第3話 アップルパイとオーガ襲来事件
ギギギと重厚な音がする。金属と分厚い木で出来た巨大な城門が動く。閉じられつつある城門の向こうに、アルテが堂々と立つ姿が見えた。そこには魔物の荒野に放り出される悲痛な顔はなかった。余裕の表情だ。まぁ当たり前といえば当たり前なのだが。
門が完全に閉じられ、早く今夜の寝床を探したいところじゃな、と思ったところで、アルテはたくさんの魔物の気配を感じた。気配の大きさから察するに魔猿の群れではない。オーガの群れだった。鬼化したヒヒが魔力の影響で魔獣化したものがオーガだと言われている。
実のところ、単体でも相当な強さの魔物だ。小さな村ならオーガ1体で滅んでしまうこともある。それが大群をなしている。しかも一直線にここ、つまりスピネルの街に向かっているようだった。
「オーガどもは元気じゃの。……さて、あの小僧、ブレンドとか言ったか。あやつは大丈夫かのー。一食の恩義があるしのー」
と考えながら、アルテは早速貰ったアップルパイを袋から出して、モグモグと食(は)み始めた。甘酸っぱいリンゴの香りとみずみずしい芳醇な果汁が口の中に広がる。それを追ってサクサクの香ばしい生地がやってくる。絶妙なハーモニーだ。
「なんじゃこれは、とてつもなく美味いではないか!」
それもそのはず。ブレンドの父はケーキ職人だ。スピネルの街でも評判の高い店を経営している。家にはいつも極上のケーキやパイがある。甘党に育ったブレンドは、いつもそれをくすねては、現場に持ってきているのだった。
のん気にモグモグと口を動かし、アップルパイを食べるアルテを尻目に、オーガの群れが砂ぼこりを上げて迫ってきた。あと1分もあれば城門へ到達するだろう。コース的には、その前にアルテと激突することになるのだが。
「面倒くさいのぉ、ったく……」
アップルパイを食べ終わった指を舐めとり、軽く手を振る。隠形の魔法だ。姿だけでなく気配や匂いも消せる高度な術だ。ただ魔力を感知されてしまうので、魔法使い相手には通用しないのだが、オーガをやり過ごすにはこれで十分だった。
やがてオーガの群れと遭遇するが、一匹たりともアルテには気付いていない。そして間髪入れず城門に激突するオーガ達。凄まじい激突音に衛兵や砦の巡回兵も慌てて警備に走る。だが、城門は堅く閉ざされている上に高い。身長3メートル程度のオーガでは到底昇ることはできない。それが分かりきっているので、城壁の上から衛兵たちも安心して見物している。
「オーガか。まぁせいぜい堅い壁を殴って満足してればいいさ」
「あいつら力は強いけど頭はないからな、アハハ」
「朝になれば森に帰っていくだろ」
「帰らなければ矢でも射かけてやろうぜ。いい的になる」
余裕をかまして冗談を言い合う衛兵たち。だが、その余裕は直ぐに消えることになる。
知能の低いオーガ。猪突猛進、前進することしか考えない彼ら。……のはずだったが、今日は少し違っていた。たった一匹だが統率するリーダーがいた。ほんの少しだけ知恵が働くリーダーは、城壁攻略を考えた。組体操のように群れを城壁に貼り付かせ、梯子代わりにして昇っていく。身体能力に秀で、体重の割に身軽なオーガ達には簡単な作業だった。
「おっ、おい! オーガどもが城壁を昇ってくるぞ!」
「まずいっ。剣を抜け、弓を射かけろ!」
100匹程度だったオーガの群れ。城壁に”梯子”が出来た途端、森からさらに別の一団が現れた。オーガだけではなく、魔猿やオーク、ゴブリンにコボルドなど下級な魔物が混じった混成軍団だ。その数は数千を超えていた。あっという間に城壁の上は激戦区になった。もはや衛兵たちは顔を青くするしかない。街の最大戦力であるスピネル騎士団は遠い。城の近くにいる。応援を呼ぶにも時間がかかりすぎる。
「くそったれえぇぇ! 絶対にこいつらを入れるんじゃないぞ」
「わかってます」
新米衛兵のブレンドも上官も必死で剣を振るうが、数が多すぎる。一匹二匹斬り捨てたところで、焼け石に水。それに先頭を切って突っ込んで来るオーガの力は強い。武力エリートの衛兵たちもかなりの苦戦を強いられている。
「しかしコイツらどうして突然街中に入ろうと?」
「そんな訳知るか!」
