこのプレートを渡せばいいの」


 そう言ってレモネードはカウンターの下から、木箱を引っ張り出した。たくさんの金属プレートが入っている。金属プレートには、複雑な模様と番号が刻印されている。このプレートの所有がギルドの登録証になる。この街の通行許可証にもなるし、依頼を請ける際の証明にもなる。管理は冒険者が行い、紛失したり盗まれたら、再度登録する必要がある。


 登録用紙を見ると、記入事項がいくつか並んでいる。


「そうね、一応アルテちゃんも登録してみましょうか、練習も兼ねてね」

「お、おう、よろしく頼むぞ」

「何でいちいち緊張するのよ……そんなガチガチじゃあダメよ。もっとリラックスして」

「わ、わかった」


 と言いながらカウンターの外に出て行くアルテ。見事に同じ方の手と足を出しながら歩いていた。実はあがり症だった元魔王。戦闘バカは、こういうかしこまった形式仕事に弱いのである。


「アルテちゃんが登録希望の冒険者役ね。私の説明をよく覚えておいてね。はい、練習スタート」

「あ、あの、冒険者希望なの、じゃが……」

「登録希望ですね。ご利用ありがとうございまーす。ではこの登録用紙にご記入お願いしまーす。わからない項目はとりあえず空欄で結構ですよぉ」


 アルテは度肝を抜かれていた。レモネードの接客態度は完璧だった。今までの太々しい態度はどこへやら。まるで別人だった。完全にお客さんをお出迎えするモードに入っている。果たして自分にこんな事ができるのだろうか。不安が増すアルテだった。


「名前、住所、職業、年齢、性別、家族構成、使える魔法、使える武器、得意分野、緊急連絡先……」


 登録内容は多岐にわたっている。まさかこれほど細かく書くことになるとは思っていなかった。レモネードの作り笑顔のプレッシャーを感じつつ、ペンを走らせる。


◆ ◆ ◆


名前:アルテリーナ・フォリア・スピネル

住所:スピネルの街の冒険者ギルド

職業:受付嬢補佐

年齢:1800歳

性別:女

家族構成:

使える魔法:

使える武器:なし

得意分野:

緊急連絡先:パイク、レモネード、ブレンド


◆ ◆ ◆


「こ、これでよいか?」


 笑顔圧力の中、必死で書き下した登録用紙を恐る恐るレモネードに提出する。それを見たレモネードの顔が一気に曇っていった。


「お客様、ちょっとよろしいでしょうか?」

「な、なんじゃ! 何か悪いことをしたか!?」

「年齢のところですけどぉ、なるべく正確なものをご記入くださいねー」

「せ、正確じゃ。我は……」


 と言いかけたところで、ブレンドにしか話していない自分の年齢を正直に書いてしまった事に気が付いた。緊張のあまり、思わず本当の年齢を書いてしまったのである。


「も、申し訳ない。そこはゼロが二つほど余計じゃった」

「はい、ではゼロ二つを消しておきますね~」

「う、うむ、すまぬ」

「はい、では他の項目は追々埋めていく事にしますねぇ」


 そう言ってレモネードはカウンターの引き出しから、数字を組み合わせたハンコを取り出した。そしてインクを浸けると、ダダン! と勢いよく登録用紙に押した。「1400-9878」これがアルテの冒険者番号になるというわけだ。


「ギルドの登録証を渡す前に、登録料をいただきまーす。金貨20枚になります。ちなみに紛失した際の再発行料は金貨30枚ですから、お気を付けくださいねー」

「き、き、き、きんか20枚!?」


 金貨20枚といえば、この街の平均的な住民が1ヶ月間暮らすのに必要な額だ。大金である。当然今のアルテに払えるわけはない。


「大丈夫よ。アルテちゃんのは給料から引いておくから」

「ぐっ……いきなり借金生活なのか、我は」

「いいじゃない。どうせ住むところも食事も服もタダなんだからぁ」

「じ、じゃが……」

「お金なんて貯まっても使う暇ないわよー」


 レモネードのいう事は本当だった。彼女自身、忙しすぎてギルドから出る暇などなかった。買い物は新人冒険者に頼み、適当に食材やら生活必需品を調達していた。ギルド内の家事は、別に下男がいて彼らが切り盛りしている。ほぼ仕事三昧のレモネードの貯蓄は、かなりのものになっていた。


