第2話 空腹のエルフ

 ぐぎゅるるるるる~~~っ


 派手に腹が鳴った。何度も何度も鳴った。そして進んでも進んでも森ばかりで、いっこうに食べ物にありつけない。元魔王は苛立っていた。


「お、おのれぇ……なぜこの辺りには人家がないのじゃ。我が寝ている間に人間は滅んでしまったのか?」


 空腹のあまり思わず変な方向に考えが行く。だが、腹が減っては戦ができない、いや生きていけない。元魔王にとって深刻な問題だった。攻撃魔法で野獣や魔物を捕えることも考えたが、直ぐにダメだと悟った。


 得意の魔法で獣を仕留めるのは簡単だ。でも調理ができない。肉のさばき方も知らない。食べられる物なのかどうかの判断もできない。現役魔王時代、料理はすべてメイド魔族達にお任せだったからだ。自分はいつも完成品の料理しか見ていなかった。イノシシや鹿を捕えたところで、どうやったらそれを皿に乗る美しい一品にできるのか想像がつかない。


「……段々腹が立ってきたの。この鬱蒼とした森は一体どこまで続くのじゃ。全部焼き払ってしまおうか」


 ぶつけようのない怒りが、元魔王の中にたぎっていた。不満を森にでもぶつけなければ、我慢ができそうにない。そんな心を見透かしたのだろうか。おちょくるように猿の群れが目の前に現れては、木の上に消えていく。キャッキャと煩い声をあげながら、元魔王を嬉しそうに揶揄やゆしている。


 猿といってもタダの猿ではない。魔力を蓄えた魔獣の猿だ。だから知能も人間並にある。単なるいたずらではない。魔猿たちは狙って兆発しているのだ。兆発に乗って追ってきた動物を罠にはめ、捕えて生きたままその肉を喰らう。それが魔猿の狩りの仕方だ。


「おのれちょこまかと猿のクセに……」


 元魔王の怒りは頂点に達した。軽く手を振りながら魔力を集中させ呪文を唱える。その掌からは真っ直ぐに猿に向かって凶暴な火炎の渦が放たれた。火炎は巨大な龍となって魔猿の群れを瞬時に焼き尽くし、森の木々を一直線に吹き飛ばしながら燃え進んだ。いや、正確には爆発しながら進んだと言った方がいい。衝撃波が四方に広がり、巨大地震にも匹敵する大きな揺れがしばらく続いた。目の前には地面が露わになり、一直線の道が出来ていた。


「おお、ちょうどよい。これで歩きやすい道ができた」


 殲滅魔法で道を切り開いた格好になり、元魔王はご機嫌だった。まぁ、犠牲になった魔猿の群れは不幸以外の何物でもなかったが……。しかしこの殲滅魔法が、後々大きな影響を及ぼすことは、今はまだ誰も知らない。


 切り開かれた道の遥か先には、高い城壁に囲われた城塞都市「スピネル」が見えた。スピネルに限らず、この時代の人類は魔物から自らを守るため、領土を城壁で囲い、その中に暮らしていた。城壁の中には田畑や川や湖があり、街の中だけである程度自給自足ができるようになっている。


 だから普通の森や原野には、人家はほとんどない。城壁の外にある建物らしい建物といえば、冒険者が非常用に使う宿やシェルターがまばらに存在する程度だ。それほどまでに、魔物の勢いが強くなっていた。城壁の外に出るのは交易商人や冒険者で、一般の住民が出ることはほとんどないと言っていい。


「ほぉ、やっと街らしきものが見えたか。美味い食事にありつけるとよいのじゃが……」


 元魔王はようやく目指すべき行先を見つけ、空腹を満たすべく意気揚々と歩を進めた。


◇◆◇◆◇


「で、エルフのお嬢さん、名前は?」


 元魔王は、城塞都市の門前で衛兵に止められていた。


 時間は既に夜中、月が煌煌こうこうと街を照らしている。繁華街の賑わいも静まり、そろそろ店じまいを始めている。城壁の外は魔物が支配する月夜。普通の人間はおろか、冒険者や腕に覚えのある騎士でも城壁の外を移動するのを避ける時間帯だ。怪しまれても仕方がない。


 この時間に外から城門を叩くなど、魔物以外にはあり得ないからだ。先週着任したばかりの新人衛兵ブレンドは、世にも美しいこの女エルフに、ただならぬ物を感じていた。エルフ族は人間よりも戦いを好まない、自然を愛する穏やかな種族だ。もちろんスピネルの街中にも住んでいる。