魔物達の行動は怯えから来るものだった。人間を襲うためというよりも、何かとてつもない恐怖から逃れるために人間の街を目指している感じだ。そう、魔物達の恐怖の正体は、アルテが魔猿にムカついて放った殲滅魔法なのだが、当の本人は気付く訳もなかった。
「……あ、落ちたの」
極上のアップルパイを食べてご満悦のアルテ。城壁の上からオーガに押し出されて落ちていくブレンドの姿が目に入った。このままではオーガ達に踏みつぶされてしまう。次いで彼の上官も後を追うようにして落ちて行った。こちらには興味はないが、ブレンドの事は気にかかっていた。
「アップルパイの恩義もできたことだし、助けてやるか」
落下したブレンドは死を覚悟していた。剣を折られ、オーガに殴られた。重く強烈な一撃。盾のガードの上からでもダメージがあった。衝撃が鎧を抜けて骨の芯にまで伝わる。
体がふわりと浮く感覚があり、直ぐに全身がバラバラになるような衝撃を感じた。数秒して、ようやく自分は城壁の上から落ちたのだと理解した。痛みを堪え、城壁を背にして折れた剣を杖代わりに何とか立ち上がる。周りは魔物だらけだ。満足に体が動かない。
「ふぅ、僕の人生もここまでか。でも最後まで戦い抜く。それが衛兵だ!」
「くだらん。死んだら美味しいアップルパイが食べられないではないか」
「あ、あなたは……アルテさん?!」
魔物の群れの中に突如現れた美しいエルフ。どうやってここまで来たのかと目を丸くしたまま、ブレンドは固まった。
「い、一体どうやってここまで?」
「どうやってって……歩いてじゃが。それがどうかしたか?」
「魔物で溢れているんですよ? あなたのような”か弱い”ご婦人が来れるわけがない! それより早く僕の後ろに隠れてください。囮になって時間を稼ぎます、アルテさんはその隙を見て逃げてください」
ダメージでプルプルと震える体を何とか奮い立たせる。激痛が走る肋骨を押さえながら、アルテを魔物の群れから庇うように手を広げた。
「……お前、我のために死ぬ気か?」
「最後くらい、恰好つけさせてくださいよ」
「ふん、無理をしおって。ま、そういうのは嫌いではないがな」
「アルテさん、一体何を?」
アルテはブレンドを押し退け、魔物の群れと対峙した。
「魔物どもよ、かかってくるがいい。リハビリ程度にはなりそうじゃ」
統制を失い、恐怖に駆り立てられた魔物達は一斉にアルテに襲い掛かった。アルテは魔物達を気にすることもなく、軽く右手を振り呪文を唱えた。身体能力を向上させる強化魔法だ。スピネルでも使える者はいるが、その効果はせいぜい跳躍を数十センチ伸ばしたり、100メートル走のタイムを数秒縮める程度の筋力強化だ。だが、アルテの強化魔法は桁が違う。全身のあらゆる能力が飛躍的に向上するのだ。もちろん時間限定ではあるが、伝説の勇者に迫るレベルになる。
アルテは素手で魔物達の牙や爪を受止め、軽く弾いて行く。そして華麗な蹴りを放っては、頭を吹き飛ばしていく。次々と肉塊と化する魔物達。なす術なく斃されて行った。体力も強化されているため、疲れ知らず。凄まじい速さで魔物の群れの中を駆け抜けるアルテ。涼しい顔で片っ端から斃していく。紙人形を手で引きちぎるようにして、魔物を滅ぼしていく。
「アルテさん、あなたは一体……?」
目の前の光景にブレンドは、自分は幻を見ているんじゃないかと思った。華奢な金髪エルフが、目にもとまらぬ速さで、魔物の群れを素手で殲滅していく。瞬きする間にアルテの蹴りが飛び、そのたびに数匹の魔物が葬り去られて行く。魔玉を持たないとはいえ、元魔王。下級の魔物などに後れを取る訳がない。完全なるワンサイドゲーム。いや、ゲームにすらなっていない。一方的な殺戮劇に等しかった。
ポカンと口を開けたままアルテの戦いを見ていたブレンド。気が付くとほとんどの魔物がバラバラの肉塊に変わり果てていた。そして残った僅かな魔物達は、圧倒的な力の差を目の当たりにし、一斉に引き上げて行った。
「ふむ、準備運動にはなったかのー」
グルグルと肩を回し、まだまだ動き足りないとばかりに大きな回し蹴りを放つアルテ。ボロボロになったドレス風の寝間着がふわりとめくれ上がる。
ブレンドの顔がまた真っ赤になった。