「あとね、登録料を値切ろうとする連中がいるけど、絶対に断るのよ。これはギルドの貴重な収入なんだから、銅貨1枚もまけられないのよ」

「承知した、我のご飯もこれから出来ているというわけだな」

「その通りよ……ってそういえばまだ朝食取ってないわよね?」

「うむ、まだじゃ」

「受付嬢の朝食は、昼食と一緒なのよ」


 ギルドは朝一番の客で忙しい。トラブルの知らせがあるのも大体朝一番だ。繁忙なのは午前8時くらいまで。その後は緩やかに暇になり、10時を過ぎると客足も落ち着き疎らになる。その時間帯を見計らって朝食兼昼食を取る。とはいえ、受付嬢がカウンターを離れる訳にはいかない。素早く食べて戻ったら、午後の繁忙時間に備えなければならない。


 午後は3時くらいから忙しくなる。午前中に簡単な依頼をこなしたヤツらが、日銭欲しさに戻ってくるのがこの時間だ。そして夜9時くらいを過ぎると、今度は酔っぱらった連中がやってくる。ギルドは情報交換の場を提供していることもあり、酔って気が大きくなった連中が、恰好をつけて無理な依頼を請けて行くのである。


 依頼を請けたにもかかわらず、達成できなければ罰金が科せられる。罰金はギルドの報酬となる。なので、ギルドとしては、酔っ払いはある意味歓迎すべき客なのだ。そういう理由もあって、ギルドには酒場が併設されている。酒場の方には受付嬢の出番はない。パイクが切り盛りしている。


 夜も11時を回ると落ち着きを見せる。ようやく受付嬢も夕食を取ることができる。なかなか不規則でハードな労働条件。それが今、最も人気のあるギルドの宿命だった。


「あとはそぉねぇ。依頼人との交渉に、武器屋、防具屋、道具屋との取引、宿屋の斡旋かしらねぇ。まぁいいわ、そっちは後からおぼえましょ」

「し、承知した。ではとりあえず我はカウンターにおればよいのじゃな?」

「そうよー。私は裏手にいるから、何かあったら呼んでねぇ」


 手をヒラヒラさせながら、カウンター裏に引っ込んでいく。アルテは今教わった手順を、メモを取りながら必死で頭に叩き込んでいた。魔法とも格闘とも違う、まったく異次元の作業だった。


「うーっす、レモネードさんいるかーい?」


 アルテがメモから顔を上げると、そこには大きな袋を抱えた冒険者が立っていた。つまりアルテの初めての客ということだ。


「う、うむ、今はわ、わ、わ我が受付嬢じゃ。何か用か?」

「はぁ? あんたが受付? 新人かよ」

「ま、まぁそういう事じゃ。以後よろしく頼む」


 袋の冒険者は怪訝な顔をする。が、目線がアルテの顔から胸へと下がると、ホクホク顔になった。そう、胸の谷間である。露出の多い制服を与えたレモネードの作戦は大当たりだった。変な言葉遣いの新人受付嬢でも、これなら多少の不手際は許される。男とは単純な生き物だ。もちろん女の冒険者には通用しないが。


「しっかし……別嬪なねえちゃんだな。パイクの兄貴もこんなのどっから捕まえてくるんだか。レモネードさんより俺の好みだわ」

「そ、そうか。では用事を言うがよい」

「おう、そうだそうだ。依頼をこなしてきた。番号は1466だ」


 アルテはカウンターを素早く出て、依頼票が貼ってある掲示板まで移動した。掲示板は”板”というより壁一面がそれになっている。運悪く1466番は天井付近に貼ってあった。ギルドの天井は高い。大型の魔物の部位が持ち込まれても大丈夫なように、容量たっぷりに作ってあるのだ。