 これほどまでに美しく、品のあるエルフ族の女性を見たのは、ブレンドも初めてだった。が、服装はボロボロだし、素足で髪の毛もゴワゴワ。容姿と服装のギャップが激しい。おかしいと思いつつも興味を持ってしまった。いつもなら質問もせずに槍で追い払うところだ。


「な、名前か? わ、我は……」


 元魔王は1400年も寝ていたせいで、ほとんどの記憶が抜け落ちていた。特に自分に関する事は大部分忘れていた。名前すら思い出せなくなっていた。現役の魔王の頃は、自分の名前を呼ぶ者はいなかったし、魔王になる前のエルフをやっていた頃の名前も、あまり好きではなかった。だから名前という物にこだわりがまったくなかった。とはいえ、”名無しのごんべい”と名乗るわけにもいかない。


 元魔王は名前を思い出せず困って冷や汗をかいていたが、新人衛兵のブレンドはその胸元に目が行っていた。ボロボロで破れかけの薄いドレスからチラリと見える豊満な胸の谷間。思わず目線が引きつけられてしまった。その谷間には、女性には似合わない武骨な金属プレートのネックレスがさがっていた。


「……アルテリーナ・フォリア・スピネル? もしかしてこれがエルフのお嬢さんの名前?」


 プレートの文字を思わず読み上げてしまった。下心があって胸を見てしまったのを必死で誤魔化したい気持ちもあったからだ。元魔王は、空腹と焦りでそんな事にはまったく気がついてはいない。というか、女性としての恥じらいは当の昔 ―――魔王になった1400年以上前に捨てていた。


「そ、そうだ。我の名前はアルテリーナじゃ」


 元魔王ことアルテリーナは、自分でも気付かないうちに掛けていたネックレスに救われた。本当に自分の名前かどうかも疑わしいが、今は衛兵の言葉に乗っておこう。けれど衛兵からは、さらに矢継ぎ早に質問が来る。


「アルテリーナさん、長いからアルテさんと略しますが……あなたはこの街の住民ですか? それか街に親戚とか家族とか身元を保証してくれる人はいますか?」

「わ、我は……住民ではない。知り合いも街にはいない」

「では、通行許可証は持ってますか?」

「い、いや……持っていない」

「冒険者ギルドの登録証は?」

「そ、それも持っていない」


 街に入ることができるのは、住民か身元引受人がいる者が原則。加えて、商人が持つ通行許可証かギルドが発行する登録証を持つ者だけだ。それが絶対の決まり事だった。変装スキルを持つ魔物が、人間に化けて街に侵入する事件が頻発したためだ。過去の過ちを繰り返さないために、スピネル王は衛兵を選抜し、門の警備を強化した。衛兵は下級職ではあるが、相当なレベルの剣技や槍技の使い手であることが求められる。つまり衛兵は武力のエリートなのだ。


「……残念ですが、あなたを街に入れるわけにはいきません」


 と言いかけたところで、アルテは目の前が真っ暗になるのを感じた。そしてばったりと地面に倒れ意識を失っていた。


「ア、アルテさん! 大丈夫ですか?!」


 質問でエルフの美女を追い詰め、気絶までさせた。周囲の衛兵の痛い視線が飛んできた。


「いったいアイツはどんな質問をしたんだ?」

「口だけで女を気絶させるとは、怪しい魔法でも使ったのか?」

「セクハラじゃねぇのか?」

「新人のくせにえげつないな!」


「ち、違う! 僕は何もしてません! 無実だ……」


 いわれない疑惑の視線に追われるようにして、ブレンドはアルテを地面から抱え起こし、直ぐに医療室へと運んだ。


 城門の近くには医療室があり、魔法医が常駐している。城門は魔物と戦う最前線。いつ衛兵が大怪我をするかわからない。だから王から派遣された回復魔法や治癒魔法の使い手がいる。魔法医は貴重な存在だが、警備の要である城門には王も惜しみなく人材を投入した。国王の強い方針だった。


「せ、先生! 困りました、助けてください」

「どうした青い顔をして。毒のある魔物にでも噛まれたか?」

「僕じゃありません! こっ、この人……この人を診てあげてください」


 ブレンドはベッドに横たわるアルテを指差した。


「ん? エルフ族の娘じゃないか。しかしまぁ、とんでもない別嬪さんだな。こんなエルフ族は見た事がない。ブレンド、お前まさか惚れたのか?」

「違います! 突然目の前で倒れたんです。早く診てあげてください」

「ふむ、どれどれ……」


 ブレンドをからかい終えると、魔法医はアルテの全身に手をかざし、状態を診た。そしてゆっくりと口を開いた。


「治療の必要はないよ」

「なぜですか?」

「だってこの娘、ただの栄養失調だから」

「……はっ?」


 アルテは衛兵ブレンドと会話している最中に、あまりの空腹に意識を失ってしまったのである。何しろ1400年は何も食べていない計算になる。寝ている間、魔力で生命が維持されていたとはいえ、やはり基本的な栄養失調は免れない。魔法使いもかすみを喰って生きているわけではないのだ。