「どうした? また熱でも出たか」
「い、いえ……アルテさん、あの」
「何じゃ、我のあまりに華麗な戦いに驚いてしまったか? ふっふーん!」
「は、はぁ、確かに凄い戦いでしたけど……」
「……けど?」
「あ、あの、その……」
「何をモジモジしておる。言いたい事があるなら男らしくハッキリ言うがよい!」
「アルテさん、パンツくらい穿いてください!」
そう、アルテは下着を着用していなかった。おかげで蹴りを放つたびにあられもない姿になっていた。城壁の上から見下ろしていた衛兵達には見えなかっただろうが、同じ高さでずっと見ていたブレンドにはすべてが見えていた。
「……パンツだと? 我は穿かぬ。あんなもの防御力ゼロのクセに動きを制限するだけじゃ。アッハハハ~」
アルテは昔から穿かない主義だった。いや、そもそも1800年も昔には下着をつけるという習慣がポピュラーではなかった。アルテのように野外で派手に動く者は、むしろ穿かない方が普通だった時代。
「ぼ、防御力とかそういう事ではなく……女性としてのエチケットというか、そのぉ……」
「ブレンド、細かいことは気にするな。穿いてなくても死ぬことはない。我が保証しよう」
ニッコリ得意げに笑って親指を立てるアルテ。
まったく要らない保証だった。アルテのあられもない姿を見てしまったブレンド。その姿は脳裏に焼き付いている。ブンブンと頭を振り、自分の下心を鎮める。信じられないようなアルテの戦い方よりも、女性経験のないブレンドにとっては、美形エルフの生れたままの姿の方が強烈なインパクトがあった。
冷静に周囲を見ると、魔物達の肉片に混じって、上官が倒れているのが目に入った。見事に気絶している。そして失禁もしている。ダメージはほとんどなさそうだ。城壁の上から落ちた衝撃も、役付き兵士にだけ支給されている上等な鎧で吸収されている。実のところ、魔物に襲われる恐怖で気を失っているだけだった。
「この男、確かお前の上官じゃったか?」
「ええ、どうやら恐怖で気絶してるみたいですね」
「ではちょうどよい。この男が気絶している間に我を城門の中に入れてくれぬか?」
「それはダメです、規則違反ですから」
「チッ、けちくさいヤツじゃの。いいじゃないか、少しぐらい」
「規則は規則です。破ることはできません」
顔を曇らせるアルテ。その表情を見てとったブレンドは一呼吸おいて会話を続けた。
「ですから、私があなたの身元引受人になりましょう。それならば問題ありません。規則には反しません」
身元引受人になるということは、その者の責任をすべて引き受けるということだ。迂闊になるものではない。普通は身内か、古くからの付き合いがある友人などがなる。それをついさっき知り合った素性の知れない女エルフの身柄を引き受けてしまう。ブレンドも自分で思わず笑ってしまうほど気軽に口を突いて出た台詞だった。というのも、強さと美しさ、そしてこの独特の魅力に惹かれてしまったからだ。
「よくわからんが、我はこの街に入ってもよいということじゃな?」
「ええ。ですが僕のいう事を聞いてくださいね」
「ん? 何でじゃ?」
「だって僕があなたの身元引受人ですから」
「そうか、まぁよい。お前の所におれば、寝床と食事には不自由せずに済みそうだからの」
「ええっ!? 寝床?」
眼を白黒させて慌てるブレンド。身元を引き受けるといっても、まさか家の寝床まで要求されるとは予想していなかった。ブレンドの住いは実家だ。父も母も妹も同居している。アルテを住まわせる部屋はおろか、寝るスペースすらない。
「食事はともかく、寝床は……」
ブレンドの頭には幼馴染の顔が浮かんだ。厳ついスキンヘッドのマッチョマン。若くしてギルドの副マスターになった優秀な荒くれ者。口は悪いが、面倒見がよくて困った人間を放っておけない熱血漢。あいつならアルテを何とかしてくれるかもしれない。
「アルテさん、行きましょう」
「うむ、期待しておるぞ」
失禁している上司を抱え起こし、ゆっくりと城門を開けると、ブレンドはノーパン金髪エルフと一緒に冒険者ギルドへ向かった。
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