 アルテの身長は低くはないが、天井付近までは全然届かない。周りを見回しても脚立のようなものはない。一体どうやってあんな高い場所に依頼票を貼っているのだろうか。疑問はあったが、今はそんな場合じゃない。早くお客さんへの支払いを済ませなければならない。


 実際、脚立はカウンター裏に置いてあって、それをレモネードが説明するのを忘れていただけなのだが、アルテは”魔法で貼り付けているに違いない!”と勝手に勘違いした。


 アルテは身体強化の魔法を使った。軽く跳躍力を強化してやればいい。少し勢いをつけてジャンプする。ふわりと体が浮く。1466番の依頼票を無事にキャッチして、華麗に着地する。ふわりとミニスカートが膨らむ。袋の冒険者の方へ向き直ると、彼の目が点になっていた。口をあんぐりと開け、固まっている。


「おい、1466番はこれじゃな?」

「……」

「聞いておるのか、冒険者!」

「う、あ、ああ。そ、そうだな、1466番、確かにこの依頼だ」

「依頼内容はと……ラードラー村に出没して畑を荒らすゴブリンの群れ退治。ふむ、部位はゴブリンの耳か。袋の中身は奴らの耳か?」

「あ、ああ。そうだ」


 まだ冒険者は呆けた顔をしている。が、アルテは構わずに支払作業を進める。アルテも初めての体験に緊張していた。相手の様子に気を配れる余裕はなかった。


「いち、に、さ、し……うむ、依頼票どおり120体分のゴブリンの耳を確認した。金貨30枚じゃったな、ちょっと待つがいい」

「お、おう……待ってるぜ」


 金庫から金貨30枚を出す。それと支払伝票だ。これに一筆入れてもらうか拇印をしてもらう決まりだ。ギルド側が支払った大切な証拠になる。


 金貨をカウンターに乗せ、支払伝票と一緒にわたす。が、男の姿勢が変だ。妙に前傾姿勢なのである。しかも両手で下腹部を押さえる仕草をしている。


「なんじゃ? 腹でも痛いのか?」

「い、いや、そうじゃねぇ」

「なら早くこれにサインするがいい」

「お、お嬢ちゃん、名前は?」

「我の名前はアルテリーナじゃ、アルテと呼ぶがいい」

「じゃ、じゃアルテちゃん、お兄さんとこれから飲みにいかねぇか?」

「なんじゃ、酒の誘いか……あいにくと今は仕事中での。またの機会に誘ってくれぬか。休みの日なら付き合ってやらんこともないぞ」


 その時、カウンター裏で話を聞いていたレモネードが飛び出してきた。


「こら、あんた! うちの受付嬢に手出してんじゃないわよ!」

「ひ、ひえぇ、レモネードさん、いたんですかい」

「いて悪いの? ここはあたしの仕事場よ。サインしたら金貨持ってさっさと帰りな!」

「アルテちゃん、ま、またねー」


 レモネードはすごい剣幕で冒険者を追い払った。アルテはどうしてレモネードが怒っているのか、さっぱり理解できなかった。


「ふぅ……ったく何だってこんな早朝から、さかりついちゃってるヤツが来るのか」

「さぁのぉ。我にはよくわからんのぉ」


 そう言ってアルテはカウンター下に落ちた支払伝票の写しを屈んで拾った。


「え? ……ちょ、ちょっとあんた」


 レモネードが神妙な顔をして話しかけて来た。


「パ、パ、パンツ穿いてないじゃない! もしかして気が付いてないの? あんた……ノーパンよ?」

「おう、我は穿かぬ主義じゃからの。ハッハッハー!」

「このバカーーーーーーーーーーーーーッ!!! どうして穿かないのよ?!」

「ふん、あんな極薄の布、穿いても防御力ゼロじゃからの。しかも動きにくいことこの上ない」

「防御力って、あんた一体何と戦ってんのよ!」

「ふふん、決まっておろう。我に敵対するすべてじゃ」

「馬鹿なこと言ってないでさっさと穿きなさい!」

「嫌じゃ」

「業務命令よ。ここは夜のいかがわしいお店じゃないの、ノーパンの受付嬢なんて許される訳ないでしょ!」