◆◇◆◇◆◇


 ブレンドはアルテの豪快な食べっぷりに度肝を抜かれていた。これほどの食べっぷりは、荒くれどもが集まる食べ放題の定食屋でしか見られない。


「お、おひ、衛兵とやら……スープとパン、おかわり!」


 口にパンを詰め込んだまま、ブレンドに容赦なくおかわりを要求する。アルテはブレンドが用意した食事を一瞬で平らげた。メニューは衛兵用に提供されている普通の食事。スープとパンに野菜サラダと肉料理が一品だ。毎日変わらないので飽きてしまう定番メニューなのだが、今のアルテにとってはご馳走だった。


 が、空腹であることを抜きにしても、アルテは大食すぎた。その細い体の一体どこに入っていくのかと疑問に思うほどの量を食べていた。衛兵たちが飽きて手を付けずに置いてあったパンが、みるみるうちに吸い込まれて行く。


 パンとスープを10人前食べ終えたところで、ようやくアルテの手が止まった。


「ふう、寝起きじゃからの、腹3分目にしておくか」


 元魔王は大食いだった。が、体は細い。俗にいう”痩せの大食い”だ。エルフ族は小食の者が多い。しかし、その常識を覆すアルテの食べっぷり。ブレンドも魔法医も開いた口が塞がらなかった。


「しかしよく食べるエルフ族だな。魔力の流れも普通とは違うようだし」

「仕方があるまいて。何しろ我は今まで長い間寝ておったのじゃから……」


 アルテの若い見た目に反して古臭い言葉遣いに、魔法医とブレンドは面喰っていた。まるで吟遊詩人の物語に登場する偉人のような言葉遣い。外見は十代後半のエルフ。だが長寿で有名なエルフだ。もしかしたら100歳を超えているのかもしれない。


 実際は400年を魔王として生きた後、1400年間ほど寝ていたので、アルテの実年齢は1800歳なのだが。


「うむ、若い人間……名前は確か”衛兵”だったか?」

「違います。僕の名前はブレンドです。衛兵は職業名ですよ。それに若いって言ったって、アルテさんは僕とほとんど同い年でしょ?」

「おお、そうかすまぬ。とにかく世話になったな。危うく餓死するところだった。ハッハッハッハ」

「お腹一杯になったところ申し訳ないんですが、アルテさんを街に入れることはできないんです」

「そうなのか。どうしてじゃ?」

「街の決まりなんです」

「……そこを何とかしてくれぬか。頼む」


 美女エルフの切なる願いにブレンドの心は揺れ動いた。一般人がこの時間帯、城外にいれば間違いなく魔物の餌食になる。それがわかっていて城外に追い払うというのは、いかに決まりであっても惨くはないだろうか? ブレンドは迷った。


 アルテとしては別に城外の魔物なぞ恐れるに足らない。が、さすがに野宿は勘弁してほしかった。アルテはこう見えてもお嬢様育ちである。その上、魔王になってからは居城で豪華な食事と快適な居室が常に用意されていた。それが普通の生活だった。夜露に濡れて寝るのは耐えられない。


「おいブレンド、変な事は考えるなよ。その女は規則違反だ。直ぐに城外に追い出せ」

「曹長、お言葉ですがこの時間に城外にご婦人を追い出すなど……」


 ブレンドに話かけてきたのは、偏屈そうな上官だ。


「ふん、新人の分際で上官の命令が聞けないのか?」

「いえ、そういう訳ではありません。せめて朝になるまで、ご婦人をここにおいてあげてはいかがでしょう?」

「ならんならん! スピネル王の作られた規則は絶対なのだ」

「スピネル王もこんなか弱いご婦人を、魔物の中へ放り出すなど温情のないことをなさるでしょうか?」

「……おい、ブレンド。貴様生意気だぞ?」


 上官の雰囲気が一気に険悪になった。次の瞬間、ブレンドの顔には上官の拳が豪快にヒットしていた。殴られたブレンドは派手に吹っ飛んで医療室の壁に激突していた。


「何をする! その若いの……いやブレンドとやらは我を思って行動してくれたのだ! 悪いのは我だ」

「ふん、下等なエルフ族ごときが。さっさと城外に出るがいい」


 エルフ族は本来森に棲む種族。しかし森は今、魔物が支配している。森を追われたエルフ達は仕方なく、人間の街に頼ることにした。ここスピネルの街にも、森から移住してきたエルフ達が住んでいる。が、当然後から入って来た者達に対する差別や偏見が生れる。しかもエルフの方が少数だ。