「大丈夫じゃよ。穿かなくて死んだ奴なぞこれまで聞いたことがないからの」

「大丈夫なわけないでしょ! さっきみたいな奴らがわんさか寄ってくるわよ。ギルドに変な噂が立ったらどうするのよ」

「それはないじゃろう。こんな年寄りのモノなぞ見ても、誰一人騒ぐこともあるまいよ」

「と、年寄りって……だってあんた18歳でしょ?」


 アルテはここで本当の年齢を言わなければ、穿かされてしまうと思った。生れた時から穿く習慣のない中で長年生きてきた人間に、突然ある日、”穿け”と言っても無理な話である。逆に普通の人間が”明日から絶対に穿くな”と言われたら拒絶するだろう。アルテに取ってはそれと同じなのである。


「す、すまぬ。嘘をついておった……」

「年齢をサバ読んでたって事? でもどう逆立ちしても、あたしよりは年下でしょ?」

「我は神聖歴元年の生れじゃ」

「元年って……1800歳って本当だったの?!」

「うむ。昨日お主に今が神聖歴何年か聞いたじゃろ? それでわかったのじゃ」

「うっそ……超ババアじゃない。ってか人間だったらカリッカリの乾燥ミイラになってるわよ」

「その辺の記憶も抜け落ちておるのでな」

「どうしてそんなに見た目が若々しいのよ? エルフは老化しないなんて反則じゃない!」

「いや、エルフも老化する。実際1000歳が寿命じゃ。人間と同じような老化現象が起きる。髪は抜け、白髪になって、シワやシミができる。足も弱って腰が曲がる」

「アルテちゃん、あなたには不老不死の魔法でもかかっているっていうの?」

「わからぬ。記憶がないからの」


 レモネードが、ぐっと両手の拳を握り、下を向いてプルプルと震えている。


「……ひとり……する……ゆる……」

「うん? 何じゃ。よく聴こえんぞ」

「不老魔術を独り占めするなんて許されないわよ! このノーパンBBA《ばばあ》!」

「何を怒っておる、落ち着かんか」

「う、うるさいわね、あたしは落ち着いてるわ。それよりどうして1800歳が28歳の私より若く見えるよの! 反則じゃない! 納得いかないわ! こっちはお肌の曲がり角で毎日苦労してるっていうのに!」


 28歳。人間の女性なら誰もが美容に悩み始める年代である。レモネードも余裕の態度を取ってはいるが、自分より若い容姿の1800歳の婆さんが男に誘われるのを見て、いつもの冷静さを失っていた。


「うむ、我の記憶が戻ったら教えてやるぞ」

「絶対だからね、約束よ」

「ああ、約束は破らぬよ」

「じゃあパンツ穿きましょうか」

「だから嫌じゃと言うておる」

「ぐっ……さすが1800歳ね、頑固さも半端ないわ。いいから穿きなさいよ」

「ではレモネード、お主が脱いだら我は穿こう」

「何であたしが脱がなくっちゃいけないのよ、ノーパンBBA《ばばあ》!」

「ったく、うるさき小娘じゃ。穿いてしまうと不老の魔法を思い出さぬかもしれぬなぁー、フフーン」

「ぐ、ぐ、ぐ、もういいわ。わかったわよ。穿かなくていいわ。でもそのミニスカートはやめて、あたしの穿いてるのと同じ、ロングにしなさい」

「こっち方が動きやすくていいんじゃが。蹴りも出しやすいしの」

「だからあんたはいったい何と戦ってるのよ。ババァなんだから腰を労(いたわ)って大人しくしてなさい」


 レモネードはカウンターの奥から新しい制服を取り出すと、アルテを露出の少ない普通の制服に着替えさせた。


「ふむ、まぁよいわ。少々動きにくいが、戦いに支障が出るほどではあるまい」

「油断はしないで。スカートめくりする酔っ払いとかアホな連中が来るからね」

「承知した」

「はぁ……もう朝っぱらから疲れちゃったわ」


 大きくため息をつくと、レモネードはパイプを取り出して煙草に火をつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る