 見た目は、長い耳以外あまり人間と変わらない。とはいえ、考え方や文化はまったく違う。生活魔法を器用に駆使して極力自然と調和した生き方をするエルフ。鉄器や火を使って森を切り開き、田畑を広げ、山を削り堤防を作る人間。自然をねじ伏せながら生きている。


 それを冷ややかな目で見るエルフ。だが庇護ひごされている立場では何も意見できない。エルフ達の不満や侮蔑の視線を人間側は敏感に感じ取っていた。人間とエルフの間には大きな争いこそ起きていないが、目に見えない感情の溝ができているものまた事実だった。


 エルフ族を街に受け入れたのは、スピネル王の下心あってのことだ。彼は魔法に長けたエルフの力で国力を向上させたいと思っていた。今のところその狙いは外れている。エルフ族は人間より魔力こそ強いものの、生活魔法や回復魔法程度しか使えない者が大多数だからだ。攻撃魔法が使える者は僅かだった。


 アルテは曲がったことが嫌いだ。そして恩義には報いる。借りは作らない主義だ。ブレンドはご馳走してくれたばかりか、決まりを破ってでも自分をかばってくれた。これ以上ここに居たら迷惑を掛けてしまう。仕方なく野宿の覚悟を決め、城外に出ることにした。


 転移魔法で街中に移動することも出来たが、大騒ぎになってしまう。衛兵であるブレンドにも迷惑がかかる。それに騒ぎを起こせば、今後この街で動きが取れなくなってしまう。配下の魔族達がいない今、普通の人間と同じように、街中でなければまともな水準の生活はできない。世間知らずのお嬢様アルテは、一人では何もできない。


 ブレンドは殴られた顔をさすりながら、申し訳なさそうな顔でアルテを城門の外へ送り出した。せめてもの手向けに、自分が食べずにとっておいたアップルパイをこっそり袋に入れて渡した。上官に見られたら、また殴られかねない。


「アルテさん、こんな事になって本当に申し訳ないです。城門の近くは目立ちます。夜中にかけて魔物もたくさん寄ってくるでしょう。門からできるだけ離れてください。夜は森の中に身を潜めていた方が、少しは安全です」

「ブレンド、お前はなぜ我にそこまで親切にしてくれる?」

「えっ!? あ、その……」


 ブレンドは顔を真っ赤にしていた。そうだ、この大食いでババ臭い言葉遣いの美形エルフが、どこか気になって仕方がないのだ。興味を通り越して、もっと話をしてみたい、一緒に過ごしてみたいと思っていた。まぁそれを人は「恋」というのだが、奥手のブレンドは自分自身の感情に気付いていなかった。


「いっ、一般市民の安全を守るのが衛兵の仕事ですから!」

「ん? ブレンドよ、顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」


 心配したアルテ元魔王は、気さくな態度でブレンドの額に掌を当てる。


「うむ、熱はないようじゃな」


 突然のアルテの掌。ヒンヤリとした感覚がブレンドの額に伝わる。夏の夜風と相まって気持ちがいい。ブレンドは自然と心が落ち着き、安らぐのを感じた。体も心なしか軽くなっていく。


 アルテはせめてもの御礼にと、密かに回復魔法をかけていた。ブレンドの心労や疲労を回復させるだけの微々たるものではあるが、それでも今のブレンドには結構な効果があった。


「力になれなくて本当に申し訳ないです、絶対に生き抜いてください、アルテさん」

「我は大丈夫じゃ。それよりもお主の方こそ気を付けよ。……あの上官にやられんようにな、フフフ」


 2人は顔を合わせて思わずニヤリとしてしまった。短い間だったが、アルテの優しくも気さくな面に触れ、ブレンドは離れるのが名残惜しくなっていた。しかし、上官の命令は絶対。軍隊で上官に逆らえば軍法会議にかけられ処罰される。士官への道が閉ざされてしまう。


 ブレンドの夢はこの国の騎士団に入ることだ。騎士団に入り、国を守る。魔物や敵国から王侯貴族を守り、国のために尽す。夢を叶えるためには、衛兵勤めで上官から良い評価をもらう必要がある。逆らえば降格は確実。騎士どころか、城壁の巡回兵で一生を過ごすことになってしまう。

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